第72話 共倒れ

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越後から船に乗り日本海を西下した近衛前久は小浜に上陸して武田義統の歓待を受けた。その際に問題を起こして都を追われた和田惟政を紹介されて従者として身柄を引き受けた。


小浜を出発した前久は若狭街道を抜けて朽木谷に到着した。朽木谷を治めていた朽木稙綱は織田家に降伏した際に家督を孫の元綱に譲ったが、実権は握ったままで采配を振るっていた。


前久と惟政は稙綱に対して稙綱の評定衆筆頭就任を餌に幕府復権への協力を要請した。織田との関係悪化を懸念する元綱から反対されたが、稙綱はそれを無視する形で要請を承諾した。


稙綱は織田側に密告される事を恐れて元綱を領内某所に幽閉した上で外部には病と称して連絡手段を絶った。稙綱は息子二人に朽木谷の差配を任せると前久一行に同行して都に向かった。


*****


「関白近衛前久様がお見えになられましたが」


「私は病で床に伏している。誰とも会う事が出来ないと言ったはずだが?」


「説明しましたが、幕府の存亡に関わる事だと申されまして帰ろうとしません」


「誰が何と言おうとも会わぬ。僧兵を使っても構わぬから追い返せ」


「承知致しました」


覚恕が部屋の外に出ると遠くの方から押し問答をしている声が聞こえてきたが、不快感を覚えて部屋に戻った。


「幕府の存亡など知ったことか。北畠と織田を再び怒らせる事になれば叡山と坂本は火の海にされてしまう。そうなれば歴代の座主様に顔向けが出来ぬわ」


天台座主の覚恕は検非違使庁から送られた手紙を握り締めていた。それには御上の意向に反する動きを見せている関白近衛前久と対面した場合、状況如何を問わず叡山を関白の同胞と認定して断固たる措置を取ると書かれていた。断固たる措置すなわち叡山と坂本を攻め滅ぼすという意味である。


検非違使庁は風紀が乱れていた叡山と坂本に対して警告を発したが、状況に変化が無いと確認すると御上から勅命を賜った上で大掃除を行った。一日で多数の僧侶と僧兵を失った叡山は検非違使庁に抗議したが、検非違使庁は御上の勅命を盾にして対応を拒否。叡山に対して御上の意向に背く態度を取るなら全面対決も辞さずと通告した。覚恕は御上を敵に回せば勝ち目が無い事を悟り、検非違使庁の意向に従い活動する旨の念書を作成して検非違使庁に提出していた。


検非違使庁は天台宗に対して法度を遵守していれば活動内容に口出しせず、時には便宜も図るなど穏便な態度を取るので叡山内部からの評判も良かった。近衛前久に協力すれば今までの事が全て水の泡になり、叡山と共に天台宗そのものが消え去る可能性が非常に高い事は誰が見ても明らかだった。


