第37話 死闘、あるいは祭りの終わり

 史季のハイキックをくらい、蹴られた方向に力なく倒れる斑鳩を見て、不良たちが困惑混じりの熱狂を吐き出す。


「折節の野郎マジで宣言どおりに決めやがったぞッ!?」

「今の倒れ方やばくなかったかッ!?」

「さすがにこりゃ決まっただろッ!?」


 史季の逆転劇が信じられなかったのか、それとも斑鳩が負けるとは思っていなかったのか、驚愕しきりの不良たちとは対照的に、蒼絃は冷静に断言する。


「これはもう折節クンの勝ちだね。倒れ方からして、斑鳩クンは完全に意識を失ってる」

「まぁ、確かに倒れ方だけを見ればそうかもしれないけど……」


 言葉を濁す朱久里に蒼絃が眉をひそめていると、姉に代わって荒井がその理由を語る。


「無駄にしぶといのは、何も折節に限った話ではない。それだけの話だ」


 まさか――と思いながらも、蒼絃は倒れ伏す斑鳩に視線を戻す。

 まさしくそのタイミングでゆっくりと立ち上がり始めた斑鳩を見て、さしもの蒼絃も驚愕を吐き出した。


「ば、馬鹿な! 斑鳩クンの倒れ方は、間違いなく意識を失った人間のそれだった! ああもすぐに立ち上がれるはずがない!」



「まぁ、地面に倒れたのが良い気付けになったんだろ。あいつ、バカみてェに寝覚めいいから」



 当たり前のように唐突に会話に交ざってきた服部に、蒼絃がかえって冷静さを取り戻し、朱久里が微妙に嫌な顔をし、荒井が眉根を寄せる。

 当の服部は三者三様の反応を気にも留めずに、派閥ナンバー2という意味では同じ穴のむじなの二人に話しかけた。


「よお。坂本、大迫。相変わらずナンバー2してるか?――って、坂本は最近ナンバー3になっちまったんだったか」

「どんな挨拶だ」


 と、呆れ混じりに右から左に流す坂本とは対照的に、大迫が服部に食ってかかる。


「おい。なぜ今、坂本の後に俺の名前を呼んだ?」

「そりゃ勿論、お前さんが嫌がると思ったからだよ」

「どういう意味だ!?」


 殺気すらこもる大迫の凶眼を真っ直ぐに見つめ返しながら、服部は真顔で答える。


「どういう意味だも何もお前さん、冬華ちゃんに体の骨バキボキにされたよな? 何だよそれ羨ましすぎるだろッ!!」


 熱弁する服部に、大迫の目が「何で俺、こんなアホを相手にマジになってたんだ?」と呆れ返り、代わりに朱久里が汚物を見るような視線を送る中、荒井が、誰もが聞き忘れていた疑問を服部にぶつける。


「貴様、いったい何しに来た?」

「別に何か用があって来たわけじゃねェよ。折節くんが勝つ方に賭けてた手前、レオンがぶっ倒れた時に思わずガッツポーズしちまったら、アリスにマジ蹴りされちまってな」


 言いながら、こちらに向かって「い~~~~っ」としているアリスを指でさす。

 自然、荒井の口から呆れたため息が漏れる。


「要するに、追い出されてこっちに来たというわけか」

「折節の坊やに賭けてるだけでも大概なのに、ガッツポーズなんてしたらアリスの嬢ちゃんじゃなくても怒るって話さね。なんだったら、アタシからも一発良いのをプレゼントしてやろうかい? どうやら、はお好きなようだしねぇ」

「ままま待って朱久里ちゃん!? ワイヤーロックはさすがにシャレにな――」

「朱久里ちゃん?」

「いやいやなんで弟くんまで木刀構えてんの!?」


 一人交じっただけで一気に騒がしくなってしまい、荒井は「これだから斑鳩派は」と言わんばかりにため息をつきながら、その派閥のトップに視線を向ける。


 荒井自身が言ったとおり、斑鳩は、史季とはまた違った意味でしぶとい手合いだった。

 荒井ほどではないにしてもかなりの耐久力タフネスを誇っており、仮に意識が飛んだとしても、先程服部が言ったとおり「寝覚めがいい」せいか、ほんの数瞬で意識を取り戻してしまう。

 実際、荒井や夏凛が一度斑鳩に勝った時も、ついぞ彼が完全に意識を失うことはなかった。


(全くもって忌々しい男だ)


