第27話 竜の契約





    ◇ ◇ ◇



 空間が慄いていた。


 バルドルは魔眼に秘めた魔力を使い、第五層の広大なフィールドを視ていく。


 魔眼の魔力は通常の魔力とは質が異なり、濃密で威圧感があった。あまりにも恐ろしい魔力が空間を埋め尽くすものだから、魔物は魔力を感じると逃げていった。


 ダンジョン内にはユニ達以外の人がいないのが幸いし、本来の領域展開より広範囲の探索が行える。人に触れる感覚ではなく、何かが動く感覚を感じる程度の範囲に広げることで、優に数キロを越える草原を感知ながら移動していた。


(いない、いない、いない、いない……!)


 しかし、ユニ達を感じ取ることはできない。


 ダンジョンが広すぎる。


 闇雲に動いても本当に近づいているのか分からない。常に自分は逆方向に走っているのではないか?という不安が付き纏う。


 それに体は限界だ。最近鍛えているお陰で身体強化を解除した後も走り続けることはできるが、体力がなさすぎた。


 体に溜まった疲労が領域制御に影響を及ぼし、広げすぎた領域の端から制御に失敗し魔素に溶けるように消えていく。


(それに駄目だ! もっと薄めないと魔族に気づかれる……!)


 バルドルより先に領域魔力を魔族が感じ取ったら、敵から余裕が消えるはずだ。魔族は必要以上に人を苦しませる残虐性を持っている。つまり余裕がある。実際、マルクは絶望調理するために時間を無駄に消費している。そこでバルドルの魔力を感じたら、問答無用で邪魔が入る前に喰らうだろう。


 魔族の性格を熟知してないとはいえ、相手に気づかれないように、奇襲という有利を活かすために領域の範囲を絞り薄めていく。


 心は熱くも頭は冷静に、セルフコントロールで意識を切り替える。


 しかし状況は何も変わらない。ユニも、エルトリーアも、見つけることは叶わない。


(何か、何かないのか……!?)


 ユニやシン、シアが今この状況にも窮地に立たされているかもしれない。そんな焦りから早く見つける方法はないのかと必死に頭を回す。


 その時、シスカがポケットに入れた物を思い出す。


 見覚えのある形。


 手に触れたソレは冷たい感触。


 世界が静まり返ったようにバルドルの中から音が消えた。


 一瞬の迷い、逡巡。


 手に触れた物に意識が集まった。瞬間、


「っ!?」


 バルドルは魔素が蠢く流れを視た。


 その本来人が扱えない魔素が流れる光景に、一人の友人の姿を幻視した。


「これは……エル」


 直後、バルドルはそちらへ走り出した。



    ◇ ◇ ◇



 風圧が、衝撃が、林に生え並ぶ木々を吹き抜け葉を散らす。


 圧倒的なパワーと瞬発力を持つダンに、宮廷式格闘術を持ってエルトリーアは応戦していた。


 二人の拳が繰り出される度に、人災の暴風が吹き荒れる。だが、不利なのはエルトリーアだった。


 ダンのサメ肌、すなわち皮歯くちとなる胴体に攻撃すると手痛いカウンターを喰らうことが確定したので、まずは楯鱗がどこまであるのかを確かめるために引き気味に戦っていた。


 全身がサメ肌でないのは判明した。腕を掴んだ時と足払いした時、どちらも口に変化することはなかった。そのことから、胴体のみ口化が可能である。


 それが分かってからは攻め気味に戦闘を展開したが、結果はだ。

 そう、、だ。


「ふっ!」


 肩を撃ち抜く。


 体勢がよろけた所を狙い右足を顎へ振るう。


 それを歯に捉えようと噛み付いてきた。予測していたので寸止めすることで風圧を食らわせ、重点的に目に飛ばすことで視界を細めさせる。


「この!」


 苦し紛れに蹴りを繰り出してきた。


 エルトリーアは林という地形を活かすべく跳躍し、枝を掴みぐるりと一回転し手を離す。その遠心力を利用した蹴撃をダンに放った。


 だが、長年の経験が彼の攻撃への嗅覚を引き上げ、咄嗟に腕でガードしてきた。互いに魔法を使うことも領域を展開することもなかった。そんなことをするより殴る蹴る方が遥かに早いからだ。


