第31話 魔眼開眼





    ◇ ◇ ◇



 ユニはマルクと対峙し、ほんのりと紅潮した顔で「さあどうしたものか」と考える。


 彼女がマルクの魔眼を打ち破れたのは幾つかの条件が重なったからだ。精神耐性の装備を身に着けたことによる精神干渉の威力減衰、酸素を生成するという世間一般的には実用性皆無の魔道具マスクの存在、それだけならユニは精神干渉に勝てなかっただろう。


 だが、酸素を吸えるまで気持ちを昇華させたのは……


(……良い匂い)


 後はご察しの通りだ。


 酸素が体に行き渡れば体は力を取り戻し、不思議な成分でも含まれていたかのように気力は十分と立つことができた。そして今、ユニは後の精神干渉に備えマスクを装着しようかと迷いが生じていた。


 倫理観的にはアウトだが、対策的には完璧だった。


 茹だったユニの頭はそれが正解なんじゃないかと考え、マスクに口づけするように装着しようとした。その時、


「っ!?」


 敵対者マルクの纏う雰囲気が切り替わり、鋭利さを持つ。


 喉元に細剣を突き立てられたような感覚。元々、自分一人では魔族に勝ち目がないと分かっていたユニは時間稼ぎに徹しようと身構えていた。


 だが、今すぐにでも自分を殺そうとする殺気に、初めて殺意を向けられた彼女の体は僅かに硬直してしまった。


 瞬きの間に生み出された糸が槍のように貫かんと迫った。


 ダンッッ!


 後方で鳴る蹴り音。


 風切り音を携えて、ユニの前に割り込む一人の影。


 右手に握る魔法銃を振り抜き、鈍器のように扱い糸の槍に合わせた。


 鉄同士が衝突したような鈍い音を奏でると、糸槍の軌道はズレ木に突き刺さった。


 ユニは飴色の目を一杯に開き、命の危険にドクンと高鳴っていた鼓動は、温かみに包まれ、トクンと心地良く感じられた。


「バルト君!!」


 悲鳴を上げるような歓声に彼は唇を綻ばせ、詠唱した。


「《強化弾・麻痺パラライズ・ブリット》」


 振るった銃口が示す先はシン。


 シアの頭部を斬るべく振り下ろされた大剣は、彼の胴体に麻痺弾が叩き込まれると全身に痺れが巡り動きを停止した。


 一瞬の出来事。


 自分以外の領域に気づいたバルドルが嫌な予感に突き動かされ、《身体強化フィジカル・ブースト》と《劇毒強化ドーピング》で自己強化しユニの下に到着したのだ。


 そんなバルドルは満身創痍といった有様だった。エルトリーアの時ほどの余裕はなく、拭う暇のなかった額からは汗が流れている。


 動悸が激しく、動かしすぎた足は疲労感が溜まりジンジンと痺れていた。それでも、バルドルは息を吐いて呼吸を整えると肩越しに振り返り、安心させるように微笑んだ。


「ユニ、無事で良かったよ」


 心の底から安堵したような顔だった。


 彼には一つの後悔があった。


 目の前で大切な友達ユニ達と守るべき生徒シン達が魔族に連れ去られたのに、動けなかった。


 世界が暗闇に沈んでいく、途方もない絶望感。あまつさえ本来は守るべき生徒に銃を向けた。


 精神負担が尋常ではなかった。人を傷つけ慣れていない彼は、それでもと、万が一の可能性を考えて、すぐにでもユニ達の安全を確保するために、根拠も確実性もない願いのためにルス達を攻撃した。


 その全ては無駄ではなかった。


 だから、


「もう君は傷つけさせない」


 絶対に守るという誓いを強く宣言する。


 その左手は流れるようにポケットに向かっていた。


「シスカ、使うよ」


 この可能性をずっと考えていた。


 もしも、目が見えるようになったらどうしたいのか、と。


 シスカと一緒にまた遊びたかった。


 英雄譚に登場する騎士のように剣を使った戦い方を学びたかった。


 社交界にお披露目していないため、本当に友達がいなかったから友達が欲しかった。そして一人で魔導書を読み漁り身に着けた魔法で切磋琢磨する、ライバルになりたかった。


 当時はまだ家族に未練があったバルドルは、仲直りして誕生日を祝って欲しかった。


 だが、そう考える度に全てを失った日のことを思い出した。


 いつからだろう?


 光のある世界を見る時間より、暗闇を見る時間の方が長くなったのは。


 いつからだろう?


 沢山の魔法を学ぶ度に見せる場がなくて、酷い徒労感に心を打ちのめされたのは。


 いつからだろう?


 歩けばに当たり、歩くのが怖くなったのは。


 いつからだろう?


 使用人の悪口が聞こえるのに慣れすぎて、心が乾き始めたのは。


 ──いつしか、彼は「もしも目が見えるようになったらどうしたいのか」を考えなくなった。


 


 鳥籠の中にいる鳥に目があったとして、どこを見ればいいのだろう? 鳥籠の外を羨望するように眺めるのか?


