第34話 死闘、あるいは祭りの始まり

 最近になってメキメキと頭角を現した折節史季が、斑鳩獅音のケンカを買った。

 そんな面白い話に、学園の不良たちが飛びつかないわけがなく。

 春乃の応急処置が終わり次第、広場の中央にいる史季と斑鳩を遠巻きにする形で、不良たちは揃いも揃って観戦の態勢に入っていた。


 そして、どの不良よりも二人のケンカを楽しもうとしているのが、斑鳩派の不良たちだった。


「で、お前さんら。どっちに賭けるよ?」


 財布から一枚一〇〇〇円札を取り出しながら、服部が派閥メンバーに問いかける。


「お? お前がそんなことを言い出すってぇことは、やっぱ折節は、獅音相手に賭けが成立するほどの相手ってことか」


 言いながら、派閥メンバーの一人は一〇〇〇円札を取り出し、服部に預ける。


「折節に賭ける。あいつの蹴りを実際にくらったから断言させてもらうが、いくら獅音でもアレをまともにくらったらやべぇ。ワンチャン以上はあると俺は睨んでる」

っても、折節のキックは斑鳩に比べて直線的すぎるからな。俺は斑鳩の方に賭けさせてもらうわ」


 実際に折節にケンカを売って返り討ちに遭ったメンバーたちが、次々と服部に一〇〇〇円札を預けていく。

 斑鳩も含めた派閥メンバーを対象にケンカで賭けをおこなう場合、胴元は服部が務めること、賭け金は一〇〇〇円ポッキリであること、賭けに勝った者に負けた者たちの賭け金を分配する決まりになっていることは、斑鳩派の間では暗黙の了解となっていた。


《アウルム》とケンカをするために集まったメンツだけあって、誰も彼もがしっかりと分析した上で賭けていく中、


「もっちろん、ぼくは獅音にいに賭けるっすよ」


 分析もへったくれもなく、斑鳩への信頼一点張りで一〇〇〇円札を預けてくるアリスに、服部は苦笑する。


「ったく、それでレオンが負けたらギャーギャー文句言うんだから、ほんっと良い性格してるよな」

「ふふ~ん、褒めても何も出ないっすよ。あと獅音兄は負けないっすから」

「いや、何一つ褒めてねェよ」


 とツッコんだところで、派閥メンバーの一人が服部に訊ねる。


「それで、お前はどっちに賭けるんだ?」

「そうだな……お前らの賭けの比率が、レオンが七で、折節くんが三といったとこだから……」


 服部はニヤリと笑い、宣言する。


「おいらは折節くんが勝つ方に賭けるわ」

「……相変わらず友達甲斐のない賭け方するっすね、翔兄」

友情それ友情それ賭けこれ賭けこれってな。それに……」


 服部は意味深げに沈黙を挟んでから、ドヤ顔気味に言葉をつぐ。


「相性って意味じゃ、レオンと折節くんはと、おいらは睨んでる。だから、お前さんらが思ってるほど分の悪い賭けにはならねェはずだ」


 服部の言っている言葉の意味がわからず、アリスはおろか他の派閥メンバーまでもが訝しげな顔をする。

 そんなやり取りを、やや離れた位置で聞いていた――というか、斑鳩派の面々が揃いも揃ってデカい声で話しているせいで否応なしに聞かされていた荒井は、どこかうんざりとした顔をしながら「ふん」と鼻を鳴らした。


