第23話 暗闇の中へ
◇ ◇ ◇
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
ユニは呼吸を荒らげ、シンとシアを両腕に抱えながら走っていた。
(どうして、どうして……!?)
落ち着いて冷静になってくると、ユニは状況を飲み込むことができない。
あり得るはずのない突然の襲撃。パニックになった頭は歴代の聖女が残した装備をしているお陰で冷静になれたが、意味が分からなかった。
教会の人に魔族に襲われる可能性があるとは聞かされていた。聖女は神の加護を受けし聖なる者と言われている。男性だと勇者と呼ばれる存在は、遥か昔から魔族に対して絶大な力を振るったとされる。
聖女の装備には対魔族用の神器がある。聖女のみが使うことを許されたソレをユニは持っている。神の加護を受けし聖なる者と言われる所以はそこにある。
だが、ユニは知っていた。
(これはそんなものじゃない! それに、人を殺すなんて……)
威力が高すぎるが故に、魔族を確実に殺してしまう。元々、田舎育ちのユニは戦いとは無縁の生活を送っていた。
人を殺したことなんてない。聖女という立場が大事なものだと分かっている。魔族は絶対悪だとも教えられた。
でも、勇気なんかすぐに湧いてこない。
(怖い。この人達だって……)
両腕に抱えているシンとシアの体温が冷たくなってきている。
気になることが多すぎて頭が回らない。
何から手を付ければ良いのか分からない。
けど、優先順位は決めていた。
「誰かの命を見捨てるわけには行きません!」
体は震えていた。今この瞬間にも魔族が追ってきているかもしれないと考えたら、呼吸が苦しくなる。
緊迫感と焦燥感が心臓を強く打ち、かつてない高鳴りを見せていた。
それでも、ユニの中の優しい部分は人命優先と決断した。
魔族が視えなくなる距離まで離れると、ユニは茂みを使い視線を遮るようにして治療に取り掛かり始めた。
ここは草原フィールドにたまにある林だった。多くの木と茂みからなる場所で、隠れるには持って来いだ。
「すぅー、はぁー」
深呼吸することで大丈夫、魔族はエルが何とかしてくれているはずだと心臓の高鳴りを抑えつけて、二人の症状を確認する。
「呼吸は安定している。脈拍も……いえ、少しずつ遅くなっています。体も冷えていますし、やはり……」
ガリッと歯噛みする。
聖女になってからは押さえつけていた癖が出る。《
だが、精神攻撃魔法はとても厄介だ。
精神とは目に見えない心だ。その心を攻撃する魔法は、他の精神干渉とは異なり、心を満たす光、精神の力を飲み込んでしまうのだ。
光を飲み込む闇だ。
精神の消耗である。勿論、ただ消耗させるだけなら問題はない。時間が経てば回復する。精神干渉に対する耐性は下がり、最悪の場合は洗脳されかねないが。
だが問題は、精神を攻撃し破壊してしまうほどのダメージを受けていることにある。それは精神の力、光を飲み込むだけに留まらず、精神の器、ダイレクトに心を攻撃する。
心という見えない精神の器を破壊しに来ていたのだ。この精神の器、心が完全に破壊されたら、人は考えることはできなくなるし、心は生きる原動力を失い今のシン達のように体がショック反応を起こし気絶する。
「そこに更に干渉をして、体が無意識に生きることをやめようとしています、ね」
そう言えば、似たようなことを自分もされたなと思いつつ、ユニはシン達のヒビ割れた心を修復させる作業に入った。
流石に精神攻撃魔法とはいえ、一撃で完全に精神を破壊させるまでは行かなかったようだ。ヒビ割れているだけでも恐ろしいが、ユニなら修復可能だ。
「《
これは精神の器、心を強固にする法だ。ヒビ割れた心をコーティングする感覚だ。
「《
次にコーティングした光をヒビ割れた心に接続する。しばらくの間は光のコーティングが残り、元通りになるまで心を保護する。
「《
最後に精神の力を器に満たせば、治療は終了だ。
ややあって、ユニは心を光が満たした感覚を得ると手を止め、二人の状態を再度確認する。
「もう、大丈夫みたいですね。良かった。本当に良かった……」
