012 そして旧・恋人(仮)は攻めに出る。


 さて。

 さてさてさて。

 これはヤバいぞと、いつになく俺の脳みそが警鐘を打ち鳴らしていた。

 危機的状況である。


 これからどのような展開が待っていようとも、まあそりゃそうなるわな、と第三者から言われてしまってもおかしくないくらい、今の俺は窮地に立たされていた。

 まあ、立たされているというか、倒されているのだが。


 他の誰でもない、我が幼馴染であり、旧・恋人(仮)である──夜城加恋に。

 一目で冷静さが欠けに欠けまくっているのが良く分かった。


 一手ミスれば首でも絞められそうなもんである。

 まだ死にたくはない俺はゴクリと息をのんだ。


「……加恋」

「ダメ」

「まだ何も言ってねぇだろうが……良し良し。まずは落ち着け、良い子だから」


 抑えつけられていない方の手で、そっと加恋の頭を撫でる。

 取り乱した加恋は珍しくはあるが、見たことがない訳では無いし、相手をしたことがない訳でも無い。


 というか多分、こうなった加恋を最も宥めたことがある人間は俺だ。

 だから──ヤバいと知っている。

 まあ、こんな風に押し倒されたのは初めてなんだけど。これ本当に大丈夫?


「私は落ち着いてるよ、つむぎん。ただ、どうしても聞かなきゃいけないことがあるってだけ」

「黙秘権は有りか?」

「有るけど、つむぎんは図星突かれたら顔に出るから、意味ないと思うなぁ」


 嘘を吐くのも下手だし、と加恋が笑う。

 俺が本気で人を騙そうとして吐く嘘を見抜けるのはお前くらいだっつーの。


 これだから幼馴染ってのは厄介なんだ……。そう思うと同時に、小さくため息を吐いた。


「じゃあ分かった、こうしよう。お前がこのまま俺を尋問するって言うなら、俺は全力で悲鳴を上げて助けを求める。何なら泣きじゃくって暴れるまである」

「凄い情けない宣言だ!?」

「代わりに、直ちに俺を解放して、居間でまったり菓子でも食いながらの質問コーナーにするって言うのなら、答えられる範囲で全部答えてやる。さ、どっちにする?」

「……振り払おうと思えば、力ずくでそう出来るくせに」

「そうしないことに意味があるんだろ。飽くまで加恋の判断であることが大切なんだ」


 あと思ったより加恋の力が強くて、本気の本気で抵抗しないと振りほどけそうになかった。

 超インドア派の男子を嘗めないで欲しい。

 あるいは超アウトドア派の女子である自覚をもっと持って欲しかった。


 そんな俺の念が通じたのか、ムスッとしたままではあるが、加恋はゆっくりと俺から離れた。


「……ごめん」

「ん、許してやる。飲みもんとかテキトーに用意するから、待ってろ」

「はーい」


 間延びした返事を聞き流しながら、麦茶を用意する。

 いつも通りの配置にされた座布団に座りながら、手近なお菓子を雑に広げた。


「で、何が聞きたいって?」

「つむぎんと朝宮ちゃんは、付き合ってるの?」

「ああ、そうだな。見ての通りだ」

「はい嘘」

「嘘じゃねぇよ……」


 確かに恋人(真)ではないが……。

 完全に嘘という訳でも無かった。半々くらいの割合で本当である。


「嘘じゃなけど、本当って訳でも無いって顔してる」

「俺の顔、雄弁に語り過ぎじゃない? 最早プライバシーの侵害だろこれは」

「じゃあ、やっぱり本当の恋人って訳じゃないんだ」

「……っ! ……くそっ、引っかけ問題は卑怯だぞ!?」 

「相手が朝宮ちゃんだから考えづらいけど……つむぎんのことだから、私たちみたいな関係になったのかな」


 すげぇ鮮やかな看破の仕方をされていた。おい、許されていいのか? こんなことが……。

 黙秘権を行使するまでもなく、粗方全部掴まれちゃったんだけど。


 流石に朝宮に申し訳なくなってしまい、心の中で謝罪することにした。

 ていうかこれ、あとで報告もしないといけないよな……。


 段々気が重くなってきた。俺が何をしたってんだよ。


「だいたい、冷静に考えてもみれば、つむぎんが本気で誰かと付き合える訳ないしね」 

「とてもじゃないが混乱した挙句、泣きながら暴言吐いて去って行った女の台詞とは思えないな……」

「うっさい!」


 バシバシッ! と俺を蹴る加恋だった。普通に痛いからやめようね。

 最近ちょっと加減できなくなってきてる節がある加恋だった。


「……でも、良かった。つむぎんが本当に付き合ってるんだったら、どうしようかと思ったもん」

「や、付き合ってる、付き合ってるから。お前が勝手に勘違いしてるだけだからね?」

「はいはい、分かってる分かってる。そーゆーの良いから」


 誰が相手でも、律儀に約束は守ろうとするもんねぇ、つむぎんは。なんて、「如何にも私は分かってますよ」と言わんばかりの笑みを加恋が浮かべる。

 実際、本当に分かられているのでぐうの音も出なかった。


 っつーか、何が良かったんだよ……。

 思わず黙り込んでしまえば、そっと手の上に手を重ねられた。


 四つん這いのような形で、加恋が迫ってくる。

 見慣れた幼馴染であるはずなのに、その様子はどこか煽情的だった。


「手遅れになっちゃったかと思った──ううん、違うね。もっと早く、ちゃんと言っておくべきだったんだ」

「おい、加恋。それ以上は近寄るな」

「大丈夫、もう押し倒したりしないよ」


 そんなことを言いながらも加恋は止まらない。

 来た分だけ下がりはしたが、すぐにソファに背中が付いてしまった俺に、少しだけ体重が預けられた。


 耳元に口を寄せられる。

 加恋の小さな吐息が、いやに良く聞こえた。


「本当に良かった。そういう関係なら、罪悪感とか感じなくて良いもんね」


 罪悪感──何に?

 話の流れ的に考えれば、朝宮に。もしくは俺に。あるいは、その両方に。


 けれどもそれを、問いただすことは出来なかった。

 ギラリとした眼光を宿した瞳に気圧されてしまう。


「私、つむぎんのことが好きだよ」

「……俺も、好きだけど」

「あはっ、違う違う。私の『好き』は、えっちなこともしたいって意味の『好き』だよ」


 聞き慣れない声音だった。

 甘く、とろけおちそうなくらい、蠱惑的な声。


「だから、私のこと好きになっちゃいなよ、つむぎん」

「彼氏いるだろ、お前……」

「あとでフッてくるから大丈夫。ていうか、元々つむぎんの気を惹くためにやってたことだし」


 こうなったなら、もういらないよ。

 そんなことを、加恋はあっさりと言った。


「絶対寝取るからね、つむぎん」


 響く軽いリップ音。

 仄かに感じる体温。

 柑橘系の甘い匂い──それが初めて、背徳的なものに感じられた。

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