意外な事実


―――


 斎藤義龍が急死したと知った蘭は急いで信長の部屋を訪ねた。


「蘭丸は俺の事を血も涙もない冷血な人間だと思うか?」

「え……?」

 蘭の顔を見た信長はそう言って背を向ける。蘭は一瞬考えた後、大きく首を振った。


「いいえ。この戦国の世の中で貴方だけが特別だとは俺は思いません。信玄なんて人の心を操って自分の思い通りにさせる卑怯な奴だし。それに戦についていってあんなに優しい父上や勝家さんが人を殺すところを何度も見て、その度に複雑な気持ちにはなるけど慣れちゃったというか……まぁこんな事言ったら蝶子に怒られるかも知れないですけど。」

「お前……」

 思いもよらない反応だったからか信長は驚いた声を出して振り返った。


「人の命が奪われているのに不謹慎ですよね?」

「いや。ただお前がそんな事を言うとは思わなかったから驚いただけだ。このような所に長くいたせいだな。」

「いえ!そういう訳じゃなくて、これはその……」

「ん?」

 蘭が語尾を濁したので信長は怪訝な表情をした。


「俺が歴史を好きになった訳はロマンがあるからです。」

「ロマン?」

「夢とか希望とか憧れっていう意味です。だから現実感がないんですよね。だって歴史ってずっと後になってから学者や研究者が当時の史料とか文書とかを基にして出来てるから誰も本当の事を知らないんです。でも知らないからこそ色んな解釈があって好き勝手に話し合ったり出来るんですよ。」

「ほぅ。そういうものなのか。」

「歴史の中で一番好きなのが戦国時代なんです。つまり今の世の中です。天下統一という目的の為に人と人が争い合う。そこにはどんな経緯があってどんな感情があってどんな結末になったのか、それを知りたくて勉強を始めました。そしたらどんどん楽しくなって夢中になっていきました。さっきは現実感がないって言いましたけど、この時代に生きた人にはちゃんと人間らしい感情があって生々しい現実があるんだなぁってここに来て実感したんですよね。と言って戦を肯定したりは出来ないし、人を殺しちゃう事は悪い事だと思いますけど。だから長くいたからとかではなくて元々憧れみたいなものを持っていたっていうのが正しいのかも知れないです。」

 長い演説を終えて一息吐く蘭を信長は優しい顔で見つめた。


「でも……俺らがいた世界に比べたら全然いいかも知れないって思う時もあるんですけどね。」

「どういう意味だ?」

「もちろん戦争もなくて平和ですよ?でもどこか空虚というか。だって人間よりロボット……人間が作った機械の方が出会う回数多いんですよ。世の中のものがそのロボットがいれば間に合う事ばっかりで。それこそ血も流れてなければ涙も出ません。まぁ、蝶子のところのイチは別ですけどね。あいつは感情があって一緒に笑ったり泣いたり出来るから。でも他のはいくら人間に近くても所詮機械は機械です。」

「成程な。俺は一応生身の人間だ。そのロボットとやらとは違うという事か。」

「当たり前じゃないですか!」

 蘭が心外だとでも言いたげに握りこぶしを作る。信長はそれに苦笑するとまた後ろを向いた。


「しかし俺はこれから更に冷酷非道になるだろう。今回のような事や騙し討ちなどといった卑怯な手も当たり前に使う。お前や帰蝶の正義に反する事や目を瞑りたくなるような事も増えていく。……覚悟は出来てるか?」

 静かな問いに一瞬俯いた蘭だったが、すぐに頷いた。


「はい。覚悟はもう出来ています。」

「後悔しないか。」

「しません。」

「俺は……」

 そこで信長が言葉に詰まる。蘭は一歩進んで顔を除き込もうとしたが、さっと逸らされた。

「信長様?」

「俺はお前達の生きてきた世界が見てみたい。人間の感情程、わずらわしいものはないからな。今より静かで必要な物が揃っていて、何より平和だという事が羨ましい。」

「信長様……」

「さて、話は以上だ。明日は戦の準備をして明後日には美濃に向かうぞ。蘭丸、お前も出陣だ。」

 そう言って振り返った信長はいつもの不遜な笑みを湛えていた。


「はい!」

 信長の言葉に引っ掛かる部分はあったが、蘭は気持ちを切り替えて気合いを入れた返事を返したのだった。



―――


 二日後、織田軍は美濃に向けて出陣し、尾張と美濃の国境の勝村という場所に陣を置いた。


「よっ!蘭丸!」

「あ、利家君!久しぶりだね。」

 砦の中にいた蘭に前田利家が声をかけてきた。


「あーあ、素振りばかりで退屈。早く始まらないかな。」

「まだ向こうが動かないみたいだからね。」

 蘭はそう言って苦笑した。

「父上や勝家さん達は?」

「あそこで稽古してる。準備運動しないといざ合戦になった時に体が上手く動かないからね。」

「そっか。何か俺だけ何も出来なくてごめん……でももっともっと稽古して強くなって、いつか皆と一緒に戦場に行けるようにするからさ。戦力にはならないかも知れないけど。」

「君が戦に?ははっ、冗談でしょ。止めておいた方がいいよ。」

「でも、俺だって信長様の役に立ちたいし……」

「蘭丸はあの人の希望だよ?君まで手を血に染めたらあの人は何を拠り所にしたらいいのさ。」

「あの人って?」

「信長様の事だよ。君と帰蝶さんだっけ?てさ、この世界の人間ではないよね?」

「えっ!?」

 利家の爆弾発言に蘭は大声を上げた。慌てて口を押さえる。それを見た利家は明るく笑いながら言った。


「やはりそうか。ずっと違和感持ってたんだよね。纏ってる雰囲気が違うというか。多分僕だけではなくて、皆思ってる事だと思うよ。」

「えぇっ?それって……」

「あぁ、でも安心してね。誰も別にその事を他の人に言ったりとかはしていないから。言ったら即処罰されるからね。ここではあの人の言う事が絶対。あの人が黒のものを白と言ったらそれは白。逆らったり口出ししたら命に関わる。だから君達の事は暗黙の了解だっていう事。」

「そ、そうなんだ……皆知ってたんだ……」

 へなへなとしゃがみ込んだ蘭を見下ろしながら、利家はなおも笑っていた。


「蘭丸は面白いね。見ていて飽きない。あの人に気に入られる理由がわかるよ。」

「え?どういう意味?さっきも希望とか言ってたけど。」

「さぁ?……あ、そろそろ動くみたい。早く仕度しないと怒られるよ。じゃあね。」

「あ、利家君!ちょっと……行っちゃった。本当にどういう意味なんだろう……」

 蘭は首を傾げてしばらく考え込んでいたが、ハッと顔を上げると立ち上がった。


「早く行かなくちゃ!」

「蘭丸、何してる!早く行くぞ!」

「はーい!!」

 外から聞こえた信長の怒声に慌てて砦から出ていった。



―――


 永禄3年(1560年)、織田軍は斎藤義龍が急死してからわずか二日後に美濃に侵攻。国境の勝村に陣を布いた。

 これを知った若き当主龍興は、重臣らを大将に任命して織田軍を迎え討つ事にした。


 翌日織田軍は勝村から出発し、森部村という場所で斎藤軍と遭遇して戦が始まった。


 合戦は数時間に及ぶ激戦だったが、斎藤軍は300を越える死者を出し、対する織田軍はほとんど死傷者が出なかったという、完全なる織田軍の勝利となった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る