第16話 アウルム・1

 そこは、町外れからもさらに外れた、かつては不法滞在外国人が金属スクラップ施設として運営していた違法作業場ヤードだった。


 工事現場の仮囲いなどに使われる、鋼板の壁によって囲われた敷地の面積は、聖ルキマンツ学園の二倍以上。

 その広大な敷地内のそこかしこに積み上がった金属スクラップの山は、まるで世間からを隠しているかのよう。


 事実、ヤードの最深部には、およそ世間とは相容れない類の輩どもが隠れ潜んでいた。

 敷地を囲う壁よりも丈夫な、建材用の鋼板外壁に覆われた、長方形の二階建ての建物。

 上階の角にある事務所めいた部屋で、ビジネスホテルの地下格闘技場の運営を任されていた、の幹部――松尾が床に正座させられていた。

 その松尾を、応接用ソファの肘掛けアームレストに腰掛けている、一人の男が見下ろしていた。


 歳の頃は二〇代半ばほど。

 刈り上げオールバックに仕上げた金髪といい、日焼けサロンで焼いたと思われる肌といい、顎髭を蓄えたいかつい面持ちといい、およそ堅気かたぎには見えない風貌をしていた。

 身につけているものは、松尾が着ている服とは質からして違う、特注品オーダーメイドのテーラードジャケットとスラックス。

 インナーとして着ているTシャツさえも、五万は優に超えるハイブランド品だった。


 羽振りの良い身なりが、かえって反社会的な匂いを色濃くさせるその男は、入山いりやまあつし

 この一帯においては最大と目されている半グレ組織――《アウルム》の創設者にしてリーダーを務めている、警察からもマークされている危険極まりない男だった。


 入山は懐から取り出した長方形のケースを開き、中に入っていた葉巻を一本に抜き取ってジッポライターで火を点ける。

 やはりというべきか、葉巻にしろ、それを収めていたケースにしろ、ジッポライターにしろ、安物は一点たりとも混じっていなかった。


 しばし葉巻を味わい、紫煙を吐き出したところで、入山はようやく松尾に話しかける。


「松尾よぉ……お前の言い訳を要約すると、お前が折節ってガキの強さを見誤ったせいで、その日の賭けの儲けはなくなっちまったってことになるよなぁ?」

「……はい」


 青い顔のまま、目を合わせることもできずに返事を絞り出す松尾に、入山は微笑を浮かべる。


「そんなビビんなよぉ。確かに、折節とかいうガキの強さを見誤ったのはお前のミスだ。だが、試合にエントリーした奴らの中に、折節に勝てそうな奴がいなかった以上、打てる手が限られていたのも事実だ」


 下っ端の構成員ならば、理解を示す入山の言葉に食いついていたところだろう。

 しかし幹部である松尾は、そこに食いつくことが不正解であることを知っていたので、あくまでも神妙に入山の言葉を受け止めた。


「しかし、入山さんの言うとおり、その日の賭けの儲けをナシにしてしまったことも事実です」

「そりゃぁ、そのとおりだ。だからこそ、何の制裁もナシってわけにはいかねぇことも、お前ならわかってるよなぁ?」

「……はい」


 絞り出すような声で返事をする松尾に、入山は笑みを深める。


「だからそんなビビんなよぉ。地下格闘技の儲けはあくまでもオンラインサロンの興行がメインで、賭けの方はオマケだ。その上で、赤字を出さねぇようにしたお前の判断は評価に値する。だから……」


