第28話 勝利者

 天堂を倒した史季は、最早聞こえないとわかっていながらも彼の疑問に答える。


「ビビってたよ。君にも、ナイフにも。ただ僕の場合、刃物それ以上に恐い人とケンカしたことがあった……それだけだよ」


 とはいえ今言葉にしたとおり、荒井よりはマシというだけで、ナイフを相手にケンカをするのは大概に恐かったので、吐き出した安堵もまた大概に深かった。


「もう大丈夫だよ」


 春乃たちが隠れている病室に向かって声をかけると、ほどなくして二人はおそるおそる扉を開き、廊下に出てくる。


 春乃に応急処置をしてもらったからか、リーゼントはナイフで切られた右上腕の傷を手で押さえておらず、切られた上着の隙間からは、腕に巻き付けられたハンカチと思しき布が見え隠れしていた。


 普段から春乃が持ち歩いている、救急箱並みに医療用品が詰め込まれた鞄があればもっとちゃんとした処置ができていたところだが、さすがに鞄の持ち込みは許されなかったらしく、本棟に入る時にスマホもろとも没収されたのだろうと史季は推測する。


「史季先輩、怪我はありませんか!?」


 元気よくこちらの心配してくれる春乃に、つい頬を緩めながらも、彼女の背後にいるリーゼントを見やりながら答える。


「怪我はないよ。それより彼の方は?」

「ガーゼも包帯もないので、あくまでも止血しただけです。だから係の人にお願いして、ちゃんとした処置をしてもらわないとダメだよ?」


 後半は、リーゼントに向かって言った言葉だった。

 リーゼントはというと、なぜか微妙に頬を赤らめながら「あ、ああ……」と煮え切らない返事をかえしていた。

 その反応を見て、ますます某小日向夏凛ファンクラブ(非公式)会長が脳裏をよぎるのはなぜだろうか。


(まさか、彼が桃園さんのファンクラブをつくったりとかしない……よね?)


 いくらなんでもそれはないだろうと史季は思う。というか思いたい。

 論理としても飛躍がすぎるし、何より夏凛のファンクラブのみならず、春乃のファンクラブまでもが会長がリーゼントというのは、それはそれで嫌すぎる。

 聖ルキマンツ学園に入学したリーゼントには、ファンクラブをつくらなければならない呪いでもかけられているのかと、アホな勘ぐりをしたくなってしまう。


 これ以上こんな状況でこんなアホなことを考えるのもどうかと思ったので、史季が気を引き締め直していると、



「いたぞ! あそこだ!」



「h」の右中央の曲がり角から姿を現した、鬼頭派と思しき不良が三人、こちらに駆け寄ってくる。


「折節に保護されていたか。だったら丁度良い」


 三人のリーダー格と思しきが不良は独りごちるように言った後、突然史季に向かって頭を下げた。

 これまでの人生で、不良に向かって頭を下げたことは数あれど、不良の方から頭を下げてきた経験はなかった史季は吃驚するばかりだった。


「俺は鬼頭派の幹部の坂本ってもんだ。今回、桃園春乃が一年最強決定戦に参加してしまった件は、鬼頭派われわれに落ち度がある。だから、トップの鬼頭朱久里に代わって謝罪させてもらう。本当にすまなかった」

「あ……いや……その……いいですよ……桃園さんも無事だったし……」


 全く想定していなかった事態にしどろもどろしている史季に、坂本は苦笑を漏らしながらも頭を上げた。


「そう言ってもらえると助かる。ところで、こいつはお前がやったのか?」


 そう言って坂本は、床に倒れている天堂を視線で示す。


「はい」

「こいつはナイフを持ち込んでると報告を受けていたが……肝心のナイフはどうした?」

「ちょっと……あそこに蹴飛ばしてしまいまして……」


 なんとなく悪いことをした気分になっていた史季は、おずおずと天井に突き刺さったサバイバルナイフを指し示す。

 これには坂本も、一緒にやってきた二人の不良も、リーゼントさえも目を見開いて驚いていた。


「やはり荒井を倒したという話は……」

「ああ。嘘じゃなさそうだな……」

「パネェな、この先輩……」


 鬼頭派の不良二人とリーゼントの反応を見た史季が、主に風評的な意味で嫌な予感を募らせる中、坂本が淡々と話を進める。


「謝ったばかりの相手にこう言うのもおかしな話だが、礼を言わせてもらおう。さすがにナイフを持ち込んでくるような奴がいては、決定戦を運営する我々としても気が気ではないからな」

