気持ちの正体
―――
「すげー……本物だ…」
蘭は清洲城の一番奥にある武器庫の中を覗き込んで感嘆の声を上げる。そこには剣や弓矢はもちろん、槍や火縄銃まで揃っていて圧巻の光景だった。
「これ全部小牧山城に運ぶんですか?」
「そうだよ。このまま置いておいたら危険ですからね。盗賊や浪人の格好の的になってしまう。」
「そうですよね。あの素朴な疑問なんですけど、何で皆で一斉に引っ越すんですか?良くわからないけどこういう時って普通城番?みたいな人を置いておくものなんじゃ……?」
蘭がそう言うと、光秀は壁にかかってある銃を一つ一つ慎重に取って並べながら言った。
「城番は置くけどそれは後でする事で、一旦は全員で移るのが信長様のやり方なのですよ。城番で置いた者が突然裏切って城を占領するかも知れないから。」
「はぁ~なるほど。流石ですね。」
「あの人は人の何十倍も先々の事を考えている。例え無駄になったとしてもそれを無駄とは思わずに、今後の参考にする。そういうところに私は憧れているのです。」
「光秀さんは信長様の事を本当に尊敬してるんですね。」
蘭も真似をして銃を並べながらそう返すと、光秀ははにかんだ笑みを浮かべて頷いた。
それを見た蘭はどこか複雑な気持ちになったが、顔には出さずに作業を再開した。
(それにしても……テキストでは見た事あるけどまさか実物を拝めるとは……!へぇ~火縄銃ってこうなってんだ~)
「あ、蘭丸君。それ、扱いには注意してね。暴発する危険があるから。」
「えぇっ!?」
慌てて蘭が火縄銃から手を離すと、それを見た光秀は笑いながら近づいてきた。
「なんてね。火も付けていなければ弾丸も詰めていないから大丈夫ですよ。ただ壊してしまうと後で信長様に叱られるから念のため注意をと思って。」
「もう……脅かさないで下さいよ……」
「ごめん、ごめん。」
頭をかいて謝ってくる光秀に蘭は苦笑した。
「何か光秀さん。前より明るくなったというか、気さくに接してくれるようになって嬉しいです。」
「そうですか?自分では余り気にしてなかったけど。」
「……奥さんとお子さんはお元気ですか?京都に行ってるって聞いてたけど、ちゃんと会えてます?」
蘭の言葉に少し間が開いた。しかしすぐに光秀の明るい声が降ってきた。
「えぇ。月に何度かお休みを頂いているから会いに行ってますよ。子どもの成長は早くて会う度にいつも驚かされます。」
「確かにそうですよね。奇妙丸なんかもう5歳になったし。」
「先程お部屋にいた子ですね。信長様の正式な後継ぎだそうですね。」
「はい。最初は蝶子に子育てなんか出来るのかって心配だったけど、何か意外と上手くやってて拍子抜けしたっていうか。」
「お話は聞いています。英才教育も今から熱心にやられていますし、さぞ立派な後継ぎになられるでしょうね。」
「立派になるかはわからないですが、あの信長様の後継者になるにはそれなりの教育させないといけないって事で異様に張り切ってますよ。今じゃ自分も一緒になって勉強してます。」
口調とは裏腹に顔には不満が表れていた。光秀は思わず微笑む。
「あの……ちょっと聞いてもいいですか?」
「何だい?」
「光秀さんって市様の事、好き……だったんですよね?」
ピクッと光秀の肩が震えたのを蘭は見た。しかし光秀は何事もなかったような顔をして振り向くと言った。
「えぇ。ですが主君の妹君に対して一家来がどうこう言う事など許されない。それにそもそもあの方の眼中に私は入っていませんよ。」
「そんな事はありません!蝶子が言ってました。市様も光秀さんの事を想ってたって……」
「まさか!あの方の基準は信長様だよ。お眼鏡に叶う者などこの世の中にいません。まぁ尤も、輿入れ先の浅井殿は若いながら武功に優れていて、何よりお優しいそうだからね。人伝てに聞いただけですが、幸せに暮らしているそうです。私はそれで充分です。」
「そんな……」
蘭が泣きそうな顔で光秀を見ると、光秀はそれを余所に銃を並べる作業を再開した。
「そう言う君は帰蝶様の事どう思っているのですか?」
「へっ!?ど、ど、どうって?え……何が?あ、あいつの事はべべべべ別に何とも……」
「ははは。面白いね、蘭丸君は。」
