第36話 賭け

「えぐいのが入ったな」

「こりゃ決まりだろ」

「やっぱ強ぇな、あのパイセン」


 蹴り上げからの踵落としの連携におののく不良たちに同意するように、冬華は痛ましげな顔をしながら断言する。


「これは、さすがに立てないわね……」

「相手は斑鳩パイセンだからな。よくやった方だろ……」


 同じように同意する千秋も、表情に痛ましさを滲ませていた。


「わ、わたし、史季先輩を診てきます!」


 すぐさま走り出そうとした春乃の肩を、隣にいた夏凛が掴んで引き止める。

 倒れ伏す史季を、真っ直ぐに見つめながら。

 春乃の肩を掴む手を、わずかに震えさせながら。


「まだだ、まだ終わってねー」


 その言葉どおりに、史季がゆっくりと立ち上がる。

 勝負が決まったとばかり思っていた不良たちが、どよめき始める。

 同じように思っていた千秋も、春乃も、冬華でさえも驚いたように目を見開いた。


「あれで立つのかよ……」

折節あいつも大概だな……」

「荒井や鬼頭に勝てるわけだよ……」


 誰も彼もが驚き、誰も彼もが畏怖を吐き出す。

 四大派閥のトップである朱久里でさえも唖然とし、実際に史季とやり合った荒井と蒼絃が、当時のことを思い出して表情を苦くする。


 そんな中――


 斑鳩だけは、門限が過ぎたのにもう少し遊んでいいと親に許してもらえた子供のように、無邪気に嬉しげに笑った。



 ◇ ◇ ◇



 かつて荒井や蒼絃を相手に、勝負を決するほどの一撃をくらってなお立ち上がった時と同じように、史季は気力を振り絞って立ち上がる。

 目の前に立つ、斑鳩の屈託のない笑みに引っ張り上げられるように。


 蹴り上げで脳を揺らされ、踵落としで脳天を強打されたことで視界も足元も覚束おぼつかない中、斑鳩のことをつくづく不思議な先輩だとうすぼんやりと思う。

 荒井にしろ蒼絃にしろ、フラフラになってなお立ち上がる史季を見た際は、怯えすら抱いた目をこちらに向けていた。

「なぜ立てる?」「なぜまだ戦える?」と言いたげな顔をしながら。


 だが、斑鳩は違う。

 勝利を確信してもおかしくないほどの一撃を――いや、二撃を決めたにもかかわらず、立ち上がってきた史季を見て、嬉しそうに笑った。

「まだ立ってくれるのか」「まだオレとケンカをしてくれるのか」と言いたげな笑顔をしながら。


 ……いや。

 彼の笑顔に浮かんでいるのは、それだけではない。

 立ち上がってくれた史季に対する感謝は勿論のこと。

 フラフラになってなお立ち上がる根性を見せた史季に、敬意にも似た感情を抱いていることを、笑顔から読み取ることができた。

 こちらよりも年上であるにもかかわらず。

 四大派閥のトップであるにもかかわらず。


(ああ……そうか)


 不良たちの多くは、どちらが上で、どちらが下なのか、つまりは優位マウントをとることに拘る傾向にある。

 荒井などはまさしくその典型であり、不良味ふりょうみの薄い蒼絃でさえも、学園のトップを目指しているだけあって自分が上に立つことには拘っている様子だった。


 だが、斑鳩には上下それがない。

 学園の頭の座なんて少しの興味も示していないし、ケンカをしている理由も、どちらが上でどちらが下か白黒つけるためではなく、あくまでもケンカそのものを楽しむため。

 だから、彼にとって自分とケンカを相手は、誰であろうとも等しく対等な存在であり、敬意を抱くに値する存在なのだ。

 その在り方こそが、斑鳩の〝強さ〟であり、魅力なのかもしれないと史季は思う。


 ケンカ中の斑鳩は、挑発したり、調子に乗ったり、ふざけたりもしているが、それはあくまでも目の前のケンカを全力で楽しんでいる結果であって、相手のことを侮っているわけでは断じてなかった。

