第10話 一難去ってまた一難?
地上階まで戻った史季たちは、何食わぬ顔でビジネスホテルの外に出る。
このままビジホの前で
その公園が、史季が初めて川藤を相手にケンカした後、春乃とともに夏凛に連れられて来た場所であることはさておき。
「ななななんで獅音兄までいるんすか!?」
斑鳩がベンチにふんぞり返るようにして座って待ち構えていたことに、アリスは素っ頓狂な声を上げた。
まさかの斑鳩の登場に史季たちも少なからず驚く中、小日向派においては唯一動じていなかった冬華が服部に訊ねる。
「あら、しょーさん。結局斑鳩先輩にも連絡したの?」
「ああ。アリス絡みのトラブルとなると、あいつの耳にも入れといた方がいいと思ってな。今くらいの時間、あいつがやってるバイトっつったら
そう言って、上が赤、下が黒のランニングウェアを着ている斑鳩の隣に置いてある、四角いバッグを指でさした。
そこからさらに公園の入口付近に視線を移せば、斑鳩のものと思しき
ここまで確認できれば、最早言に及ばない。
服部の言う
そんなアルバイト真っ最中な格好をした斑鳩は、ベンチにふんぞり返ったままアリスの疑問に答える。
「なんでオレがこんなところにいるかだぁ? んなもんオマエがまたアホやらかしたって、翔が教えてくれたからに決まってんだろ、五所川原」
「アホやらかしたってなんすか!? てゆうか、ぼくのことはそのかわいくない名前で呼ぶなっていつも言ってるじゃないっすか!」
「わかったわかった。で、今度はいったい何やらかしたんだ、五所川原?」
「だから、ア! リ! ス! って呼んでって言ってるじゃないっすかっ!」
ムキーっと顔を真っ赤にして抗議するアリスを、斑鳩が軽くあしらう。
一目見ただけで二人の関係性が理解できる、そんな一幕だった。
「で、マジな話なにやらかしたんだ? 素直に全部吐けば、お尻ペンペンくらいで許してやんぞ」
「お尻ペンペンとか下手な罰ゲームよりも嫌なんすけど!?」
悲鳴じみた声を上げるアリスをよそに、史季はおずおずと手を上げながら斑鳩に話しかける。
「何があったのかは、僕の方から話していいですか? ちょっと、どこまで話していいか小日向さんたちに確認しておきたいことがあるので」
「ああ。別に構わね――」
「確認って……ああ、体育館の舞台裏の扉のことっすか?」
何も考えていないことがよくわかるアリスの発言に、同じく何も考えていない春乃以外の全員が凍りつく。
そのくせ、史季が夏凛たちに確認しようとしていたこと――予備品室絡みの話だということは
いち早く凍結が解除された斑鳩はベンチから立ち上がり、アリスの右頭頂部をむんずと掴む。
その動きに呼応するように、服部がアリスの左頭頂部をむんずと掴む。
そして、
「あのな五所川原、いつも言ってっけど……」
「思ったことをそのまま口に出すのは、頼むからマジでやめてくれ」
二人はピッタリと息合わせて、左右からアリスの頭をワシャワシャワシャワシャと撫でくり回した。
「ぎゃ~~~~っ!! セットが乱れる~~~~っ!!」
というアリスの悲鳴をBGMに、大体察した夏凛が同情混じりに史季に訊ねる。
「要は、あのアリスってのに予備品室のことがバレて、それをネタに
「うん……ごめん」
「謝んな謝んな。さすがにそれはしょうがねーわ」
「でも、小日向さんたちとの約束を反故にしたのは事実だから……」
「それも気にしなくていいって。あたしはどっちかっつうと、史季が
なぜか、夏凛の言葉が中途半端に途切れる。
なぜか、夏凛の頬に朱が差し込んでいく。
(もしかして小日向さん……今、僕とアリスちゃんがデートしてたわけじゃないってことがわかって「ホッとした」って言おうとした?)
