反転世界の修復師

@pu8

反転世界の修復師


 九分九厘の割合で、人は裏の顔を持っている。

 物理的な意味合いではない……本質的な、人の持つ裏の世界。

 “反転世界はんてんせかい

 私達はそう呼んでいる。

 何事もバランスが大事だって死んだ大お婆ちゃんが言っていたけれど、それはまさに反転世界の事だ。

 正も負も、釣り合いがとれるように出来ている。

 例えば……現実世界で良い事があれば、その分反転世界では嫌なモノが満ちていく。溜まりすぎたソレを吐き出すと、現実世界では悪い事が起きる。

 どっかの偉い人が正負の法則、なんて名前を付けていたけれど、それは反転世界を表したもの。

 極稀に……なんて聞かされていたけれど、これだけ人が増えればその確率は跳ね上がっていく訳で、そのバランスが崩れてしまう時がある。

 私の家系では代々反転世界の修復師をしていて、崩れたバランスを直している。

 昨夜もそんな仕事に追われていたから……


「ふぁぁ…………眠……」


 こうして私のバランスが崩れている。でも大丈夫。朝、ここのコンビニに来ればバランスがとれていくから。


「眠たそうだけど大丈夫? ほれ、シャッキリしなさい高校生」


 そう言って冷たい缶コーヒーを私のおでこに軽く当ててきたこの女性は、私の憧れの人。

 背伸びしても届きそうにない程大人でメロウなお姉さん。

 私の登校時間と被ることが多くて、少し前からこうして他愛もない話をするようになった。少しずつ関係が前進している事が嬉しくて嬉しくて……

 今の私はきっとだらしのない顔をしているのだろう。


「ねぇ、ホントに大丈夫……?」


「全っ然大丈夫です!! お姉さんに元気貰ったので!!」


「そう? なら良かった」 


 ◇  ◇  ◇  ◇


 あの人の笑顔が見れただけで、私は頑張れる。あの幸せな瞬間、私の反転世界はどんな景色をしているのだろうか。

 こんなに幸せなのに、淀んだ禍々しい色をしているのかな……


「人の本質……真髄。その先にあるモノを知れば答えが出るさ。しかしまぁ……正と負しか知らない人間が蔓延るから、反転世界なんてモノが生まれてしまった訳だけどね」


「お婆ちゃん……言ってる意味がよく分かんないんだけど。端的にバシッと教えてくれればそれで終わりでしょ?」


「言葉だけを知ってもなんの意味も無いんだよ。上辺だけ掬って知った気になるアンタみたいな馬鹿が増えたから困ってるんじゃないか」


 お婆ちゃんはいつもバシッと正論を私にかましてくる。ホント、ロジハラだ。

 そもそも主な修復師はお母さんの筈なのに何で私が……


「お母さん今どの辺かな?」


「インドの南辺りじゃないかねぇ」


 豪華客船で世界一周旅行中のお母さん。

 その尻拭いを私がしているというわけで……

 見習いレベルの私は家に帰ると先ず修復師の勉強をしている。 


 反転世界。それは、大きな大きな世界とそこから各個人の世界 “真髄しんずい” へと枝分かれをし形成されている。

 私達修復師は、代々受け継いできた “しき” を使う。

 滞った正負を現実世界へ循環させる式、捻れや綻びを直す式、反転化を抑える式……他にもまだ習っていない式があるけど、最低限の事だけは覚えた。

 それから、何百年も修復師を続けてきた私達一族には生まれた時から特別な力が刻まれるようになった。

 お婆ちゃんは式を唱えなくても式が使え、お母さんは現実世界で活動しながらも反転世界へ行ける。

 私は……相手の目を見ると、その瞳からその人の持つ真髄を見ることが出来る。

 私だけショボいのは気の所為だろうか?


 そしてお母さんから預かっているこの指輪は、他人の真髄へ介入する事が出来る。そこまですることは七年に一回あるかどうかなんだけど……反転化と言って、異常を来した真髄の影響で現実世界と反転世界が解離してしまうらしい。

 私も見たことが無いからよく分かんないけど。


うた、今日も頼んだよ」


「はいはい。詩ちゃん行きまーす」


 こうして二日連続の夜更かしが始まった。



 ◇  ◇  ◇  ◇



「ちょ、ちょっと……目の隈が凄いけどホントに大丈夫?」


「ふへへ。お姉さんに会わなきゃ死んでます」


 明日は土曜日だし、今日さえ乗り切れば大丈夫。来週の事は来週考えよう。

 

「……何か飲む? 買ってあげる」


「えっ!? い、いいんですか!? では、お姉さんと同じやつを……」


「ブラックだけど大丈夫?」


「……いつもそれ飲んでますよね? やっぱり美味しいからですか?」


「美味しいっていうか、まぁ好きだけど……生活の一部なのかな」


「生活の一部……」


「はい、どうぞ。今日も一日頑張るよ、かんぱーい」


「か、かんぱい……」


 どうしよう……何か凄く良い雰囲気じゃない?これいけるかな?いけるよね?

