009 つまり揺日野紡は生まれついての都合の良い男である。



 学校は騒然としていた。というか主に俺という異物的存在がそうさせていた。

 これまで存在を認知されてなかったんじゃねーのってくらい影の薄い俺が、あの朝宮と登校してきたのだから、そりゃそうなるというものである──いや、それは違うのか。

 俺の悪評だけはまあまあ垂れ流されてたっぽいからな。


 ついに朝宮が俺の毒牙にかかった、みたいな見方をされているのかもしれなかった。うわぁ、マジで最悪。

 特に俺は悪くないのに、既に俺の評価がド底辺なんだけど。

 いつもなら居心地は悪くない教室も、朝宮とお手々繋いで入室した後では酷く居心地が悪かった。


「思いの外、大事になっちゃいましたねぇ」

「予想通りではあるだろ……仮に本当に想定外なら、お前はちょっと自分を過小評価しすぎだ」


 えへへと笑いながら「そうですかね?」なんて言うのは、当然ながら朝宮である。

 時刻はお昼時。屋上、二人きり。

 午前中、針の筵みたいな思いをしながら四六時中、朝宮に付き纏っていた俺は、ようやく少しだけ肩の荷を下ろしていた。


 いやもう、マジで大変だったからね。

 生徒ならまだしも、教師にまでキツめに睨まれた時は俺の人生もしかして詰みか? と真剣に考えたほどである。

 もし卒業できなかったらどうしよう……。


「その時はわたしが養ってあげますよ」

「うわっ、平然と人をダメにしそうなこと言うなよ……うっかり養われちゃうだろ」

「揺日野くんはこの手の誘惑に弱すぎませんか……?」


 将来が心配になりますよ? とでも言いたげな朝宮だった。喧しすぎである。

 だいたい、この世に「ええ! 是非とも働きたいです! 勤労奉仕の精神で、この人類社会に貢献したいのです!」なんてやつは探しても早々いないだろう。


 反面、出来れば働きたくないでござる! と思っている人間の方が多いに違いない。

 俺はその例の一人というだけだ。

 何もおかしなことではないな。


「そういう妙な理屈立てだけは早くて的確ですよね、揺日野くん……」

「人を変人みたいに言うのやめろよな、照れちゃうだろ」

「何ちょっと喜んでるんですかっ」


 おっと、陰キャの特徴の一つ、「変わってるねと言われて喜んじゃう」が発動してしまったな。

 中二病はとっくに卒業したはずなのだが、これは一度発症すると一生苦しめられる呪いみたいなもんであった。


 つまり完治はしない。たまに顔出してきちゃうんだよな。

 とんでもない後遺症である。


「……わたしと付き合ったこと、後悔していますか?」

「まあ、してないと言えば嘘になるな」


 不特定多数の生徒や教師に奇異な目線で見られるし。

 何か加恋は泣いてキレるし。

 俺の評判は恐らく底辺を超えて地中に埋没したことだろうし。


 これで後悔するなという方が無理だろ。

 俺はこれでも、普通の感性を持っている自覚のある人間だ。


「でも、こういうのって何でもそうなんじゃないか? 何か一つ選んだってことは、それ以外は選ばなかったってことなんだから。生きるってことは後悔の連続だろ」

「……何というか、厭世的な人生観ですね」

「そうか? 超楽天的だと思うけどな。だって一つは選べるんだし、しかも俺は朝宮を選べたんだから。俺が後悔を取るに足らないものと感じるかどうかは、朝宮にかかってるって訳だな」

「な、何て他力本願的な思想……!?」


 それで良いんですか!? と目を見開く朝宮だった。

 まあ、ちょっと言いすぎたかもしれないが、大体その通りなので「良いんだよ」と返す。


 何せ、何でもやってくれるらしいからな。

 夢も広がるというものである。


「わっ、わたしに出来る範囲の、常識の範囲内で、ですからね!?」

「や、別に犯罪に加担させようとかは思ってないから、安心しろよ……おい、人を疑う目で見るのはやめろ」


 そもそも俺みたいな小心者が、法に反するようなことを出来る訳がないだろ。

 失礼なやつである。


「だいたい、強制するつもりもないからな。俺が苦労したと思った分、朝宮が自分で考えて、釣り合うと思うようなことをしてくれるのが一番良いよ」

「うっ、そういう言われ方をするとプレッシャーを感じるのですが……」

「そう捉えられるような言い方をしたからな」


 へへっと笑えばペシペシと無言でパンチされる。

 全く痛くないどころか、可愛いもんだ。


「でも、そんくらいの気持ちでいるのが良いんだよ。あんまり条件だの契約だの意識し過ぎると、相手のことが何だか凄い、全くの他人のように思えて良くないし」

「それは、経験則ですか? 夜城さんとの」

「ん? まあ、そうだな。加恋とのだけって訳じゃないけど」

「……? えっ、ちょっと待ってください。わたしたちのような関係を結んでいたのは、これまで夜城さんだけなんじゃないんですか!?」

「や、そりゃあ、それは加恋とだけだが……」


 昔から、誰かと親しい人である振りをすることを、頼まれることは良くあった。

 否、良くあったというよりは、そうせざるを得なかった。


 例えば、親と仲良く過ごしている子供。

 例えば、仲良しの兄弟。

 例えば、誰かしらの親友。


 誰かが誰かに見栄を張る時の、都合の良さを求められることが、俺には昔から多かった。


「あとアレだな、高校入ったばかりの頃はレンタル彼氏とかもやってた。三か月でやめたけど……」

「試用期間で終了しちゃってるじゃないですか……」

「や、別に悪い職場じゃなかったんだけどな。退職すること勧められちゃたんだよ」

「なお悪いじゃないですか!? 何やったんですか!?」

「何もやってないんだよなあ……」


 まあ、どちらにせよ高校生はダメなバイトであったので、辞めなくてもその内バレてクビにされていただろうが……。

 そういう訳なので、事務的な契約の上に成り立つ人間関係に関して言えば、一家言あるレベルだった。どこにも役立たなさそうだな、これ……。


「ですが、そんな気持ちでいたら、いつかうっかり、わたしに惚れちゃうんじゃないですか?」

「ハッ、そういう台詞は百年早いんじゃないか? お姫様」

「それはどういうことですかー!?」


 むすーっとしたように叫ぶ朝宮を見て、そういうところだよと思う。

 人には色んな面がある朝宮は言ったが、それを言うのなら、朝宮が俺に見せているという、恋人としての面は、酷く子供らしいものなのだから。

 

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