第9話 宣戦布告/舞台の裏側で
イリスの手伝いもあり、バルドルは
やりきったという達成感に浸りながら、ソファに深く座り背もたれに背中を預け、一息ついていると、目の前に何かが差し出された。
「お疲れ様、書紀くん。初めての仕事よく頑張りましたね。良ければこちらをどうぞ」
それは鮮やかな焦げ目のついたレモンチーズケーキだった。
「ありがとうございます。美味しそう……というか初めて視るケーキなんですが」
「私の実家が少し大きな商会で、特にお菓子に力を入れています。これはその試作品です。だから後ほど感想を貰えれば十分です」
生徒会室は飲食禁止ではない。
当然、イリスの前にもレモンチーズケーキが置かれている。だが、一人の男の前にはなかった。
「イリス君、俺のは……?」
「さあ? 何もしていない会長にはありません」
生徒会長という役職は基本的に暇だ。レオンハルトは二人の作業を見ているだけで何もしていない。そのためかレオンハルトにイリスは冷笑を向ける。
状況を察したバルドルは、何となくイリスの狙いが読め苦笑した。
「イリス先輩、ケーキを食べる前に机の上の物を片付けた方がいいんじゃないですか?」
その言葉を待っていました、と言わんばかりにイリスは微笑む。
「では、どこかの会長にお願いします。報酬は我がティアライト商会の新作ケーキ、レモンチーズケーキでどうですか?」
「……任せたまえ」
引きつった笑みで受け入れるレオンハルト。一番偉い会長がこき使われる状況におかしなものを感じ、バルドルとイリスは悪戯が成功した子供のように笑うと、フォークを手に取り──扉が開かれた。
「遅れた!」
生徒会室に入ってきたのは、紺色の制服に赤い紋章を入れた特殊科二年生の男だった。
現生徒会四つの役職の最後の一つ、庶務を担当するザック=ドラードだ。
赤く刈り上げた髪を持つ、およそ生徒会には似つかわしくないザックはズカズカとした歩みで入室すると、レオンハルトを見つけ噴き出した。
「ぶはっ! か、会長、どうしたんすか?」
レオンハルトを指差し腹を抱える。と、笑顔のレオンハルトに捕まり青ざめた表情になる。
「……あの人は?」
目の前の惨状を無視しながらイリスに尋ねる。そして、レモンチーズケーキを一口サイズに切り分け、口の中に運ぶ。
「現生徒会執行部最後の一人、ザック=ドラードです。
バルドルが言いたかったのはそこじゃないが、確かに当人の前でする話ではないと思い直す。
「……そうなんですね。イリス先輩、このケーキ凄く美味しいです。なんていうか普通のケーキとは味が違いますね。このケーキにしか楽しめない甘酸っぱさがある感じで、レモンはフルーツですよね? 健康的なイメージを持つ人も多い、いいケーキだと思います。本当に美味しい」
「それは良かった。ご慧眼の通り、このケーキが他とは違うのは、レモンというナイトアハト王国にはないクローゼル王国の果物を使っているからです。レモンは酸っぱいのですが、上手くケーキと合わせると、丁度良い酸味が合わさり、ケーキの甘さとマッチして、このような他にない味に仕上がりました。ちなみに、まだ商品化はされてないので、秘密です」
「はい。誰にも言いません」
二人の前ではザックがこってりと絞られ、ゲッソリとしていた。しかし、
「よお! 俺の名前はザックだ。それにしても昨日の
「あはは……ありがとうございます」
「それにしても美味そうなもん食ってんな、俺のは?」
その問いに答えたのはレオンハルトだった。
「残念だったな」
バルドルとイリスの向かい側に座り、レオンハルトはイリスから受け取ったレモンチーズケーキをザックに見せつけるように食べ始めた。
その瞬間を目撃したザックは頬を引きつらせる。
「ドラードさんは、こちらを貼りに行って下さい。その報酬に差し上げます」
「よーし! 任せとけ!」
そして、レオンハルト同様にイリスの手の平で踊らされたザックは、
「大丈夫なんですか? 一気に持って行きましたけど……」
「庶務の仕事ですから、大丈夫ですよ」
「それにしても、ドラード先輩は騒がしい方ですね」
「生徒会にいるのが不思議ですか?」
「まあ、はい……」
本音を言い当てられ、ちょっと動揺した。
先程バルドルが失礼ながらも抱いた疑問だ。
