第15話 良い先輩

「つうか、お前は何なんだよ!?」


 三人の中でいち早く我に返った赤髪が、ウサギの着ぐるみを着た斑鳩に向かって至極もっともなツッコみを入れる。


「見てのとおり、ラブホの客引きをしてるウサギさんだ」


 そう言って斑鳩ウサギさんは、デカデカと「一時間二〇〇〇円!」と書かれた立て札を男たちに見せつける。

 肝心のラブホテルの名前は立て札の隅っこに小さく書かれているが、この夜闇の中では街灯の明かりに照れされてなお読みづらかった。


「そういう意味で聞いてんじゃねぇよ!?」

「つうか、なんで路地こんなとこにいんだよ!?」


 遅れて我に返った、青髪と黄色髪からもツッコみが入る。


 あっという間に蚊帳の外に追いやられた史季と夏凛は、斑鳩の登場に驚けばいいのか呆れればいいのか笑えばいいのかわからず、微妙な表情を浮かべることしかできなかった。


「店長が言うには、ラブホに行こうかどうかグダグダ迷ってるカップルは、雰囲気を盛り上げるために、この辺りの路地みてえな人気の少ねえとこに行きがちだって話らしくてな。そういうのを客引きキャッチするために、ちょっと見て回ってこいっわれたんだよ」


 三人は「え、その話マジ?」と言いたげな顔をしながら顔を見合わせるも、


「最近は同性での利用も珍しくねえからな。オマエらモテなさそうだし、いっそ三人でってのも悪くねえんじゃねえか?」


 真面目に客引きをしているつもりなのか、それとも単にケンカしたいがための挑発なのか。

 いずれにせよ二度目のモテない認定にいよいよブチ切れた三人が、一斉に斑鳩に襲いかかる。


「誰がモテないじゃゴラァッ!」

「やっぱナメてんだるぉッ!」

「ぶっ殺ぉすッ!」


 などと凄んだところで、ここが路地である以上、二人以上同時に殴りかかっても邪魔になるだけなので、赤髪が先んじて斑鳩に殴りかか――


「!?」


 ノーモーションで放たれた斑鳩の蹴り上げが、赤髪の顎を捉える。

 蹴り足が着ぐるみを着ているとは思えないほどの速さだったせいもあって、全く反応ができなかった赤髪は、後続の青髪と黄色髪に倒れ込む形で気を失った。


「お、おいッ!?」

「やりやがったなてめぇッ!!」


 青髪が赤髪を抱き止めている間に、激昂した黄色髪が斑鳩に突っ込んでいく。

 その動きに合わせて斑鳩がハイキックを繰り出そうとしたので、黄色髪はすぐさま腕と防御しようとする。


 瞬間、逆V字を描くようにして蹴り足がハイキックからローキックに変化し、無防備になっていた右太股を強打。

 激痛で黄色髪の動きが止まっている隙に、斑鳩は立て札を持っていない左手でフックを放ち、正確にこめかみを打ち抜いて一撃で昏倒させた。


 あまりにも鮮やかな手並みに、史季は思わず息を呑む。

 以前、夏凛は斑鳩の蹴りについて、クソはえーわ、ノーモーションで蹴ってくる時もあるわ、変幻自在だわ、挙句の果てに蹴りの軌道を途中で変えたりするようなことを言っていたが、まさしくその通りだったことに驚愕を通り越して戦慄を覚える。


(キック一つとっても、こんなにも違いがあるなんて……!)