 なぜならケンカ中の斑鳩は、たとえ相手が自分よりも弱いとわかりきっている相手であっても、油断らしい油断は一切見せなかった。

 先日路地裏で史季と夏凛に絡んできた男たちを相手にした時も、今日大勢の《アウルム》の構成員を相手にした時も、今この瞬間史季の相手をしている時も。


 逆に、たとえ自分よりもはるかに強い相手とケンカすることになったとしても、《アウルム》との三対数百という絶望的なケンカを前にしても笑っていられたところを見るに、斑鳩は微塵も恐れないどころか、嬉しげな笑みを浮かべることだろう。


 誰が相手でもあっても、侮りも、恐れもない。

 その在り方は、史季が守りたいと強く思った女性ひとのそれとはまた違う、一つの〝強さ〟の形だと史季は確信する。


 同時にもう一つ、確信する。

 その〝強さ〟は、あくまでも斑鳩獅音の強さであって、自分が身につけられるようなものではないことを。

 


(本当に身も蓋もない話だけど、結局僕が求める〝強さ〟は、僕自身で見つけるしかないというわけか……)


 大切な女性ひとすら守れるくらいの〝強さ〟を知りたい――そう思って斑鳩のケンカを買ったことを鑑みれば、この答えは振り出しに戻ったも同然のものだけれど。

 不思議と、斑鳩とケンカをやる前に胸に渦巻いていた暗鬱した弱気や自虐は、綺麗さっぱり消え失せていた。


 正直、斑鳩のようにケンカを楽しむなんて真似は、自分にはできる気がしない。

 だから、失礼を承知で表現させてもらうと、もう少し斑鳩のようにバカになってみようと史季は思う。


 バカになって、目の前のケンカに没頭してみよう。

 そうしたら、僕なりの〝強さ〟というものを、少しは見つけられるかもしれない。


 根拠もなければ、非論理的にも程があるけれど。

 この確信は、これまでに抱いたどの確信よりも信じられる――それこそ確固たる確信をもって、史季は心の内で断言した。



 ◇ ◇ ◇



「あんなのもらって立ち上がるとはねぇ……蒼絃とのタイマン動画を見た時もそうだったけどほんとにタフだね、折節の坊やは」


 だからこそ、弟にとって大きな壁になるかもしれない――そんな危惧を抱いていた朱久里に、まさしくその弟が話しかけてくる。


「姉サン……姉サンが、今のボクじゃ斑鳩クンとやり合っても勝ち目が薄いと言った意味、少しだけわかった気がするよ」


 そう言って蒼絃は、史季と対峙している斑鳩を悔しげに見つめる。


「あそこから立ち上がってきた折節クンを見て、あんな嬉しそうに笑うなんて真似は……ボクにはできる気がしない」


 そんな蒼絃を見て、荒井はつまらなさげに「ふん」と鼻を鳴らした。


「折節を無駄に大きく評価するのは気に食わんが、だからといって同じように斑鳩を評価するのも気に食わんな」


 そう言って、当人ですら気づいていない笑みを頬に刻みながら、言葉をつぐ。


「あいつはただ、一秒でも長くケンカがしたいだけの大バカだ」


 その言い草こそ、斑鳩を最大級に評価している証だと思うけどねぇ――と、朱久里は心の中で思えど、指摘しても面倒くさいことになるだけなのはわかりきっているので黙っておくことにする。


 その代わりというわけではないが、朱久里は自分よりも一〇センチ近く背が高い弟の頭にポンと手を置き、史季と斑鳩を見据えながら真剣な声音で告げた。


「よく見とくんだよ、蒼絃。このケンカ、ここから先どう転ぶにしても、きっとアンタの糧になるはずだ」



 ◇ ◇ ◇



 立ち上がった史季を前に、斑鳩は笑みをそのままにしながら、トントンと自分の頭を指でつつく。


「ちょっと男前になったじゃねえか」


 言われて、史季は頭に手をやり……先の踵落としで頭から血が流れていることを知って苦笑する。


「それ、やった人間の言う台詞じゃないと思うんですけど」

「そりゃちげえねえ」


 ますます笑みを深める斑鳩につられて、つい笑みを零してしまったところで、ふと気づく。

 先と今――二度の苦笑を含めて、ケンカ中に笑ったのは初めてのことかもしれないと。


 もっとも今の史季の状態は、笑っていられるような余裕など微塵もない有り様になっているが。


 蹴り上げと踵落とし――どちらか一方でも必殺と呼ぶに足る蹴り技を立て続けにくらったことで、史季自身、立ち上がれたことが不思議に思えるくらいのダメージを負っていた。

 事実、意識的に脚に力を入れていないと、今にも腰が砕けてしまいそうなほど脚にきている。

 これまでのケンカで培ってきた経験から鑑みるに、しっかりと威力を保ったキックを放てるのは、おそらく二~三発といったところだろう。


(こんな状態じゃ、まともにやり合っても勝ち目はない……だったら!)


