第32話 激闘

 史季は、木刀で殴打された右側頭部の痛みに顔をしかめながらも、蒼絃あおいの猛攻を凌いでいた。


(まさか蹴ってくるなんて……!)


 心の中で呻きながらも、袈裟懸けに振り下ろされた木刀を飛び下がってかわす。


 他の不良がやっているようなケンカ剣法ならば、史季もキックが飛んでくることを警戒していただろう。

 蒼絃の剣技があまりにも本格的すぎたせいもあって、史季は無意識の内に「キックはない」という先入観を持ってしまい、見事にその先入観スキを突かれてしまった。


「ふ……ッ」


 飛び下がった史季に追いすがるようにして、蒼絃は眉間目がけて刺突を放つ。

 史季はそれを、すんでのところで首を横に傾けてかわすも、またしてもその攻撃が右手一本で放たれたものであることに気づき、瞠目する。

 次の瞬間、蒼絃が放った左ストレートが額に直撃し、盛大に仰け反ってしまう。


 その一撃は、史季がこれまでに殴られた中でもトップクラスの威力だったが、


(荒井先輩に比べたら……!)


 ここぞとばかりにローキックで反撃し、初めてのダメージに蒼絃の表情がわずかに歪む。

 この好機を逃したくなかった史季は、すぐさまハイキックを繰り出そうとするも、


「!?」


 蒼絃が蹴られたばかりの左脚で前蹴りで反撃してきたことに、史季は再び瞠目する。

 全く予期していなかった上に、ハイキックの体勢に入っていたため、防御も回避もできずに土手っ腹を蹴られてしまい、後ずさりながらもなんとか踏み止まる。

 蒼絃は蒼絃でローキックのダメージが残っているのか、追撃を仕掛けてくることはなかった。


 結果、互いの間合いから外れ、仕切り直しになる。

 ここまで休みなく攻防を繰り広げていたせいか、史季も蒼絃もすぐには仕掛けるような真似はせず、呼吸を整えることに専念する。


(動きが物凄く剣道っぽいから騙されたけど、結局のところ、鬼頭くんがやってることはケンカ剣法だ)


 呼吸を整えながら、心の中で断言する。


 素人目でもわかるほどに練度の高い剣技を見せつけることで、ケンカ剣法ではないと相手に思い込ませたところをパンチやキックで不意を突き、とどめを刺す。

 仕留めきれなかったとしても、そのまま基本戦法として運用する。

 これもまた、理想的な初見殺しの一つだろうと史季は思う。


(しかも鬼頭くん、剣道以外もしっかり嗜んでる感じだよね?)


 殴り方にしろ蹴り方にしろ、剣技と同様、素人目でもわかるほどの練度の高さが見て取れた。

 たとえ徒手であったとしても、蒼絃が強敵だという事実が変わることはないだろう。


 四日前、朱久里と取引した際に、甘い見立てであることを承知した上で、たいした怪我もなく賞金首を務めきることができたらと思っていたけど、本当に見立てが甘すぎたことを痛感する。


(だったら、で……!)


 覚悟を決めた史季は、初見殺しを確実に決めるためにも、蒼絃の方から仕掛けてくるのを待つことにする。


 こちらの様子を見て何かを感じ取ったのか、蒼絃は正眼に構えていた木刀をゆっくりと持ち上げ、上段に構える。


 束の間、静寂が場を支配する。


 二人のケンカをカメラで撮っていた小林が、固唾を呑み込んだ瞬間――



 蒼絃が激烈な踏み込みとともに、史季の脳天目がけて両手で木刀を振り下ろし、



 ほとんど同時に、史季は右のハイキックを繰り出した。



 然う。

 史季が狙っていたのは、荒井が得意とする相討ち上等の初見殺し。

 夏凛には「下の下」と言われていたが、史季の手札の中で蒼絃に通じそうな初見殺しは相討ちこれしかなかった。


 あとはこちらが、木刀の一撃を耐えられるかどうかの勝負――そんな史季の思惑は、蒼絃の尋常ならざる才能センスによって破られることになる。


 蒼絃は、相討ち上等でハイキックを繰り出してくる史季に瞠目しながらも、木刀を振り下ろしていた左手を離し、肘を曲げた腕を左側頭部に密着させることで、迫り来るハイキックを防御する。と同時に、右手はそのまま木刀を振り下ろし、史季の脳天を強打した。