 おまけに、黄色髪を仕留めたパンチにしても、拳だけで学園のトップ層に食い込めるのではないかと思えるほど堂に入っていた。

 夏凛は、キック力に関しては史季に軍配が上がると言ってくれたが、それ以外の部分は自分の上位互換のような強さだと史季は思う。


「あとはオマエだけだが、どうする? やるってんなら喜んで相手になってやるが?」


 立て札の根元あたりでトントンと肩を叩きながら、斑鳩は青髪に言う。


「い、いやぁ……俺はもうけっこうっすよ……」


 仲間二人を瞬殺されたからか、青い髪以上に顔を青くしながらも、青髪は気絶した仲間たちを引きずって、この場から逃げ去っていった。


「んだよ、逃げんのかよ。まあでも、客引き中にケンカなんてしてたって知られたら、店長にどやされちまうからな。こんくらいで我慢してやるか」


 残念そうにため息をついてから、斑鳩がこちらに歩み寄ってくる。

 夜闇の暗さと街灯によって生み出された陰影によって、ウサギの被り物が絶妙にスプラッターホラーじみた雰囲気を醸し出しているものだから、夏凛は思わずといった風情で一歩後ずさってしまう。


 その際彼女の方から、かすかに「ひ……っ」と引きつるような悲鳴が聞こえてきて、史季は内心苦笑しながらもお願いした。


「すみません斑鳩先輩。夏凛がちょっと恐がってるので、せめて被り物は脱いでもらっていいですか?」

「こ、恐がってなんてねーし!」


 そんな強がりとは裏腹に夏凛が幽霊を筆頭にホラーの類が苦手なことを、しっかりと知っていた斑鳩が「わりぃわりぃ」と謝りながらも、ウサギの被り物を脱ぐ。


「小日向ちゃん、相変わらずホラーな感じなやつ駄目なのな」

「だ、だから恐くねーっってんだろ!」


 なおも強がりを吐く夏凛に、史季ともども苦笑していた斑鳩だったが、不意に「ん?」と眉根を寄せる。


「そういや折節、公園ん時は小日向ちゃんのこと『小日向さん』っってたのに、今は何の違和感もなく『夏凛』って言ってたなぁ?」


 ニヤニヤしながら指摘され、史季と夏凛の心臓が仲良くドキーンと飛び跳ねる。

 ほんの数時間の間に〝色々あった〟と斑鳩に確信させるには、充分すぎる反応だった。


「そうかそうかそういうことか~」

「あ、いや、本当にそういうことじゃなくて……!」

「なな何勘違いしてんだよ斑鳩センパイ!?」

「照れんな照れんな。何だったらうちのラブホ使うか? なぁに金のことなら心配すんな。オレが店長に頼んで割引きさせてやっから」

「けけけっこうですッ!」

「だだだからそんなんじゃねーっってんだろっ!」


 顔を真っ赤にして否定する二人に、斑鳩はカラカラと笑う。

 これ以上は心臓がもたない上に、純粋に斑鳩が鬱陶しいので、史季は無理矢理にでも話題を変えることにする。


「と、ところで、斑鳩先輩はどうしていくつもアルバイトを掛け持ちしてるんですか?」

「お? 聞いてくれるか?」


 ただでさえ明るかった斑鳩の表情が、さらに明るくなる。

 この時点でもう、史季は話題の選択チョイスをしくじったことを確信する。


「スマホは……あ、着ぐるみこれじゃ出せねえわ。まあとにかく、今付き合ってるレナちゃんってが、これがまたサイコーにかわいくてサイコーに良い娘なんだよ」


 だらしない顔で彼女――おそらくはご多分に漏れず地雷女――のことを語る斑鳩マインスイーパーを前に、史季は戦々恐々になる。


(まさかとは思うけど、サイコーじゃなくてサイコな彼女だったりしない……よね?)


