第21話 調理の時間



 太陽が登り始め、空気が涼しい朝の頃、普通科寮前に位置する広場で、一人の少年が大剣を振っていた。


 自分を見つめ直すように、己に言い聞かせるように素振りをする。


 ──俺は、動けなかった!


 大剣で空気を唸らせながら、少年、シンの脳内にはバルドルが走り出した光景が映っていた。


 その行動理由を察しながらも、シンは確認のためベラーゼに尋ね、何故走り出したのかの理由を知ってしまった。


 その時、彼の中に迷いが生まれ、悪魔の囁きが聞こえた。


 首席の野郎が向かったから大丈夫だ、俺達は前に進めば有利になる。それに相手は草の魔人だ。シアを危険に晒す可能性がある。だから、助ける必要はない。


 そんなシンの前で、ユニとエルトリーアはバルドルを追いかけて行った。


 試練の間のことは重要じゃないと言わんばかりに、むしろエルトリーアはバルドルの行動に笑みを浮かべて、ユニに状態異常を治してもらうと抱き抱えて走って行ってしまった。


 そしてシンは、胸に形容し難い敗北感を覚えた。


 当然シンだって助けに向かいたかった。だが、本当にシアのためを思うならと考えた時に、どうしても足が止まってしまう。


 精神状態が乱れたシンを見兼ね、ルスがこう言ってくれた。


「君の大切な人を見たまえ」


 シアを見たシンは、自分はとんでもない間違いをしていたことに気づく。


 私の兄は誰よりも強くて格好良い、まるでヒーローのような存在だと信じ切った純粋な目をシンに向けていたのだ。


 本当に大切な人のためというのなら、迷わずに助けに行くべきだったのだ。


 それに気づいたシンはバルドル達を追う判断をした。ベラーゼ案内の下追いかけ、途中で魔物と遭遇し、上手く行かない現実に焦り、魔法を使い到着したが……


「俺は、間に合わなかった!」


 大剣を握る力が無意識に強くなる。真っ直ぐとしながら、どこか野性味を感じさせる荒々しい剣術を持って大剣を繰り出す。


 追いついた時には、草の魔人の姿はどこにもなかった。バルドル達が気絶した生徒を運ぶために話し合っている所だった。


 その生徒達の惨状を目の当たりにしたシンは、極寒の地に放り込まれたように体を身震いさせた。


 制服が破れ血は滲み、外傷は治されていたが、生徒達は悪夢を見ているように顔が死の恐怖に歪んでいた。


 死にかけ、としか表現することのできない有様だった。


 冒険者として働くシンは、死は身近なものだが、もしもバルドルがいなかったら? という可能性を想像し肝が冷えた。


 俺は同じことをできたか?


 今と同じように少しでも迷ったんじゃないか?


 シアと誰かの命を天秤にかけて。


 ──一瞬の迷いが人を殺す。


 冒険者の間では有名な話だ。僅かな油断や迷いが致命的な事態を招き、最悪誰かが死ぬことに繋がる。


 そう、シンは決断するのが遅すぎたのだ。


「く、そぉ!」


 悔しくて、悔しくて、ただ、悔しくて、その気持ちを乗せ大剣を強く振るった。


 バルドルに追いつき、草の魔人を討ち倒し、同級生を助けて、兄として格好良い姿を見せる未来を描いていた。


 けど……現実は違った。


 全ては、たった一人の男によって終わらせられていた。


 シアはシンではなく、バルドルにキラキラとしたヒーローを見るような眼差しを向けていた。


 そのことに変な胸騒ぎを感じて……心の中を複雑な感情が渦巻いていた。


 この感情を払拭するように、その時は生徒を運ぶ係に名乗り出て、浅ましくも自分も草の魔人から生徒を助けた一員のような役割になり。


 心の醜さを自覚した。


 そして昨日はずっと考えていた。


 ダンジョンを攻略する気持ちが湧かず、バルドルは事情聴取の件でダンジョンを攻略しないため、助かった。


 どうしたら、胸に刻まれた敗北感を拭うことができるのか。素振りに没頭する中で、今日からはダンジョン攻略を再開するため考え続けた。


 答えは後少しの所まで出かかっている。


 大剣を振るう度に、心の醜い部分は削ぎ落とされていき、集中し切ったシンの心は剥き出しになる。朝練素振り1000回の最後を終えた彼は、一つの結論に辿り着く。


 ──正々堂々戦って、勝利する!!