 結果、片手打ちになったとはいえ、木刀の一撃をまともにくらった史季は片膝を突いてしまい、ギリギリのところで防御が間に合った蒼絃は蹴られた方向にふらつきながらも、なんとか踏み止まった。


 まさかこのような形で相討ち戦法が不発に終わるとは思わなかった史季は、脳天を打たれたダメージもあってか、すぐには体が動いてくれなかった。


 一方蒼絃は、防御が間に合ったおかげですぐさま体勢を立て直し、右手一本で大上段に構えると、


「これで決めさせてもらうよ!」


 無防備を晒す史季の脳天目がけて、容赦なく木刀を振り下ろした。



 ◇ ◇ ◇



 先程打ち込んだところと寸分違うことなく、史季の脳天を木刀で強打した蒼絃は、右手に伝わる確かな手応えとともに勝利を確信する。


 蹴りを交えた初見殺しから、史季の右側頭部に木刀を叩き込んだ時は、〝芯〟を外された感触があった。

 刺突をかわした隙を突いて左ストレートをお見舞いした際、本当ならば鼻を潰していたところなのに打点をズラされ、額で受けられてしまった。


 しかし先程の二撃は、確実に〝芯〟をとらえた手応えがあった。

 この手応えを覚えた時、蒼絃の前で立っていられた不良あいては一人もいない。

 だからこそ蒼絃は、今この瞬間の勝利を微塵も疑わなかった。

 むしろやり過ぎたとさえ思っていた。


「小林クン」


 蒼絃と史季のケンカを撮影していた派閥メンバーに話しかけながら、倒れ伏す史季に背を向ける。


「早急に折節クンを下まで運ぼう。少々やり過ぎてしまっ――」

「蒼絃くんッ!!」


 突然小林が逼迫した声を上げる。

 まさかと思って振り返ると、そこには、



 ゆっくりと立ち上がる、折節史季の姿があった。



 馬鹿な。

 立ち上がれるはずはない。

 そんな疑問は、頭から血を流しながらもいささかも戦意を陰らせていない史季と目が合った瞬間、霧散した。


 ぞわり――と背筋に悪寒が走り、半ば反射的に飛び下がる。

 押せば倒れそうな有り様の史季を前にして。


 史季のハイキックを防御した左腕がいまだ痺れているため、両手で木刀を握れないという理由もある。

 だがそれ以上に、折節史季という男に言い知れぬ脅威を感じたからこそ、相手が死に体に等しい状態であるにもかかわらず、距離を離してしまったのだ。


(今まで倒してきた連中が相手だったら、これ以上やったら殺してしまうかもしれないって思うところだけど……)


 なぜかはわからないが、どれだけ木刀で殴りつけても、史季が立ち上がってくる気がしてならなかった。


(意識してやってるかどうかは微妙なところだけど、折節クンは攻撃の〝芯〟を外すのが上手い。意識を刈り取るなら、打撃よりも絞め技の方が確実か……)


 小林が持っているカメラを、横目で一瞥する。

 このケンカが斑鳩に観られている以上、これ以上手札を見せるのは得策ではないかもしれない。


 しかし、


(出し惜しみして負けることほどダサい話もないしね。切札と呼ぶにはスマートさに欠ける手札だけど、切らせてもらうとしよう)


 史季に視線を固定したまま、握っては開くを繰り返して、左手の痺れがとれていることを確認する。

 十全とまではいかないが、ケンカを続ける分には問題ないと判断した蒼絃は、両手で木刀を握り直し、正眼に構える。

〝次〟で決める――そんな気概を迸らせて。



 ◇ ◇ ◇



 木刀で殴られた頭がガンガンする。

 その痛みのせいか、いやに意識が冴えてしまい、その分明瞭に痛みを感じてしまうものだから、終わりのない拷問にでもかけられているような気分だった。

 額や頬に、汗のように垂れてくる液体を拭った手の甲には、常時ならば卒倒したくなるような赤色が付着していた。


 あのまま倒れていた方が楽だってことはわかっている。

 立ち上がらなければ余計な怪我を負わずに済むし、先程蒼絃が小林に言おうとしていたことを鑑みると、すぐに下まで運んでもらえた上で、応急処置を受けられたこともわかっている。

 立ち上がること自体が、賢い選択だとは言えないこともわかっている。


 だけど、


(たぶんだけど、負けた姿を見せる方が、小日向さんにもっと心配をかけると思うから……)


