第9話 火種

 突然の夏凛の登場に史季が目を白黒させていると、隙ありと言わんばかりに金髪がローキックを繰り出してくる。

 よけられないと判断した史季は、あえてローキックを受ける覚悟を固めると同時に、相討ち上等で金髪の軸足に右のローキックを叩き込んだ。


 鍛えているだけあって、さすがに一撃で膝を折ったりはしなかったが、覚悟の差に加えて威力の差があったせいか、金髪はたまらずといった風情でたたらを踏みながらも後退する。

 追撃の好機と言いたいところだが、ローキックをもろに受けたのはこちらも同じだった上に、レーザーポインターによる妨害も警戒する必要があったため深追いはしなかった。


 慎重な金髪が再び様子見し始めたことを確認したところで、史季は思考を巡らせる。


(今の一連の攻防の間、一度もレーザーポインターの妨害は受けなかった。ということは、小日向さんだけじゃなくて月池さんたちも……!)


 金髪を視界内に捉えたまま、微妙に立ち位置を変えながら視線を巡らせてみると、すでにもう移動して別の妨害者を鉄扇の一撃で気絶させている夏凛の姿を、スタンバトンで昏倒させている千秋の姿を、裸絞めで絞め落としている冬華の姿を、確認することができた。


 最後にアリスの方に視線を向けてみると、


「な、なんで翔兄がこんなところにいるんすか!?」

「お前さんがこんなところにいるからに決まってんだろ」


 Tシャツに革ジャン、ジーンズと、ロックファッションでばっちりキメている、ウニのように尖った金髪と、レンズの小さい丸サングラスがいやに目立つ男に詰め寄られ、タジタジになっているアリスの姿が見て取れた。


 アリスの声が甲高いおかげで、観客たちの野次が飛び交う状況にあってなおはっきりと聞こえた「翔兄」という言葉から察するに、この金髪グラサンの男が斑鳩派ナンバー2――服部翔と見て間違いないようだ。


 そしてアリスと服部の傍には、物珍しそうにキョロキョロと周囲を見回している春乃の姿もあった。


「わぁ……ホテルの地下にこんな場所があるなんて……」

「って、翔兄以上になんで桃園春乃がこんなところにいるんすか!?」

「ああっ、桃園ちゃん! 勝手においらの傍から離れないで! 桃園ちゃんに何かあったら、おいら小日向ちゃんたちに殺され――……いや、割りとアリか?」

「何言ってんすか翔兄!?」


 というやり取りは、さすがにはっきりとは史季の耳に届かなかったけれど、気の抜けるやり取りをしていることだけはなんとなく理解することができた。


 ケンカレッスンの約束を反故にしている手前、後が色々と恐いことはさておき。

 夏凛たちが妨害者たちをらしめてくれたおかげで、ここから先は何の気兼ねもなく目の前の相手に集中することができる。

 怒られるにしても無事にこの試合を乗り切ってからだと頭を切り替えた史季は、一向に仕掛けてこない金髪を見据えた。


 途端、金髪が表情に怯えの色が混じる。

 ファイティングポーズをとる姿も、どこかぎこちない。

 どうやらまだ、ローキックのダメージが抜けきっていないようだ。


(それなら……!)


 史季は間合いを詰めると同時に、これ見よがしにローキックの動作モーションに入る。

 やはり先のローキックのダメージが尾を引いているらしく、金髪は逃げるようにして後ろに下がる。

 史季が思い描いた絵図どおりに動いているとも知らずに。


 初めからローキックをフェイントに使うつもりだった史季は、動作を中断してリングを踏みしめ、そこから全力で踏み込むことで一気に肉薄。

 瞠目する金髪の右頬目がけてパンチを繰り出す。


 キックに比べて凡庸なパンチを、利き腕とは逆の左で放ったせいか、金髪の右頬に届く前に手でいなパリングされてしまう。が、それもまた、史季が思い描いた絵図どおりの展開だった。


 金髪の意識が〝上〟に向いた瞬間、ここぞとばかりに右のローキックを叩き込む。

 

「ぐぁ……ッ!?」


 先と同じところを蹴られた金髪は、苦悶を吐き出しながらもかろうじて踏み止まる。

 しかし、本当に〝かろうじて〟だったせいで、踏み止まる以外の行動に移る余裕は金髪にはなかった。


 続けて放った右のハイキックが、無防備を晒す金髪の側頭部を捉える。

 防御も回避もできなかった金髪は、リングに吸い込まれるようにして倒れ伏した。


 完全に決着を迎えたところで、史季はリング外にいる審判に視線を向ける。

 やはりというべきか、審判は露骨に視線を逸らすだけで、史季の勝利を宣言しようとする素振りすら見せなかった。


 この地下格闘技場に集まっている観客の多くは、見るからに血の気の多そうな人間ばかりだ。

 おまけに金が絡んでいるとなると、沸点の低さは普段の比ではないだろう。

 事実、いつまで経っても審判が勝ち名乗りを上げないことに観客は苛立ちを募らせ、ざわつきとともに嫌な空気が地下のフロアに拡がりつつある。


 このままでは暴動が起きてしまうかもしれない――と、ここまで思考を巡らせたところで、はたと気づく。


(まさか運営は、あえて暴動を起こして賭けを有耶無耶うやむやにするつも――)