 夏凛も似たり寄ったりのことを考えているのか、先程までの羞恥の赤が消えた彼女の表情は、史季と同じように戦々恐々としていた。


「そのレナちゃんがさ、悪い野郎に騙されて借金しちまってな。で、レナちゃん一人じゃ返せるような額じゃねえから、オレが一肌脱いだってわけよ」


 内容が内容だからか、一転してだらしなかった表情を引き締めながら斑鳩は語る。

 今の話を聞いただけだと断定はできないが、これまでに斑鳩が付き合った彼女が地雷率一〇〇パーセントであったことを鑑みると、どうしても、そのレナちゃんこそが斑鳩を騙す悪い野郎に思えてならなかった。


「ち、ちなみに、借金の話は服部先輩とアリスちゃんには……?」

「いんや、してねえ。彼女の借金のためにバイトしてるなんて言ったら、アイツらぜってえ止めやがるからな。だからアイツらには、レナちゃんにプレゼントを贈るためにバイトしてるってことにしてる」


 史季と夏凛は頭を抱えたい衝動をこらえながらも「ちょっと失礼します」と一言断ってから、揃って斑鳩に背を向けてヒソヒソと話し合う。


「史季、今の話どう思う?」

「斑鳩先輩の渾名を考えたら、彼女さんの借金は嘘の可能性がすごく高いと思う」

「だよなー……」

「ちなみにだけど、そのことを斑鳩先輩に指摘するのは?」

「やめとけ。一〇〇パーブチ切れっから」

「けど、今の話を聞いて放っておくというのもちょっと……」

「寝覚めわりーよなー……」


 二人して「う~ん……」と頭を悩ませていると、本来一番悩むべき人間が、微塵の悩みも感じられない声音で言ってくる。


「んだよ、いきなり内緒話なんておっ始めて。まさか、気が変わってうちのラブホを使う気に――」

「なりませんよ!」

「ならねーよ!」


 振り返るタイミングも含めてシンクロした史季と夏凛のツッコみに、斑鳩は再びカラカラと笑う。

 史季も夏凛も、どっと疲れた顔になってしながらヒソヒソ話に戻る。


「……つーか、マジでどうするよ?」

「う~ん…………ちょっと、やるだけやってみていい?」

「なんか思いついたってんなら任せる。ぶっちゃけ、あたしはお手上げだ」


 そのやり取りを最後に、二人は斑鳩に向き直ると、


「あの……これは彼女さんが借金を返す際の話になるんですけど、斑鳩先輩はその場に立ち会ったりはしないんですか?」

「いんや。プライベートなことにあんまり立ち入るのもわりぃしな」

「でも、彼女さんは悪い野郎に騙されて借金をしてるんですよね? だったら、彼女さんには無理を言ってでも、借金を返す場に立ち会った方がいいと僕は思いますよ。トラブルに備えるという意味でも、斑鳩先輩が傍にいた方が彼女さんも安心でしょうし」

「ソイツは……確かにそのとおりかもな」


 顎に手を当てて考え込む斑鳩に、史季は決め手となる言葉を投げかける。


「いざという時は、斑鳩先輩が彼女さんを守ってあげてください」

「おぉ……ッ! そうだな折節! レナちゃんのためにも、もう一丁くらい一肌脱ぐとするか!」


 その台詞を引き出せたところで、史季は夏凛に目配せする。

 それだけで意思疎通を完了させた彼女は、何気ない口調で斑鳩に言った。


「つーかセンパイ、いつまでもこんなとこで油売ってていいのかよ? そのレナちゃんってのためにも、バイト頑張らなきゃいけねーんだろ?」

「っと、そうだったそうだった。さすがに一人も客を連れて来ねえとなると、店長にどやされちまうかもしれねえしな。つうわけだから、やっぱオマエらうちのラブホに――」

「行きませんよ!」

「行かねーよ!」


 ツッコみをシンクロさせる史季と夏凛に、斑鳩は「だよな」と笑ってからウサギの被り物をかぶり、「じゃあな」と言わんばかりに手を振りながら路地の闇へ消えていった。


 斑鳩ウサギさんの姿が完全に見えなくなったところで、史季と夏凛は揃ってため息をつく。

 普段の二人ならば、散々ラブホテルの話をされたことで顔を赤くしていた場面かもしれないが、斑鳩の相手をしたことでとにかく疲れてしまったせいで、色合いはむしろ青に近いくらいだった。