 賭けに出るしかない――と、決意と覚悟を固める。


 逆転の一手というほどではないが、斑鳩相手だからこそ試してみたい手が一つだけある。

 上手くいけば初見殺しとしても機能する一手だが、そもそもこのまま普通にケンカを再開してしまったら、その一手を打つ前にやられてしまうのが目に見えている。


 ゆえに史季は、


「斑鳩先輩……


 あえて、不敵に宣言した。


 死に体に近い史季が勝利宣言じみた言葉を吐いたことで、観戦している不良たちがにわかにどよめく。

 宣言を受けた斑鳩は、「そうきたか!」と言いたげな顔をしながら楽しげに言う。


「わかってんじゃねえか、折節。ケンカじゃ口先コイツだって立派な武器だ」


 右手で自身の口の端を摘まんでから、斑鳩は負けじと不敵に返した。


「いいぜ。受けて立ってやる」


 先手を取る状況をつくりたい――そんな思惑まで見透かされたどうかは定かではないが。

 先の宣言に含みがあることを承知した上で受けて立つ、斑鳩の度量に感謝と敬意を抱きながら史季は構える。


 そして――


 右脚を一歩前に踏み出すと、このタイマンにおいては初めて見せる、左のハイキックの動作モーションに入る。

 受けて立ってやるという言葉どおり、回避ではなく防御を選んだ斑鳩が、すぐさま右腕でハイキックを防御しようとするも、


「お?」


 それよりも早くに、史季は左のハイキックを中断。

 左脚が地に着くと同時に、右のハイキックを繰り出した。

 


 即応した斑鳩が右側頭部に固めていた防御を、すぐさま左に切り替える。

 その反応の早さはさすがとしか言いようがないが、だからこそが刺さると確信した史季は、


『威力を維持したまま軌道を変えるのは難しいけど、軌道を変化させること自体はけっこう簡単にできっぞ。特にハイキックからローキックに変化させるのは』


 以前、夏凛がそう言っていたことを憶えていた史季は、実際に斑鳩がやっているのを見て、この身でくらったことで、キックの軌道を変化させる理屈を理解し、ぶっつけ本番で奥の手として繰り出したのだ。


 自身の得意技を模倣パクられたことに、斑鳩の表情が驚愕に満ちていく中、史季は相手の左太股目がけて右脚を振り下ろす。

 威力の維持も技のキレも、斑鳩に比べたらお粗末もいいところだが、とどめに繋げる布石としては充分な一撃になる。

 そんな確信とともに、史季の右脚が、斑鳩の左太股を捉えようとしたその時、


「!?」


 すんでのところで反応した斑鳩が、左脚を上げてローキックを防御しようとする。

 今度は史季の表情が驚愕に満ちていく中、こちらの足背そくはいと、斑鳩の左膝の皿の上面が激突。


 キックの軌道を変えたことで威力が減じたとはいっても、史季のキック力ならばそれでもなお充分な威力を発揮する。

 ゆえに、史季の右足背に、斑鳩の左膝に奔ったダメージは軽くなく、二人して表情を歪めながら一歩後ずさる。

 続けて、右のハイキックの体勢に入ったのも二人してだった。


 だが――


 痛めた箇所が足背ゆえに、ハイキックを繰り出すだけならばたいした支障がない史季に対し、軸足となる左脚の膝を痛めた斑鳩は、体勢を崩しはしなかったものの、史季よりも明らかにハイキックが振り遅れてしまう。


「やっべ……ッ」


 そんな言葉とは裏腹になぜか笑みを浮かべる斑鳩の左側頭部に、史季は足背の痛みに耐えながらも全力でハイキックを叩き込んだ。

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