牛込桐永の元気いっぱいな一日

葛鷲つるぎ

第1話 僕、参上!

桜蔵さくら、どれ食べたい?」


 桐永とうえいはそう言って、陳列棚のおにぎりを見渡した。


 東新都ひがししんと。中央駅へと向かう上り線ホーム。通勤、通学から外れて、それでも人の気配が騒がしい時間帯。

 桜蔵の非難の強いが返った。


【どれって……、お前が食べるんだから、自分で選べよ】


 その声は、桐永以外の誰にも聞こえていない。


 桐永は一人で売店の前に立っていた。しかし通信端末の小型化が著しいこの世の中、少年の声は通話と捉えられてか、或いは雑踏の中、誰も気にしていない。


 唯一、はす向かいの店員が、カウンター越しに桐永を見るが、長髪の少年だ、イヤホンかと推察して視線をホームに戻す。


「えー? 桜蔵も食べるようなもんだろ?」


 桐永は、返ってきたそれに不服を覚えると、眉間を寄せた。


「じゃなきゃ、何のために学校に行くんだよ」

【桐永自身のために決まってる。俺様のことはいいから、さっさと選べよ。時間ねぇぞ】


「知らないかんな。僕が食べたいもんになるかんな?」

【くどい】

「なんでい」


 桐永は鼻を鳴らした。左腕の身分証一体型の腕時計を読み取り機の前にかざして、改めて陳列棚を見る。


「えーっと、あるのは……鮭……こんぶ……五目……」


 塩、オムライス、ゆで卵、などなど。

 なにを買おうか見ていたはずだが、気がつけば棚にあるおにぎりを全部買っていた。


「あ」

【……まあ、家に帰ったあとでも食えるし】

「うん……。でも、大丈夫。あとで食べられる」


 桐永は大量に買い込んだおにぎりを、いそいそと学生鞄にしまいこんだ。

 朝にもベーコンと卵に味噌汁と白米の朝ご飯を食べているが、もうすぐ十四になる育ち盛りの胃袋に支障はなかった。


 ホームに電車が滑り込み、扉が開く。使役妖怪が電車の上からペタペタと現れ、異常がないかを確認していった。彼らは汽車時代からの御供だ。


 人が下りるのを待っている間、電車の表面が、大きな魚が泳ぐように動いた。これは使役霊ではなかった。ここに来るまでの間に取り付いてしまったのだろう。害意がなかったり使役妖怪より強かったりすると、こういうことがある。


 後で祓われやしないか、というか祓えるんだろうか。桐永は要らぬ心配をしつつ電車に乗り込んだ。


 この線路は東新都の中心駅へ続く。古くからあり、生半な力の持ち主ではとうてい入り込めない結界で守られているのだ。そんな線路を走行中の電車に入り込む妖である。


 祓われたらなんだか可哀そうだし、祓えなかったら電車の安全に問題が出る。


「せめて保護の名目で……」


 桐永はつい独り言をこぼしながら、携帯端末を取り出した。画面をスクロールしていく。


【端末、だいぶ使えるようになったな】

「まあね」


 桐永は誇らしげに答えるも、ある動画に目を留めると真剣な目つきになった。


「これ、このまま近く、じゃ……!?」


 最後まで言い終わる前に、電車が急停止して言葉が詰まった。電車に不慣れな桐永は、慌てて手摺りを掴もうとしたが、空いている手摺りはなかった。


 その上、他の乗客の巻き添えになり、あやうく転倒しかける。持ち前の身体能力で踏ん張り、転倒は回避したが、桐永はどっと疲れた。

 桐永に倒れ込んできた男は、気まずそうに、舌打ちをして離れていく。


「(舌打ちされた?!)」

【あいつ呪ってやろうか】

「いやいやいやいや」


 桐永は桜蔵の怒りを抑え、男にぶつかられた際に落とした端末を拾った。

 アナウンスが入る。


『え、えー。緊急停止措置が取られたため、この列車は急停止いたしました。沿線で、怪異討伐が行われているとのことです。現場では毒ガスの発生が確認されております。窓はお開けにならないよう、お願いいたします。この列車はーー』