 ソファ前のローテーブルに置かれた灰皿に葉巻の灰を落とすと、アームレストから腰を下ろし、松尾と目線が合う高さまでしゃがみ込む。


「制裁は、古風クラシカルなやつで勘弁してやるよぉ」


 そう言って、その手に持った葉巻の着火面フットを、正座して膝の上に置いてある松尾の右手の甲に容赦なく押しつけた。

 所謂いわゆる根性焼きと呼ばれているこの行為こそが、入山が松尾に課した制裁だった。


「…………ッッ」


 葉巻の火を直接押しつけられた痛みに顔を歪めながらも、松尾は悲鳴を噛み殺す。

 それこそ、自身の我慢強さを誇示するために根性焼きを行い、その名称どおりに根性を示したかつての不良たちと同じように。


 松尾の体感時間にして永遠に等しく、実時間にしてわずか五秒の時が過ぎたところで、入山は彼の手の甲から葉巻を離した。


「ありがとう……ございます……ッ」


 間髪入れずに礼を言う。

 幹部ゆえに〝わかっている〟松尾に、入山は満足げな笑みを浮かべた。


「松尾ぉ。もう下がっていいぞぉ」


 その言葉に対し、松尾は土下座するようにして頭を下げ、もう一度「ありがとうございます……ッ」と礼を言ってから、立ち上がって部屋を後にした。

 逃げるようにではなく、ように。


「……さぁて」


 入山も立ち上がり、葉巻を一吸いしてから部屋の隅へ移動する。


「少しは反省したかぁ? マヌケぇ」


 そう言って紫煙を吹きかけた相手は、壁を背にする形で床に正座をさせられている、二〇歳前後の男だった。


 然う。

 この部屋には、入山と松尾以外にももう一人、人がいた。

 服を着ることすら許されず、正座した体勢のまま両手足を縛られ、殴られ蹴られた顔面を血の赤で染めた、松尾とは比較にならないほど重い制裁を課されている男が。

 松尾の顔が終始青かったのも、まさしく現在進行形で入山の制裁を受けている、男の存在によるところが大きかった。


「反省じまじた……だがらもう許じでぐだざい……」


 大の男が、涙と鼻水を垂らしながら懇願する。

 事ここに至ってなお〝わかっていない〟男に、入山は苛立った声を上げた。

 

「許してほしいだぁ? んなこと言ってる時点で、反省なんざ少しもしてねぇってことだろうがぁッ!」


 微塵の容赦もなく、入山は男の顔面を蹴りつける。

 その反動で盛大に仰け反った男の後頭部が、壁に激突する。

 口の端から溢れた血が涙と鼻水と混ざり、正座させられている太股に垂れ落ちていく。


「受け子に持ち逃げされやがってよぉ……そうならねぇよう、ちゃんと身元は押さえとけって俺ぁいつも口酸っぱく言ってたよなぁッ!?」


「なぁッ!?」に合わせて再び顔面を蹴られた男が、「へぶッ!?」と珍妙な悲鳴を上げ、入山に向かってこうべを垂れるようにしてうずくまる。


「だがまぁ、俺も鬼じゃねぇ。俺の靴の汚れを綺麗に舐め取るってんなら、許してやってもいい」


 そう言って、蹲る男の目の前に、血塗れになった革靴を近づける。


「は、はいぃ……舐めまず……舐めざせでいだだぎます……」


 わらにも縋るとはまさしくこのことで、男は文字どおり必死に、革靴に付いた自分の血を舐め取っていく。

 そして、あともう少しで、全ての血を舐め取れるというところで、


「てめぇの唾で余計に汚くちまったじゃねぇかクソがぁッ!」


 理不尽極まりない怒号を上げながら、男の口の中に革靴を突っ込むようにして、容赦なく顔面を蹴り上げた。

 男の顔面が天を仰ぐようにして跳ね上がり、折れた前歯が四散する。

 この時点でもう男に意識はなく、再び入山に頭を垂れるようにして床に倒れ伏した。


「これだから嫌いなんだよぉ。〝わかってねぇ〟マヌケはよぉ」

 

 スラックスのポケットからハンカチを取り出し、革靴に付いた男の血と唾液を綺麗に拭き取ってから、ハンカチをゴミ箱に捨てる。


 外に待機させていた下っ端の構成員を呼んで、気絶させた男を外に放り出すよう命じた後、窓際にある机へ向かい、その上に置かれているタブレットを操作する。

 そうして画面に映し出されるは、斑鳩獅音、五所川原アリス、折節史季の会員証の情報と顔写真。


「聖ルキマンツ学園ねぇ。やべぇやべぇとは言われてても、所詮はガキどもだから相手にするまでもねぇと思ってたが……」


 葉巻を一吸いし、紫煙を吐き出してから、淡々と決断する。


「さすがに目障りになってきたなぁ。潰すかぁ」

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