第78話 土田御前
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京都や尾張に行っていた事で政務を光秀と秀吉に丸投げ状態にしていた信行は駿府に戻ると国境の整備や領内の巡回など精力的に動いていた。
駿府に戻りひと段落していると土田御前から呼び出されたので顔を出した。
「母上、話があると聞きましたが」
「於戌の事です」
「何かありましたか?」
「三郎は嫁ぎ先を決めているのですか?」
「何とも言えませんね。兄上は京都で忙しくされていますし」
「それなら貴方が何とかしなさい」
「無茶な事を言わないで下さい」
「於市の時は貴方が動いたと帰蝶から聞いていますよ」
「確かにそうですけど」
北畠と連合軍を結成して上洛した際に北畠具房の器量に注目した信行が両家の当主に持ち掛けて具房と於市との婚姻話を纒めていた。
「妹が行き遅れになっても良いのですか?」
「それは…、良くないと思います」
「それなら何とかしなさい」
「出来るものならやっていますよ」
「どういう意味なのです?」
「今の時点で於戌に見合う者が見当たらないのです」
御前には知らせていなかったが、於戌の嫁ぎ先を見つけるようにと信長からそれとなく頼まれていたので動いていたが、これという者が見つからなかったので保留にしていた。
「…なら」
「誰か思い当たる者でも?」
「いえ。勘十郎が居ないと言うなら仕方ありません。於戌にはもう少し辛抱するように手紙を送っておきましょう」
「申し訳ございません」
「見つかれば直ぐに知らせるように。良いですね?」
「分かっているので心配しないで下さい」
「…なら良いと思ったのですが」
御前が人の名前を言っていたが声があまりに小さく聞こえなかった。
名前を聞いて駄目だと言えば御前から何を言われるか分からなかったので敢えて聞かなかった。
信行は自室に戻るともう一度輿入れ先を探す為に家臣の名前が記されている帳面と睨めっこを始めた。
*****
信行の下に那古野城の弟秀孝から手紙が届いた。
内容を確認した後、塙直政・明智光秀・木下秀吉の三名を部屋に呼んだ。
「岩村城の再建に目処が付いたので協力してほしいとありますが」
「再建の協力で無ければ他に協力するような事といえば…」
「簡単に言えば岩村城を任せる人材を出してくれという事だよ」
「治部卿様が派手にやったので見返りでしょうな」
「派手にって失礼だな。直政が一番知っているしゃないか」
「城を奪うなら少々手荒な真似はしても良いと尾張守様も言われておりましたが、壊してしまったのは流石にどうかと」
「やり過ぎたと思ったけど、秀孝も仕方ないと言っていたからね」
秀孝の許可を得た上でやった事なので文句を言われるのは心外だと言わんばかりに信行はそっぽを向いた。
「岩村城は対武田の最前線となる重要拠点です。武田に与する土豪は先の合戦で粗方潰しましたので後顧の憂いは断ったと言っても良いでしょうが、武田本隊が動いてくるような事になれば激戦が予想されますな」
「戦場での経験をそれなりに積んだ者を送り出すべきです。勇猛果敢で駆け引きに長けた者が居れば申し分ないのですが」
「推薦する人物次第で尾張や美濃の家臣から不満の声が出る事も考える必要があります」
「同じ織田の家臣なのに面倒な話だよ。嫉妬や妬みは正確な判断を狂わせる厄介な感情だからね」
織田家に仕え始めた頃に同輩から嫌がらせを受けたり陰口を叩かれていた秀吉の言葉を聞いた信行はため息を付いた。
*****
話し合いでは結論が出なかったのでその場は解散したが、夜になって直政が一人で訪ねてきた。
「岩村城主の件ですが、浅井長政はどうでしょうか?」
「適任だと思う」
「それでは…」
「お前の補佐役を引き抜く事になるぞ?」
「長政もそれだけの功績を上げております」
岩村城攻撃を始めとして戦場では常に先頭に立ち首級を上げるなど母衣衆の中で功績は群を抜いていた。
長政が適任だろうと信行も思っていたが、補佐役が居なくなる事で直政の負担が大きくなると思ったので何も言わなかった。
「補佐役はどうする?」
「適任者が見つかるまで空席で構いません」
「分かった。それでは長政に伝えよう」
*****
「尾張守から岩村城を任せる人材を譲ってほしいと頼まれたので長政を推薦する方向で考えている」
「某は御館様に刃を向けた浅井家の嫡男です」
「私が強く推せば変な噂が広まると言うのか?」
「端的に言えばそうなります」
「不要な噂を流して家中を乱す者は家臣に非ずだ。気にする必要はないよ」
「助けて頂いた恩を仇で返すように思えまして」
「それは違う。長政を助けたのは兄上だ」
小谷城で浅井家を滅ぼした際、開戦早々に降伏した長政の処遇を巡り、家臣に取り立てると主張する信長と寺に入れるべきだと主張する信行が対立した。
最終的に信行が折れて身柄を引き受ける事になったが、母衣衆で頭角を現すまで長政の事を懐疑的な目で見ていた。
「そうかもしれませんが…」
「私はお前の能力をこの目で見ている。他人の目を気にするのは大切な事だが、気にし過ぎるのも良くないと思う」
「…」
「直政も私と同じ考えだ。補佐役を取られるのは痛いが、快く送り出したいと言っていたぞ」
「岩村城主の件、お受け致します」
「準備が整い次第、那古野経由で岩村に向かうと尾張守に知らせておく」
「承知致しました」
長政が立ち上がろうとしたので他に用件があると引き留めて席を立った。
しばらくすると信行は人を連れて戻ってきた。
「御前様…」
信行の後に入って来たのが土田御前だったので長政は思わず絶句した。
家臣の間では泣く子も黙る恐ろしい存在として扱われている。
「用件があるのは母上でね」
「母衣衆が粗相を?」
「いいえ。長政を見込んで頼みたい事があります」
「何でしょうか?」
「娘の於戌を娶ってもらいたいのです」
「それだけはご容赦頂きたく」
「結論を出すのは話を聞いてからにしなさい」
長政が逃げようとするので御前は一睨みしてその場に留めさせた。
於戌を嫁がせる相手に条件を付けており、それに当てはまる者が長政しか居なかった。
御前は長政を密かに推していたが、信行から候補が居ないと言われて黙っていた。
岩村城の話を信行から聞いた御前はその場で於戌の件を認めさせて今回の説得に至った。
渋る長政に対して御前は粘り強く説得を続けた。
そして長政を見据える目は狙った獲物は逃さない猛獣そのものだった。
「これでも断るのですか?婚姻の事で兎や角言う者が居るなら私が受けて立ちます」
「母上がそれだけ長政の事を評価していると思って差し支えない」
「分かりました。不肖の身でありますが、於戌様を娶らせて頂きます」
言いしれぬ圧力に押された長政は首を縦に振って御前の提案を受け入れた。
長政は那古野城において秀孝立ち会いの下で於戌と対面した。
顔合わせが始まって早々、信行から事の顛末を聞いた秀孝と於戌から頭を下げられる一幕があった。
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