第21話 予想外
時は少し遡る。
その日の放課後はケンカレッスンがお休みということで、春乃は
美久の友達である
美久の家は町外れの方角にあり、登下校時はバスを利用しているということで、二人でバスに乗って移動していた時に、見てしまったのだ。
史季が一人で、町外れに向かって歩いているところを。
今日のケンカレッスンが中止になったのは、当事者である史季が、家に泊まりに来る父親の応対をしなければならないからだということは、春乃も美久も知っている。
今史季が歩いている方角が、彼の家の方角とは大きくかけ離れていることも知っている。
おまけに、よく見たら聖ルキマンツ学園の制服を着た男子が、史季のことを尾行しているものだから、怪しいどころの騒ぎではない。
次の停留所が近かったこともあり、二人は迷うことなく途中下車して後を
尾行している人間は、自分が尾行されることをあまり警戒していないという話を、小説か何かで見たことがあった美久の発案により、二人は史季を尾行する男子を尾行することにした。
途上、春乃が何度かドジをやらかしそうになるも、どうにかこうにか美久がフォローしたおかげで、史季にも男子にも気づかれることはなかった。
途中下車した時点で見晴らしの良い河川敷地帯を越えていたおかげもあってか、春乃と美久は見事尾行に成功し、史季が廃病院の敷地に入っていくところを目の当たりにしたわけだが、
「あ、危なかった~……」
木陰に隠れながら、春乃は小声で安堵を吐き出す。
「あともうちょっと隠れるのが遅かったら、絶対折節先輩に見つかってたよね……」
同じく木陰に隠れていた美久も、小声で安堵を吐き出した。
「でも史季先輩、どうしてこんなところに?」
春乃の疑問にすぐには答えず、美久は廃病院の入口の向こう――駐車駐輪のスペースになっている広場を観察する。
広場には聖ルキマンツ学園の制服を着た男女が何十人と集まっており、その中には見たことのある顔がけっこうな割合で入り混じっていた。
その状況が、美久の脳裏に一つの推測を思い浮かばせる。
「もしかしたらだけど、一年最強決定戦を
「それってつまり……史季先輩は留年していて実は一年生だったってこと?」
「違うよ……! 先輩は
「それなら、なんで史季先輩が一年生の最強決定戦に?」
「そ、それは……一年最強決定戦かもっていうのは私の推測だし……仮にそうだったとしても、先輩が何かに巻き込まれてるって可能性もあるし……」
そこまで話を聞いたところで、ようやく一大事だと認識した春乃が、にわかに慌て出す。
「そそそそそれは大変だよ……! は、早く夏凛先輩たちに報せないと……!」
「お、落ち着いて春乃ちゃん……! 連絡は私がやっておくから……!」
「ちょ、ちょっと待って……! そういえば先輩たち、今日は駅前に遊びに行くって言ってたけど、美久ちゃん駅前の方のバスの路線とか時刻とかわかる? わかるなら、美久ちゃんに夏凛先輩たちをここまで案内してもらった方が早く来てもらえるかも……!」
「わ、わかるけど、意外と落ち着いてるね春乃ちゃん……!?」
そんな小声の応酬を交わした後、美久は、廃病院で一年最強決定戦が行われるかもしれないこと、そこに史季の姿があったこと、これから自分が迎えに行く旨をLINEで――こないだ助けてもらった時にIDを交換した――夏凛たちに伝えた。
そして――
「私はもう行くけど、春乃ちゃんは本当にここに残るの?」
心配する友人に向かって、春乃は小声で元気よく「うん……!」と答える。
事態が動いた時の連絡係として、どちらか一人がこの場に残っていた方が良いことは、頭が良いとは言い難い春乃でもわかる。
バスの路線と発着時刻、停留所の位置に詳しい美久に、夏凛たちを迎えに行ってもらった方がいいということもわかる。
わかるから、心配いらないよとばかりに、春乃は笑顔で美久の背中を押した。
「わたしは大丈夫だから、美久ちゃんはもう行って。どのみちわたしじゃ、ここから一番近いバス停に辿り着けるかもわからないし」
一番近いとは言っても、ここから停留所までは距離的にかなり離れており、道筋も少々複雑になっているため、土地勘がない春乃では迷ってしまう可能性が高い。
そういった意味でも、初めから選択の余地はなかった。
「あ、危なくなったら絶対に逃げてね……! 約束だよ……!」
「うん……!」
そのやり取りを最後に、美久は廃病院の門番をしている不良に気づかれないよう、常緑樹やゴミ収集庫に身を隠しながら、この場から離れていった。
美久の姿が完全に見えなくなったところで、春乃はやる気を
(……ここからだと、
今隠れている木陰よりも、もう少し見通しの良い場所に移動したい――そう思った春乃はキョロキョロと周囲に視線を巡らせ、廃病院の入口を正面から監視できる位置で生い茂っている、常緑低木に目をつける。
あとは門番の目を盗んで移動するだけ。