 そんな内心とは裏腹に頬にあるかなきかの笑みを浮かべながら、荒井は宿敵のケンカを注視した。



 ◇ ◇ ◇



「おいおいおいッ!?」

「なんで今ので立てんだよ、斑鳩の奴ッ!?」

「マジでどっちが勝つかわからなくなってきたぞッ!?」


 不良たちが驚愕とともに熱狂する中、史季は些かの動揺もなく、立ち上がった斑鳩を見据える。


 この人なら立ち上がってくる――そんな確信があった。

 理屈もなければ根拠もない。

 ただ、間違いなく立ち上がってくるという、信頼にも似た確信だけがあった。


 ケンカしている相手が立ち上がってきたことを、斑鳩のように嬉しく思えるわけではないけれど。

 不思議と、斑鳩に対しては「立ち上がらないでほしい」とは思わなかった。

 そしてそれは、史季にとっては初めての経験だった。


(……いや、〝それ〟じゃなくて〝それ〟……かな?)


 思えば、斑鳩とのケンカは〝初めて〟だらけだった。


 始まりからして、やむを得ない状況以外でケンカを買ったのは〝初めて〟だし、ケンカ中に笑みを零したのも〝初めて〟。

 立ち上がって喜んでもらえたことも、倒した相手に向かって立ち上がらないでほしいと思わなかったことも、今まで経験したケンカと何もかもが違いすぎて戸惑うくらいに〝初めて〟だらけだった。


「どうよ、折節」


 史季と同様フラフラになりながらも、斑鳩が訊ねてくる


「ケンカ、楽しいだろ?」

「楽しいかどうかはわかりませんし、さすがに、次誘われたら絶対に断ろうと思うくらいにはしんどいですね」


 史季らしい内容であると同時に、史季らしくもない容赦のない返答に、斑鳩が、ガーンという効果音が聞こえてきそうなほどわかりやすくショックを受ける。

 そんな反応に苦笑しながら、フォローするように、ちょっとだけ照れくさそうに、史季は言葉をついだ。


「でも……僕にとってケンカは、どんな理由があっても〝悪いこと〟だと思っていましたけど……〝悪いことじゃないかもしれない〟と思えたケンカは、これが初めてです」


 斑鳩は嬉しそうに頬を緩め、「そうか」と短く返す。

 史季もつられるようにして、浮かべていた苦笑を深める。


 次の瞬間――


 示し合わせたわけでもないのに、史季と斑鳩は全く同時に、相手の左頬目がけて拳を振るう。

 全く同時に頬を打った衝撃で、二人は揃ってたたらを踏む。


 ここから先はもう言葉はいらない――拳を交えるまでもなくそのことを理解していた二人は、無心に、無邪気に、目の前の相手に向かって拳を振るった。



 ◇ ◇ ◇



 ひたすらに殴り合う史季と斑鳩を見て、千秋は小首を傾げながら疑問を口にする。


「アイツら、なんで蹴り使わねぇんだ?」

「単純に、キックが打てるほどの体力が残ってねーんだよ」


 そう答える夏凛に同意するように、冬華は言う。


「二人とも、立っているのがやっとって感じだものね~」

「そういうこった。まー、史季も斑鳩センパイも根性半端ねーから、勝負どころで一発くらいは打ってくるかも…………いや、〝かも〟じゃねーな。打つな、絶対に」


 目の前の相手を見据え、ひたすらに拳を振るう史季と斑鳩を見て、断言する。


「……だな」

「……でしょうね」


 千秋と冬華も、揃って同意する。

 魅入られたように、史季と斑鳩のケンカを見据えながら。

 そしてそれは、ケンカに肯定的とは言えない春乃と美久でさえも同じのようで、魅入られたように二人のケンカを見守っていた。


 そんな周囲に視線を巡らせた夏凛は、斑鳩と殴り合う史季に視線を戻し、苦笑する。


(こういう時だけは、男ってずりーなって思っちまうな)


 見たところ、史季は斑鳩のようにケンカを楽しんでいるようには見えない。

 だけど、斑鳩獅音という男に一人の男として対等に見られていることを、その彼を相手にこれほどまでのケンカを繰り広げられていることを思っている――今の史季は、少なくとも夏凛の目にはそんな風に映っていた。


(斑鳩センパイもそうだけど、史季の奴、ケンカに没頭しすぎて勝つとか負けるとかろくすっぽ考えてねーだろ、これ)