 エルトリーアはダンと肉弾戦を繰り広げる中で、ダンの能力を把握するために時間を費やしていた。


 ダンを蹴り飛ばし、間合いが5メートル開くと思考に余裕ができ無意識的に集めていた情報を纏めて行く。


 この魔族は身体強化魔法を使っていない。


 驚嘆すべきことに、ダンは《身体強化・王ロイヤル・ブースト》を使用したエルトリーアと身体強化魔法フィジカル・ブーストなしで張り合っていた。


 身体強化を最初から使っていた可能性は? いや、身体強化の魔法は重複しない。《超速マッハ》を使っていた時点であり得ない。


 となると、あの時エルトリーアを超える速度が出ていたのはどういうことか。


 身体能力は身体強化魔法以外を使うことで上昇させることができる。その筆頭がバルドルの《劇毒強化ドーピング》だ。魔法法則的に強化するのではなく、あくまでも劇毒を服用することによる間接的な強化。このように魔法には抜け道がある。


 それ以外に彼女の知識では、速度を上げるために風や重力を操る魔法などが存在した。目の前の魔族があの時から身体能力が上がったのは多分、水を浴びたからだ。水を浴び、元の身体能力に戻った? 水生生物の魔族だからあり得ないわけではないが流石にそれは馬鹿すぎる。じゃあ、水を浴びたことで身体強化されたと見るべきだ。


(やっぱり、特異体質にしては随分と数が多いわね)


 ダンが元から備えていた能力を解剖していくと、三つの力が存在していた。


 無詠唱(魔法陣なし)で水を腕に纏っていたため判明した、水生成クリエート・ウォーター


 自分で生み出した水を遠隔で操作していたため判明した、水流操作ハイドロ・キネシス


 水を浴びた後から身体能力が上昇していたため判明した、水性強化アクア・ブースト


 普通の特異体質と比較すると能力の汎用性は素晴らしい。一点特化の魔眼に比べたら威力は劣るが、普段遣いという点では優れていた。


 ここまで来れば豊富な知識を持つエルトリーアにはダンの力を見抜くことができた。


「アンタが元から持っていた特異体質って、〈水の加護〉でしょ?」


「ハッ、気づいたか」


 ダンはニヤリと笑う。


 エルトリーアがわざと確認したのは理由がある。その狙い通りに事が進んでいる状況に内心で黒い笑みを零す。


 特異体質の一種、加護は名前に入る対象(今回の場合は水)に対して絶大な恩恵を受ける能力だ。魔眼とは異なり、加護は所有者によって別々の能力を有している。


 その力の数が二桁になると加護の名前に王が追加されるソレは、特異体質の中で最もポピュラーなものとして認知されている。


 特異体質は必ず子供に遺伝するわけではない。だが、加護は必ずといって良いほどに遺伝する。力の数は少ないが……しかもダンのように目に見える形なのは珍しい。


 大抵はその属性に対する耐性とその魔法の威力強化、発動速度の上昇、などとサポート面の充実が加護の本質だ。


 そして今この時を以てしてエルトリーアはダンの能力を把握した。


 魔王恩恵デモンズ・ギフト暴食魔蓄グラトニー・ストック〉──皮歯の口化、食べた魔力の蓄積と解放。


 特異体質〈水の加護〉──水生成クリエート・ウォーター水流操作ハイドロ・キネシス水性強化アクア・ブースト


 前者の魔力ストックは驚異だが、学のないダンとは相性が悪く使いきれてない印象だ。水魔法の他に使ったのは回復魔法と《超速マッハ》くらいだ。


 種族的に初めから持っていた〈水の加護〉とは違い、〈暴食魔蓄グラトニー・ストック〉は後天的に授けられたからだろう。


「一つ提案があるんだけど、私と本気で殺り合わない?」


「あぁん?」


「単純な話よ。このままだと決着が着く前に邪魔が入るわ。だから、お互いに全身全霊、全てを賭して死合ましょう」


 素手での戦闘は千日手。ならば一段回上の戦いをしようと提案する。どちらに有利かなどは言わなくても分かる。


 両方有利だ。


 ──しかしそれは一対一タイマンの場合だ。


 エルトリーアはユニのことを考え焦っていた。思ったより時間を稼がれたこと、王族の魔力を奪われたこと、その二つの焦燥感が選択肢を狭め目に見えて分かりやすい択を選ばせてしまった。