ザックはレオンハルトが語った生徒の模範であるべき生徒会のイメージと合わなかった。行動は粗野、目上相手に敬意を払わずタメ口、自己紹介の時にフルネームを名乗らない、野性味溢れる風貌は、どちらかといえば風紀委員会の方が相応しいと感じた。
そのザックを指名したのはレオンハルトのため、彼がイリスから引き継ぐ形で話を始める。
「イリス君から話すのはアレだから俺から説明しよう。イリス君が魔法科の生徒で10年振りになる首席ということは知っているだろう? だから、今年の一年生、今で言う二年生の特殊科の生徒は強くない、というイメージがついてしまったんだ。本当はそんなことはないんだが、噂というのは厄介だ。それを完全になくすことはできないが、緩和する意味もあり、特殊科の生徒を生徒会に入れることになって、ザック君が選ばれた」
「コネ……というより箔付けのためですね?」
「そうだ。ドラード家は戦闘面において他の追随を許さないから、力仕事の多い庶務には適切だったから、というのもある。当然、ウチに使えない人材を入れるわけはないからな。……イリス君が特別優秀すぎたんだ」
「イリス先輩は凄いんですね」
「ああ、時期生徒会長を確定させているくらいだ」
「恐縮です。なので、私の話はやめてください」
二人の会話に気恥ずかしく感じたようで、唇を引き締めながらお願いする。
可愛らしい反応に、悪戯心が湧く男二人。もう少し話を続けよう、とレオンハルトが机下で文字を書き、頷いたバルドルは話を続行する。
イリスの顔が面白いことになり、限界に近づいた頃を見計らい別の話に移ることで、内心は慌ててるだろう澄ました顔のイリスを確認し満足する二人。非常に質が悪い男共であった。
そして、三人がレモンチーズケーキを食べ終わった頃に、「終わらしてきたぜ!」と騒がしい男が帰ってきた。
「では、どうぞ」
「おう! ありがとな」
ニカッと歯を見せると、レオンハルトの隣に座りレモンチーズケーキを食べ始める。うめーうめーと、味わうことを知らないのかという勢いで食べていく。
「あ、そうそう。歓迎会しねーか?」
ザックはフォークを咥えながら急にそう言った。
イリスは眉を顰め注意すると、「遅くありませんか?」と苦言を呈する。
確かに歓迎会をするならその時にレモンチーズケーキを出していただろう。
だが、ザックに同調するようにレオンハルトは「いい考えだ」と頷き、イリスは怪訝な表情で二人を流し見る。
「お、やっぱ会長もそう思ってんだな」
「ああ、王様ゲームはどうだい?」
「不敬になりますよ?」
「ならないならない。王様ゲームをした人を処罰するって、侮辱しているわけじゃないから大丈夫だ。むしろ王の悪評が広がる」
一部の国では極刑レベルのゲームだが、ナイトアハト王国ではセーフのようだ。レオンハルトが王様ゲームの説明を行い、その間にザックが生徒会室の紙とペンを使い準備する。
王様ゲームは赤い印がついた
その説明の最中、バルドルはあることに気づいた。
(いや、普通に分かるんだけど……?)
領域技術がエルトリーア曰く高位魔道士に匹敵するレベルのため、普通に番号を視ることができ、レオンハルトの爽やかな顔から「もしかしたら」との結論に至った。
「王様だーれだ」
ザックの掛け声と共にクジを選ぶ。瞬間、バルドルとレオンハルトが王様のクジに向かって手を伸ばす。
しかし、そのクジを最初に掴んだのはイリスだった。
レオンハルトとバルドルは顔を見合わせ、一斉にイリスの方を振り向き、じとーっとした目で返された。
二人共王様のクジだけ見つめ、他の介入を疎かにした結果だ。
別にバルドルはやましい気持ちがなかったので、レオンハルトに渡らなかったことに息を吐く。そして、クジを引くと3と書いてあった。
「くそー外れか」
ザックだけ呑気に王様になれなかったことを悔しがる。
そんな中で、王様になったイリスが最初の命令を下す。
「では命令です。1番2番3番の人は領域でどのくらいの範囲と精度で物を視ることができますか? 若い番号から順に答えてください」
「っ……!?」
体の動きを停止するバルドルを他所に、ザックから回答を始めていく。
「領域なー。俺の範囲はコロシアム一個分、精度は普通に当たった魔力が分かるって感じだな。集中したら形は何とか分かるぜ」
「俺の領域範囲はコロシアム二つ分、物の輪郭はハッキリ分かる。集中したら魔導書に書かれた番号が分かるレベルだ」
魔導書の文字はルーン言語で、魔力を帯びているのだ。