 視界はなくても視える技術を身に着けた。


 一人で歩けるようになりはしたが、どこかに行きたいという気持ちがなかった。


 どうしようもないほどに、バルドル=アイゼンは未来に絶望していたのだ。もしも鳥籠から旅立ったとして、金銭がなければ生きることはできない。


 盗みを働けるくらいに彼は非情になり切れない。生きる意味がなく、生きる目的がなく、夢さえも既に過去の中だ。


 そんな彼の生活を一変させたのは、シスカから届いた一枚の手紙だったのだ。


 そして魔法学園に入り、少しずつ、暗闇未来を自分の手で切り拓いていった。


 彼には向き合わなければならない過去トラウマがある。この魔眼のせいで全てを失ったのだ。


(嫌いだ。好きにだってなれない。この魔眼のことを考えたら嫌なことを沢山思い出す)


 でも、彼には今この眼が必要だった。


 ポケットから取り出した物は、魔眼を開眼した日から9年の間、毎日視てきた形をしていた。


 酷く体が寒々しい。


 極寒の冷気を浴びせられたように体が強張り、手に震えが走った。


 そして今日、その過去の暗闇トラウマを捻じ伏せる時が来た。


(大切な人を守るために……)


 バルドルはソレを目の封印具に存在している穴に刺していく。


「させるか……!」


 マルクの魔眼と無数の糸が襲いかかる。


「《極毒溶解ベノム・ディゾルブ》」


「《■■コル・レニオス》」


 溶解に特化した毒液は糸を溶かし、ユニを庇う位置に彼が立っていたので魔眼は一人にだけ効果を発揮し、一瞬だけ止まった手は光のオーラを浴びると同時に動き出した。


 カツン、と最奥まで届いた。


 最後の宣言を心の内で言い放つ。


(もう、失わないために……僕は前に進む!)


 震える手に力を入れ、その鍵を回した。


「──!!」


 手首を捻る。


 カチャッ、と軽快な音を奏でて眼の拘束具は解放された。


 地面に落ちるは封印の神器、開眼するは魅了の魔眼。


 とても澄んだ色をしていた。


 透明感が高い透き通るような瞳だった。


 人の物とは思えない綺麗すぎる桃色を宿した魔眼だった。


 音が消え去るように、魔眼に映る全生命が動きを止める。


 見られた側から魂が抜け落ちたように、一人の男に骨抜きにされる。


 ──頂点の魔眼バーテックス・アイが一つ、この世全てを魅了する〈魅了の魔眼〉がここに開かれた。


「ああ……そっか、こんな色をしていたんだ」


 彼は全てを視ることができた。


 でもそれは所詮、彼が脳内で映像化した記録でしかない。彼が知らない色はあるし、何よりも彼が視る世界には光がなかった。


 忘れていたわけではない。


 思い出した、とでも言うかのように目を見開いて、頬を綻ばせ、どこまでも純粋無垢な子供のように天真爛漫と笑ったのだ。


「綺麗だ」


 バルドル=アイゼンは九年振りに世界をこの目で確かめたのだ。



 不思議な光景だった。


 バルドルの視界内に収まる草花は風が吹いているのに揺れない。小さな花はその顔をバルドルの方へ向け、木々は不思議と枝葉を広げ、この場を陽光満ちる小さな広場にした。


(魔眼は僕自身、本で色々調べたけど……〈魅了の魔眼〉の効果までは乗ってなかったから、分からない)


 アイゼン家の書物には魔眼辞典が存在し、読んだことはあったが、魔眼の最高位ランク「頂点バーテックス」は記載してなかった。


 この魔眼は無機物以外、生き物ならば何だって魅了する。……と、普通の魅了のような分かりやすい効果だったら良かった。


 だが、災厄の魔女が保有していた魔眼が普通のものであるはずがない。その逸話の記された本をバルドルは読んだことがある。


 曰く、の魔女が桃色の眼を向けると魔法は消え失せ、動植物せいめいは彼女の味方をした。という一文が存在していた。


 バルドルは自分を見つめたまま動きを止めたマルクに未だ警戒の眼を向けながら、自分の魔眼の情報を思い出し頭を悩ませる。


 と、そーっとバルドルの顔を覗こうとするユニがいたので手で制しておく。


「ダメだよ」


「ど、どうしてですか?」


 ビクッとバレたことに肩を震わせる。


「視界に入った人を問答無用に魅了して、危険だから」


「……はい」


 バルドルの真面目な空気を感じ取り、元の位置に戻った。そしてユニはこの間にバルドルとシンに回復魔法を放ち、自分達全員に《■■コル・レニオス》を施しておく。


「……不思議な魔力を感じる」


 エルトリーアの臀部竜紋を視た時と同じように、人ならざる魔力を領域は感じ取っていた。魔物とか魔族とか、そういう魔力意味でない。


 根本的に人間とは格の違う生物のような感覚だ。


 先程からバルドルは魔法銃で銃撃し、魔法を放っていくが、自動結界を所持しているためそれに防がれていく。


「目は大丈夫ですか?」


「うん。神器で眼を保護されていたからなのか、全く違和感なく見ることができる」


 ユニの心配に銃撃を続けながら軽く応じる。


 結界にヒビが入り、砕けそうになる──


 その直後、マルクの右目、魔眼じゃない方の眼に魔法陣が生まれた。その文字列、ルーン文字を読み取り、「契約」「魔眼」「解放」の三つを解読する。


(魔眼を封じていた? 確かに日常生活に支障を来す魔眼だからあり得なくはないけど……どうやって?)


