第27話 狂刃
「桃園さんッ!?」
まさかの春乃の登場に、史季は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「はい! 桃園春乃です!」
なんともズレた返事をかえす春乃に、いよいよ見間違えではないことを悟った史季は盛大に頬を引きつらせた。
夏凛たちが一年最強決定戦に介入してくる可能性は想定していたが、春乃が一人で介入してくる事態は想定外どころの騒ぎではなかった。
「ど、どうしてこ――」
「あ! ちょっと待ってくださいね!」
話の流れを無視して、春乃は気絶しているアリスのもとへ駆け寄り、容態を
怪我らしい怪我はなかったのか、ほうと息をつくと、少々あられもないことになっていたアリスのスカートを正してからこちらに戻ってきた。
「頭を打っているわけではなさそうですし、ただ目を回しているだけなのでたぶん大丈夫だと思います!」
医療が関わった途端、IQが泥から雲に生まれ変わる春乃のお墨付きが得られたことに胸を撫で下ろす。
あそこまで派手な転びっぷりを見せられた上に気絶までされてしまっては、自分を散々を追いかけ回した相手といえども心配になってしまう史季だった。
「と、ところで、桃園さんはどうして
「バスに乗って美久ちゃんのお家に行こうとしたら、たまたま史季先輩と、史季先輩を尾行している人を見かけまして」
「……もしかして、バスを降りて僕たちのことを
「はい! 尾けてきました!」
元気よく返事をする春乃とは対照的に、史季は元気なく項垂れてしまう。
まさか二重尾行という形で、春乃と美久に尾けられていたなんて夢にも思わなかった。
もう少し周囲を警戒していれば気づくことができたかもしれないが、今となっては後の祭りだ。
「まさかとは思うけど、三浦さんまで一年最強決定戦に参加しているなんてことはない……よね?」
「それは大丈夫です! 美久ちゃんには夏凛先輩たちの道案内をお願いしましたから!」
美久が参加していないことは朗報だったが、彼女が夏凛たちの道案内に向かったことは、史季にとっては凶報だった。
腕に覚えのある不良に絡まれまくる現状を、夏凛たちに負担をかけずに解決するために賞金首の話に乗ったというのに、これでは余計な負担どころか、余計な迷惑までかけてしまっている。
巻き込んでしまったことも含めて、春乃と美久の二重尾行に気づけなかったことが心底悔やまれる。
「というか、その流れで、どうして桃園さんが一年最強決定戦に参加することになったの?」
「それは……
参加してしまったこと自体は後ろめたく思っているのか、なにかとハキハキと答える春乃にしては珍しく、しどろもどろした物言いになっていた。
兎にも角にも、このまま春乃を決定戦に参加させておくのはまずい。
決定戦の進行のために本棟に潜り込んでいる、鬼頭派メンバーに相談した方がいいと考えた史季は、周囲に視線を巡らせ――
「助けてくれぇッ!! 誰かッ!! 誰かぁッ!!」
あまりにも必死な男子の叫び声が
声が聞こえたのは、史季とアリスが出てきた階段。
声の反響からして下の階からだった。
ほどなくして、某小日向夏凛ファンクラブ(非公式)会長を彷彿とさせるリーゼントが目を引く一年生が、右上腕の辺りを左手で押さえながら階段を駆け上がってくる。
その左手が血の赤に濡れていたことに、史季も春乃も思わず息を呑んでしまう。
「そ、そこのあんたッ!!」
リーゼントは史季を認めるや否や、地獄に仏と言わんばかりに泣きついてくる。
「賞金首なんてやってるってことは強いんだろッ!? だったら助けてくれよぉッ!!