「それなら、せめて刃物の持ち込みを禁止にするくらいのルールは、付け加えていた方が良かったと思うんですけど……」

「それはできない。凶器ドーグの持ち込みを認めていながら、刃物だけ禁止にするなんてダサい真似をしたら、鬼頭派はいい笑いものになってしまうからな」


 つまりは面子メンツの問題で刃物の持ち込みを禁止にしなかったようだ。

 不良である以上、メンツを重んじるのは理解できるが、


(なんだかなぁ……)


 と、思わずにはいられない史季だった。


「さて、あまり俺たちが長居しすぎると決定戦の邪魔になってしまうからな。そこの二人を連れて、そろそろ撤収させてもらうとしよう」


 そこの二人――春乃とリーゼントを顎で示しながら、坂本がきびすを返そうとしたその時だった。


 春乃たちが隠れていた病室の扉が勢いよく開き、アリスが飛び出してきたのは。


「そこのあんたっ! いきなり飛び出してな~んてことしてくれるんすかっ!」


 アリスは春乃のことをズビシと指差しながら、ズカズカと歩み寄っていく。

 彼女が春乃にすっ転ばされたことをしっかり認識していたことに、内心ハラハラしている史季とは対照的に、指をさされた当人は嬉しそうに笑顔で応えた。


「よかった! 目を覚ましたんだね!」

「『よかった!』じゃないっすよ! そもそもぼくがあんな目に遭ったの、あんたのせいなんすからね!?」

「鼻息を荒くしているところ悪いが、お前も来い。五所川原ごしょがわら


 淡々と会話に割って入ってきた坂本の言葉に、アリスは時が止まったようにピタリと動きを止める。


「ごしょがわら~? 誰のことっすか~?」


 そして、全力ですっとぼけ始めた。


「お前のことだ、五所川原。現状においては、一年の中で唯一斑鳩派に入った人間のことを、鬼頭派われわれがマークしていないわけがないだろう」

「五所川原五所川原って何度も呼ぶなっす! ぼくのことを呼ぶ時は、ア! リ! ス! そんなかわいくない名前で呼ぶのはやめてほしいっす!」

「アリスちゃん! かわいい名前だね!」

「って、あんたに褒められても全っ然嬉しくないっすからね!?」


 などと春乃に言っている割りには、アリスの頬は今にも緩みそうな案配になっていた。


「わかったわかった。とにかくお前も一緒に来い。はさっさと建物の外に出るのがルールだと教えただろう」


 坂本の言葉に、アリスはまたしても時が止まったようにピタリと動きを止める。


「……リタイア組? ぼくが?」

「そこにいる桃園春乃も、一応は決定戦参加者だからな。彼女にやられ、一時いっときとはいえ気を失ってしまった時点で、お前はもう一年最強決定戦に参加する資格を失っている」



