第16話 招かれざる者

 対凶器のレッスンを始めてから一週間が過ぎた頃。


「どうした史季! 手ぇ出さねーと勝てるもんも勝てねーぞ!」


 その手に持ったゴム製のダミーナイフで、言葉以上に厳しく攻め立ててくる夏凛の猛攻を、史季は「ひぃひぃ」言いながらかわし続けていた。

 ゴム製とはいっても当たり所次第ではそれなりに痛いし、見た目も本物にそっくりなものだから、それこそエアーソフト剣を相手にしている時以上に必死だった。


 スパーリングごっこ形式なのでタッチによる反撃も許されているが、抑えていてなおダミーナイフを振るう夏凛のスピードが尋常ではないせいで、本当にもうかわすだけで精一杯な有り様になっていた。


 ひたすら必死にかわし続け……夏凛がこれ見よがしに刺突を放とうとしていることに気づいた瞬間、


(今……!)


 迫り来る切っ先を半身になってかわすと同時に、刺突を放ったことで無防備になった夏凛の右肩をタッチする。


「よし。上出来だ」


 涼しげに構えを解く夏凛とは対照的に、史季は膝に両手をついて荒い呼吸を繰り返す。

 一撃でもまともにくらったら終わり――そのつもりで対ナイフのスパーリングごっこに臨んだ結果、普段とは比べものにならないほどにまで疲弊してしまったのだ。


「そんだけ緊張感をもってやれてるのはいいことだけど、対ナイフに関してはマジで〝ごっこ〟の域は出ねーってこと、忘れんなよ」


 どうにかこうにか首肯を返す史季を見て、無理に話させるのは悪いと思ったのか、夏凛はレッスン内容についてはこれ以上何も言わず、ダミーナイフを持ち主の千秋に返した。


「〝ごっこ〟っっても、スパーリングごっこの時と同じで夏凛オマエのスピードについて来られるようになりゃ、大抵の野郎が相手なら対処できると思うけどな」


 ナイフを受け取りながら言う千秋に、傍にいた冬華が夏凛に代わって答える。


「ナイフが相手だと、冗談抜きでちょっとの油断が命取りになるからね~。だからりんりんは絶対に油断するなって意味も込めて、しーくんにああ言ったんじゃないかしら?」

「そういうこった」


 ドヤ顔で肯定する夏凛に、千秋はウンザリ顔で応じる。


「納得はできたけど、んな顔されるとなんか腹立つな」


 ぼやくように言ったところで、今日の放課後は予備品室に来ていた春乃が、おずおずと訊ねてくる。


「あの~先輩……美久ちゃんたちを予備品室ここに招待するのは……」

「ダメだ」

「ダメに決まってんだろ」

「ダメね~」


 夏凛たちが心を鬼にして即答し、春乃がわかりやすいくらいにションボリする。

 ここ数日の間、何度も繰り返されたやり取りに、史季は息を整えながらも苦笑した。


 美久にしろ、彼女の友達にしろ、話を聞いたかぎりだと完全に一般生徒パンピーだ。

 史季や春乃のような特殊な経緯でもない限り、不良校として有名な聖ルキマンツ学園最強の派閥である自分たちとは、あまり仲良くならない方がいいというのが夏凛たちの総意だった。


〝女帝〟の威光を恐れる有象無象の不良どもはともかく、〝女帝〟を敵視する荒井派のような不良どもが相手だと、春乃のように拉致されたり、それ以上にひどい目に遭わされる恐れがある。

 あくまでも「〝女帝〟がこれまでに何十人と助けた一般生徒パンピーの一人」と思われる程度の距離感でいた方が、〝女帝〟の後ろ盾という恩恵を受けつつも、余計な火の粉から遠ざけることができる。

 美久たちを予備品室に招待することを許さないのも、それゆえだった。


 そしてそのことは春乃もわかっているので、大人しく「はぁい……」と引き下がる。

 もっとも今の返事までの流れが、ここ数日の間に何度も繰り返してきた一連のやり取りとなっているので、明日以降も春乃は同じお願いしてくるだろうと思った史季は苦笑を深め、夏凛と千秋と冬華は揃ってため息をついた。