いや、まさか、そんな――と、都合の良い解釈が次々と脳裏に浮かびそうになるも、
(いやいや、ないない。絶対にそんな意味じゃない)
恋愛に関しても草食動物全開な性根が、浮かびかけた解釈を根こそぎ否定した。
こと恋愛に関しては肉食動物全開な冬華が、史季の表情を見ただけで全てを察して深々とため息をつく中、ようやく「ホッと」から繋がる言葉が思いついた夏凛が言葉をつぐ。
「ホ、ホッとけねーなーって思ってな」
「ホ、ホッとけないか。う、うん、普通はそう思うよね」
無理矢理乗っかった史季も、夏凛がいったい何を言っているのかも、自分がいったい何を言っているのかも、さっぱり理解できなかった。
そんな二人のやり取りに、千秋は意味深かつ呆れきったため息をついてから、会話に交ざってくる。
「つうか強請られてたってことは、折節が体育館の舞台裏に行くとこをアリスに見られてたってことだよな?」
「え? まあ、そうなるけど……」
「なんつうか、そこがしっくりこねぇんだよな。ウチらの中じゃ一番人目を盗んで行動することに慣れてるくせに一番慎重な折節が、あんなやかましい小娘に舞台裏の扉を見られるようなポカをやらかすとは思えねぇんだよ」
「って、誰がやかましい小娘っす――あぷっ!?」
髪の毛をグチャグチャに撫でくり回されながらも抗議するアリスを、斑鳩と服部が息を合わせて押さえつける。
「それについては、オレらの方から謝らせてもらうわ。コイツときたら、オレと翔がどっか行く
「いつの間にやら、アリスの尾行技術が無駄に磨かれちまってなァ。将来は探偵かストーカーになりそうだって、おいらたちも心配してんだよ」
「って、誰がストーカーっすか!?」
ある種、小日向派に通じるものがあるやかましいやり取りに、史季はおろか、夏凛たちまでも苦笑してしまう。
春乃だけは、当然のように頭に〝苦〟がつかない笑顔を浮かべているのは言うまでもなかった。
結局アリスに、予備品室に通じる舞台裏の扉についてバラされてしまったので、隠しても仕方ないと思った史季は夏凛たちの同意を得てから、地下闘技場に出場した経緯を洗いざらい話した。
そして、全てを聞いた斑鳩は、
「ほうほう、つまりオマエはオレの誕プレの軍資金を稼ぐために、折節脅して出場させたってわけか」
「ちょっと待って獅音兄……な~んでそんな笑顔なんすか?」
「なぁに、これから公衆の面前でお尻ペンペンするのは見た目的にやべえから、オレの爽やかな笑顔で
「いやそれ絶対誤魔化せないと思――ぎにゃ~~~~~~~~~~っ!?」
斑鳩に、尻が前に出る形で小脇に抱えられたアリスが、かつてこの公園で自分の目に消毒液を噴出させた春乃と似たような悲鳴を上げる。
「まままままままま待って!
「
無慈悲な言葉に、アリスの顔からサーッと血の気が引いたのも束の間、
「ひぎゃっ!?」
ペチンッと小気味良い音を鳴らして、斑鳩はアリスのお尻を平手打ちにした。
お尻ペンペンなので当然その一発だけでは終わらず、何回も何回もアリスのお尻を平手打ちにする。
「いだっ!? ぎにゃっ!? ごめんなざいっ!! ごべんばざいっ!!」
泣いて謝るアリスの尻を容赦なく
斑鳩にとってアリスの存在が、本当にただの妹分でしかないことを。
しかも、妹は妹でもだいたい小学生くらいの。
アリスは斑鳩に一人の女性として見てもらいたがっている一方で、斑鳩のかわいいかわいい妹分を自称している。
そこから鑑みるに、斑鳩の妹分というポジションそのものは気に入っているようだが、だからといって本当にただの妹分として扱われるのは本意ではないはず。
なのに斑鳩から受ける扱いが妹分(お子様)なものだから、彼女には今日一日振り回されっぱなしだったことを差し引いても、同情せずにはいられなかった。
「うーん……まー……さすがにこりゃ、あたしらまでお仕置きする必要はなさそうだな」
