第33話 困惑

「嘘だろ……」


 撮影役の小林が呆然と呟く中、史季は肩で息をしながらも、倒れ伏す蒼絃を油断なく見下ろす。


 手応えとしては完璧だったが、これで決まったかどうかは確信が持てない。

 不良ならば、このタイミングで追い打ちをかけることが正解なのかもしれないが、不良ではない史季は、倒れている相手に追い打ちをかけるのはどうしても気が咎めてしまう。

 なので、武道の世界における残心さながらに、蒼絃が立ち上がってきた場合に備えて臨戦態勢を維持していた。

 心の中では、今ので決まらなかったらどうしようとビクビクしながら。


 一〇秒、二〇秒と時が過ぎ、ここまできたらさすがにもう起き上がってこないだろうと、息をついたところで、


「…………ッ!?」


 突然、蒼絃が勢いよく上体を起こし、史季はビクリと震えてしまう。

 痛むのか、蹴られた右側頭部を手で押さえながらも史季と小林に視線を巡らせ……舌打ちする。


「……小林クン。?」


 まさかの質問に驚きを露わにしながらも、小林は答える。


「三〇秒も経ってなかったと思うッス」

「要するに、二〇秒かそこら気を失っていたというわけか……」


 蒼絃は悔しげな顔をしながら、深々と息をつく。


「そんなにも長く気を失ってしまった以上、負けを認めないわけにはいかないな」

「じゃ、じゃあ……」


 なんとなく恐れ多くて言葉がつげない史季に代わって、蒼絃が宣言する。


キミの勝ちだ。折節クン」


 頭についた言葉に矜持プライドを感じさせられることはさておき。


「よかった……」


 史季は心底安堵しながらも、尻餅をつくようにしてその場にへたり込んだ。

 そんな史季に、蒼絃は珍獣でも見るような視線を向ける。


「『やった』ではなく『よかった』か。つくづくおかしな人だね、折節クンは」

「いや、だって、あれ以上続けてたら、余計に怪我してたかもしれないし……」

「怪我の心配はしても、ボクに負ける心配はしていなかったということか。折節クンも、存外不良らしいところがあるじゃないか」

「えぇッ!?」


 と驚きながらも、言われてみれば木刀で頭を殴られたあたりから、自分が負けることを全く考えてなかったような気がしてきた史季は、ちょっとヘコみそうになる。

 史季自身、暴力に対抗できるだけの力を身につけることを望んでいるだけで、不良になることは一ミリも望んでいないので、「不良らしいところがある」と言われたことは不本意極まりなかった。


(……いや、でも、小日向さんたちみたいなら……)


 などと思いそうになったところで、頭が痛いにもかかわらず何度もかぶりを振って、余計な考えを振り払う。

 僕は一般生徒パンピー僕は一般生徒パンピー――と、自分に言い聞かせながら。


 とはいえ、固まってきているとはいっても出血するほどにまで木刀で強打され、挙句の果てにその木刀を投げつけられた頭を、何度も左右に振るのはよろしくなかったらしく、目眩めまいを覚えた史季は地面に手を突き、倒れそうになった上体を支えた。


「あまり派手に頭を動かさない方がいいよ。自分で言うのもなんだけど、木刀が二度キミの頭を捉えた時は、絶対に立ち上がってこないって確信できるほどの手応えがあったからね。それなのに立ち上がってきて、平然とまではいかないまでも今もこうして普通に話ができていることが、驚愕を通り越して呆れているくらいだけど」


 肩をすくめる蒼絃に、史季はなんとも言えない微妙な顔をしてしまう。

 おそらくは笑ってもいい場面なのだろうが、実際に木刀で頭を殴られた身としては笑うに笑えない。


「その手応えがあったから、なおさら大袈裟にかわすか守るかしてくれるだろうと思って、キミの頭を狙って木刀を投げたというのに……今後の参考のためにも是非とも確かめておきたいんだけど、最後の攻防において、折節クンはボクの狙いをどこまで読めていたんだい?」

「読めていたわけじゃないよ。ただ……投げてきた木刀に恐さがなかったというか……投げた直後の鬼頭くんの方が恐かったというか……」


 言ってしまえば「そう感じた」としか言いようのない話なので、返答はどうしてもしどろもどろになってしまう。

 タックルに反応できたのも、恐さの欠片も感じない木刀には目もくれずに、恐さしか感じない蒼絃を注視していたおかげに他ならなかった。


 こんな返答で納得してもらえるはずがない――と思っていたら、


「……なるほど。布石のつもりで木刀を投げたことを見透かされたというわけか。次からは、布石だけでも相手を殺す気概で投げるとしよう」


 勝手に良い感じに解釈してくれた。

 いやに物騒な改善案を付け加えて。


「ところで小林クン。姉さんたちの方はどうなったのかはわかるかい?」


 小林は、ゆっくりとかぶりを振る。


「今のところ、電話はおろかLINEすら入ってきてないッスね」


 そんな二人の会話を聞いて、蒼絃とのタイマンを始める前に下の方から聞こえてきた喧噪が、もうすっかり聞こえなくなっていることに史季は今さらながら気づく。

 気づいてしまったからこそ、夏凛たちのケンカがどうなったのか気になって仕方なくなった史季は、蒼絃たちに提案した。


「それなら、今すぐ下におりよう。その方が手っ取り早いだろうし」


 こちらから提案してくるとは思わなかったのか、蒼絃は意外そうな顔をしながらも同意する。


「確かにそのとおりだね。それに怪我だけを見れば、ボクよりも折節クンの方が余程重傷だ。応急処置を受けさせるという意味でも、早く下におりた方がいいかもしれない」


 怪我をさせた張本人が怪我の心配をしてくる。

 普通ならば不快感の一つや二つ覚えるところなのに、不快の「不」の字も湧いてこないことに史季は困惑する。

 

 実際にケンカをしたことで、蒼絃の〝本気〟を肌で感じたからだろうか?

 それとも夏凛のおかげで強くなれたことで、感情に変化が生じたのか?

 いずれにせよ、かつて経験したことがない感情の動きに、史季は困惑しきりだった。


「どうしたんだい? 下におりるよ、折節クン」

「え? あ、うん。今行く」


 と返したところで、ふと思う。

 よくよく考えたら、あれほどのケンカをした相手とこうして普通に話している時点で、状況そのものが普通ではないことに。

 たぶんきっとそのせいで感情の動きがおかしなことになっているのだろうと、棚上げに等しい結論を下したところで、史季は蒼絃たちに促されるがままに階下へと下りていった。

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