 実にシンプルな答えだった。


 この敗北感は、同じ土俵に立ち戦って勝利することでしか打ち消すことはできないと判断した。


 今度は間違えない。


 そう誓いを込めて、ランニング中のバルドルを見つめ、決意した。


 その後シンは、自室に戻り朝食を作るとシアを起こし、一緒に食べるのだった。



    ◇ ◇ ◇



 ダンジョンが開放されるのは朝9時から夜7時までだ。ダンジョンは広いので朝早くから並ぶ必要はないが、少しでもという生徒達の強くなる思いが列を作っていた。


 当然のように、先頭組にはシンパーティーがいた。ルスが先に並んでくれたお陰で、前の方を確保できた。ベラーゼは人が鬱陶しいのかフードを深く被り俯いている。ダグマールは筋肉を見せつけるようにポージング。シンはルスと談笑しダンジョンの知識を蓄える。シアはオネムのようで水色の目をシパシパさせている。


 そんな彼らの前を通り過ぎるパーティーがあった。


 朝から並んだ面々を無視し、列の先頭の横に並ぶ人達。


「やあ、シン君」


 それは当然、首席特典を有するバルドルパーティーである。


 朗らかに手を上げ挨拶しただけ。なのに、彼は普通科の生徒から物凄い顰蹙を買っていた。俺達は朝早くから並んだのに、と言った様子だ。理不尽な怒りの向けられ方に、ユニは内心憤っているが、バルドルが「気にする必要はない」と言うので何も言わない。


 実際、バルドルを睨むのは筋違いだ。


 彼は自らの実力で首席の座を勝ち取り、エルトリーアとの神聖なる決闘タイマンによって、誰が一番首席に相応しいか証明した。


 貴族家が多い魔法科と特殊科の生徒はそれを理解しており、一昨日の生徒ミルフィ達を助けた情報を聞き、バルドル個人は嫌いだが実力と勇気には敬意を評している。バルドルを認めざるを得ない状況のため、平民達が多い普通科を見る目は冷ややかだった。


 とはいえ、感情を制御できない一部貴族はバルドルに敵意を向けているわけだが。


 そして、時間は9時になる。


 迷宮区の中心に位置するダンジョン、その見た目は神殿に近い。よくある支柱と吹き抜けの空間ではなく、古代遺跡のようにも近未来の建物のようにも見える不思議な様式をした、美しい白亜の神殿で、ダンジョンに続く階段と一つの入口のみ存在している。


 人の手で再現することができない神造の創造物で、このダンジョンが生まれた由来の、人の子が恋した女神に仕える天使の像がたまに見受けられる。


 初めて見る者の心を奪うダンジョンに入ると、白く綺麗な通路が伸びている。通路の先には光が見え、第一層に続いている。


 入口付近には転移ルームが幾つか存在し、その一つにバルドルとシンのパーティーが入っていく。


 そして、二人のリーダーは同時に「第五層、転移」と宣言を以て、神秘の光に包まれる。浮遊感と共に景色が一瞬にして緑の壁の通路に変化した。


 第五層にいる生徒は少なく、朝早くということもあって今日は静かだった。見通しの良い通路でバルドル達とシン達はお互いを見つける。


(何、だ?)