どうやら同情しているのは史季だけではないようで、夏凛の言葉に同意するように、千秋が苦笑まじりに首肯する。
「折節が地下格闘技に出場してるとこ見た時は、どうしてくれようかって思ったけど……なんかウチまで段々アイツのことが可哀想に思えてきたぞ」
そんな会話が聞こえていたのかいなかったのか。
斑鳩はお尻ペンペンをやめて、ゆっくりとアリスをベンチの上に下ろす。
アリスはそのままベンチに横たわり、「えぐ……えぐ……」と嗚咽を漏らしていたが、
「思ったとおり、アリスちゃんは良い声で鳴くわね~」
冬華の
さすがに妹分がそんな目で見られるのは看過できなかったのか、服部は冬華に自制を求める。
「冬華ちゃん。あいつは見てのとおりのお子様だから、できればそういう目で見るのはやめてやってくれねェか?」
真剣な表情で面と向かって言われては、さしもの冬華も引き下がるほかなく、「わかったわ~」と残念そうに言いながら聞き入れるも、
「その代わりと言っちゃなんだが、おいらならいくらでも鳴かせてオーケーだから、いくらでもケツをぶっ叩いてくれて構――わふぅッ!?」
いつも自分が夏凛や千秋にされているのと同じように、冬華は容赦の欠片もない
その一方で、
「どうしよう……夏凛先輩……千秋先輩……お尻叩かれてるアリスちゃん見てたら……なんか興奮してきた……」
「おい、なんか春乃がやべー扉開いちまったみてーだぞ!?」
「春乃!
「先輩、そっち側って叩く方ですか? それとも叩かれる方ですか?」
「「両方だっ!!」」
色んな意味で道を外そうになっている春乃を、夏凛と千秋が必死の形相で引き止めていた。
泣いていたはずのアリスがドン引きするほどに
「あ~あ、もう無茶苦茶だな」
「それ、斑鳩先輩が言います?」
「そりゃもう。なんてたって、わりぃのは全部五所川原だからな。五所川原が余計なことしなかったら、オレだって
危険を冒してとか言っている割りには、斑鳩の頬にはイタズラ小僧じみた笑みが浮かんでいた。
しかし、その笑みもすぐに消え、先程までよりも真剣な声音で史季に謝罪する。
「わりぃな、折節。ウチの
その物言いがあまりにも真摯だったことに少しだけ面を食らいながらも、史季はかぶりを振る。
「い、いえ……たぶんアリスちゃんも、悪気があって僕を地下格闘技場に連れて行ったわけじゃないと思いますし……」
「おいおい、大概にお人好しだなオマエ。金欲しさに他人に地下格闘技やらせるなんざ、悪気しかねえだろ」
どこまでもアリスに辛辣な斑鳩に、史季は「ははは……」と笑って返すことしかできなかった。
「まあ、今日のところはオマエも疲れてるだろうし、オレもこの後別のバイトがあるから、ケンカに誘うのはまた今度にするわ」
「いや今度でも勘弁してほしいんですけど!?」
悲鳴じみた史季の声を聞いているのかいないのか、斑鳩はいまだドン引きしているアリスが座るベンチへ向かい、そこに置いていたデリバリーバッグを担ぎながら彼女に話しかける。
「おい、
斑鳩にちゃんと名前で呼んでもらえた事が嬉しいのか、アリスの顔に笑顔の花が咲きかけるも、先程散々お尻ペンペンされたことが尾を引いているのか、すぐに不機嫌そうに口を尖らせ、微妙に棘のある物言いで返す。
「な~んすか、獅音兄」
「久しぶりに、オマエがつくったケーキが食いたくなってな。つうわけだから、オレの誕生日に腕によりをかけてご馳走しやがれ」
アリスがケーキをつくれることが、失礼だと思いながらも意外に思う史季を尻目に、アリスは目をパチクリさせながら訊ねる。
「べ、別に構わないっすけど……いいんすか? そんなのが誕生日プレゼントで」
「ば~か」
斑鳩はアリスの頭にポンと掌を乗せると、先程のような髪のセットをかき乱す撫で方ではなく、優しい手つきで彼女の頭を撫でた。
「そんなのだからいいんだよ」
途端、アリスの顔が恋する乙女のそれに変わる。
恋愛ごとに疎い史季でも、「あ、この人モテる人だ」と一発で理解できる言動だった。
