第29話 鬼剣

 渋々といった風情で、坂本たちとともに建物の外へ向かう春乃を見送った後、


「実を言うと、折節クンとやり合う場所はもう決めてるんだ」


 と言って階段を行く鬼頭蒼絃あおいの後に続く形で、史季も階段を上がっていく。

 こちらとは少し距離を離してついてくる、ハンディカメラを持った鬼頭派メンバーとともに。


「気になるかい? 折節クン」


 背中越しから訊ねてくる蒼絃に意味もなく気後れしながら、史季は曖昧に答える。


「それはまあ……」

「気が散るかもしれないけど、そこは勘弁してくれると助かる。あのカメラは、言ってしまえば斑鳩派に大人しくしてもらうための交換条件だからね」

「交換条件?」

「そうだよ。姉さんが言うには、鬼頭派の組織力をもってしても、斑鳩派にやりたい放題やられたら抑えきれないって話だからね。だから姉さんは斑鳩クンと交渉して、少なくとも一年最強決定戦が終わるまでの間は、折節クンに手を出さないようにしてもらったってわけさ」


 蒼絃は半顔だけを振り返らせ、言葉をつぐ。


「一年最強決定戦のライブ映像を見せることを条件にね」

「そういうことか……」


 得心したところで、ふと気づく。


「でも、ということは、それ以降はまた僕、斑鳩派に狙われることになるんじゃ……」

「その心配もいらないよ」


 不意に、蒼絃の口の端が吊り上がる。


「ボクが折節クンに勝つことで、斑鳩派カレらの興味がボクに移ることになるからね」


 事実上の勝利宣言。

 こんなものを聞かされたら、不良ならば怒りを露わにするところかもしれないけれど、


(これって……むしろわざと負けた方が、僕にとっては得なんじゃ?)


 真っ先に、そんなことが脳裏に浮かんでしまう史季だった。が、さすがにそれは駄目だと思い、かぶりを振る。

 そんな八百長みたいな真似をしてしまったら、なまじ映像として残ってしまう分、蒼絃の勝利に味噌がつくのは避けられない。

 弟の名を上げたい朱久里が、そのような事態に陥ることを許すとは思えない。

 最悪、取引を白紙にされることもあり得るだろう。


(それに……)


 今はもう前に向き直って階段を行く、蒼絃の背中をじっと見つめる。

 こうして話をするのは今回が初めてだし、人となりなんて全くわからないけれど。

 彼が不良として名を上げることに〝本気〟だということは、少し話しただけでもわかるほどに、ひしひしと伝わってきた。

 先の勝利宣言にしても、少なくとも史季の耳には、慢心や油断ではなく、絶対に勝つという覚悟の表れのように聞こえた。


 それほどまでに〝本気〟の相手に対してわざと負けるのは、不良とは程遠い史季でも間違っていると断言できる。


 だから、


(やるからには僕も〝本気〟で応えないと……!)


 自然と、当たり前のように、そう思ってしまう。

 不良かりんたちと知り合う前の自分ならば、絶対にそんな風には思わなかっただろうと思いながら。


 以降、史季も蒼絃も、無駄口を叩かずに黙々と階段を上がっていく。

 やはりというべきか、蒼絃は六階を素通りし、階段の終着点となる屋上に足を踏み入れる。

 外はもうすっかり暗くなっているが、そこかしこに設置されていた庭園灯が灯っているおかげで、屋上自体は存外明るかった。


 蒼絃は、屋上を出てすぐのところにある、決定戦開始前に史季と話をしていた小広場で足を止める。

 史季も小広場に足を踏み入れたところで、撮影役としてついてきた鬼頭派メンバーが、ポケットから鍵を取り出し、屋上唯一の出入り口となる扉に鍵をかけた。


 わざわざそんなことをした理由についてすでに勘づいていた史季は、その答えを確かめるように蒼絃に訊ねる。


「やっぱり、は、小日向さんたちの仕業なんだね?」


 然う。

 屋上に出てすぐに、下の方――廃病院敷地の出入り口付近から、大ゲンカでもしているかのような喧噪が、この場にいる全員の耳に届いていた。

 そして喧噪それが起きた理由については、今蒼絃に訊ねた理由以外には考えられないと、史季は確信していた。


「そうだ――と、言いたいところだけど、ボクも折節クンたちと同様、スマホを預けてるから外の様子はあまりよくわかってなくてね。そこにいる小林クンに聞いた方が早いと思うよ」


 そう言って、撮影役として同行した鬼頭派メンバーを顎で示す。

 小林は一つ頷き、蒼絃に代わって史季の問いに答えた。


「お察しのとおり、折節と桃園が廃病院ここにいることを知った〝女帝〟たちが攻め込んできたッス。あねさんが動けるメンバーをかき集めて迎え撃ってるから、まだしばらくは大丈夫だと思うッス」


 夏凛たちが廃病院に向かっているという話を、春乃から聞いた時点でわかりきっていたことだが、鬼頭派と全面戦争じみたケンカに発展してしまったことに、史季は思わず苦い顔をしてしまう。

 夏凛たちに負担をかけまいと賞金首の話を引き受けたのに、これでは裏目もいいところだった。


 しかし、今は目の前の相手に集中しなければならないので、後悔や反省は後だと自分に言い聞かせながら顔を上げ……目を見開いてしまう。

 なぜなら蒼絃も、史季と同じように――いや、史季以上に苦渋に満ちた顔をしていたからだ。


 こちらの視線に気づいた蒼絃が、仕方がないとばかりに小さく息をつく。


「どうやらお互い、下のことが気になって仕方ないみたいだね」


 そう言いながらも、蒼絃はゆっくりと、木刀を中段に構える。

 格闘技に疎い史季でも知っている、正眼と呼ばれる構えだった。


「でも、そのせいでしょっぱいケンカなんてしてしまったら、ボクのために体を張ってくれている姉さんたちに申し訳が立たないからね。折節クンもこの一時いっときだけは、他のことは忘れてボクとのケンカに集中してもらうよ」


 でないと、怪我だけじゃ済まなくなるかもしれないからね――と言わんばかりの〝圧〟を前に、史季は言われたとおりに目の前の相手に集中することを決意する。


 ここで蒼絃にやられて大怪我なんてしてしまったら、余計な負担と余計な迷惑に加えて、余計な心配まで夏凛たちにかけてしまう。

 せめて心配それだけでも避けなくてはと切に思う。

 そんな覚悟が顔に出ていたのか、


「いいね。やはりキミは、威勢だけの連中とは胆力からして違う」


 蒼絃が唐突に嬉しげに褒めてくる。


「僕に胆力なんてないよ。実際今も、君とケンカをしなくちゃいけないことが、恐くて仕方がないくらいなんだから」

「ボクから言わせれば、キミが感じている恐怖は、油断のなさの裏返しにしか見えないけどね。事実……」


 蒼絃は構えていた木刀の切っ先を軽く揺らし、言葉をつぐ。


「折節クンは木刀これを前にしているのに、一つの文句もつけてこない。ボクが中学の頃によく見かけた、胆力の欠片もない威勢だけの連中は、木刀これを見たらすぐにこんなことを言い始めるんだ。『男なら素手喧嘩ステゴロでやれ』『凶器ドーグを持ち出すなんて卑怯だ』とね」


 まあ、そういう相手はお望みどおり、ステゴロで倒してあげてるけどね――と付け加える蒼絃をよそに、史季は口ごもってしまう。

 木刀にしろナイフにしろ、「勘弁してほしい」と、「できることならやり合いたくない」と思ったことはあれど、蒼絃の指摘どおり「素手でやれ」とも「卑怯だ」とも思ったことは一度もなかった。


 木刀やナイフほど露骨な印象はないというだけで、夏凛と千秋が道具ドーグを使ってケンカをしているため、凶器に対する忌避感が薄くなっているという理由もある。


 だが、それ以上に、


と割り切ってるよね? 折節クンは」


 まさしくその通りだったので、またしても口ごもってしまう。

 言ったところで、相手が凶器を引っ込めてくれるわけではないという諦めも多分に含まれているが、不良とはと割り切っている自分がいることは、紛れもない事実だったから。


「聖ルキマンツ学園の良いところは、折節クンのように人が大勢いることだ。そういう学園だからこそ、ボクはトップに立ちたいと思ったし、何の遠慮もなくボクの木刀ぜんりょくを振るうことができる。ボクはそれがたまらなく嬉しいんだ」


 言葉どおり嬉しげに、口の端を吊り上げる。

 もう待ちきれないと、早く始めようと言わんばかりに。


「さて、お喋りはこれくらいにして、そろそろ始めるとしようか。観客オーディエンスも、いい加減待ちくたびれているだろうしね」


 そう言って、小林が構えているハンディカメラを見やる。

 観客という言葉が、カメラを通じて観戦している斑鳩派を指したものであることは言に及ばない。


 ケンカであるにもかかわらず、わざわざ開始のタイミングを合わせようとする、蒼絃の〝本気〟に対し、やはりこちらも〝本気〟で応えなければと思った史季は、臨戦態勢に入りながらも応じる。


「……わかった」

「なら、早速始めさせてもらうよ!」


 開始を宣言すると同時に踏み込んできた蒼絃が、正眼の構えから繰り出す攻撃手段としては最短最速となる刺突を放ってくる。

 史季は喉元に迫る剣先を、半身になってかわした。が、完璧とはいかず、剣先が喉元をかすめていく。


 転瞬、蒼絃が返し刀に横薙ぎを繰り出してくる。

 あまりにも淀みない連携に面を食らいながらも、史季は上体を反らすことで紙一重でかわした。


(単純な速さなら、小日向さんの方が上だけど……!)


 剣筋の鋭さ、剣捌きの巧みさは、にわか剣法の夏凛よりも蒼絃の方が明らかに上。

 競技的なものなのか、実戦的なものなのかまではわからないが、蒼絃が本格的な剣道を修めているのは火を見るよりも明らかだった。

 そして、体格以外の部分で夏凛を上回る相手とケンカすることは、史季にとっては未知の領域だった。


〝ごっこ〟が付くスパーリングといえども、攻撃の速さ、技術、手数、どれをとっても夏凛を上回ってくる相手はいなかった。

 四大派閥のトップを張る荒井でさえも、例外ではなかった。


(だけど鬼頭くんは……!)


 袈裟懸けに振るわれた木刀を飛び下がってかわしながら、心の中で呻く。

 一刀一刀がナイフよりも鋭い上に、連携が淀みないせいで前に出る隙が見出せず、防戦一方になってしまう。


 このままだとジリ貧だと思いながら、左側頭部に迫る横薙ぎを身を沈めてかわした瞬間、気づく。

 


 直後、横薙ぎの勢いを利用した回し蹴りが、史季の左側頭部を襲う。

 すんでのところで反応し、左腕で回し蹴りを受け止めるも威力にされてしまい、横に倒れそうになったところをかろうじて踏み止まる。

 だが、倒れていよういまいが、相手の目の前で致命的な隙を晒すという結果にさしたる違いはなかった。


「!?」


 ここまでが一つの連携だと言わんばかりに、蒼絃は返し刀で横薙ぎを振るい、史季の右側頭部を容赦なく殴打した。

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