 

「あ、あの、その……えっと……」


 やっぱり無理……緊張で死ぬ……


「ん? あれ、睫毛目に入ってるよ? ホラ、ここ」


 そう言ってお姉さんはスマホのインカメラで私を映してくれた。距離が近いしいい匂いしかしないから睫毛の事なんて考えられない。多幸感からフラフラとしてしまい、お姉さんのスマホが床に落ちた。


「ご、ごめんなさい!!」


「いいよ。大丈夫?」


 二人同時に拾おうとしたから……指が重なって、シャッターボタンを押してしまった。どうしよう……お姉さんとの初ツーショット……ヤバい……欲しい……


「ねぇ……聞こえてる?」


 欲しい……欲しい……欲しい……欲しい……欲しい……欲しい……


「……これ欲しいの?」


「いえ、そんな、あのですね、欲しいです……」



 ◇  ◇  ◇  ◇



「でね、iMessageで写真貰って秒で待受けにしたよね……あぁ゛……幸せ」


「そんなに好きなら告白すればいいのに」


 昼休み、日課であるお姉さん語りを親友のサッちゃんにしている。飽きもせず私の相手をしてくれるサッちゃんは、掛け替えのない神だ。


「いやでも私なんかきっと相手にしないっていうか子供っぽいっていうか……そもそも名前も知らないっていうか……」


「自分から名乗れば自然と教えてくれるでしょ? ほら、練習するよ」


 目を閉じていつものコンビニを想像する。目の前にはあのお姉さん……ヤバい、緊張して口から臓器が出ちゃいそう……


「……な、な、七星ななほし…う、うたでしゅ……よろちく……」 


「フザケてんの? 出来るまでヤレ」


「ナナ、ナナポシ──」


 結局お昼は食べられず、放課後も練習は続いた。 



 ◇  ◇  ◇  ◇



 散々練習した翌日……土曜日のお姉さんは十時頃、このコンビニへ来る。お休みの日は不自然かなって思うから離れて見ていただけだけど、今日は練習の成果を見せるんだ。お昼とか誘われちゃったらどうしよう……


 期待しちゃいけないくらい期待していると、お姉さんらしき人影が入り口に見えた。隠れるようにアウトドア雑誌を見ているフリをして様子見。

 緊張で雑誌を持つ手が震えている。


 お姉さんと…………隣に……誰かいる。


 仲良さそうにお姉さんはその人の肩にもたれ掛かっている。手が震える理由が、変わっていく。


「……また飲むの? こんなことになってる理由分かってます?」


「迎え酒迎え酒。アンタも付き合ってよ」


「あのねぇ……自分がいる場所すら分からなかったのはどこの誰?」


「いいじゃない。十年も付き合ってんだから── 」


 上手く息が吸えない。吐けない。


 二人は……付き合ってる……


 隣りにいる人はマスクをして目元しか見えないけど……私なんか足元にも及ばない程に美人。顔も滅茶苦茶小さいし……背も高くてこんなに足が長い人見たことない。

 

 滲む視界。フラフラとしながら店を出た。


「水にしなさい。分かった……あれ? 何か落ちてる。なにコレ……指輪?」


「んん……これって…………ヒナ、酔い覚めた。一人で帰る。再来週から吹き替えの仕事だから。覚えときなさい」


「えぇ……勝手なマネージャー過ぎない?」


 それから先の事はよく覚えていない。

 気が付けば布団の中にいて……次の日も、布団から出ることは無かった。


 

 ◇  ◇  ◇  ◇


 

「まだ決まったわけじゃないでしょ?」


「だっで……だっで……づぎあっでるっでいっでだじ…………」


「……私と詩も十年付き合ってるよね。違う?」


「……ぞうでず」


「兎に角さ、詩の気持ちは伝えてきな。何もしないのが一番良くないから」


「でも…………」


「あれだけ練習したんだし、せめて自己紹介くらいして来な?」


「…………うん」


 サッちゃんの言う通りかもしれない。

 お姉さんがあの人とどうとか、それは確かに気になるけど……でも、私の名前を知ってもらいたい。お姉さんの名前を知りたい。

 それくらいの我儘、したって良いよね。だって私、お姉さんの事をこんなにも……


 こうやって、いつも心の中は循環していく。



 それから時間があればあのコンビニでお姉さんを待った。でも……あれから一週間、お姉さんは現れることは無かった。

 