もっとも彼の場合、どれだけ顔が良くても、どれだけモテる言動ができても、渾名になっている〝マインスイーパー〟が全てを台無しにしてしまうわけだが。
斑鳩はアリスの頭から手を離すと、いい加減混沌が収束しつつある夏凛たちに向かって謝る。
「小日向ちゃんたちもわりぃな。休みだってのに面倒事に巻き込んじまって」
「それを言ったら、斑鳩センパイと服部センパイも大概に巻き込まれた側だろ」
「迷惑かけたのが身内も身内だからな。巻き込んだ側ってことにしといてくれ。翔も、そういうことで構わねえだろ?」
言いながら、冬華にスパンキングされて微妙に恍惚な表情をしていた服部を見やる。
「ああ。おいらとしちゃ、冬華ちゃんに頼ってもらえてプラスなくらいだしな」
「な~んて未練をちらつかせるような真似をする人はモテないわよ~、しょーさ~ん」
いつもどおりの笑顔で辛辣な言葉を投げつける、冬華。
痛いところに直撃したのか、服部は「ぐはっ」と目に見えない血を吐いた。
「そんじゃ、マジでバイトの時間がやばいからオレはもう行くわ。翔、五所川原のことちゃんと家まで送っとけよ」
「あ~~~~っ!! また
というアリスの抗議を無視して、服部が応じる。
「わかってるわかってる。ちゃんと家まで送ってやらねぇと、また何しでかすかわかったもんじゃねぇからな」
「翔兄は翔兄でひどくないっすか!?」
「ひでェのは、折節くん使って金稼ごうとしたお前さんだろうが。つうわけだからほら、帰るぞ」
服部はむんずとアリスの襟首を掴むと、そのままズルズルと引きずって退散していく。
その頃にはもう斑鳩は公園の入口付近に置いていた
「あ、待っ、引っ張らないで翔兄~~~~っ!」
「あぁ、そういやお前さん、まだ折節くんや冬華ちゃんたちに謝ってなかったよな。謝るなら公園出るまでに謝っとけよ」
「そこは引っ張るのやめて謝りに行かせる場面じゃないんすか!?」
という抗議には応じず、服部はなおもズルズルとアリスを引きずりながら指摘する。
「引っ張るのをやめたところでお前さん、素直に謝るなんてことできねェだろが。恨むなら、切羽詰まらねェとろくに謝ることもできねェ自分を恨むんだな」
「あ~もう! 折節先輩と小日向先輩と月池先輩と氷山先輩! 今日は本当にすみませんでした~~~~~っ!! でもっ!!」
アリスは服部に引きずられながらも、ズビシと春乃を指でさす。
「桃園春乃! あんたには絶対に謝らないっすからね! 今日のところは見逃してやるっすけど、次会った時は――」
「うん! また遊ぼうね、アリスちゃん!」
まさかの春乃の返答に、史季たちはおろか、服部さえも思わず噴き出してしまう。
一人笑っていないアリスが、金切り声でツッコみを入れた。
「またも何も、いつぼくがあんたと遊んだんすか~~~~~~~~~~っ!!」
そんな魂の叫びを最後に、アリスは服部に引きずられながら公園の外へと消えていった。
途端、公園内が一気に静まり返る。
「……なんつうか、嵐が過ぎ去った後みてぇだな」
千秋に言葉に誰も彼もが同意したように頷き、その嵐に今日一日振り回されっぱなしだった史季が「ははは……」と渇いた笑いを漏らす中、夏凛が
「にしても今日の史季、けっこうシャレた格好してんじゃん」
「ああ……実はこれ、
直後、夏凛の周囲の空気がピシっと固まる。
その手の感情には何かと疎い史季と、その手もへったくれもなく色々と疎い春乃は、夏凛の周囲の空気が音を立てて固まったことに気づいていなかったが、
「おい、冬華。こいつぁ……」
「お察しのとおりよ。しーくんってば、
しっかりと気づいていた千秋と冬華は小声で言葉を交わし、二人揃って「あちゃ~」と片手で頭を抱えた。
そんな仕草とは裏腹に、二つ目の嵐が到来したことに、内心ちょっとだけワクワクしながら。
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