未来の星


―――


 浮野での戦から帰城した信長は、その夜蝶子を自分の部屋に呼んだ。


「何よ、話って……しかも何であんたの部屋?」

「内密の話なのでな。蘭丸はどうしてる?」

「とっくに寝たわよ。昨日から歩きっぱなしで疲れたみたい。」

「そうか……」

「って、どうしたの?いつものあんたらしくないわね。疲れてるなら早く休めば?話は別に今日でなくても。」

「いや、早い内に言った方が俺も少しは気が楽になる。隠し事や腹に溜めるという事は苦手だからな。」

 そう言いながらもどこか言いにくそうにしている信長だったが、蝶子の苛立った顔を見て意を決したように話し出した。


「実は側室を迎えようと思っている。」

「秀吉の?それならねねちゃんに聞いたわ。」

「いや、俺のだ。」

「え……?」

 思いもよらない話に蝶子は絶句した。

「な、何で?」

「後継ぎを残す為だ。ねねから聞いたのならわかっているだろう?それとも、お前が産んでくれるのか?」

「ばっ……!ばかじゃないの!?そんな訳ないでしょ!」

「……俺は本音を言うなら、お前以外の女はいらん。だがお前は違うだろう?」

「それは……」

「お前の一番は蘭丸だ。それはわかっている。しかし俺は、お前がいつか本当の正室として生きてくれる事を願っていた。そしてそうさせる自信もあった。だがお前はきっと心変わりはしない。蘭丸も恐らく……いや、ここで言う事ではないな。とにかくそういう事だ。」

「ちょっ…ちょっと待ってよ。何か色々情報量が多すぎてパニックだわ。つまりあんたは私の事を……?」

「そういう事だ。しかしお前は俺の……織田家の役に立つ事はこの先ない。ならば側室を入れるしかないだろう?」

「待って!私は仮にも織田信長の正室よ?もっとちゃんと話をしてから……」

「もう遅い。」

「え……」

 急に突き放すような口調の信長に蝶子は思わず怯む。そっと様子を窺うも俯いていて表情は見えなかった。


「不思議なものだな。女など娶るつもりも子を成すつもりもなかったはずなのだが。織田の家系には脈々と『心眼』の力が受け継がれている。特に嫡男には必ずその力が現れるはずだ。それを嫌っていたのだが、やはりそうもいかないのがこの世という事か。」

「どういう事?」

「嫡男が産まれて力が現れたら即座に織田家と縁を切り、寺にやって出家させる。その後は男女関係なく他所へ養子にやるか、嫁がせる。そうする事で方々に顔が利くようになって今後都合が良くなるという事さ。」

「子ども達を利用するの?そんなの許せない!」

「仕方のない事だ。そうしなければお前も蘭丸も、織田家もろとも潰されるぞ。」

「それは……困るけど。でもさっき言った通りならあんたの後継ぎはいなくなるんじゃないの?」

「大丈夫だ。後継ぎにさせる子はもう決まっている。」

「え?誰?」

 蝶子が首を傾げると信長は襖に向かって声をかけた。

「おい、入れ。」

「はい。」

 すると襖が音もなく開いて、秀吉が部屋に入ってきた。しかも小さな子どもを抱えている。蝶子は唖然としてその子どもが信長の脇に降ろされるのをただ眺めていた。


「紹介しよう。俺の兄である織田信広の息子、奇妙丸だ。」

「きみょう……丸?」

「歳は二つだ。そうだな、お前達がここに来た年に産まれた。」

「えっと……話が見えないんだけど。何が言いたいの?」

「お前にこの奇妙丸を育てて欲しい。もちろん乳母はつけるが、表向きには俺とお前の間の子としたいからな。つまり正式な後継ぎだ。」

「…………」

 余りの衝撃に蝶子はもう言葉が出なかった。


「兄は側室の子ながら親父の長男だ。順番で言えば俺より上のはずだが母親が側室というだけで不遇の人生だった。今も俺の家臣の一人として城を一つ持たせられているだけ。それでは余りにも可哀想だろう。信広自身も自分の境遇に不満があったのか、以前に一度謀叛を企てた。その時は許したが今後裏切らないとも限らない。それで忠義の証としてこの奇妙丸を俺の養子にする事にした。織田の血筋で『心眼』の力も出ていない。正に後継者として文句なしという訳だ。」


(は、話についていけない……つまり私に人の子を面倒見ろって?そんなの無理に決まってるじゃない!だって私、子どもが苦手なのよ!)


 心の中でそう叫ぶ蝶子に気づく訳もなく、信長は肩の荷が下りてすっきりしたような顔で傍らの奇妙丸をあやしていた。


「奇妙丸。あれが今日からお前の母上だ。良い子にしないと叱られるぞ。怒ったら恐いからな。」

「ちょっと!何変な事吹き込んでるのよ。」

「うわ~ん!!」

「ほら、恐いだろう?よしよし。」

「子どもが苦手なんだからどうすればいいのかわからないのよ。こんなんで育てるなんて無理。別の人に頼んでよ!」

「それこそ無理な話だ。お前に拒否権はない。それとも正真正銘の後継ぎを作るか?」

「ばっ……かじゃないのーー!?」

「うぎゃあぁぁぁぁ!!」


 静かな夜に突然聞こえた大声に、城中の者が何事かと飛び起きたのだった……



―――


「で?大人しくこの子を預かってきたって事か?」

 蝶子の部屋で棒立ちになった蘭が、ちょこんと畳に座っている奇妙丸を見つめて言った。


「仕方ないでしょ。拒否権はないって言うんだから。それにこの子、良く見たら蘭の子どもの頃にそっくりでさ。つい連れて来ちゃった。」

「『連れて来ちゃった♪』じゃねぇだろ!どうすんだよ?子ども育てるなんて責任重大だぞ。お前に出来んのか?」

「大丈夫よ、乳母の人もいるし。隣の部屋に常駐してくれてて、何かあったらすぐに呼べば何とかしてくれるんだって。」

「『何か』とか『何とか』って、ざっくりし過ぎだろ……っていうか、信長って蝶子の事好きだったのか……」

「え?何か言った?」

「い、いや別に。それにしても信長も凄い事考えるのな。自分の兄ちゃんの子どもをまるで人質みたいにして連れて来るなんて。それに天下統一の為なら自分の子どもでも利用するんだもんな。」

「まぁ、あいつなりに色々考えてるって事よ。家を存続させる為にね。」

「何かさ、お前と信長って最近良い雰囲気じゃね?お互いわかりあってるっていうか、喧嘩するほど仲が良いっていうか……」

「えー?何言ってるか聞こえない。ねぇ、きーちゃん。あのアホ面のお兄ちゃんはほっといてお母さんと庭で遊びましょ。」

「はーい!」


 デレデレの顔で自分の事を既に『お母さん』と言ってる蝶子を見て、何故か心が騒ぐ蘭だった。


(何だ?何でこんなに面白くないんだ?)



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