第31話 無縁仏(1561) 修正版

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2024.6.13修正


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「井伊直親と名乗る者が面会を求めております」

「広間に通してくれ」

「承知致しました」


前田利家から報告を受けた数日後、井伊直親は岡崎に入った。

直親は直虎の縁者を名乗って信行との対面を願い出た。

来訪を聞いた信行は家臣を同席させた上で対面に臨んだ。


「井伊直親と申します」

「私が織田信行です。岡崎にはどのような用件で?」

「織田家に仕官させて頂きたく思いまして」


直親が語るところによると、井伊谷を脱出した直親は今川の追手から逃れる為に甲斐に入って武田に仕えた。

しかし今川と繋がりがあると警戒されて低い地位のまま据え置かれて肩身が狭くやる気を失っていた。

一族の直虎が信行の正室になっている事を偶然耳にしたので真偽を確認する為に甲斐を抜け出して三河へ来たという。


「苦労されたようですね」

「武田への恩義はありますが、功績を挙げても認めてもらえないので仕えていても意味が無いと」


信行と家老二人は表情を変える事無く無表情で直親を見ていたが、光秀と秀吉は直親の自己中心的な物言いに気分を害していて言葉には出さないものの露骨に嫌な顔をしていた。


「井伊直親殿にお尋ねしたい」

「貴殿は?」

「某は塙直政と申す。甲斐で奥方様のことを耳にしたと仰せだが、誰から聞いたのか教えて頂きたい」

「どういう意味でしょうか?」

「奥方様の素性を知るのは家臣の中でも限られている。この事を外部に伝えたとなればその者に厳罰を与えなければなりません」

「な、何と!?」

「誰から聞いたのか包み隠さず話して頂きたい」


予想外の展開に直親は言葉を失った。

甲斐を出る前に武田晴信から聞いた内容とは大きく異なっている上に、下手な答えを出すと己の命にも関わってくる。


「…」


直政は無言のまま直親からの回答を待った。

殺気を含んだ直政の視線に直親は生きた心地がせず大量の汗を搔いていた。


「旅の商人が話しているのを偶然聞いたので」

「旅の商人ですか。それなら岡崎か蒲郡で商いをしている者の可能性がありますな」

「どうでしょうか…」

「某が同行するので岡崎と蒲郡の商家を虱潰しに当たりましょう」


直政が立ち上がると直親に近づき手首を掴むと強引に立たせて部屋の外へ連れ出そうとした。


「直政、井伊殿も疲れている様子。明日から始めても遅くないと思うが?」

「承知致しました。それでは井伊殿を寝所まで案内致します」


憔悴しきった直親は引き摺られるようにして広間から連れ出された。

襖が開かれて隣の部屋から直虎が現れた。

直虎は無理を言って隣室で先程のやり取りを覗いていた。


「あの男は救いようがない愚か者でした」

「武田晴信に唆されて何も考えずに動いた結果だろう」

「どこまで井伊の名を汚せば」

「報いは必ず受けさせるよ」


信行は末席に居る服部保俊に顔を向けた。


「保俊、頼むぞ」

「承知」


保俊は一礼すると足早に部屋から出て行った。


*****


直親は夜になると宿に忘れ物をしたと理由を付けて城から逃げ出した。

甲斐に戻って武田晴信に文句を言うつもりだった。

聞いていた事と話が違うと主張すれば何とかなると直親は安易に考えていた。


「どこに行かれる、井伊直親殿?」

「だ、誰だ!」


直親は不意に声を掛けられたので立ち止まると周囲を黒装束の者に取り囲まれた。


「我が名は服部保俊」

「服部党…」

「壇殿に許可なく城を出るとはどういう事だ?」

「どこへ行こうとも私の勝手だ!」

「勝手と言われても武田の間者が三河をウロウロされては困る」

「知っていたのか?」

「我々を見縊るな」

「透破共は何をしていたのだ…」

「己の失態を他人に擦り付けるな」


保俊は刀を抜いた。


「待ってくれ!私を斬れば井伊の血が途切れる。遠江には井伊の再起を待つ者が居るのだぞ」

「治部少輔様と奥方様は既に手を打たれている」

「そ、そんな…」


岡崎と長篠を結ぶ街道沿いで男の死体が見つかった。

知らせを受けて長篠から派遣された前田利家は死体の状況を見て一揆勢の残党か野盗に襲われて殺害されたと断定した。

利家は近くにあった寺に出向いて死体を無縁仏として葬るように手筈を整えると調査を打ち切って長篠に引き返した。


*****


「治部少輔様、どうなりましたか?」

「保俊が上手くやってくれたよ」

「それは重畳でした」

「岡崎に来るなり嫌な役目を任せて悪かったね」

「何を申されますか。母衣衆の時よりも刺激があります」

「兄上が聞けば口惜しがるだろうね」

「御館様も新しい人材を抜擢出来るので良い機会だったと思っております」


信行から家臣を譲って欲しいと頼まれた信長は家臣を集めて岡崎行きを打診した。

そこで真っ先に手を挙げたのが母衣衆に属していた直政である。

時期が来れば直政に母衣衆の大将を任せる方向で考えていたが、認めない訳にもいかず渋々岡崎に行かせた。


「兄上から三河でも母衣衆を作れと書かれていてね」

「治部少輔様の軍勢には足らない物があると御館様は常々申されていましたが」

「直政が来てくれたから丁度良い機会だと思ってね」

「母衣衆を任せると?」

「直政には私の護衛役も兼ねてもらいたい」

「承知致しました」

「助かるよ。兄上の母衣衆は黒だから私の母衣衆は青にしよう」


信長に打診されていた事もあり三河でも母衣衆が創設され、信行の意向で青の武具で統一したので青母衣衆と呼ばれた。

直政は信行の護衛役と青母衣衆大将の重責を任される事になった。


*****


【登場人物】

塙直政

→1535年生まれ、織田家臣

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