「相変わらず騒々しい連中だな」


 隣にいた荒井派のナンバー2――大迫おおさこも、同じようにうんざりとした顔をしながら、うんざりとした声音でぼやいていると、


「どうやら氷山にやられた傷は癒えたようだな、大迫」


 事実上、鬼頭派のナンバー3にあたる坂本が突然話しかけてきて、大迫は渋面をつくる。


「やられたわけではない。ただ少しばかり油断してしまっただけだ」

「それをやられたと言っているのだがな」

「抜かせ……!」


 大迫は坂本にガンを飛ばし、坂本はそれを真っ向から受け止める。

 坂本に遅れてやってきた蒼絃がその様子を見て、楽しげな笑みを浮かべた。


「珍しいね。坂本クンが突っかかるような真似をするなんて」

「アンタが入ってくる前は、坂本が鬼頭派うちのナンバー2だったからねぇ。ナンバー2同士、それなりに因縁があったってわけさね」


 蒼絃とともにやってきた朱久里が肩をすくめる中、荒井は、大迫以上に露骨に渋面をつくりながら鬼頭姉弟に言う。


「何しに来た、貴様ら」

「そんな顔をされるのがわかってたから、アタシは気が進まなかったんだけどねぇ」


 言いながら横目で弟を見やり、それに応じるようにして蒼絃は姉に代わって答えた。


「なに、荒井クンがどっちが勝つと思ってるのか、ちょっと気になってね。あ、斑鳩派みたいに賭ける必要はないよ。荒井クンは如何にも、ハズれたら踏み倒す手合いだからね」

「ふん」


 と、鼻を鳴らしはするものの、殊更ことさら否定することなく荒井は答える。


「考えるまでもない。折節如きが、斑鳩に勝てるわけがないだろう」

「その〝如き〟に、ボクもキミも負けてるんだけどね」


 先程の姉と同じように肩をすくめる蒼絃を、荒井は不快げに睨みつける。


「その言い草……貴様は、折節が勝つと睨んでいるようだな」

「まあね。なにせ折節クンはボクに勝った相手だからね。彼が勝つという根拠としては、それで充分だよ」

「要は、自分に勝った相手には負けてほしくないというだけの話か。負け犬の発想だな」

「それ、折節クンにも斑鳩クンにも負けた人間が言う台詞じゃないと思うけど」


 荒井の双眸に威圧的な殺意が宿り、蒼絃の双眸が抜き身の刃のように鋭くなる。

 偶然周囲に居合わせた不良たちが、そのあまりの緊張感に息を呑む中、朱久里は呆れた顔をしながらパンパンと手を打ち鳴らした。


「はいはい、その辺でやめときな二人とも。今回の主役は斑鳩と折節の坊やだ。それを無視しておっ始めたところで、野暮にしかならないよ」


 今このタイミングで、史季と斑鳩を無視してケンカを始めるのは――そのことは蒼絃のみならず、荒井でさえも重々承知しているようで、二人とも朱久里に言われたとおりに大人しく引き下がった。


 ただ、このまま黙って引き下がるのもしゃくだと思ったのか、荒井は朱久里に問いかける。


「そういう貴様はどうなんだ?」

「どうって……ああ、斑鳩と折節の坊やの、どっちが勝つかって話かい」


 不親切極まりない問いを瞬時に理解した朱久里は、「そうだねぇ……」と少し考えてから答える。


「普通にやったら、まず斑鳩が勝つだろうねぇ」


 その言葉を聞いて、荒井は挑発的な微笑を蒼絃に向ける。

 敬愛する姉の言葉だからか、蒼絃は少し悔しげに口ごもるだけで、一つの反論もよこさなかった。


「だけど、斑鳩が気に入った相手とケンカした際はことも、それこそ荒井アンタの方がよくわかってるんじゃないかい?」


 斑鳩のケンカをろくに見たことがない蒼絃が、姉の言葉の意味がわからずに眉をひそめる中、それこそ朱久里に言われるまでもなく嫌というほどによくわかっていた荒井が、舌打ちを漏らした。


「折節の潜在能力ポテンシャル次第では、斑鳩に勝つこともあり得る……そう言いたいのか?」

「ああ。斑鳩が気に入った相手とタイマンを張った場合、どういうわけか、その相手の力を一〇〇パーセント以上にまで引き上げるようなケンカになっちまう傾向にあるからねぇ。そして、折節の坊やは潜在能力ポテンシャルという点においては蒼絃にも引けを取らないときている」