 勝とうが負けようが、頭から血を流している姿を見られたら、心配されることはわかりきっている。

 けれど、勝つことで夏凛の心配が少しでも軽くすることができるなら、絶対にそっちの方が良いと史季は思う。


 余計な怪我を負ってしまった挙句に負けてしまう――かつての史季ならば真っ先に思い浮かべていた可能性を一顧だにしない時点で、自分で思っている以上にことにも気づかずに。


(初見で相討ち狙いに対応してきた鬼頭くんに、同じ手が通じるとは思えない。だけど、まともにやり合ったらジリ貧になるのが目に見えている……)


 だとしたら、残る手は一つ。

 こういう時のために練習を重ねてきた、左脚のキックによる初見殺し。

 これしかない――が、問題もある。


 これまでの攻防で、史季がキックを繰り出せたのはたったの二回。

 片や攻撃をくらった直後に、片や相討ち狙いで繰り出したものなので、まともに繰り出せたとは言い難い。

 そんな相手から、果たして左脚のキックを繰り出せるだけの隙を見出すことができるだろうか?


 そんな疑問が脳裏に浮かんだところで、ふと気づく。

 どこがどうとは言えないが、なんとなく、心なしか、相対している蒼絃の雰囲気が先程までとは変わっていることに。


(これってもしかして、鬼頭くんは〝次〟で決めるつもりなんじゃ……)


 ならば、くるかもしれない。

 奥の手となる〝何か〟が。

 その〝何か〟が初見殺しに類するものであることは、想像に難くない。


(小日向さんは言っていた。見切られないと思い込んでいる初見殺しを見切られた場合、その人はアホほど隙を晒すことになるって)


 蒼絃ほどの強者ならば、自分の初見殺しが見切られるわけがないなどと思い込んだりはしないだろうが、


(もし本当に鬼頭くんが奥の手を使ってきて、見切ることができたら、反撃する隙くらいは見出せるはず!)


 勝ち筋を見出すことができた。

 あとは実行に移すだけ。

 そんな覚悟が顔に出てしまったのか、蒼絃の表情がわずかに強張る。

 場の空気が、加速度的に張り詰めていく。



 ◇ ◇ ◇



 史季の表情が覚悟に充ち満ちていく様を見て、再び蒼絃の背筋に悪寒が走る。


 感じているのは恐怖か、それとも脅威か。

 いずれにせよ滅多に味わうことがない感覚に、蒼絃は胸が躍った。


(いいね。同年代が相手だとこうはならない。本当に、この学園に来てよかったと思うよ)


 だからこそ、この学園のトップを獲りたい。


 心の底からそう思った蒼絃は、正眼に構えていた左手と右手を円を描くようにして捻り、その勢いを乗せて木刀を手放すことで、史季の頭に目がけて投擲とうてきする。

 特殊な技法によって投げられた木刀が、手裏剣のように回転しながら空を斬り裂く中、蒼絃は身を沈めて床を蹴り、史季の両脚をとりにいく。


 木刀の投擲で不意を突き、レスリングのタックルで両脚をとって寝技に持ち込み、柔道の絞め技で意識を絶つ。

 これこそが蒼絃が描いた勝利への道筋であり、正眼の構えからわずかな動作モーションで木刀を投擲する技こそが、〝スマートさに欠ける〟蒼絃の切札だった。


 しかし――


 史季が様を見て、蒼絃の心胆が瞬く間に凍りついていく。


 木刀があくまでも布石にすぎないことを読まれた?――などと思考するはなかった。

 不意を突くことに失敗した以上、このままタックルを仕掛けたら、あの強烈なキックをカウンターでくらうことになるのは必至。

 かといって、タックルの勢いを止めることはできず、回避が間に合うような状況ではないので、即座に左側の防御を固める。


 史季に返り討ちにされた不良たちの間で、彼が右脚でしかキックが打てないという噂が流れていることは蒼絃も耳にしている。

 そして実際にケンカをしてみて、その噂が真実だと確信した。

 だからこそ、躊躇なく左側の防御を固めたわけだが――だからこそ、瞠目せずにはいられなかった。


 史季が今まさに、キックを繰り出そうとしていたから。


 まずいと思った時にはもう、ローキック気味に放たれた相手の左脚が、こちらの右側頭部を捉えていた。


 次の瞬間――


 激烈な衝撃とともに、蒼絃の視界は暗転した。

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