 どもったのは、滅多にないことだったからだろう。他の線路ならいざ知らず、この線路は怪異と遭遇しにくいように出来ている。

 乗客も不安の声が強まった。


「おいっ!」

「うわ!?」


 桐永は、間近で怒鳴られて飛び上がった。周囲の乗客も何事かと声のした方を見る。

 桐永が振り返ると、怒鳴り声の主は中年の男であった。倒れ込んできたさっきの男より年上と見える。

 まさか、さっきのでぶつかって、怒られるのだろうか? 桐永は青ざめた。

 実際は違った。


「その制服、知火ちひ学院のだろうが。ボサッとしてないで、人様の役に立ってこい!」

「ええーー」

【やっぱ呪ってやろうぜ!?】

「いやいやいやいやいや」


 物騒なことを言う桜蔵をなだめすかしつつ、桐永は剣呑にこちらを見る男から、そそ、と離れた。


 知火精霊学術院ちひしょうりょうがくじゅついん。通称を知火学院。


 桐永が今日から通う学校の名前である。あやかし退治の最高学府で、有名どころの退治人といえば、大抵がこの知火学院出身と言っていい。


 だから今回のようなことが起きると、こうして怒鳴りつける者が後を絶たなかった。


「まぁ……別に、いいですけど」


 言いながら、学生鞄を担ぎ直し、一歩前に出る。


「おい、窓開けるなよ? アンタも、子供に何言ってんだ」


 桐永はヒラヒラと手を振った。


「あーダイジョウブです。窓開けなくても行けます。ちょっと、ごめんなさいね」

「ひっ」


 座席で嫌そうに、横へずれた乗客が悲鳴を上げた。桐永が本当に窓を開けず、にゅるりとガラスをくぐり抜けたせいだ。

 どよめく乗客など目もくれず、少年は電車から降り立つと、方角を確認して線路を走り出した。


【見ろ。あいつら、お前にビビってやがる】

「見てないから分かんないなー。そんなことより、あそこ、女の子がいる!」


 桜蔵が見れば桐永の言う通り、高架橋の壁越しに望むビルの屋上に、銀髪の少女がいた。少々距離はあるし太陽は眩しいが、桐永の視力に問題はない。

 その少女が、桐永たちが見ている目の前でビルを飛び下りる。


「あっ!」


 桐永は声を上げると、高架橋を飛び出した。


【待て! 同じ制服だぞ!】

「でも、分かんないよ! 桜蔵、力を貸して!」

【ああもう!】


 桐永は言うが、すでに飛び出している手前、桜蔵は力を貸すしかない。桐永の身体から赤い霊力が揺らめいた。


「ありがとう!」


 桐永は霊力を込めると、落下する少女へ手を伸ばす。ぐん、と身体が動いた。


「わ!?」


 少女の悲鳴が聞こえる。

 次の瞬間、桐永と少女はビルの壁にぶつかっていた。衝撃はないが、急な移動で驚愕した少女と目と合う。


「大丈――ぶッ!?」

「邪魔! 任務の!!」

「ご、ごめんなばい……」


 桐永は少女から掌底をくらって口を押えた。少女はこれでもかと目を吊り上げている。ビルのガラス窓の中では、会社員たちが慌てていた。


【言わんこっちゃねぇ】


 桜蔵は事前に止めていたからか、少女には怒らず桐永に呆れている。


「どいて!」


 空中に落ちるのをいとわず、少女が強引に身を引き離そうとするのを、桐永はまた手を伸ばして止めた。


「ま、て。お詫びに、手伝う!」

「はあ? この毒ガスを!?」


 察するに、少女は毒ガスに対処するために、ビルから飛び下りたようだった。

 桐永は下を見て、うなずく。


「これなら、うん」

「嘘言わないでよ。本当に見えてるの!?」

「見えてるよ、下に仲間がいるよね。大丈夫。対処できる。ガスも、ぜんぶ」


 桐永はさきほどの動画と、電車が止まった理由と、下の怪異とが同じ事件だと合点した。


【お前のそれは”出来る”とは言わねぇの】

「うるさいなぁ」

「は?」

「あ、ごめん。こっちの話。手を離すけど、大丈夫?」

「当然」


 少女はうなずく。


「うん。じゃあ」


 桐永は少女の言葉を聞くや、その手を離し、ビルを蹴った。


「桜蔵!」


 今度は、桜蔵は反対しなかった。


【おう、存分にやっちまえ!】


 桜蔵の喜色の声とともに、桐永の霊力が膨れ上がる。

 ぶわり。赤く、薄く。広がっていく。


「ここに我申す――」


 下に怪異が迫り、桐永は唯一唱えられる祝詞の一小節を口に、拳に霊力を込めた。毒ガスで見えづらいが、急降下の先は違えない。


 端に、学生の姿が見えた。思ったより距離が近い。これでは、霊力により網ですくうように集められ濃縮した毒ガスの影響を受ける――。

 脳裏に危険が過ぎったが、桐永は判断を変えなかった。


「怪異ー!!」


 桐永の声に、怪異は上に意識を配ったが、遅かった。


「成敗!!」


 桐永は最後の一声と共に、鋭い一撃を怪異に見舞った。

 と、同時に回収した毒ガスごと霊力を叩きこんだ反動で、風が逆巻く。一つに結われた桐永の長い黒髪が、風におおきく揺れる。


 怪異は苦悶の声を上げる間もなく消滅した。

 それを確認し、桐永は顔を上げる。

 そうして。


「もう大丈夫だよ」


 唖然とこちらを見る学生達を見返し、桐永はおもむろに親指を自分の胸にあてて。


「この、僕が来たからにはね!」


 桐の花のごとき淡紫の双眸を輝かせて、桐永は破顔した。


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牛込桐永の元気いっぱいな一日 葛鷲つるぎ @aves_kudzu

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