 故に、エルトリーアは気付けない。


 自分の提案がどれほど愚かであるのか。


「良いぜ。もっと楽しもう」


 余裕綽々の表情で快諾した。


 そして、エルトリーアは自身を中心として赤い魔法陣を展開する。上級魔法 《再誕の儀リバースドラゴン》。破邪の炎の結界が敷かれた。


 前提として、エルトリーアがダンに勝っている部分は王家の秘匿魔法シークレット並び、竜化した体による魔法耐性の高さだ。身体能力は膂力で敗北し、敏捷性は互角。瞬間最大速度は敗北し、遮蔽物を使った小回りの速さはエルトリーアが上回る。耐久力は同程度、魔法耐性はエルトリーアが圧倒している。ダンの攻撃は噛みつき以外は致命傷にならない。頭部を殴られた時に弾けなかったことが証明している。


 戦闘技術は経験のダンと技術のエルトリーアで、エルトリーアの方が戦闘を有利に進めている。


 本来、冷静に戦った場合に勝つのはエルトリーアである。魔法発動をしたら拳の餌食になるとはいえ、無詠唱ができる魔道士とルーン言語の詠唱でしか発動できない魔道士なら、前者の方が有利に決まっている。


 だからこれは、強いて言うならば……精神魔法耐性を獲得しても完全に無効化できるわけではない、ということだ。


 バルドルの魅了に対する耐性が初めから完全ではなかったように、マルクの魔眼は未だにエルトリーアの心を少なからず誘導していた。


「《ドラゴン──」



 エルトリーアが魔法の宣言を終える前に、ダンはトッテオキの魔力をストックから解放した。


「《共鳴竜化フォース》」


 其は竜の王と契約せし魔力。


 古の契約、竜王との繋がりは魔力を通して結ばれた。


 ならばこそ、竜王の契約魔力はこの場に二つ。


 本来あり得るはずのない、全く同一の魔力持ちによる魔法発動宣言。


 ここでダンは致命的なミスを意図的に起こしていた。


 竜王の力を授かる魔法には儀式場が必要である。だが、ダンにはない。元より作るつもりもなかった。


 これが何を生むのか。


 エルトリーアとダンの足元に竜化の魔法陣が展開される。その魔法陣が光り輝き起動する時、すなわち竜王との契約を通して力が授けられる瞬間、魔力が異常を起こしたように荒れ狂う。


 周囲の魔素を吸い込む魔法陣。だが、本来あり得ないイレギュラー。


 静かに、けれど確実にエルトリーアは竜王との契約の繋がりが断絶する感覚を得た。


「あっ……」


 突如として胸を掻き乱す損失感。


 同時に魔法発動が正当になされなかった時、魔法発動は失敗となる。ダンは儀式場を強いていないが故に、魔素を魔法陣に集めることはできず魔法陣は自然消滅した。


 だが、魔素を吸収したエルトリーアの魔法陣は違った。


 高密度の魔力が圧縮され失敗した結果、どこに行くでもなく収束された魔素の塊は解放される。と、魔法への変換中、実態を得た魔力となりて爆発した。


 魔法失敗フェイリア魔力暴発アウトバースト


 ドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!


 膨れ上がった魔力の爆発は地面を刳り、近くの木々を薙ぎ倒し、自然風景を破壊した。あまりの爆風にダンは距離を取り引きった笑みを零す。


 これは具体的に、使った魔法に対して対価となる魔力が不足している時に起きる、魔道士なら一度はやらかしたことのある失敗。


 だが今回の場合、その魔力があまりにも多すぎた。


「あー、マルクさん……やっぱ悪趣味過ぎねーか?」


 ダンの行動は全てマルクの指示通りだ。というか、ダンは熱くなりすぎるとマルクに予め精神魔法をかけられているので冷静になり、マルクの指示を思い出すようにされている。


「諸々の感情より食い気だからまーいーが、流石にあっけねー。焦れば焦るほどにマルクさんの魔眼は力を増すから仕方ない、か?」


 やるせない感情にため息を吐きながら肩を竦める。


 腕を振るい舞い上がった砂埃を吹き飛ばす。


 爆心地には制服が破け、全身から血を流すエルトリーアがいた。額から夥しい汗を流し、真っ青な顔つきでダンを睨んでいた。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 直撃した魔力の爆発に肝を冷やした。


 顔への直撃は腕で防いだが、諸に食らった足は酷い有様だ。立っているだけで震え、力が入らない。


 ダンを睨むことでバレないように牽制するが、傷ついた姿を晒している時点で格好の獲物、まな板の鯉だと知らせているようなものだ。


 上手く行かない現実に空虚な笑みが零れ落ちる。


 弱々しい表情で掌を強く握り締めた。


(繋がりが……消えた)


