第62話 信長やらかす

ご覧頂きましてありがとうございます。

ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。

信長の悪い癖が出て周囲に迷惑を掛ける話になります。


=====


織田・北畠・願正寺の連合軍は北勢の富田に到着した。信行は北畠晴具と具房に挨拶する為に北畠軍の居る方へ向かっていると信長に声を掛けられた。


「勘十郎、俺は内府殿と少納言に同道して伊勢に向かう」


「構いませんが、用事でもあるのですか?」


「伊勢に行く機会が無かったからな。伊勢神宮への参拝をしておきたい」


「なるほど。織田家当主として参拝されるのは良い事ですね」


「それと姪(具房と市の子供)の顔を見ておきたい」


「…」


信長の悪癖を思い出した信行は無言になった。


「どうした?」


「それだけは賛成しかねます」


「理由は?」


「兄上には前例があるじゃないですか」


信長は自分の子供や信行の子供が産まれた際、顔を見るなり赤子に大声を出して悉く泣かせていた。周囲から散々注意されたにもかかわらず、秀孝と瀬名の間に子供が産まれた時も同じ事をやらかして秀孝から文句を言われていた。


「心配するな。あのような真似はしない」


「信用出来ないのですが…」


「とにかく俺は伊勢回りで帰るから頼むぞ」


信長は大丈夫だと言わんばかりに信行の肩を叩いて姿を消した。


*****


信行は挨拶の為に北畠軍を訪れたが顔色が明らかに悪かった。


「治部、どうした?」


「内府様と少納言殿にお伝えしたい事が」


「何か起きたのか?我らで力になれる事なら何でも言ってくれ」


信行は信長の悪癖を説明してから大河内城での振る舞いに気を付けてほしいと付け加えた。


「それだけか?」


「それだけですが、市の事を懸念しております」


「孫娘(市)なら笑って許すのではないか?」


「御爺様、私は少々嫌な予感がします…」


具房は市と祝言を挙げる際に気が強い女性なので注意するようにと信行から言われていた。今までそのような素振りを見せなかったので気にしていなかったが、信行の話を聞いてその事を不意に思い出した。


「具房は心配し過ぎだと思うがな。まあ何とでもなるだろう」


「内府様、私が忠告した事をくれぐれも覚えておいて下さい」


「心得たから安心してくれ」


晴具も市の事を聞いていたがそのような素振りを見せないのですっかり忘れていた。


*****


「市、元気そうでなによりだ」


「兄様、どうされたのですか?」


「姪が産まれたと聞いたので顔を見に来たのだ」


市の表情が一瞬で険しいものに変わった。


「それだけで伊勢に来たと言うのですか?」


「馬鹿な事を申すな。伊勢神宮参拝に合わせて顔を出したのだ」


「それなら良いのですが」


市は信長がしどろもどろに返事した事を見逃さなかったが、正当な理由だったので反論せず普段と変わらない表情になった。


「市よ、折角来てくれた参議(信長)の顔を立ててやってくれぬか」


「御爺様、分かっておりますが公務を二の次にするのは当主として頂けないと思いましたので」


「た、確かにその通りだ…」


市が正論を言ったので晴具は二の句を継げず乾いた笑いでその場をやり過ごした。


「具房、普段の市と違うような気がするぞ」


「勘十郎兄上が言いたかったのはこの事では?」


「参議に注意しておくか…」


二人は市の様子を見て信行が懸念していた事が起きるのではないかと不安になってきた。晴具が信長に声を掛けようとしたが、一足遅く市が赤子を信長に見せていた。


「兄上、娘の茶々です」


「でかした!これで北畠家も安泰だ」


信長は再びやらかした。大声を聞いた茶々はぐずって泣き始めた。その瞬間、市の表情は一変した。晴具と具房は市の顔が般若のように見えた。


「あ、に、う、え。同じ事を何度繰り返せば気が済むのですか?」


「ど、どういう意味だ?」


「帰蝶義姉上と直虎義姉上から聞いていますが、子供が居る前で大声を上げて泣かした事を忘れたとでも?それに瀬名のところでもやらかしたらしいですね」


「そ、それはだな…」


「私が納得出来るように今直ぐに説明をして下さい!」


信長は言い訳しようとしたが何を言っているのか全く分からないものになってしまい市を余計に怒らせてしまった。


「全く以て話になりませんね。今回の件は母上に伝えさせてもらいます」


「母上に伝えるだと?それをされたら俺の命が無い」


この世で最も苦手としている母土田御前の名前が出て来たので信長の顔色が一瞬にして青白くなった。


「兄上も情けない。数刻の間説教されるだけで事は収まります」


「それだけは止めてくれ」


「止めません!」


怒り心頭の市は信長の懇願を聞き入れる事はなかった。信長は意気消沈して近くに控えていた家臣に担がれるようにして部屋から出て行った。晴具と具房も部屋から出て行きたかったが、蛇に睨まれた蛙の如くその場から動けなかった。


「御爺様と具房様は勘十郎兄様から何も聞いていないのですか?」


「聞いていたが、ここまでとは思わなかった」


「御爺様と同じです」


二人は下手な言い訳は火に油を注ぐ事になると正直に答えた。


「今後はこのような事が起きないように気を付けて頂かないと困ります」


「分かった」


「分かりました」


市は茶々を抱き上げて部屋を出て行った。残された二人は気が緩んでその場にへたり込んだ。


*****


土田御前が信行の部屋を訪れたが、表情が険しいものだったので信行は伊勢で信長が何かやらかしたと思った。


「勘十郎、伊勢に居る市から手紙が届きました」


「そうでしたか。何と書かれていたのですか?」


「三郎が茶々の前で大声を出したので驚いて泣き出したとあります」


「あれほど注意したのに…」


信行は思わず頭を抱えた。


「どういう事か説明してもらいましょうか」


「分かりました」


信行は心の中で信長に恨み節を呟いた。この後、北勢での会話の内容を御前に説明したが何度も溜め息をつきながらのものであった。


*****


「御館様、遠江の治部少輔様より先触れが参っております」


「用件は?」


「御前様が稲葉山城に向かっているとの事です」


「間違いないのか?」


「これをご覧下さい」


手紙を見た信長の顔色はみるみるうちに青くなった。


「拙い…」


「旦那様、義母上が来られて何が拙いのですか?」


「帰蝶!いつの間に?」


「先程から声を掛けていましたけど」


帰蝶は何度も信長に声を掛けたが手紙の件で周りが見えなくなっていた信長の耳に届いておらず、仕方なく目の前に座り気付くのを待っていた。


「俺は今から領内の視察に行く」


「何を言っているのですか?義母上がお見えになられるのに逃げるつもりですか?」


「逃げるとは人聞きが悪いぞ」


「爺、旦那様の役目はどうなっているのですか?」


信長が嘘を言っているのを分かっている帰蝶はわざとらしく傍に居た平手政秀に訊ねた。


「今のところ差し迫ったものはありません」


「爺…」


政秀は信長に諦めろと言わんばかりに首を左右に振った。


「旦那様、義母上がお見えになるまで伊勢で何をしたのか聞かせてもらいましょうか」


「後悔先立たずとはこういう事を言うのか…」


「爺も一緒に聞いて貰います」


「心得ました」


「誰か母上に遠江へ戻るように説得してくれ」


「無理です」


「その命令だけはお受けしかねます」


数日後、御前を目の前にして首を垂れる信長の姿があった。御前の口調は怒り心頭そのものだったが、同席していた帰蝶や義父母の斎藤道三と小見の方は苦笑いするなど同じ事を繰り返す信長に対して呆れていた。

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