 神聖なる決闘タイマンの話に出てきた、魔力印によって結ばれる契約。その履行は絶対であり絶対ではない。バルドルのような頂点の魔眼バーテックス・アイは封印することができないのだ。魔法には限界があり、限界は魔法を使う者に左右される。炎魔法の温度の限界が、初心者と熟練者では違うように、だ。


 つまり、目の前の魔族と契約を交わした者は魔眼を封じれるほどに異次元の魔法使いだったということだ。


 ──魔王。


 魔眼を封じれるほどの契約魔法を使える存在、魔族と来れば確定だ。


 ゴクリ、と無意識の内に固唾を呑む。


(もしも魔王と契約できたら……)


 あり得ない気持ちだと分かっているのに、


「っ!? ──《神話生物魔法再現リプロダクション毒竜ヒュドラ》!!」


 昇華、大規模魔法陣の展開。紫紺の輝きよりでるは神話生物の再現体、三頭の毒竜ヒュドラだ。空中を泳ぎ、顎門アギトを開き前方左右の3方向からマルクに襲いかかった。


 その全ては──手品のように逸れた。


 或いは見えない何かにされているみたいな。


「この感覚、久々だな」


 低い声。


 草原という空間ではよく響く声の主はマルクだ。結界が割れると同時に停止していた彼が動き出す。少しの焦りも感じさせない清々しいまでの鉄仮面、冷徹な空気を従え、そのでバルドルを射抜いた。


 その効果からマルクの魔眼の正体を看破する。


「っ……〈誘導の魔眼〉か」


「ほう、知っていたか」


 〈誘導の魔眼〉、見た対象の精神・行動に干渉し、その人物の中に存在している感情や気持ちといったものを誘導する。基本的には相手がその時に思っている感情ことを誘導させるが、相手の中に存在している感情ならば誘導することができる。


 例えば、旅行に行きたい気持ちを持った人がいたとする。旅行に行きたい人の気持ちは、初めは旅行に行きたいという気持ちが100%のはずだが、徐々に100%ではなくなる。その場所に行く不安感、トラブルが起きた時の想像、〈誘導の魔眼〉はそういった気持ちに干渉し、数パーセントの感情を膨れ上がらせ、精神と行動に干渉し誘導する。この時、誘導する感情や気持ちといった相手の情報を知る必要がある。


 誘導は一度施せば、以降は気持ちが薄まろうとも残り続ける。非常に危険かつ厄介な魔眼だ。


 魔眼は基本的に一点特化の方が威力が高い傾向にあるとされ、〈誘導の魔眼〉は頂点とは程遠く、精々、人には再現できないという意味を持つ「超過イクシード」ランクが妥当だ。実際、その程度の魔眼ならば高位の聖職者が回復できる。


 だが、〈誘導の魔眼〉が他とは違うのは、という点だ。


「複眼と糸、クモの魔族か」


 クモの魔族は一つの瞳に複数の眼がある複眼のようだ。それは人間の〈誘導の魔眼〉持ちとは異なり、その効果は単純計算で4倍だ。


「──それでも、僕の魔眼より性能は劣るはずなんだけどね」


 一体どんなズルをしているのか、と煽る発言にマルクは口を閉ざしたままだ。


 生物以外の毒竜ヒュドラに干渉した所も気になる。背後から攻めたいが、毒竜は魔法陣から伸びているので、相手の視界内に必ず入ってしまう。


 バルドルの〈魅了の魔眼〉を向けられている中で動ける。不可解すぎるマルクの行動を可能にしているのは契約だろう。


 挑発に乗らない所を見るに、先程一戦交えた魔族とは性格は真逆のようだ。


 表情に全く変化がない。


 事実だと思っているからか。


 まあ、いい──と興味なく、バルドルはマルクの頭上に置いた毒竜を解除し、劇毒の雨を降らせた。


 そして静かに、バルドルとマルクという魔眼保持者ホルダー同士の死闘が開演した。








────────────────

ちょい説明

自動的に防御結界を張るダンジョン産の装備には、来た攻撃を防ぐタイプと、一度反応すると一定時間張り続けるタイプがあります。

マルクが所持しているのは後者のタイプで、ちなみにユニの光の攻撃を受けたのは、純粋に結界が反応するより早く直撃したからです。

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