「……夏凛。あの人何なの?」

「あたしの方が聞きてーよ。でも……」


 疲れた表情はそのままだが、夏凛はどこか楽しげな笑みを浮かべながら言葉をつぐ。


「良いセンパイか悪いセンパイかっったら、ギリ良いセンパイって言ってもいいとは思う」

「ギリギリなんだ」


 苦笑しながらも、確かに夏凛の言うとおり、斑鳩は良い先輩なのかもしれないと史季は思う。


 史季にとって、夏凛たち小日向派を除いた不良は、強くなった今でも恐い存在だった。

 その中でも、夏凛以外の四大派閥のトップは、格別に恐い存在だった。


 荒井亮吾には、その威圧感も含めて終始震え上がるほどの恐さを感じた。


 鬼頭朱久里には、油断したら策に嵌められそうな、他の不良とは別種の恐さを感じた。


 実力的には四大派閥の頭に等しい鬼頭蒼絃には、抜き身の刃のような恐さを感じた。


 けれど斑鳩獅音には、恐さらしい恐さを感じなかった。

 斑鳩のケンカを目の当たりにして確かに自分は戦慄を覚えたが、それは彼の戦いケンカぶりが恐いと思って覚えたものではなく、凄いと思って覚えたものだった。


 同じように恐さを感じないアリスや服部といった不良が慕うのも頷けるような、つい頼りにしたくなるような、まさしく良い先輩だと思えるような魅力が、斑鳩にはあった。


 だけど、


「正直、相手にしてるとほんっと疲れるからな。だから良いセンパイは良いセンパイでも、ギリ良いセンパイだ」


 夏凛の言うとおり、本当にギリギリ良い先輩だと思った史季は、同意を込めて何度も頷き返した。



 ◇ ◇ ◇



『それじゃあ、また明日。夏凛』

『ああ、またな。史季』


 最早甘い雰囲気もへったくれもなくなった史季と夏凛が別れる中、千秋と冬華はカラオケルームのテーブルに突っ伏するようにして項垂れていた。


「なんで斑鳩パイセンがあんなおいしいタイミングで出てくんだよ……!」

「ほんっとにね~。あのまま、しーくんが悪い子たちを追い払ってたら、それこそもっと良い雰囲気になってたかもしれないのに~」

「それってつまり夏凛先輩と史季先輩が斑鳩先輩のラブホテルに行くってことですか!?」


 という春乃の頓珍漢とんちんかんな発言にツッコむ気力すら失せていた千秋と冬華は、ただただ項垂れるばかりだった。


「……ウチらも帰るか」

「……そうね~」


 もう何もかもがどうでもよくなったような、投げやり気味な言葉を交わした直後、


「あっ!!」


 突然春乃が大声を上げたものだから、千秋のみならず、冬華までもがビクリと驚いてしまう。


「ん、んだよデケぇ声出して」

「な、なにか忘れ物でも思い出したの~?」

「いえ……わたしの忘れ物ではないんですけど……」


 視線を向けられ、千秋は片眉を上げる。


「ウチ、別に忘れもんなんてしてねぇぞ」

「忘れ物というよりは、になるんですけど……」


 春乃の言葉を聞いて、冬華は「あ」と声を漏らす。


「そういえばちーちゃん、しーくんの紙袋に仕掛けた予備のスマホ、どうやって回収するつもりなの?」


 回収について全く何も考えてなかった千秋の口からも、「あ」と声が漏れる。


「いや、まぁ、芋ジャージ見せてもらった時に、うっかり混じっちまったわテヘペロってやったら、まぁ……なんとかなるだろ」


 とは言っているものの、目を泳がせてダラダラと冷汗を垂らす千秋の有り様は、この場にいる誰よりもなんとかならないと思っていることを、言葉以上に雄弁に語っていた。


 そして翌日――


 なんとかならないと思っていた言い訳を、史季が素直に信じた上でスマホを返してくれたことに、千秋のみならず共犯の冬華までもが心を痛めたのであった。

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