 こんな時だけ修復師をやっていて良かったと思う。自分自身の負の力を全て反転世界へ押し付けて……二度と開かないよう式を使った。

 こんな事をすれば、滞った負の力で私の中がどうなるのかは分かっている筈なのに……


 でも、どうしてだろうか。

 何故か心が軽くなっていく。指輪を無くした事さえ些細な事と思ってしまう程、私は謎の浮遊感に包まれた。



 ◇  ◇  ◇  ◇



 あれだけ敬遠していたコンビニも、なんとなく行ってみようかなって思えてくる。

 でも、近付くにつれて体が思うように動かない。心と体が解離しているようで……

 解離……どこかで聞いたなぁ。どこだっけ……

 

 なんとなく冷たいコーヒーを買ったけど、色の無いコーヒーと味がしない景色を眺めている……そんなチグハグな言葉と……片目から涙が流れている。


 スマホの待受けを見る度に……私の中の何かが、大切なものを取り返そうと暴れている。

 どうしたらいいのか分かっているのに、どうしたらいいのか分からなくて、駐車場に座り込んでしまう。


「あの……大丈夫ですか? どこか具合が悪いのでしょうか……?」


 見上げると、お淑やかで美しい女性が私の事を心配そうに見ている。

 その瞳は裏表の無い、澄み切った世界の持ち主。幸せで満ち溢れた真髄……でも、どういう事なんだろう……これじゃあバランスを取ることなんて出来ない筈なのに……

 初めて見る真髄に惹き込まれてしまい……何故か私は助けを求めてしまう。


「あ、あの……このコンビニにいつも来る人を知りませんか? スーツを着てショートのワンカールで……凄く芯の強そうな女性なんですけど……でもとっても可愛くて綺麗で……」


「……もしかして、しおりさんの事でしょうか?」


「栞……さん……」


 困り果てた私を見て目の前の女性は折りたたみ式の携帯電話を取り出し、写真を見せてくれた。

 女優の日向晴ひなたはるの隣で楽しそうに笑っている女性は、紛れもなくあのお姉さんだった。


「こ、この人です!! 栞って名前なんだ……」


「ここ数日具合が悪いそうで……訳あって私が看病させて貰いに行く途中なんです。もしよかったら、御一緒しませんか?」


「い、いいんですか!!?」


「ふふっ、勿論です。きっと栞さんも元気が出ると思いますよ」


 この人は栞さんとどんな関係なんだろう……

 この前の人もそうだし……もしこんなに素敵な人が栞さんと恋仲だったら、私なんか勝ち目がない。

 気持ちだったら誰にも負けないのに……


「……私の大切な人が栞さんの同僚?でして、本当はその人と一緒に行く予定だったんですが……どうしても外せない仕事が入ってしまいまして。だから……ふふっ、大丈夫ですよ?」


 恥ずかしさで耳まで熱くなる。

 初めて会った人に、いとも簡単に見透かされて……私が子供過ぎるんだ。こんなんじゃお姉さんの隣なんて……

 もしかしたら、お姉さんにも私の気持ちがバレていたのかな……


 とあるアパートの前に着くと、女性は優しく微笑みながら私に鍵を渡してきた。


「私は外で待ってますから、様子を見てきて貰えますか? 何かあればすぐに呼んでくださいね」


「えっ? で、でも……」


「私がする事では無い気がしまして。ふふっ、お願い出来ますか?」


「あ、ありがとうございます!!」


 看病に必要な物が入った袋を渡され、静かに鍵を開けた。

 その瞬間、お姉さんの匂いが駆け巡り……ただひたすらに、胸が高鳴っていく。


 お酒の缶や瓶が沢山並んでいて……全部飲み干してある。

 机の上には沢山の資料……パソコンが点きっぱなし。スマホも充電器を挿したまま、画面が光っている。

 お姉さんは…………スーツ姿のまま、ベッドで横になっている。

 ……大丈夫。出来るよ、私。


「お、お姉さん! あの、私…………お姉さん……?」



 もっと早く気が付かなければいけなかった。

 どうして私の心が急に軽くなったのか。

 どうしてお姉さんが私の指輪を付けているのか。

 どうして……どうしてお姉さんのスマホの待受けが私と同じ写真なの……?