必死の懇願。
押さえている左手ごと血の赤で濡れている、〝何か〟に制服ごと切られた傷痕が見え隠れしている右上腕。
それだけでリーゼントの言う「クソやべぇ奴」が、どういう意味でやべぇのかを察した史季は、視線を階段に固定したまま、常よりも真剣な声音で春乃に告げた。
「桃園さんは、そのリーゼントの子と一緒に隠れてて」
「え? でも……」
「早く……!」
逼迫した声音で言うと、春乃は慌てて「は、はい!」と返し、
「一緒に来て! 応急処置をしてあげるから!」
「あ、ああ……」
明らかに場違いな
そうこうしている内に、階段の方からコツコツと足音が聞こえてくる。
ゆっくりと獲物を追い詰めることを愉しんでいるような、不吉な足音だった。
その音ともに現れたのは、髪を毒々しいまでの紫色に染め、耳や唇にいくつものリングピアスを付けた不良男子だった。
案の定というべきか、その手にはサバイバルナイフと思しきゴツめのナイフが握られており、刃にはリーゼントの腕を斬っただけとは思えない量の血糊が付着していた。
「あれー? あれあれー? そこにいるのボーナス先輩じゃーん」
リーゼントが天堂と呼んでいた紫髪の不良は、クスリでもやっているのかと疑いたくなるほどにイッちゃった目を見開きながら「にひひッ」と笑う。
史季のことを賞金首として認識できる程度の正気があったことは、喜ぶべきなのか恐れるべきなのか判断がつかなかった。
「ところでさー、先輩んとこに俺ちんの玩具が逃げてきたと思うんだけど、知らない?」
おそらくはリーゼントのことを言っているのだろうと思った史季は、今にも震えそうになる声音を気合でねじ伏せながら、虚実入り交えて訊ね返す。
「もうとっくに逃げていったよ。それより彼の腕、血塗れになっていたけど、君がそのナイフでやったの?」
「そのとーり。ちょっとカスっただけでピーピー鳴いて面白いから、次はもうちょっとザックリいってあげたら、もっと面白い鳴き方するかなーって思って」
「……駄目だよ。そんなことしたら君、人殺しになってしまうかもしれないよ?」
「だいじょーぶだいじょーぶ。人間ちょっと切ったくらいじゃ死なないから。なんだったら、穴の一つや二つ空いたってけっこう死なないもんだよー?」
本気なのか冗談なのか、ケタケタと笑う天堂に、いよいよ恐怖を覚える。
ナイフを持ち込んでくる一年生が現れることは想定していたが、ナイフはナイフでもサバイバルナイフなんてゴツい物を持ち込んできたことも、その持ち主がこうもイカれた人間であったことも、史季からしたら想定外もいいところだった。
だけど、
(でも、なんでだろう? 荒井先輩を前にした時に比べたら、そこまで恐くもないような……)
別口の想定外に困惑する史季を尻目に、天堂は刃に付着した血を舐め取ってから愉しげに宣言する。
「つーわけで、ボーナス先輩にも穴空けてやんよ。きっと〝ハイ〟になれるぜー?」
直後、天堂は床を蹴り、微塵の躊躇なく史季に切りかかった。
◇ ◇ ◇
ナイフを持っていると、俺ちん的に良いことが沢山起こる。
それどころか、情けなく逃げ回ったり、命乞いもしてくれるようになる。
良いことはそれだけじゃない。
ナイフで人を刺した時の感触は、女の性器に自分の性器を突っ込んだ時と同じくらいの快感を俺ちんにもたらしてくれる。
ナイフで人を切ったら、花火よりも綺麗な血がキラキラと舞い散って、全米が泣くような映画以上の感動を俺ちんに与えてくれる。
そうして流れた血の
ナイフは、俺ちんの願いを何でも叶えてくれる万能器。
これを持っているだけで誰もがビビり倒し、これで相手を切ったり刺したりするだけでサイッコーの快感を俺ちんにもたらしてくれる。
はずなのに、
「なんで……? なんでー……!?」
天堂はガムシャラにサバイバルナイフを振り回すも、目の前にいる史季にはかすりもしなかった。
冷静にこちらの攻撃を見極め、その
相対してすぐは、一目でわかるほどにナイフにビビり散らしていたにもかかわらず。
わけがわからない――心底そう思いながらも、天堂は史季の右肩目がけて刺突を放つ。
それもまた、半身になることであっさりとかわされてしまう。
(こい……つ……!)
ナイフで人を切ったり刺したりすることは好きでも、人殺しまではするつもりはない。
なにせ人を殺して
そもそも人を殺すまでもなく、ナイフを振り回していたら警察に捕まってしまうことはさておき。
ナイフがかすりもしない現状に苛立ちを募らせた天堂は、たとえ人殺しになっても、俺ちんから快感を奪おうとするクソみたいな先輩の胸をブッ刺すことを決意する。
決意してしまったせいで、史季の防衛本能がかつてないほど過敏に反応することになるとも知らずに。
「もういいッ!」
覚悟と呼ぶにはあまりにも気軽に一線を越える決意をした天堂は、史季の心臓目がけて刺突を放とうとするも、
「死んじゃってよ、ボーナス先ぱ――」
ナイフを前に突き出そうとした右手が、下から衝き上げるような激烈な衝撃に襲われ、言葉を、我を、失ってしまう。
遅れて、気づく。
目の前にいる史季の足が、高々と振り上がっていることに。
自分の右手の薬指と小指が、衝撃によって折れてしまっていることに。
その手にあったはずのナイフが、天井に突き刺さってしまっていることに。
蹴られた。
ナイフを持っていた手を。
その事実を認識した瞬間に訪れたのは、二度目の衝撃。
左側頭部を蹴られた天堂は横に倒れながらも、消えようとする意識に抗うように疑問を口にする。
「なんで……
しかし抗えたのはそこまでで、疑問を吐き出し切ると同時に、意識の糸はナイフに断たれたようにプッツリと切れてしまった。
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