「流石ですね。ではお次は書紀くん。実は気になっていました。先日の決闘、そして会長と話しながら文字を視て綺麗に書き写す。どこまで視えるんですか?」
貴方の裸もです。とは口が裂けても言えない。
盛大な冷や汗を掻きながら、本命のバルドルが答えた。
「普通に領域を展開している間は、物の輪郭が全て視えます。魔力がない物もです。目で見ているように、ある程度は文字も読めます。あと……領域の範囲は学園の敷地を覆えるレベルです。そこまで行くと流石に精度は落ちますが、どこに誰がいて何があるかは分かります」
「……素晴らしいですね」
絶句と言った感じで口を開けるザックとは対象的に、イリスは瞬きの後、興奮気味に讃える。唯一、レオンハルトだけはバルドルが意図的に全部を語らなかったのに気づき追撃する。
「集中した場合はどこまで視えるんだい?」
「っ……!?」
悪魔の言葉だった。
イリスは知的好奇心に突き動かされ首を傾げた。
気を取り直したザックは軽口を叩く。
「まさかー、服を透かして視れるとか?」
「流石にそれはありえません」
「俺も同意だ。領域は視界を得るための技術じゃなく、元々は魔力を視るための技術だからな。視れても精々、服の皺とか指紋だろう」
「……ザック先輩の言う通り、服を透かして視れます」
「「「……………………」」」
空気が静まり返った。
本来、領域とは魔力を視るために開発された技術だ。今では領域は派生し、様々な応用が可能だ。
そして、バルドルは一つの派生先に至った。
視界がない彼が視界を得るために努力しすぎた結果、彼の領域は、領域・透視に派生したのだ。
「魔力は服を通りますから。服って本当は目に見えない小さな穴があるので、そこを魔力が通れる以上、体の形も全て把握できます」
無意識に領域はイリスの裸を視てしまい、気まずげにイリスから視線を逸らすよう顔を横に向けてしまった。
その反応に目敏く気づいたイリスは無表情でバルドルの肩を握った。
「書紀くん?」
「えっと、そのー……ごめんなさい。ドラード先輩」
謝罪するが無言の威圧が凄まじく、ザックに助けを求めた。
「マジでスゲーな。尊敬するぜ。助けてやるよ。別にイリスさんよー、裸くれーいいじゃねーか。どう頑張っても領域で視たのは頭の中で映像化する必要があるし、それじゃあただの妄想だ。健全な男は、君の裸を必ず妄想してしまうものだぞ? だから──」
「黙りなさい」
「──ごめん助けるの無理です」
イリスの口から低すぎて本当に冷気を伴ったような声に、身震いしたザックは手を上げ降参する。
最後の希望レオンハルトに向いたバルドルは、後方の冷たさとは別の煮詰まったような熱い怒気を浴びせられた。
「会、長?」
「一つ聞きたいんだけど? 君はエルトリーアの裸も見たのかな?」
「え、あー、それは……」
嘘を付きたくないバルドルは必死に逃げようとするが、手をガッシリとイリスに掴まれる。
追い詰められた状況に危機感を抱き、猫に追い詰められた鼠のように震えて待つ。
「書紀くーん?」
「バルドルー?」
「そ、その……ごめんなさい! 視てしまいましたぁ!」
だが、何も起きない。
領域を広げると、優しい顔をした二人がいた。
「お話しようか」
「お説教です」
許されなかった。
「え、ちょ、何で魔法を──あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
窮鼠猫を噛む、とはならず真っ当に敗北するバルドルであった。生徒会室から悲鳴が鳴り響くという異常事態が風紀委員に伝わり、それを受け確認しに来た新風紀委員シスカ=アイゼンは現場を見て、色々と察し兄に冷ややかな視線を送った後、すぐに帰るのだった。
本日生徒会ですることはなくなったので、お仕置きの魔法と説教を長々と食らった後、バルドルは寮への道、魔の庭園を歩いていた。
「酷い目にあった……」
王家に伝わる秘匿魔法、拷問魔法を改良したくすぐり魔法によって、危うく顔の表情が笑顔に固定されかけた。
ヘタヘタだが、生徒会役員として生徒の模範になるように、背筋を正し綺麗な動作を心がける。と、そんな彼に気づいた一人の生徒が近づいてきた。
緑の紋章が入った黒の制服を身に纏っている少年だった。
くすんだ金色の髪、勝ち気に釣り上がった赤い瞳、一目で鍛えていると分かる筋肉質な肉体。背中に背負った無骨な大剣は、彼がこれから
