第29話 迷子の聖女/反撃の時





    ◇ ◇ ◇



 ユニは暗闇を見つめていた。


 脳の機能が回復し始め、微かに指を動かせるようになった。だが、呼吸さえままならない口は呪文を紡ぐことができず、立ち上がる力も残っていなかった。


 瞼を開ける気力も湧かなくて、意識が朦朧としているユニは、瞼の裏を眺めていた。


 走馬灯のように脳裏を過る記憶の数々。その記憶の殆どは魔法学園に来てからのものばかりだ。


 元々、ユニには生きる目的、原動力がなかった。


 だから、「死」に支配された体を動かすために、彼女の心は生きたいと願うようになった、始まりの出来事をユニに見せた。


 宝物の記憶だ。



 ──その日、ユニは入学試験を受けるため、魔法学園アドミスの門を潜った。


「ここがアドミス魔法学園。神父様に聞いた通り、皆楽しそうにしていますね」


 ユニと同じ受験生の人達は皆、一様に未来に想いを馳せ笑顔だった。


「お前はもし入学できたらどうしたい?」


「俺? やっぱ騎士だろ! 実は子供の頃からクロスベルトの冒険が好きでさ」


「ああ! 知ってるぞ! 俺も好きだ」


「じゃあ一緒に目指すか?」


「おう!」


 夢を語る少年達の笑顔は眩しいくらいに素敵だ。夢のないユニは「いいなぁ」と思いながら、ここでなら私にも何か目標ができるんじゃないか、と期待した。


 他の人に視線を移すと、物凄い熱意に溢れている少年がいた。


「俺は絶対にこの学園に入って最強になる!」


「お兄ちゃんそればっかり」


 会話の内容から察するに、二人は兄妹のようだ。そんな妹に兄は笑いかける。


「いいか? ここで一番になると凄い装備が貰えるんだ。そうしたら、お前を治してやれるからな」


「む、私はどこも悪くないよ」


「え? あ~、それは……」


 困ったように頭を掻く少年を不思議な顔で見つめたユニは、隣の少女を見てみる。特段、悪い所は見えなかった。


「?」


 しかし少年の熱意は本物だ。


 どういうことかと首を傾げている内に兄妹の姿を見失い、ユニは光って見える受験生の姿に心を楽しませながら、ちょっぴり罪悪感を抱いてしまった。


 ユニは聖女としてここにいる。正確には、聖女として教育を受け、表舞台に出しても恥ずかしくない、と判断され魔法学園に入ることになった。国へのお披露目も兼ねているので、ユニの入学は半ば確定的だ。


 まあ別に、配属先は特殊科だから、彼ら彼女らの席を奪うことにはならない。とはいえ、「こう、何というか気まずい」といった感覚に陥っていた。


 他の受験生は皆、何かしらの目的を持ってこの場に来ている。対してユニは何もない。ただ運命に流されるままに入学する。


(私は何のために……)


 ……嫌に鼓動が早くなった。


 罪悪感を感じる必要はないのに感じて、ユニは排斥感を感じていた。自分はここにいてもいいのか? と、その思いが彼女を気疲れさせ、元々周りの人達を眺めてハイテンションだったユニは、少し休憩と人の波を掻き分けベンチに座り込んだ。


「ふぅ……」


 息を吐き冷静になると、何をやっているんだと自分に自分で呆れてしまう。


 聖女としてお世話になった人達に迷惑をかける訳にはいかないから、試験は絶対に受けるつもりだ。だからこれは……些細な感傷に過ぎないのだ。


 胸の鼓動が落ち着くまで、パンフレットを眺めることにした。文字を読むのは苦手で、学校の設備が写真で乗っている地図を見ることにしたのだ。


(教室で授業、部活動、放課後の街歩き……)


 写真から学園生活を想像して、自分も一緒に笑っている姿を幻視する。


 ユニの期待は膨らむばかりだ。


 やりたいことのない私にも、何かやりたいことができるんじゃないか、と。


 そう思ったら居ても立っても居られず、思い切り立ち上がった。すると、真正面に人がいるのに気づいた。


「──もしかして、道に迷った?」


「ほえ?」


 ユニはビックリした。


 その人がいる場所的にユニが地図を見ていると分からないはずなのに、目の前にいる誰かさんは初めからユニが地図を見ていたと知った上で、気疲れからため息を吐いた様子を見やり、道に迷っていると確信してやってきたのだ。


 ユニからすると第一発言が意味不明すぎた。


 一体全体、これはどういうことかと仄かに疑問の色を瞳に覗かせ顔を向ける。


「はへ?」


 聖女としてはしたない、ポカンと口を開けたポーズのまま固まる。


 眼の前に立つ男は目隠しをしていたのだ。


 しかも、目隠しなのにやけに威圧感があった。というかこれって神器? 理解不能の現実に思考がバグる。


(何だこの人……)


 普段なら不審者です! と大声で警備の人を呼ぶ所だが、何故か男が目隠しし慣れているというか、着こなしている? というか、もうそーゆうファッションであるかのように自然だったから、声を上げるタイミングを見失ってしまった。


 不思議な不審者に呆気に取られ、我に返ると、ユニは周囲の楽しげな空気が一変しているのに息を呑む。


(え? 何、これ……?)


 気の弱い者ならば自殺しかねない悪意という悪意が男に突き立てられていた。


 嫌悪、軽蔑、殺意、敵愾、憎悪、そして排斥。


 人に向けるべきではない悪感情が、刃の数々となり男の全身を抉っている様を幻視する。感情に敏感なユニはその全てに触れ、ゾッと肌を粟立たせ吐き気を催す。


(どう、して?)