 竜王との契約パスが感じられない。産まれた時から当たり前にあった感覚がない。竜王の繋がりは強大な存在から庇護を受けているような安心感があったのだ。


 その繋がりが消えた直後、エルトリーアの体を満たしていた竜の力が抜けていく。


 〈竜の巫女〉としての性質はそのままに、彼女を昂らせていた力の波動が弾けるように消えた。


 見た目に変化がないのが有り難かった。


 今の自分エルトリーア相手ダンより弱い。


 この事実に不安と恐怖が押し寄せてくる。


 力も、速さも、耐久力も、負けている。


 竜化が解け耐性も弱まり、魔眼の影響で負の感情に思考が傾いていく。


 それでも、


「諦めるわけにはいかないわ……!」


 活路を探す。


 勝利への道、勝ち筋を模索する。


 二人目の、いや初めての同年同性の友達を助けるために。


 彼女は誇り高くあり続ける。


 竜王の力がなくても、どんな劣勢に立たされようとも、兄に憧れた少女は前を向くことをやめない。


 八つの最強種との契約は幾つかの項目がある。ナイトアハト家の歴史を学ぶ上で知り、違反項目に抵触した場合は一時的に繋がりが消えることは知っていた。


 だが問題は、その繋がりを取り戻す方法にある。今すぐに再契約は不可能だ。現実は都合良くはいかない。……バルドルとの一件で散々思い知らされたことだ。


 そう思えば、不思議と胸は軽くなり笑い声が出てしまう。


「最後に良い思い出ができた見てーだな。安心しろ。死んだ後も最大限有効活用してやる」


 スタ、と軽やかにダンはエルトリーアの前に着地した。


 歩みを進めていく彼は少しだけ残念そうな顔を見せていた。


「結構よ。私は死ぬつもりなんて毛頭ないわ。思い出作りはこれからいっぱい……そう、そうよね」


 すればいい。と続くはずだった言葉は涙に濡れ始めた。


 まだ学校生活は始まったばかりだった。


 友達二人としていないことが沢山あった。学園祭、体育祭、決闘祭、年明けの魔法大祭、学園行事でもこれだけだ。


 学園外では春といえばお花見、夏になれば海に遊びに行きたい。ユニは食べるのが好きだから、一緒にお寿司を食べるのもいいだろう。バルドルはまあ何でも喜びそうだなと気づいて笑ってしまった。


 決闘祭や冬の魔法大祭ではリベンジして、他国から伝わってきたクリスマスなる行事で、二人でどこかに出かけてみたりして……。


 そしてお正月が過ぎれば一年が巡り、また春がやって来る。


 ──あーあ、本当に最後の思い出になっちゃった。


 走馬灯のように脳裏に浮かぶ下らない妄想に一人で喜んで、馬鹿みたいだと思うのに、口元には優しい笑みが浮かんで。


 未練だらけの人生に終止符を打つべく、大きく裂けた口が頭部を噛み砕こうと影が落ちた。


「いただきまーす」


 悍ましい現実に目を閉じ、魔法を使う気力も無駄な抵抗だと湧かないエルトリーアはしかし、「生きたいな」と本音を零した。


 直後、空気が震えた。


「なっ──!?」


 ダンが肌を粟立たせ、瞬時にその場から飛び跳ねた瞬間、竜の咆哮が轟いた。正確には、空気を通り抜ける音が彼女の目を見開かせた。


 その先にいたのは竜。今の彼女が最も欲しがっていた安心感の象徴。……にしてはだいぶ不吉すぎる毒の竜に、何とも言えぬ笑いが込み上げてきた。


 毒竜の顎門を跳躍で躱したダンは自らの失敗を悟る。空には待ち構えるようにもう一頭の毒竜がいた。


「はぁ!」


 魔力を水に変換し腕に巻き付け振るう。捻りを加えた激流が毒竜を貫き吹き飛ばすが、彼の背後からはもう一頭の毒竜ヒュドラが迫っていた。


 そして、


「落ちろ」


 毒竜はダンを飲み込み地面に衝突した。


 発生した風圧が目を細めさせる。


 次に視界がまともになった時に見たのは、自身を打ち負かし一年生最強の名を欲しいままにする魅了の首席、バルドル=アイゼンその人だった。


「エル、大丈夫?」


「…………うん」


 今一番会いたい人に会えたことが嬉しくて、そのことを自覚して頬を赤らめて、少々口ごもってから、エルトリーアは素直に頷くのだった。


 反撃の時は直ぐ側にまで近づいていた。




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