少年は何か重大な決心をしたような強い眼差しをしていた。
バルドルを睨むように見つめる。
「お前が
その壁を確かめるように確認する。
大事な話だと空気で理解したバルドルは、「ああ、その通りだ」そう堂々と振る舞う。
強者の威圧だろうか。
それとも、昨日の
それを武者震いだと捩じ伏せ、大きく息を吸った。
「俺の名前はシン! この魔法学園で最強になる男だ!!」
喉の奥から絞り出した声が響き渡る。
シン。
彼の名前をバルドルは知っていた。
普通科の中では二番目の成績を誇り、学年別
その少年の宣戦布告に対して、生徒会の人間として、また一人の少年としてバルドルは返事を返した。
「受けて立とう。最強は僕だ」
そして、ルールを設ける。
「一ヶ月後の
「初めからそのつもりだ。知ってるか? ダンジョン攻略の実績が一番ポイントが高いってな。そこで勝負だ!」
初めからそのつもりだ、の後にルールを提示されると、こういう所は平民らしいと思いながら、「それで構わないよ」と承諾する。
シンは言いたいことを言い終えると、満足した顔でバルドルの前から去っていく。
二人はすれ違うように別方向に進む。
寮に着くまでの帰り道、ふと、ライバルというのはああいう感じなのだろうかと思い頬を綻ばせた。
(今の状況は生徒会に入ったから、
生徒会に入る前の自分なら、最強とか模範とか意識せずに楽しんで受けたかもしれない。真剣に取り組もうという気持ちがなかったかもしれない。
だが、今のバルドルには楽しむ以外に負けられないという
責任ある立場に立つことで、物事の感じ方や見え方に変化が生まれた。
なら、この勝負は……
「生徒会としての、初めての大仕事だ」
そして、バルドルは明日から色々と頑張らないと、という笑みを浮かべながら、寮に到着した。
「エル、ただいまー」
◇ ◇ ◇
王都ナイトガード、魔法学園アドミスがある東区とは逆の西区、貴族階級の人達が暮らすエリアにて、豪邸の一室が血に染まっていた。
地面に転がる豪邸の持ち主の死体、その側に立つ二人の男。
「マルクさん、食っていいか?」
「ああ、構わない。だが程々にしておけ、ダン」
二人の姿は全身ローブだが、ダンと呼ばれた男は更に口に拘束具のようなマスクをつけていた。カチャカチャ、と外すと、裂けた口と人族にはあり得ないギザギザの歯を見せる。
マスクから解放されたダンは、不気味な笑みで唇を釣り上げながら、豪邸の持ち主の死体に屈む。
「じゃあ早速、メインディッシュからいっただきまぁーす!」
突き出す腕。抉る心臓部。
引き上げた腕に伴い血が飛び散った。
その掌に収まっていたのは、未だに鼓動を続ける心臓。死体になったと同時に本来動きを止めるソレは、まだ動き続けていた。
ダンは大口を開け上を向く。
血を滴らせる心臓をその真上に持っていき、手を離した。口の中に心臓が入った瞬間、血の味に恍惚とした表情を浮かべながら、噛み締めた。
悍ましい物を咀嚼し、飲み込んだダンは、口の中に残った血を舐め取り「ごちそーさん」と言った。
「やっぱ貴族のはチゲーわ。濃密な魔力がたっぷりとあった。マルクさんはホントに良かったのか?」
「俺は美食家だ。その程度のは食べ飽きている。それと適度に噛んだ痕も作っておけ、吸血鬼と思わせられる」
「あいよー」
ダンは死体の首筋に牙のような鋭い歯を立て、ついでに血を吸っておく。
「それで、何で俺らはここに来てるんだっけ?」
口にマスクを付け直しながら、ダンは首を傾げた。
「俺達は人間の新たな戦力を確かめに来た。獅子、賢者、爆裂は確認済、他にも主なのがいるが、今回は一年の方だ。巫女と聖女、魅了、そして魔眼。聖女と魔眼は未だ能力が分からず、このまま行けば未知数の戦力になる」
「つまりー? 聖女と魔眼の能力を確かめて、可能なら殺せってことか」
「そうだ。若い芽は早い内に摘んでおく。最も、魔女に気づかれたら終わるが、俺とお前の能力なら悟られず動くくらいはできる。だが念の為、
「オーケー。んじゃあ、明日からは美味そうな奴らをチェックしに行きますか」
そして、マルクとダンは誰にも気づかれることなく、豪邸を後にして、夜の王都に溶けるようにして消えた。
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