 

 抑えきれない何かが私の中で弾けた。 

 深呼吸し、式を唱える。

 それから、本当は必要の無いことだけど……お姉さんの手を握りながら、反転世界へと飛んだ。


 

 ◇  ◇  ◇  ◇


 

 反転世界でお姉さんの真髄を探さなければ、そう思っていた。空に引きずり込まれそうな……多分、反転化しかけているこの世界の原因がお姉さんだと思い込んでいたから。

 でも違った。

 全ての原因は、荒れ狂う私の真髄のせいだった。

 何故かその中心にお姉さんがいて……私の負の力全てを抱き抱え、お姉さんの真髄へと循環させている。理由は分からないけれど、きっと無意識で行ったんだ。私の心が軽くなった理由は……お姉さんが私の分まで嫌なことを受け入れてくれたから。

 でもそのせいでお姉さんは……意識も無くなり、空に引きずり込まれている。

 

「お姉さん!! お姉さん!!」


 いくら名前を呼んでも、お姉さんの返事が無い。お姉さんの心に、真髄に届いていないから。

 やっぱり私じゃ……無理なのかな……

 

【お、いい欠伸っぷり。私も真似してみようかな】


 なんでこんな時に思い出すのかな。


【私? うーん、芸能関係者……的な】


 どんなに辛くても、朝が待ち遠しかった。


【これは……ほら、アレ。麦ジュース】


 好き。あなたが好き。


【恋人いないの? ふーん、可愛いのに】

 

 もっと知りたい、知って欲しい。触れたい、触れて欲しい。

 

【ふふっ、おはよ】


 私だけ名前知っちゃって……そんなのズルいよ。ちゃんと私の名前を……名前を、呼んでほしい。


「栞さん!!!!」


 あなた追いかけて、空へ落ちる。

 自分に掛けた式を解除して……力強く抱きしめた。依然として荒れ狂う私の真髄。反転化は収まる気配が無い。


「栞さん、栞さん……栞さん!!」


「…………もう、あなたこんな所で何やってるの?」


「わ、私の台詞です!! どうしてこんな事に……」


「指輪を拾ってあなたに渡そうと思ったんだけど……あなたの声が聞こえたの。助けを求める声がして…………私じゃ、頼りなかった……?」


「ち、違うんです。その……だって……栞さんが他の方と…………」


「……ヒナは私のビジネスパートナーで、私はあの子の仕事を管理してるの。ごめんね」


「な、なんで栞さんが謝るんですか!? 全部……全部私が……」


 空へ落ちていくその中で、私は優しく抱きしめられた。少しずつ……世界の色が、変わっていく。


「あなたに嫌な思いをさせちゃったから」


 この気持ちを言葉にする事が出来なくて……あなたの胸へ顔を擦り寄せた。


「栞さん。今からこの世界を鎮める式を使います。まだ一人じゃ出来ないと思うから……一緒に唱えてくれますか……?」


「うん、教えて」

 

 初めての式だけど、優しく繋がったあなたの手が心地良くて……少しだけ絡ませた指先が、何度も“大丈夫”と語りかけてくれた。


 

 ◇  ◇  ◇  ◇



「もう……あなたは溜め込みすぎ。良いことも嫌なことも、全部吐き出しなさい? そうやってバランスとって人間やってるんだから。私が全部聞いてあげる」


 その言葉に、その笑顔に、心が軽くなる。正とか負とか、そんなもの関係ない。

 だってそこには裏も表も無いのだから。


「す、好きです!! 大好きです!! 栞さんに会えなかった一週間は私にとって……ううん、栞さんにとってコーヒーの無い世界みたいなものなんです!! わ、分かってくれますか…………?」


「……ふふっ。下手ね、甘えるのが」


 そう言って栞さんは私の前髪を手で掻き分けて……そっと唇をつけた。


雪村栞ゆきむらしおり。もしよかったら、私と友達から始めない?」


「な、七星詩ななほしうたです!! あの、その──


 あなたの柔らかな唇が私の唇に触れると、目の前の反転世界はキラキラと輝き始めた。こんなにも幸せなのにどうしてだろう……

 少しだけ照れたあなたの顔を見て、その理由を知った。


 幸せの反対が幸せだって、全然おかしく無い。

 良い事も悪い事も、あなたと一緒なら全てが大切な想い出。


 私達の世界は、これからも眩しい程に温かく輝き続けてゆく。

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