「そうなのかい? ようやく、少しは楽しめそうな相手がいたと思ったのに」



 史季たちが下りてきた、「h」の左中央にある階段から、場違いなほどに穏やかな男子の声が聞こえてくる。

 春乃を除いた全員にとって、聞き覚えのある声だったので、史季たちは弾かれたように階段に顔を向けた。


 ほどなくして現れたのは、やはりというべきか、右手に木刀を携えた鬼頭蒼絃あおいだった。


「坂本クンもいるのか。なら、ちょうどよかった」


 こちらに歩み寄りながら、蒼絃は懐から何かのグリップを取り出す。

 その正体にいち早く気づいた史季は、思わず息を呑んでしまう。


 刃が折りたたまれているため、史季以外には坂本しか気づいていないが、蒼絃が持っているグリップはフォールディングナイフ。

 ハンドルの中に刃を収納することができる、折りたたみ式のナイフだった。


「これ、預かっててくれないかい?」


 蒼絃からフォールディングナイフを受け取りながら、坂本は彼の右手に握られた木刀を見やる。


「まさかもう一人、ナイフを持ち込んだ一年がいたとはな。さすがに、抜かずにというわけにはいかなかったか」

「まあね。それよりその口振り、ボクが仕留めた奴以外にもナイフを持ち込んだ奴がいたのかい?」

「ああ。折節が倒してくれた。まあ、肝心のナイフを派手に蹴飛ばしてくれたおかげで、回収が少々面倒なことになっているがな」


 そう言って、坂本は天井に突き刺さっているサバイバルナイフを指でさす。


「え? え?」


 と、目を白黒させながら史季と天井のナイフを交互に見やるアリスを尻目に、蒼絃は心底嬉しそうな笑みを浮かべた。


「ボクが相手にした奴よりも凶悪な物を、武器もなしに返り討ちにしたというわけか。ははっ、さすがじゃないか折節クン」


 心の中で(なんでそんな嬉しそうにしているの?)と思いながらも、史季は誤魔化すように笑って返すことしかできなかった。


「それより、いい加減我々は退散するぞ。こんな大人数で一つ所に留まっていては、本格的に決定戦の邪魔になってしまうからな」


 言いながら、坂本はアリスを見やる。


「当然、お前にも来てもらうぞ」

「え? あ……っす」


 天井に突き刺さったナイフが史季の仕業であることが衝撃的だったのか、アリスの返事はいやに素直だった。


「あっ! 来てもらうって意味じゃ史季先輩もそうだよね!」


 春乃が突然、思い出したように声を上げる。

 元々彼女が、史季を連れ戻すために一年最強決定戦に参加したことを考えると、色々ありすぎたせいで、本気で今の今まで自分の目的を忘れていた可能性はありそうだが。


「さすがにそうされるのは困るな、桃園サン。折節クンは、これからボクと一戦交えることになってるんだから」

「いや、なってないよ!?」


 思わず反論する史季を尻目に、坂本が何かに気づいたように片眉を上げる。


「蒼絃……もしかして、残りの一年はもう全てお前が倒してしまったのか?」

「さすがに断言はできないけど、一階から六階まで見て回った限りだと、建物内で気を失っていない一年生は、ここにいるボクたちだけだよ」


 さすがの坂本もしばし閉口してしまうも、すぐに一緒に来た二人の派閥メンバーにスマホで監視カメラに映るライブ映像を確認するよう命じ、さらに外にいるメンバーに電話をして、数に間違いがないことを確認した上で蒼絃に告げる。


「まあ……だいぶ締まらない終わり方になってしまったが、残っている一年は蒼絃……お前だけだという確認がとれた。だから、お前が一年最強だ」

「本当に締まらないし、何だったら盛り上がりにも欠けてるね」


 蒼絃の指摘に、坂本は気まずそうに口ごもる。

 春乃を保護するために出張って、グダグダしている内に一年最強決定戦が終わってしまったのだ。

 決定戦を運営する立場からしたら、頭が痛いどころの騒ぎではないだろう。


「だから、最後に盛り上げるイベントが必要ってわけだよ。折節クン」

「ままま待って! それはそちらの都合であって、史季先輩は関係ないよね!?」


 たまらずといった風情で抗議する春乃に、蒼絃は肩をすくめながら答える。


「それがまた、折節クンには多いに関係があるんだよ。そもそも姉さんが、ただ賞金首をやってもらうことを望んでるわけではないことは、折節クンもわかっているよね?」


 まさしくそのとおりだったので、史季は何の反論も返すことができなかった。

 一年最強決定戦を盛り上げることは勿論、も含めての賞金首であり、取引であることは、史季も理解していた。


 そして、夏凛たちの介入を許してしまったとはいっても、それはの話なので、取引は白紙にはならない。

 つまりは、腕に覚えのある不良に絡まれまくる史季の現状を、鬼頭派がなんとかしてくれるという約束は生きている。


 だから、


「ごめん、桃園さん。彼の言うとおり、これは僕にも関係している――ううん、誰よりも僕が関係していることなんだ」

「史季先輩……」


 心配そうな顔を向けてくる春乃に、一言「大丈夫」とだけ伝え、蒼絃に向き直る。


「受けて立つなんて偉そうなことを言うつもりはないけど、僕のできるかぎりで君を迎え撃たせてもらうよ、鬼頭くん」

「それでこそだよ」


 そう答えた蒼絃は、嬉しげに愉しげに口の端を吊り上げた。

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