「面白くないですよ、もう……前に利家君にもそう言われたけど。何か俺って弄られキャラ?っていうかどっちかって言うと苛められてる……?」
「何をぶつぶつ言ってるのかな?」
「い、いえ!何も……」
蘭は慌てて手を振った。
「でも何か悩みがあったら言って下さいね。君達は私から見てもお似合いだから。」
「お、お似合いって……」
「あ、火縄銃はきちんと大きさを見て順番に並べてね。」
「は、はい。」
光秀に指摘された蘭は言われた通りに大きさ順に並べ替えた。
「……最近変なんですよ、俺。」
「変って?」
「何か……蝶子を見ると心臓が跳ねてドキドキするし、顔が近かったりすると思わず逸らしちゃったりして……こんな事今までなかったから戸惑ってたりするんですよ。ね?変ですよね?」
蘭が顔を近づけながら言うと、光秀は若干後ずさった。
「それはつまりその……帰蝶様を意識している。更に言えば好きだという事ではないのかな。」
「はっ!?す、好き?」
「もしかしてですが、気がつけばずっと彼女の事を考えているとかいう事もあるのでは?」
「何でわかるんですか!?光秀さんってエスパー?」
「エスパー?」
光秀は聞き慣れない言葉に首を傾げた。
「いえ、今のは忘れて下さい。……確かにボーッとしてるといつの間にかあいつの事を考えている時はあります。それとあいつが信長様と話してる時とか奇妙丸と仲良くしてると、面白くなくなるし。」
「そこまでわかっていて何故気づかないのかな……」
光秀が半ば呆れたようにボソッと呟く。蘭は頭に疑問符を浮かべながら言った。
「え?何ですか?」
「何でもないですよ。ただその理由については自分で気づいた方がいいと思いますから、私からは何も言わないでおきますよ。きっとその内自然とわかりますから。」
「えっ!光秀さんには今のでわかったんですか?」
「えぇ、まぁ。」
「ちょっと教えて下さいよ。」
「おっと、ら、蘭丸君落ち着いて……」
蘭が銃を持ったまま光秀に迫っていく。弾丸が入っていないとはいえ、銃口を向けられては光秀も慌てて後ろに下がるしかなかった。
しかしちょうどその時、廊下から蝶子の声が響いた。
「蘭ーー!信長が呼んでるわよ!早く行かないと怒られるよ!!」
「ひっ……!?」
つい今まで話題にしていた人物の急な登場に、蘭はひきつった声を出した。そして……
ガッシャーーン!!
「あ……」
「あーあ。」
「あぁぁぁぁ!どうしよう…落としちゃった……」
驚いた拍子に蘭が持っていた火縄銃を下に落としてしまい、顔を蒼白にしながら光秀をすがるように見た。
「えっと……」
「蘭丸……どういう事だ、これは。」
「の、信長様!」
中々来ない蘭を迎えに来た信長が、武器庫の中の惨状に青筋を額に浮かべていた。
「ご……」
「申し訳ございません、信長様!私の責任です。壊れた物は弁償しますので、どうか……」
「……もうよい。光秀、お前はこの残骸の始末をしておけ。蘭丸。」
「は、はいぃぃ!」
「この事は不問にしておくから俺の言う事を聞け。」
「何ですか……?」
「市のところに文を届けてくれ。これだ。」
そう言うとおもむろに手紙を渡してくる。蘭は戸惑いながらそれを受け取った。
「市様に?」
「あぁ。帰蝶もついて行きたければ一緒に行け。外出を許す。」
「え!いいの?やったー!市さんに会えるのね!」
両手を挙げて万歳をする蝶子を信長が優しげな瞳で見つめていた。それに気づいた蘭は途端に顔を曇らせる。
「それでは頼むぞ。早速明日出発してくれ。」
「はい。」
「もう壊すなよ。二度はないぞ。」
「……はい。すみません…」
鋭い目で睨まれて小さくなる蘭だった。
「良かったですね。帰蝶様。」
「えぇ。お嫁に行ってから手紙のやり取りだけで会えてなかったから嬉しいです。あ、光秀さんだって会いたいですよね……すみません、はしゃいじゃって。」
「いえ、気を遣わなくて大丈夫ですよ。明日は道中気をつけて行って来て下さい。」
「……はい。」
光秀の笑顔に一瞬迷ったような表情をした蝶子だったが、すぐに自分も笑顔を見せると頷いた。後ろで見ていた蘭は終始何とも言えない複雑な表情だった。
こうして蘭と蝶子は近江の市のところへと行く事になったのだった。
.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます