第26話 竜魔激突
◇ ◇ ◇
バルドルがシン達と戦い始めた頃、一方のエルトリーアは意識が一瞬途切れた後、すぐに前を向いた。
開いた目は血が滲み真っ赤に染まっていて、ダンの拳が眼前にまで迫っていた。
《
「らぁ!」
「ぐっ」
超速のスピードから繰り出されたダンの拳はエルトリーアの腕を押し込み、吹き飛ばした。
そこからの追撃を防ぐために、先んじて念写しておいた魔法陣から炎の波がダンに向かって放たれる。
二人の戦闘スピードにおいて、攻撃魔法の起動はワンテンポの遅れが発生するため、限定的な状況下でしか使えない。
今回は追撃を避けるためと先読みが上手く行った結果だ。
「とっ、《
ダンが水魔法を使った。
この隙に血を腕で拭うと、ジンジンと痛む腕に眉を潜めながら、ユニを追うべくダンに背を向け走り出した。
草原の草を踏み締めた跡があるため、ユニの追跡は容易だった。
だが、踏み出した足は背筋を震わせる悪寒に無意識に止め、気づけば全力で右に跳躍していた。
「俺に背を向けるたぁ随分とナメた真似してくれんじゃねぇか!」
炎が一瞬にして蒸発する音。その蒸気を突き破り姿を見せたダンの動きは先程の何倍も早く、エルトリーアが一瞬前までいた場所を殴っていた。
──嘘、私より早い……!
その拳には身を纏う水が渦潮のように巻き付き、振り抜かれた直後、螺旋を描く水流となり撃ち出された。
木々を圧し折り突き進む威力は、上級魔法クラスだった。
昇華の技術を用いず擬似的に再現するなど、もはや一種の異能、特異体質だ。エルトリーアは
そんなエルトリーアにダンは不気味な裂けた笑みを浮かべる。今の水流を放つことで面白い反応が見られたからだろう。
「さっき教えてやっただろ? 俺に背を向けたらどーなるのか」
暗に
彼女は舐めていた。魔族というのはクロスベルトの冒険に出てきた悪役、しかも悪役としては弱い存在として描かれていた。魔王に劣るのが魔族だ。その魔王を倒した一族の者が魔族に負けるなどあってはならない。だから、ユニに追いついて自分一人で二人の魔族を相手取るつもりでいた。
だが、エルトリーアは間違いだったと自覚した。そもそも私はまだ王族の力も禄に扱えていないのに、と気づけば、甘さはなくなりユニを信じる選択肢が生まれた。
(ユニの実力と装備なら、数分持ち堪えることはできるわ。それに頼りないけど冒険者が二人もついているんだもの。だったら、私はコイツを瞬殺してユニを追うわ!)
そして、エルトリーアはダンと向かい合う。纏う空気は先とは打って変わり気迫に満ち溢れ、拳を構えたスタイルは宮廷式格闘術を彷彿とさせるが、この世界でオンリーワンなものだ。
ダンは初めて見る王家の全力に無邪気な子供のように笑うと、「遊ぼーぜ」と無詠唱で腕に水を纏わせた。
「ええ、よろしくてよ。折角だから私のサウンドバックとして遊んでいきなさい!」
「ハハッ、やっぱ贄の中にも上質なのはいるなぁ!」
ダンッ! 双方は地面を陥没させる勢いで草原を蹴り木々の合間を擦り抜けながら全速力で前進。
ダンは《
「甘いわ!」
「この!」
しかし脚力が上がったということは、速度が早くなっても滞空時間は伸びるということだ。戦闘の空気を楽しむダンは力強い一歩を好む傾向があり、それを見抜いたエルトリーアは合わせるように竜の爪を振るった。
空気を引き裂くような鋭利さを持つ爪は、人間の時とは違い長く伸びていた。その扱いのために存在するのが竜王式格闘術だ。
其は竜の王の爪であり、人の子とは体の使い方が異なる。
要するに竜爪に力を伝達する歩行、踏み込み、相手に叩き込む最適な角度という技術を体系化し生み出した王家の中でも〈竜の巫女〉にしか意味のない専用の格闘術だ。
元は竜王に近づく肉体を制御するために、体の使い方を覚えるために開発され研究されていったものだ。
その爪の一撃はダンが腕をクロスにして攻撃力を和らげようと集めた水を突き破り、腕に三つの切り傷を作り、その右腕を翻し裏拳で顔面を撃ち抜き吹き飛ばした。
「レディーの顔を狙った罰ですわ」
軽やかに微笑みかける。
それに目元をピクつかせたダンは、靴で地面を擦らせながら《
魔法を使ったということは、エルトリーアにも魔法を使える時間が生まれたということだ。
「あら、自慢の魔王様から貰った力を使ったようね。それにしても運がないわね。アンタが元から持っていた力は私と相性最悪なんだから」
──《
幾つもの炎槍を生み出し、待機させる。
魔法は発動した瞬間に撃ち出すのが基本だが、購入した魔法は自分の物になるので、ある程度は撃ち出すタイミングを選べる。
バルドルの《
ともあれ、エルトリーアは炎の槍を従え、ダンへと接近する。
「チッ……!」
