舞台は日本の中心へ

比較


―――


 年が明け永禄4年、1561年になった。つまり蘭と蝶子が戦国時代に来て5年が経った事になる。しかし二人の見た目はほとんど変わりはなく、最初は自分達だけ若いという事に喜んでいた蝶子だったが、すくすく大きくなっていく奇妙丸を見て複雑な気分になるのだった。


「母上、どうしたの?元気がないみたい。」

「え?そう?元気だよ。ほら。」

 心配する奇妙丸に笑顔で何故か力こぶを作る蝶子に、逆隣りに座っていた蘭は吹き出した。


「何よ……?」

「べっつに~それより早くやろうぜ。お前の年表貸して。」

「はいはい。」

 蝶子は苦笑いしながら押し入れから自分が書き留めている年表を取り出した。


 今日は蘭の稽古が休みで信長も外出中だという事で、暇潰しに今の年表と蘭が未来から取り寄せたテキストの年表を比べてみようという話になった。奇妙丸には以前から自分達は遠い未来から来た人間である事を繰り返し教えていて、育ての母ではあるが本当の母親ではない事もちゃんと説明していた。


 まだ5歳の奇妙丸には難しいだろうが、今の内に教えておかないと後が大変だという蝶子の持論によるものであり、蘭もそれには納得していた。


 そして蝶子にとって幸いだったのが奇妙丸が思ったより賢くてすんなり理解してくれた事で、今や普通に二人の会話に入ってくる程だった。



「これが未来の書物?難しそう……」

「そりゃそうだよ。お前はつい最近いろはを習い始めたばっかりなんだから。それに字体も違うし。」

「蘭はこっちの文字は全然読めないもんね。」

「何だよ、蝶子だってそうだろ?」

「私はきーちゃんと勉強してるもん。ねぇ、きーちゃん?」

「うん!母上とお勉強するの楽しいよ。」

「ほ~ら。」

「……っ…!」

 勝ち誇った顔でこっちを振り返った蝶子が思ったより近かったので、蘭は慌てて顔を逸らした。


(たくっ……最近おかしいぞ、俺!)


「さっ!始めるか。えっと、織田信長の年表はっと……」

 蘭はテキストをパラパラと捲って信長の年表のページを開いた。

「比べたところでここはパラレルワールドだから、あんまり参考にはならないけどね。」

「でもおやっさんは、あっちの世界の過去とほとんど違いはないって前に言ってたぞ。」

「あぁ、そう言えばそんな事言ってたわね。何処かからパラレルワールドの文献を見つけてきたんだっけ。」

「それによれば、地球の平行世界なだけあって本当にあまり変わりはないらしいぜ。だから俺達が来た事で何が変わったのか、確かめておきたいんだ。今後の為にもね。」

「わかった、わかった。じゃあどこから見る?」

「えーっと、俺らが来たのが弘治2年だから1556年か。斎藤道三が戦死して、信勝さんと戦をした。ここが基準な。」

「でもさ、ここ見て。」

「ん?」

 蝶子が指を指した所を見るとそこには信長と濃姫の結婚の事が載っていた。


「天文18年(1549年)、濃姫と結婚ってある。これって7年前よ。まずこの時点で違ってるじゃない。」

「あ、ホントだ。信長は自分の力を嫌って結婚する気も子ども作る気もなかったらしいからな。一生独身のつもりでいたのか、いつか濃姫様かあるいは他の人と結婚するつもりだったのか。それは今となっちゃわからないけど。」

「お陰で私が濃姫として潜り込む事が出来たから結果オーライなんだろうけどね。」

「だな。次行くぞ。秀吉とねねちゃんの結婚の事は前も言ったから省くし、信勝さんの事も確認済みだ。」

 信勝の名前を出す時につい眉間に力が入る蘭だったが、気を取り直して次の行に移る。


「桶狭間の戦いは2年早かった。そこからは徐々にずれていってるな。」

「そうだね。特に川中島の戦いは1年早いし、武田との同盟なんて5年も早い。これからどんどん離れていくのかな。」

 少し不安そうな表情になる蝶子を、奇妙丸が心配げに見つめていた。


「大丈夫だよ。早くなってるって事はさ、それだけ早く天下統一出来るって事じゃん。このまま順調にいけば信長が生きてる内に平和な世の中になって、家康じゃなくて信長が江戸幕府開いちゃうかも知れない!」

 興奮した蘭が突然立ち上がって大声を上げる。それにビックリした奇妙丸が蝶子の袖を掴んで後ろに隠れた。


「ちょっと……急に何?うるさいから。ほら、きーちゃんが泣きそうになってる。」

「わ、悪い……つい興奮して。でもさ、そういう事だから心配するなって事。」

「私はあんたの頭が心配だけどね。まぁ、今は歴史を知ってる蘭が頼りだから蘭の言う事を聞いとけって事ね。このテキストだけが頼みの綱だっていうのが心細いけど。」

 蝶子がテキストを持って引っくり返したりページを捲ったりしながら言った。


 その時だった。廊下が騒がしくなって信長の声が聞こえた。

「蘭丸、いるか?」

「あ、はい!」

 慌てて襖を開けると、信長だけではなく秀吉や光秀もいた。


「光秀さん!お久しぶりですね。」

「やぁ、蘭丸君。帰蝶様もお変わりないようで。」

「どうしたんですか?皆さんお揃いで……」

 蝶子がそう言うと信長は咳払いを一つして改まった口調で言った。


「美濃攻略の為に本拠を移す事にした。ここは少し遠いからな。」

「引っ越すって事ですか?」

「あぁ。そういう訳で人手が欲しくて光秀を呼んだ。半月後には城中を空にして全員で小牧山城に向かう。」

「半月後、ですか?」

 蘭はこの清洲城の構造を頭に思い描いて密かにため息を吐いた。


(半月後までに城中を空にするって……出来るのか?)


「そういう事で蘭丸。手伝え。指揮は光秀に任せてあるから何かあったら光秀に聞けばよい。……奇妙丸。」

「はい!」

 信長に名指しされて奇妙丸は飛び上がって返事をした。


「お前にはこの部屋を任せる。帰蝶と共に準備を済ませておけ。」

「はい!父上!」

 自分に任された初めての仕事に、奇妙丸は頬を上気させた。


「よろしくね、きーちゃん。」

 そう言って笑った蝶子の本当の母親のような優しい微笑みに、蘭はまた胸を高鳴らせたのだった。


 そしてそっと落ちていたテキストを確認する。そこには小牧山城に移転するのは今より2年後と書いてあった。



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