 バルドルは違和感を覚えていた。


 領域を広げた時に触れる感覚。何もない空間を魔力が通る時、透き通るような感覚があるはずなのに、一瞬、水の中に領域を広げるような、ほんの小さな抵抗感を覚えた。


 ドクン、と心臓の鼓動が高鳴る。


 その違和感に誰も、ユニも、エルトリーアも、シンも、シアも、ルスも、ダグマールも、ベラーゼも、気づかなかった。


 脳が焼けるように熱を持つ。


 その違和感に振り返った先、空間が揺らめき、ローブを纏う二人の男の姿があった。


 暗闇に紛れるように、誰にも見えないようにして。


 ローブ男は邪悪な形に唇を歪めた。



「──調理の時間だ」



 瞬間、全員が転移し無防備を晒したタイミングで、魔法陣が地面に展開されていた。


 無詠唱発動。


 いち早く襲撃者の存在に感づいたバルドルは、魔法陣の範囲に鼓動を加速させながら、「魔法に備えろ!」と警告を出す。


 魔法陣に気づいた面々は突然の事態に目を見開き硬直する。


 唯一、エルトリーアだけは魔法陣を目にして全身を粟立たせた。王族として生まれたエルトリーアは、危険な魔法属性について学ばされている。


 魔法陣の色は紫とピンクが入り混じった気色。それが意味することは……これは精神干渉系魔法だった。


 瞬時に魔法の属性を看破したエルトリーアは、「気を強く持ちなさい!」と覇気のこもった声を響かせた。


 精神に干渉する魔法は繊細で、干渉できないほど精神を強く持つことで抵抗することができる。だが、魔法陣を構成するルーン言語を解読したエルトリーアは歯噛みした。


 解読できた二文字は『精神』と『破壊』を意味する。何よりも、魔法陣の規模が最上級魔法だったのだ。


 魔法は五つの階級ランクに段階される。


 生活に役立ち攻撃力を持たない、初級魔法。


 防具のない人や動物なら難なく殺せる、下級魔法。


 魔法耐性の装備や防御魔法で防ぐ必要がある、中級魔法。


 高位魔道士未満の者なら当たれば確実に死に至る、上級魔法。


 そして、上級魔法を越える範囲、あるいは火力に特化した、高位魔道士ですら防げるか分からない、必殺の最強魔法、最上級魔法。


 その一つ、特殊系精神干渉魔法の一種、「精神攻撃魔法」が起動する。


 ──《精神破壊メンタル・ブレイク》。


 肉体ではなく精神を直接攻撃する、破滅を呼ぶ光が魔法陣から吹き荒れた。


「がっ……!?」


 頭の中を異物に掻き回されているような激痛に、思考がグチャグチャなり、立っている力すらなくなる。


 それにより魔法を使う余地が消える。


 魔法精神系耐性の装備を身に着けていたユニだけは思考する余地があった。


「《コル……」


「《超速マッハ》! おらぁ!」


 ユニが詠い始めた直後、魔法陣の外側から一瞬の速度でローブ男が踏み込んできた。ユニが認識した時には拳が心臓に突き出されていた。


 死の恐怖に喉が引きつった。


 が、バシンっ! その拳は受け止められる。


「続けなさい! ユニ!」


 エルトリーアは凄まじい精神力によって魔法に精神を壊されながらも、地面を蹴りユニを助けることができた。


 その友の行動によってユニは力を取り戻す。


「……レニオス》!」


 光の方陣が展開する。


 不思議な光を帯びたオーラが発生し──


 直後、魔法陣の外にいたもう一人のローブ男は顔を上げながら、フードの中に入れた手を引いていた。


 地面に投げ捨てられる眼帯。フードの中から覗く、魔の心臓マナハートの如き魔力の源、そのピンクの


 ──ユニの《■■コル・レニオス》の魔法が解除された。


 光が粉々に砕け散るようにして宙に溶けていく。


 同時刻、エルトリーアは自分の体が自分のものではなくなる感覚に陥り、手に入る力が緩み……殴り飛ばされた。


 そして吸い込まれるように、第五層フィールドに続く光に飲み込まれた。


「ダン、行くぞ」


「あいよ、マルクさん」


 ダンはユニ、シンとシアを殴り蹴り飛ばしフィールドに向かわせる。そんな中で、ユニとエルトリーアが消えたこと、襲撃者に対する激怒がバルドルの精神力を引き上げた。


「《魅了チャーム》!」


 バルドルが放った魅了の波動は、マルクとダンの間に割り込んだルス、ダグマール、ベラーゼによって防がれた。


「なっ……!?」


 予想外の現実に動揺する。


 その間にバルドルを無視したマルクとダンは通路を抜け、第五層フィールドに移動した。


 神造迷宮ユナイトの法則、最大6人までの攻略。これは最初に入った1人から10秒を数えた時間までにフィールドに入った6人までがパーティーとして扱われる。


 つまり、エルトリーア、ユニ、シン、シア、マルク、ダン。この六人は同じ場所に移動し──以降バルドル達が第五層フィールドに入った時、出る場所はフィールドのどこかというわけだ。


 圧倒的な……絶望。


 通路の先に見える光を遮るように、虚ろな目を持つ上級生達が立ち塞がった。


 希望の光はもう、見えない。










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