ダンはエルトリーアの言葉を気にしたのか、炎に相性が良い水魔法を使い対抗することにした。
「《
頭に血が上りまんまとエルトリーアの策に嵌まった。
前提として、ダンが《
つまり、
「こういうことよ」
エルトリーアは二つ目の魔法陣を念写していた。
魔法発動方法は幾つかあるが、その中でも念写発動を可能とする者ほど高位の魔道士になれる確率が上がるくらいに念写発動は重要だ。
その理由がこれだ。リーベナが入学式で見せたような数は到底不可能だが、慣れると人は複数の魔法陣を脳裏に描くことができる。
それはとても難しいことだ。
魔法陣の念写は、魔法陣の全てを把握し脳裏に映し出す必要がある。三百六十度、全角度から見た時の魔法陣を一つに纏め、実際にあるかのように立体化する必要がある。そこには一つの狂いさえ許されない。
だがエルトリーアは違った。特別な体を持ち生まれた彼女は、この年にして使用可能魔法の全ての魔法陣を記憶していた。
その彼女を持ってしても魔法陣をもう一つ描くのは難しい作業だった。だが、《
結果、
──《
炎槍と水槍の嵐が衝突し合い、水蒸気満ちる空間を裂くようにして竜の爪が飛んでいく。
ダンの
だがダンはその作業に頭を取られ、竜の爪の威力を弱め、フックを放つことで魔力の竜爪を破壊することに成功したが、
「馬鹿な人形遊びもこれで終いよ!」
ダンの視覚の外側を回り込むように動き近接したエルトリーアに気づけず、真なる竜爪が心臓部に突き出された。
この戦いに終止符を打つ
瞬間、
──カァァァァァァァァンッッ!!
硬質な何かに当たった音。胸元の服が爪に裂かれたことで顕になった部分には、サメの特徴である無数の
いや、問題はそこじゃない。
サメの鱗は硬くない。お寿司が美味しい海の国で遊んだ時に、ナイトアハト家ならとサメを触らせてもらった時があった。サメの鱗はザラザラとしていて、普通の人がうっかり触ると怪我をしてしまう体で……そう、楯鱗の構造は丈夫な突起物が出ていて表面はエナメル質、
──この魔族の魔王から授かった力は……。
エルトリーアはダンの口撃を警戒していた。牙のような歯を突き立てられることを避けていた。何せ王族の血だ、魔力だ。王城には王家の魔力を参照し守られている重要設備が幾つかある。エルトリーアの魔力なら本当に大切な所は問題ないが、それでも王城に侵入できてしまう。その危機感から最大限警戒していたはずなのに……この可能性を見逃してしまった。
「いただきまーす」
魔族が人の血や肉を好んで食べるのは習性だ。だが別に、魔族は魔力さえ取り込めたら本当は食べる物は何でもいいのだ。
それこそ髪の毛一本、爪の切り端だって……。
ダンの胸元が蠢いた。
そこには口があるかのように胸は裂け、エルトリーアの竜爪を咥えていた。口に感じた時と同じ悍ましいまでの魔力の密度、マスクは人に見られた時とブラフであることを確定させるように、竜の爪は
「──くっっ!?!?」
体を虫に這いずり回されたように、嫌悪感が顔を顰めさせた。
バックステップを踏み距離を取り、冷や汗を流しながら手を見る。
竜の爪は半ばほど喰まれ、使い物にならなくなっている。
「この、雑食!」
「褒め言葉だ」
「そりゃどーも!」
もう一つの口をモゴモゴ動かすダンに嫌悪感と危機感を膨れ上がらせながら、エルトリーアは瞬時に竜の爪を両方切り落とす。
使えないものを無理に使い続けるより、元の状態の方が良いと判断した。
見た目は竜化以前と変わらないが、身体能力は竜化状態のため高くなっている。
「美味いな。爪だからアメを舐めてる感覚にチケーが、旨さの濃厚さが段違いだ。ドラゴンステーキを食ってるみたいだ」
「悪趣味め!」
「はっ、マルクさんには負けるぜ」
ニヤリ、と笑いながらゴクリ、と竜の爪を飲み込んだ。
「改めて、俺の
明らかにやり方が賢い者のそれだが、ダンの行動言動を見るからに絶対にお前が考えたものじゃないだろ! と思ったが、馬鹿なことを考えている時ではないと強い眼差しを向ける。
「本当は生かして捕らえるつもりだったけど、アンタはここで確実に殺すわ」
「はっ、最初から殺す気マンマンだっただろ」
そして、戦いは中盤へと突入し、エルトリーアとダンは互いに地面を蹴り、木々の隙間を通り抜け衝突した。
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ちょっと説明
エルトリーアが竜爪を無傷な方も切り落とした理由は、片方が竜爪で片方が素手だと、間合いの関係で使い勝手が変わるからです。どちらも組み合わせたとして、そんな状態の戦闘には慣れていないから、というのもあります。
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