*****


前久一行が検非違使庁に到着すると本人は客間に通されたが、他の従者は一人残らず別室に連行されたて前久と分断された。


「北畠少納言具房です」


「織田治部少輔信行です」


「麿の従者が一人も居ないのは何故じゃ?」


「混み入った話をするのに従者は必要なしと存じますが?」


「麿の従者はタダの従者ではないぞ」


「朽木稙綱と和田惟政ですか?」


「そ、その通りじゃ」


「関白殿下、検非違使庁に罪人を連れて来られては困るのですよ」


「どういう事じゃ?」


「和田惟政は朝廷の意思に反する行動を取り、そのまま行方をくらませました。朽木稙綱は検非違使庁が発給した奉書に従わず領地を無断で離れました」


「そのような事、麿は聞いておらぬ!」


「二人が殿下に言わなければ聞いていないのは当然の事でしょう」 


「ならば麿は被害者であるぞ」


「被害者だからどうなのです?」


「何じゃと?」


「殿下は被害者ではなく検非違使庁を混乱に陥れた罪人です」


「ざ、罪人とはどういう事じゃ!」


「御上の意思に反して検非違使庁の権力簒奪と足利公方の復権を画策しているからですよ」


「日本を治めるのは御上から征夷大将軍職を賜った足利公方ぞ」


「公方は都すら治める力が無い故に御上は我々に任せられたのです」


「少納言様、殿下は長らく越後に居たのでその辺りをご存知ありません」


「殿下が都の状況を把握していないのは憂慮すべき事態ですぞ」


「長尾が知らせなかったから麿の耳には入って来なかったのじゃ」


「巫山戯た事を」


「何じゃと?治部少輔如きが関白に物申すなど百年早いわ!」


「ならば儂が代わりに言ってやろう」


聞き覚えのある声がした直後、障子が開けられて北畠晴具が客間に入って来た。


「少納言と治部よ、ご苦労だった」


「北畠大納言…」


「近衛よ、お主は何時の話をしている?」


「何時の話?」


「儂は内大臣を拝命して既にその役に就いておる」


「そんな事、麿は聞いておらぬぞ」


「であろうな。戦に巻き込まれるのを恐れて公方の味方探しを名目に都から逃げ出したからな」


「逃げ出してなどおらぬ!味方を探す為に諸国を巡り歩いたのじゃ」


「口では何とでも言える。成果を一回でも御上に知らせたか?」


「…」


「言えんだろうな。御上は一切耳にされていないからな」


「…」


「朝倉・武田・北条・上杉・長尾。行く先々でお前は本来の役目を忘れて贅沢な暮らしを送っていたと聞いているぞ」


「話には聞いていたが、最悪だな」


「治部の言う通りだ。挙げ句に己の身内から公方を助けろと泣き付かれたから腰を上げるとはな」


「殿下の忠誠心は御上ではなく公方にあったと?」


「そう思われても仕方あるまいな。御上もそのように思われておられる」


「少納言様、近江守様より早馬が」


「構わぬ」


「申し上げます。近江守様率いる一隊が朽木谷を急襲の上で占拠致しました。幽閉されていた朽木元綱を保護したとの事。詳細はこちらに」


「…。御爺様、これを」


具房は織田信光からの手紙と同封されていた書き付けを読むと晴具に渡した。


「近衛よ、終わりだな」


「内府様?」


「治部、読んでみよ。近衛が朽木稙綱に宛てた約状だ」


書き付けは前久が稙綱に宛てたもので足利義輝と幕府の復権が成った暁に幕府評定衆の筆頭に推薦すると花押も欠かれていた。


「話は聞いていましたが証拠を残していたとは。こちらとしては助かりますね」


「己の都合だけしか考えぬ奴の浅知恵だな。御上に

奏上して判断を仰がねばならん」


「関白近衛前久を庁内の牢に入れて厳重に監視を」


「承知致しました」


前久は全てが水泡に帰した事を悟ったのか抵抗しなかった。前久が連れて行かれた後、晴具は具房を伴って宮中に参内して今回の一件を御上に奏上した。


*****


「近衛前久は関白を剥奪、出家した兄弟を還俗させて家督を継がせる事になった」


「近衛公は謹慎ですか?」


「出家させたいが引き取り手がな…」


「長島願正寺に預けては?」


「噂で聞いたが修行が殊の外厳しいようだ」


「御爺様、尚の事性根を叩き直す意味で最適な場所だと思いますが」


「打診してみるか」


「私が動きますよ。願正寺と付き合いが長いので少々の無理は聞いて貰えるでしょう」


願正寺から了承を取り付けたので前久は信行自ら護衛する形で願正寺に送られる事が決まった。前久に同行して検非違使庁に拘束された和田惟政と朽木稙綱はその日の内に斬首、朽木谷で指揮を執っていた朽木藤綱と成綱の兄弟も即日斬首された。朽木元綱については稲葉山城に送られて信長預りとされた。


槇島城の足利義輝と幕臣は近衛前久の動きを認知していたにも関わらず、朝廷や検非違使庁に知らせなかった事から幕府関係者全員の官位を全て剥奪されて畿内から追放された。室町幕府は足利義輝と幕臣の身勝手な振る舞いが原因となって解体された。

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