 知らず、苦笑を深める。

 正直、限界を超えて戦う史季のことが、かなり――いや、だいぶ心配ではあるけれど。


(結局、どういう意味で言ったのかはあんましよくはわからなかったけど、史季の「」って言葉に嘘はねーのは確かだな。だったら、見守ってやろうじゃねーか、最後まで)


 あるいは、実際にケンカをしている二人以上に覚悟を決めながら、夏凛は引き続き史季のことを見守り続けた。



 ◇ ◇ ◇



「やっちまえ折節ぃッ!!」

「ボッコボコにしてやれ斑鳩ぁッ!!」

「お~しッ!! そこだッ!! ぶっ殺せぇッ!!」


 どう好意的に解釈しても力になる類ではない声援が、力の限りに殴り合う史季と斑鳩の背中を押す。

 今までも、おそらくはこれからも、変わらず恐い存在のはずの不良の声援を受けていることに、史季は不思議な感慨を覚える。


 もう立っているのもやっとなのに。

 押されたら何の抵抗もなく倒れる自信があるくらいなのに。

 何十発と斑鳩に殴られながら、自分は今もなお負けじと殴り返している。


 なんでこんなことをしているんだろう――なんて考えは脳裏をかすめもせず。

 ただひたすらに、目の前の相手と殴り合う。


 大切な女性ひとを守れるくらいの〝強さ〟を求めて。


 それくらいの〝強さ〟を持った、この先輩ひとの熱に引っ張られて。


「んぐッ!?」


 ボクシングの連携ワンツーさながらに、斑鳩の左ジャブに鼻っ柱を叩かれ、続けざまに右ストレートを頬にくらって、史季の体が仰け反る。

 無意識の内に体を後ろに下げ、殴られた方向に首を振って少しでもダメージを軽減させたおかげか、すぐさま反撃に出た史季はフック気味にパンチを放ち、斑鳩のこめかみを殴打した。


 一進一退の攻防。のように見えてその実、殴られている回数は史季の方が多い。

 体感にして、史季が一発殴る間に、斑鳩は一~三発。


 先程のような強打の布石となるジャブなども交じっているため、手数ほどダメージに差は出ていない。

 だがその差は、確実に、着実に、史季の体を蝕んでいる。

 さながら、ゆっくりと全身に回る毒のように。


 だけど――


!)


 ただでさえ満身創痍になっている体がさらに傷つくことも厭わずに、斑鳩の頬に拳を叩き込む。


 矛盾した話になるが、確かに今の史季は勝ち負けを忘れてケンカに没頭しているが、だからといって負けてもいいなどと思っているわけではない。

 いくら史季といえども、負けを良しとする〝強さ〟など求めていない。

 それ以前に、史季の根底には「負けてしまったことで余計な心配を夏凛にかけさせたくない」という想いがある。

 そのことを本能レベルで理解しているからこそ、たとえ史季自身が勝ち負けを忘れていようとも、身体は、思考は、自然と勝利を目指して死力を振り絞っていた。


 こちらが押されている戦況をと断じたのも、全ては目の前にいる先輩ひとに――夏凛たち以外で初めて尊敬に値すると思った不良ひとに勝つため。

 と、判断したがゆえのことだった。


 一方、斑鳩は斑鳩で、史季が何かを狙っていることには気づいていた。

 その狙いが、史季にとって最大の武器となるキック絡みであることまでは読めているが、どういった形で、どういったタイミングでそれを繰り出してくるかまでは読めていない。


 なら、それでいいと斑鳩は思う。

 どうせやることはこちらも同じ。

 自分にとって最大の武器となるキックを、どういった形で、どういったタイミングで繰り出すか。それだけだ。

 その瞬間は、たぶん本能が勝手に嗅ぎ取って、体が勝手に動いてくれるだろう。


 だから今は、


(この面白え後輩のおもいに、ただ応えてやりゃあいい!)