 彼に悪意のナイフを突き刺す人達の中には、先程まで楽しそうに魔法学園のことを話している人達がいた。


 直接心臓に冷気を浴びせられたかのように、心が凍りつく感覚を覚えた。


 急速に体温が低下していく。


 サァっと青褪めた顔で、この人はその感情を向けられるほど悪い人なのかと視線を戻す。


 なのに、その不思議な男は周囲の空気を気にしていないように装い、ただ、道に迷ったと思い込んでる自分に優しく微笑みかけ、案内をして上げると申し出たのだ。


 悪い人のはずがない。


 それなのに、


 ──誰も彼を助けようとする人がいない。


 人という生物が醜く映った。


 それを認めたくなくて、唇を噛むという自傷行為に走った。


「大丈夫?」


 そんなユニを男は心配する。


 他の人達は男に悪意を向ける。


 彼の優しさに触れたユニは、唇を噛むのを止めると、一度目を閉じた。


 そして何かを決めるように笑うと目を開き、男の手を取った。


「えっと、はい。迷いました。なので、道案内を頼みます」


「うん、分かった」


「……貴方のお名前は?」


「僕はバルドル、バルドル=アイゼンだ。君は?」


「私はユニと言います」


「ユニか、良い名前だね。それで、どこに案内したらいい?」


「え? えーっと、じゃあまずは……」



 ──この記憶ときの出来事をきっかけに、ユニは生きる目的を見つけた。


 人を知ろうと思ったのだ。


 純粋に、意味が分からなかったから。


 だってバルドルは優しい人なのに、周囲の人は誰も彼を見ようとせずに、〈魅了の魔眼〉を持っているからという理由で悪意を向ける。


 彼が何をしたというのか。


 この違和感を感じた時、協会の教えにあった、魔族は絶対悪だという考えに疑問を持つようになった。


 だからユニは決めたのだ。


 例え魔族だろうと言葉を交わせる以上は良い人も悪い人もいるはずで、良い悪いは種族の差ではなく、個人の問題である。


 ……人間の中にも悪い人はいた。


 だから別に魔族の中に悪い人がいても当たり前だ。


 そして、罪を犯したならば罰を受けなければならない。魔族が人を襲う大義名分は、ユニに教えを授けた神父曰く、戦争をしているから、だ。


 今のユニからしてみれば、そんなものはクソ喰らえだ。戦争を始めたのは祖先の話だ。今を生きる人達に罪はない。罪があるとすればそれは、あの日バルドルの優しさを知りもせずに悪意を向けたように、これから殺す相手もちゃんと見ないような人だ。


 ユニは静かに、ソレに向かって手を伸ばした。



 一人の少女が静かに動き始めた頃、魔眼の影響下にあるシンは折れた大剣を振り上げ、シアにゆっくりと歩み寄っていた。


 まるで過去を再現するかのように。


 あの日の続きをやり直すみたいに。


(やめろ、やめろ、やめろ!?)


 泣きたい顔は歪んだ笑みに変わり、心は思いたくもない激しい憎悪に包み込まれた。


(──やめてくれぇ……!!)


 その懇願は声にならない。


 操り人形マリオットと化したシンは、守るべき妹を殺そうとしているのに、憎悪と快楽を感じていた。


 心が壊れそうになるほどに、現実は地獄だった。


「あ、ぁ、あぁ……」


 シアは目に映る人物が悪魔か何かに思えていた。兄であるはずだ。いつも守ってくれるシンが見えている。なのに、体の震えは止まらなくて、化け物を見るような瞳をシンに向けてしまう。


 心を嬲るように調理している。


 嫌だ、嫌だ! と反発する心が潜在能力を引き出し、魔力の質を高めていく。


 長年の経験から領域で魔力の質を感じ取れるマルクは、「極上だ」と目を見開き満面の笑みを浮かべた。


 魔力果物が熟して収穫の時になる!


 7年ものの贄を頂くことに思考を埋め尽くされた。


 その時、水を指すようにユニの瞼が開いた。


 二人の絶望する様を鑑賞していたマルクは、ユニの方へ振り向き魔眼を向ける。精神系の魔眼はユニに干渉し、呼吸を再度小さくしていく。


 マルクはユニを殺す可能性を過ぎらせたが、下手に遠距離攻撃すると自動防御の結界を持っていた時に張られる可能性を考え……何をしている? ユニの手がポケットに入れられていることに疑問を抱く。


 マルクはユニの行動を警戒していた。何せ対魔族の神器を所有しているからだ。だが、ユニが取り出した物は


 警戒が強かっただけに、マルクの反応は一瞬遅れた。


 ソレは過去の聖女が遺した神器などではなかった。


 何せソレは、元々誰かさんが王都を散策した時に見つけた物で、結局ユニは回収したがまた着けられたらと返し忘れていた物。


 この数年の間、人の手によって作られたソレを、ユニは口元に寄せていた。


 魔力を、流す!!


 その手には神聖なる決闘タイマンの時、回収してあったバルドルのマスクが握られていて──。


「《ルークス》!」


 酸素を生成することで、呼吸はできるという認識が精神干渉を打ち破り、強引に光を顕現させた。


「っ……!?」


 視界を埋め尽くす光の線がマルクを吹き飛ばした。時を同じくして、全身に活力が戻ったユニは立ち上がる。


 そして、希望の光が生まれたことで、状況は目まぐるしく変化する。


 ──反撃の時だ。



「あれは……」


 バルドルは天に登る光を視た。


 見覚えのある不思議な光。


 あれを発生させたのはユニだとすぐに分かった。


 まだ無事だという現実ことに安堵の吐息を零すと、次の瞬間には真面目な表情に切り替わり、全力で光の下に走り出した。






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