 しれっと弟自慢を織り交ぜる朱久里に、荒井が微妙な顔をする中、話を続ける。


「そういった意味じゃ、斑鳩と折節の坊やは相性が。だからこのケンカ、アタシは五分五分だと見ている」


 服部と同じ言葉を使って自分の見解を述べて、蒼絃はおろか荒井ですら納得させつつも、どちらが勝つのかという問いに対しては、しれっと答えていない朱久里だった。


 そんな彼女たちとは――というよりも、荒井とは互いに自然と距離をとり合っていた夏凛に、春乃が話しかける。


「あの夏凛先輩……史季先輩と、え~っと、れおん?……先輩とのケンカ、止めなくていいんですか?」

「いいんだよ。てか、この場合、止める方が良くねーくらいだしな」


 そんな夏凛の返答を聞いて、傍にいた千秋と冬華が会話に交ざってくる。


「そこまで言い切るなんて意外だな。てっきりオマエは、ウチら以上に大反対するもんだとばかり思ってたぞ」

「りんりんってば、斑鳩先輩のケンカは買うなって散々しーくんに言ってたのにね~」

「いや、散々は言ってねーし、『買うな』っつうよりは『買わなくていい』って言ってただけだし」


 とは言いながら、二人のいないところで「間違っても、ケンカ買ったりなんかすんじゃねーぞ」と、史季に釘を刺したことがあったのはさておき。


「史季が男見せようとしてんだ。黙って送り出してやんのが、女の見せどころってもんだろが」


 後半の言葉は、自分で言っておきながら途中で恥ずかしくなってしまい、いやにゴニョゴニョしていた。

 もっとも、頭上に「?」を浮かべながら小首を傾げている春乃はともかく、ニヨニヨと笑っている千秋と冬華は、バッチリ聞き取っている様子だが。


 そんな二人の反応を見て余計に恥ずかしくなった夏凛は、そっぽを向きながらも、斑鳩と対峙し、何事か話している史季を見つめる。


(正直、斑鳩センパイとケンカして無事で済むわけなんてねーから、心配は尽きねーけど……)


 史季は、自分の意思で斑鳩のケンカを買った。

 それも、今までのような誰かのためではなく、自分自身のために。


(だったら、黙って見守ってやろうじゃねーか)


 それでもなお漏れ出る心配が、自然と拳を握らせる中、心の内のとおり夏凛はただ黙って史季のことを見守り続けた。



 ◇ ◇ ◇



「しっかし、このタイミングでケンカを買ってくれるとはな~。お互いベストってわけにはいかねえけど、見たとこたいした怪我がないのもお互い様だし、条件としちゃあ悪くねえかもな」


 上機嫌に話しかけてくる斑鳩に対し、史季は、こちらを取り囲むようにして観戦の構えを見せている不良たちに視線を巡らせてから、情けない声音で抗議する。


「で、でも、この状況はさすがに『悪くない』とは言えないと思うんですけど……」

「それこそ、このタイミングでケンカを買っちまったオマエがわりぃって話だ。どいつもこいつもさっきの大ゲンカの熱が残っててノリノリになってるし、そこはもう諦めろとしか言えねえな」


 斑鳩は「そもそも」と、こちらを指差しながら言葉をつぐ。


「オマエだって、さっきの大ゲンカの熱が残ってたから、ケンカを買ったって側面とこもあんだろ?」


 否定できず、口ごもる。

 いつもの史季ならば、このまま精神メンタルが弱気に向かっていってもおかしくないのに、今は少しもそんな気配を感じない。

 それこそ、《アウルム》との戦いケンカの熱にあてられた心が、密かに、確かに、燃えているように。

 そのせいか、知らず苦笑を浮かべながら、史季は「ですね」と肯定した。


「そんじゃ、ぼちぼち始めてもいいか?」


 どこまでも軽いノリで言ってくる斑鳩に苦笑を深めながら、史季は答える。


「いいですよ」


 史季と斑鳩を包んでいた空気が、瞬く間にひりついていく。


 そして――


 まるで申し合わせたかのように。

 史季と斑鳩は全く同時に、相手の側頭部目がけてハイキックを繰り出した。

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