「っざけんじゃねえぞゴラァッ!!」



 史季の思考はおろか、観客たちのざわつきすらも吹き飛ばすほどの激しい怒号が、フロア中に響き渡る。


「誰がどう見たって青の勝ちだろうがッ!! おい審判ッ!! さっさと青が勝ったって宣言しやがれッ!!」


 数瞬フロア全体が、しん……と静まり返るも、


「青の勝利なんて宣言しなくていいぞ審判ッ!! なんだったら、この試合無効にしてくれたっていいぞッ!! そしたら俺も損せずに済むしなぁッ!!」


 赤、つまりは金髪に賭けていたと思われる観客が、無茶苦茶なことを言い始める。

 必然、怒号を上げた男の口からさらなる怒号が上がる。


「今ふざけたこと言った奴ぁ誰だッ!? ぶっ殺してやるッ!!」


「やれるものならやってみろよッ!! こっちまで来れるんならなッ!!」


 金髪に賭けていたと思われる観客が挑発を返しながらも、怒号を上げた男に向かって、缶コーヒーを放り投げる。

 そんなことをしたら、宙を舞う缶の飲み口からコーヒーがばらまかれるのは自明の理であり、コーヒーがかかった他の観客がブチ切れることも、関係のない観客に缶が当たってそいつがブチ切れることも、何もかもが自明の理だった。


 ブチ切れた観客がケンカをし始め、人が密集しているがゆえに必然的に巻き込まれた観客がまたブチ切れてケンカをし始め……瞬く間に暴動に発展していく。


(やっぱりだ! だとしたら、さっき怒鳴っていた人たちは――)


「お察しのとおり、ありゃ運営が仕込んだ〝火種〟だな」


 例によって、考えていたことが顔に出ていたことはさておき。

 横合いから聞き慣れない男の声が聞こえてきて、おそらくはだろうと思いながらも、史季は声が聞こえた方を見やる。

 視線の先――リングサイドには案の定、春乃とアリスを引き連れた服部の姿があった。


「一応自己紹介しとくと、おいらはこいつの保護者の服部ってもんだ」


 言いながら、傍にいたアリスの頭をワシャワシャと撫でる。


「だぁれが保護者っすか! てゆうか、セットが乱れるからやめてぇ~~~っ!」


 悲鳴じみた声で抗議するアリスを無視してワシャワシャし続けながら、服部は訊ねる。


「折節くん、荷物はアリスこいつに預けてる分で全部か?」


 質問の意味がわからず「は、はい……」と返すと、


「なら、さっさと退散すんぞ。こっちから大人しく引き下がりゃ、運営もこれ以上の無茶苦茶はやってこねぇだろうしな」

「はあぁっ!? 待ってよ翔兄っ!! 今尻尾巻いたら、ぼくが儲けた……え~と……ん~と……何十万! 何十万がパァになるじゃないっすかっ!!」

「何十万って……そんなバカみてぇな賭け方してるバカがいたら、そりゃ運営も暴動起こしてでも賭けをなかったことにしようとするわ」

「え? 賭けをなかったことにって……そ、それじゃあぼくの何十万は?」

「なかったことになるに決まってんだろ。まぁ、アプリのウォレットに、元金くらいは戻ってくるかもしれねぇけどな」

「そんな~……」


 ガックリと項垂れる、アリス。

 そんな二人のやり取りを見て、史季は思う。

 地下格闘技場の運営が、賭けのためにわざわざ専用のアプリをつくったのは、人を介さずに賭け金を返す仕組みをつくることで、のではないか、と。


「あ! 夏凛せんぱ~い! こっちで~す!」


 難しい顔をしている史季とは対照的に、春乃は難しさの欠片もない明るい笑顔で、夏凛に向かって手を振る。

 手を振り返しながらも、暴動が起きている場所を避けてこちらに向かってくる夏凛に、史季も手を振り返したいところだったけれど。

 やはりケンカレッスンをやる約束を反故したことが後ろめたくて、中途半端に手を持ち上げたまま夏凛から目を逸らしてしまう。


「よし。冬華ちゃんと月池ちゃんもこっちに来てんな。全員集まり次第、さっさとズラかんぞ」


 という服部の言葉どおり、夏凛たちと合流し次第、史季は皆と一緒に地下格闘技場を後にしたのであった。



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 本日、ファンタジア文庫より書籍版が発売されマシタので、そちらの方もよろしくしていただけると幸甚の至りデース。


 特設サイトURL(https://fantasiabunko.jp/special/202305fightinggyaru/)

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