二人の人生が終わらずに続いていくこと、治療に成功したこと、その二つにユニは心の底から安堵した。
緊張の糸が切れたように、胸に手を当てながらホッと息を吐いた。
「──今ので確定した」
「え?」
シュン、と何かが通り抜ける音が鼓膜を震わせた。
心臓の辺りに違和感を感じた。
重く、不気味なほどに冷たい感触。
先程の喜びを一瞬にして塗り潰す鉄の冷たさに鼓動は──高鳴らなかった。
ユニは何が起きているのか理解できなかった。
だって、領域を展開していた。
それに聖女としてユニは魔族の気配が何となく分かっていた。エルトリーアとは違いユニには初めから襲撃者は魔族だと分かっていた。
頭の中を意味のない言葉で埋め尽くす。
そしてユニは、呆然と胸を見下ろした。
──細い剣の切っ先が心臓を貫いて顔を見せていた。
銀の刀身に映る自分の顔は酷く絶望したように、血の気が引いていた。
ヒュッと唇から声ならざる音が出た。
魔、族──。
声を聞いたことで背後に存在を把握したユニは、その恐怖にマトモに声を出すこともできなかった。
その魔族、マルクは魔法学園アドミスに侵入した時と同様に、実態を透明化し、魔力を隠蔽し、存在感を消すことでユニの背後を取っていた。
手に握る細剣を茂みの中へ突き出し、上から斜めに心臓を貫きユニが立ち上がれないように体を縫っている。
その理由は聖女の装備にあった。ダメージを肩代わりするネックレスの存在だ。生命の雫と呼ばれる涙の形をしたクリスタルが光り輝いている。
刀身は光に包まれ、肉体を傷つけることはできない。だが、ダメージ以外の全てはユニに届いていた。
心臓に異物が混じり込んだ気味の悪い感触に心臓は鼓動を無意識に緩め、その無意識にマルクはユニを見ることで影響を与え、心臓の鼓動を緩やかにしていく。
徐々に徐々に体の循環に異常を来し始める。肉体から力が失われていく衰弱感、心臓の鼓動を緩やかにしたことで肉体のバランスが崩れ、至る所で支障が出始める。
ユニは心臓を握られている気分だった。掌に収められた心の臓をゆっくりと握り締められるように、恐怖が際限なく高まり、その全身の苦しみが目の端に涙を浮かべさせる。
それでも、数秒の時を経てユニの意識は元通りになっていき、詠唱を始めた。
「《
その詠は終わりを告げる前に止めてしまった。
心臓から抜かれた細剣はいつの間にか首を穿っていた。
喉を鉄の剣が通る感触に、人としての正常な反応を見せ呼吸を一瞬止めてしまった。更にその感覚に干渉され喉は呼吸を止め始め、体は酸素を吸うことができなくなり声が霞んでいく。
段々と意識が薄れていった。
真綿で首を絞められているみたいに、ゆっくり苦しみが広がっていく。
「観察しておいて正解だった。聖女、お前は無詠唱で
「ぅぁっ!? っ……!」
「何故知っているか、か。それは秘密だ。お前がそう言っていたようにな」
「ッッ……!?!?」
頭に血が上る。
言葉にできない悔しさが込み上げてきた。
バルドルにも教えていないことを後ろの魔族は知っていて、自分が言った言葉を使い人の心を弄ぶ。
醜悪だった。
「安心しろ。魅了には俺の口から教えてやる」
「……!」
「聞こえない。お前は調理のしがいがあるな。知っているか? 人間の魔力は深い絶望に落ちた時、その潜在能力を解放する。魔力も体と同じだ。危機に陥れば今以上の質になる」
ユニは声を出す力もなくなっていた。
気持ちの悪い話を聞かされながら、狭まっていく視界を認識する。
いや、認識するくらい脳に余裕なんてない。
頭は何かを思うこともできなくて、心の守りは消えていき、生命の雫はヒビ割れ今にも壊れそうになっている。
──死。
文字にするとたった一文字の言葉に体中を支配されていた。
「絶望しながら死ね」
パリンッ、と生命の雫は四散し、頭を支えることを放棄した首がカクンと力なく垂れた。
点滅するように細剣に纏わりついていた光が消えていく。
そして、ユニの意識は真っ暗に染まった。
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