脳内で颯爽かつ素早く低木の陰に滑り込む己を幻視しながらも、春乃はタイミングを見計らって木陰から飛び出し――ヘッドスライディングさながらの勢いで派手にすっ転んだ。
「いったぁ……」
若干涙目になりながらも起き上がっている間に、門番の一人がこちらに駆け寄ってくる。
このままだと、荒井派に拉致された時みたいに捕まってしまう――と、ますます涙目になっていたら、
「おいおい大丈夫か?」
普通に心配されて、思わず「ん?」と小首を傾げてしまう。
春乃自身、派手にすっ転ぶことは普段から割とよくあることなので気にしていないが、彼女をよく知らない人間からしたら、その転びっぷりは吃驚してあまりあるほどの勢いなので、門番が心配するのも無理からぬ話だった。
「だ、大丈夫です! 絆創膏とか持ってますし!」
言いながら、鞄の中から絆創膏と消毒液を取り出し、門番の目の前でテキパキと処置してみせる。
その鮮やか手並みに、門番は感心した――と言いたいところだが。
絆創膏と消毒液を取り出した際に、鞄から包帯やらガーゼやらも一緒にボトボトと落とす様を見せつけられた手前、どちらかと言えば呆れが
「大丈夫なのはわかったが……一応確認させてもらうけど、お前まさか一年最強決定戦に参加するためにここに来たとか言わないよな?」
春乃は学校が終わってすぐに、美久の家に向かうためにバスに乗ったため、制服を着たままになっている。
門番がわざわざそんな確認をしてきたのも、それゆえだった。
門番の問いにはすぐには答えず、春乃は少しだけ考え込み……はたと気づく。
(あれ? もしかして、ここで「はい!」って言ったら
そこまで考えたところで、またしてもはたと気づく。
自分の足の遅さでは、逃げ出したところであっさり捕まるのがオチだという事実に。
もっとも
「はい! そのとおりです!」
「そ、そうか……なら、俺についてこい」
まさか本当に決定戦に参加するとは思ってなかったのか、門番は困惑しながらも春乃を廃病院の入口まで案内する。
そしてその瞬間、見逃してもらえる可能性があった
入口に立っていた二人の門番の片割れが、春乃を見て素っ頓狂な声を上げる。
「おい待て! そいつ桃園春乃じゃねえか!?」
春乃を案内した門番も、もう一人の門番も、揃って瞠目する。
そんな中、春乃は冬華の真似をして、口笛を吹きながら露骨に顔を逸らして誤魔化そうとするも、無駄な抵抗にすらなっていない上に口笛も絶望的なまでに下手くそだった。
一方、三人の門番にとって春乃の登場は予想外すぎる事態だったらしく、「ふしゅーふしゅー」と下手くそな口笛を吹き続ける春乃をそっちのけで、ヒソヒソと話し合い始める。
「わかってんのか……! 小日向派の人間は、折節史季以外は絶対に入れるなって言われてたろ……!」
「け、けどよ、決定戦に参加しに来た一年は、絶対に拒むなとも言われてるぜ?」
「ここは
「「異議なし……!」」
話が決まったところで、最初に春乃に話しかけた門番がスマホを取り出し、姐さんこと鬼頭派の
「やべえ……出ねえぞ!?」
「なら
派閥においては鬼頭姉弟に次ぐ立ち位置にある三年生幹部に電話を試みるも、朱久里と同じく
「坂本さんもダメだ! もしかしてこれ、俺たちみてえに連絡してる奴がいすぎてパンクしてるパターンじゃねえか!?」
「だーッ! もうすぐ門閉める時間だってのにッ!」
「つうかよくよく考えたら、決定戦開始前だから、姐さんも坂本さんもクソ忙しいに決まってんじゃねぇか!!」
最早パニック寸前の三人を見て、なんとなく申し訳ない気持ちになってきた春乃は、下手くそな口笛をやめて恐る恐る訊ねてみる。
「あのぉ……わたし、参加してもいいんですよね?」
普段の言動がアレすぎて、小日向派においては史季でさえもあまり意識しなくなってきているが、春乃は学年でも――いや、学園でもトップクラスの美人だ。
おまけに、スタイルも抜群ときている。
それこそ言動がアレすぎていなければ、美
そんな美人が、知らず知らずの内に上目遣いになりながらも、おねだりするような物言いで訊ねてきたのだ。
春乃に対して害意を抱いていない三人の門番を即オチさせるには、充分すぎる破壊力だった。
「いや、まあ、別に参加させてもいいんじゃねえか?」
「そ、そうだな。小日向派っつってもこの子はクソ弱いらしいから、姐さんの計画に支障が出る心配もないし」
「それを言ったら、決定戦の方も支障は出ねえだろ」
無自覚に相手を籠絡した春乃は無事、廃病院に潜り込むことに成功した。
しかし、春乃も、三人の門番も、揃いも揃って頭が良いとは言い難いせいか、揃いも揃って気づいていなかった。
自他ともに認めるほどケンカがクソ弱い春乃が、一年最強決定戦に参加してしまった時点で無事もへったくれもないことに。
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