 たぶん後輩こいつも、それを望んでるだろうしな――根拠もなく確信しながら、史季の頬に拳を叩き込む。


 そうして史季は斑鳩を殴って。


 斑鳩は史季を殴って。


 殴って。


 殴られて。


 殴って。


 殴られて。


 永遠に続くかに思われたケンカも、ついに終わりへと向かい始める。


「あぁ~ッ!?」

「おぉ~ッ!!」


 史季を応援していた不良たちの口から悲鳴じみた声が、斑鳩を応援していた不良たちの口から歓声じみた声が上がる。

 顎の近くを殴られた史季が、一瞬片膝をつきそうになったのだ。


 倒れないよう持ち堪えるだけで精一杯だった史季に殴り返す余裕などあるはずもなく、斑鳩が放った追撃の右フックを、かろうじて左腕で防御する。


 ここで終わらせてやると言わんばかりに、反して終わりを迎えるのを惜しむように、斑鳩は続けざまに拳を振るい、猛攻ラッシュを仕掛けてくる。


 頬を、鼻を、顎を、鳩尾を、脇腹を襲う拳を、史季は限界を超えてなお懸命にかわし、防御する。


 限界を超えているのは斑鳩も同じで、仕掛けてきた猛攻ラッシュは常時と比べたら見る影もないくらいだったが、今の史季に捌き切れるものではなく、


「んぐッ!?」


 土手っ腹にボディブローが突き刺さり、史季の体が「く」の字に曲がる。

 続けて顔面をストレートで打たれ、史季は仰け反りながら後ずさる。


 かろうじて鳩尾と顎を殴られることだけは避けたものの、いずれも、まだ立っていられるのが信じられないほどのダメージを史季に刻みつける。


 転瞬――


 思考を介することなく、さながら息を吸うような自然さで、斑鳩が右のハイキックを繰り出してくる。


 刹那――


 これが僕の〝強み〟だとばかりに、最後の最後まで思考を手放さなかった史季は、待ちに待った瞬間――斑鳩がキックを繰り出す瞬間に合わせて、を繰り出す。


 直後――


 斑鳩のハイキックが、史季の左側頭部を。


 史季のローキックが、斑鳩の左外膝を捉える。


 史季は意識を失いながらも蹴られた方向に倒れ。


 斑鳩は激痛に表情を歪めながらも蹴られた方向に倒れる。


 先の斑鳩と同じように、地面に倒れた衝撃が、史季の意識を覚醒させる。


 地面に倒れた衝撃が左膝に伝い、斑鳩の表情をますます歪ませる。


 二度目のダブルノックダウンに、死闘の行く末を見守っていた不良たちが沸きに沸く。


 誰も彼もが「立て!」「立ちやがれ!」と叫ぶ中。


 史季と斑鳩は、地面に両手をついて体を起こす。


 頭を蹴られて意識が朦朧としている史季が、体をふらつかせながら両の脚で立ち上がろうとする。


 膝の外側を蹴られて左脚が死んだのか、斑鳩は体をふらつかせながらも右脚に重心を偏らせ、立ち上がろうとする。


「立って――――――――――っ!! 獅音兄ぃ――――――――――っ!!」


 絶叫じみたアリスの声援が力を与えたのか、先に立ち上がりきったのは斑鳩の方だった。


 史季は両膝に手を突き、前屈みになっている体勢から体を起こそうとするも、まさしくその膝が笑っているせいか、体を起こしきれない。


 かつてないほどの虚脱感が、史季の体を苛んでいく。


(……駄目だ。もうこれ以上は――)



「大丈夫」



 不意に、夏凛の声が、史季の耳朶じだに触れる。


「オマエなら、ぜってー立ち上がれる」


 アリスのような大声でもないのに、


「だから」


 不思議なほどよく通る声で、


「信じてるからな、史季」


 彼女は言ってくれた。


「オマエが勝つって」


 僕に、力をくれる信頼ことばを。



「おぉおおぉおおおぉおおぉおおぉおぉッッッ!!!!!!」



 かつて川藤に、荒井に、立ち向かった時と同じように――否、それ以上の雄叫びを上げながら、史季は体を起こして斑鳩と対峙する。


 不良たちの熱狂が地を揺るがす中、事ここに至ってなお、斑鳩は楽しげに嬉しげに笑みを浮かべる。


 史季もつられたように笑みを浮かべるも、


「折節……、頼むわ」


 最早斑鳩が、立っていることしかできないことに気づいた史季は、わずかに表情を曇らせながら首肯を返す。


 そして、亀の歩みよりも遅い足取りで斑鳩に近づき……全身全霊と呼ぶにはあまりにも力のこもらない拳で、斑鳩の頬を打つ。


 そして――


 もうこれ以上は本当の本当に限界だと言わんばかりに、斑鳩獅音は「大」の字になって地面に倒れた。



=======================



 本日、書籍版第2巻が発売されマシタので、そちらの方もよろしくしていただけると幸いデース。

 それから月刊ドラゴンエイジにてコミカライズ版の連載が決定しマシタので、こちらも合わせてよろしくしていただけると幸甚の至りデース。


 特設サイトURL(https://fantasiabunko.jp/special/202305fightinggyaru/)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る