「ところで史季、ぼちぼちいけそうか?」


 暗に休憩はこれくらいでいいか?――と訊ねてくる夏凛に、史季は首肯を返す。


「そんじゃ今日も、といきますか」


 ニンマリと笑う夏凛に、史季は再び首肯を返した。


 然う。

 史季はこの一週間、対凶器のスパーリングごっこと並行して、左脚でのキックの練習もおこなっていた。

 この左のキックこそが、夏凛が考えてくれた、初見殺しだった。


 夏凛たちのケンカレッスンを受けるようになってから、まだ二ヶ月も経っていない史季は、利き脚とは逆の左脚でキックを打つことができない。

 そして、連日のようにタイマンを挑まれ、返り討ちにする史季を見て、不良たちの中にもそろそろ気づき始めている者もいるだろう。

 史季が右脚でしかキックが打てないことに。


 その気づきを逆手にとりつつも、左脚でもキックを打てるようにする。

 史季にとっては、まさしく一石二鳥のレッスンだった。


 サンドバッグを用意したところで、史季は左脚のキックの練習を開始する。

 最初の内はかたすらままならなかったキックも、今ではそこそこに見られるくらいにはなったが、


「なんつうか、まだまだしょっぱいな」

「右脚に比べると、明らかに迫力不足よね~」

「でも、昨日よりは揺れてると思います!」


 千秋たちの忌憚のない感想に、史季は何とも言えない微妙な表情になる。

 言うまでもない話だが、春乃の言う「揺れてる」とはサンドバッグのことを指した言葉だった。


「利き手利き脚の反対側を使った時あるあるだけど、やっぱまだ全身の動きが上手く連動してねーって感じだな。今度は、腰の捻りと軸足をもうちょい意識して蹴ってみてくれ」

「うん……!」


 夏凛に返事をかえすと、言われたとおりに腰の捻りと軸足を意識しながら、サンドバッグに向かって左のキックを繰り出した。



 ◇ ◇ ◇



 ケンカレッスンが終わり、夏凛たちと別れた史季は一人、帰途につく。


 対凶器と左キックのレッスンを始めてから一週間。

 登下校時は、タイマンを挑まれては逃げ回ったり返り討ちにしたりするという流れを、それこそ嫌になるほどに繰り返していた。

 その中で、凶器を持ち出して襲ってきたのは二人だけで、片や木刀、片や鉄パイプと、絶賛レッスン中の長物が相手だったこともあって、どうにか怪我することなく撃退することができた。

 

 実のところ、最近はタイマンを挑むというよりも、ただの襲撃としか言えないようなノリで襲ってくる不良まで出始めていた。

 しかし、そのことを夏凛たちに言ったら、それこそ登下校時も一緒に――と言い出すのがわかりきっているので、史季は黙っていることにした。


 今の時点でも大概に夏凛たちに負担をかけているのに、これ以上余計な負担はかけさせたくない。

 だから、タイマンを挑んでくる不良の数が増加の一途を辿ろうが、凶器を持ち出されようが、襲撃を受けようが、黙って自力で対処すると心に決めていた。


 とはいえ、堂々と下校するような真似は勿論せず、自宅の位置を不良たちに知られないよう迂回したり、人通りの多い道を選んだりと、可能な限り不良に絡まれずに済むよう気をつけながら帰途につく。

 普段ならば、そこまでしてなお絡まれていたのだが、


(……あれ? 今日はまだ誰にも絡まれてない?)


 夏凛たちと別れてからすでに一〇分以上経過しているにもかかわらず、いまだ一度も不良に絡まれずに済んでいた。

 一〇分も歩いていれば少なくとも一度、多い時は三度くらいは絡まれていてもおかしくないのに。


 そんな状況に史季は、安堵よりも先に疑問が立ってしまう。

 不良か一般生徒パンピーかは定かではないが、ものだから、なおさらに。


 何かがおかしい。

 だけど、その理由がわからない。

 そんなモヤモヤを抱えたまま、史季はついぞ一度も不良に絡まれることなく、自宅のマンションに辿り着いた。

 中に入って階段を上がり、自分の部屋がある階まで来たところで、ここに来るまでに一度も不良に絡まれずに済んだ理由を理解する。


 史季の部屋の前には、聖ルキマンツ学園の制服を着た、一人の女子生徒が待ち構えていた。

 ボーイッシュな黒髪と色白の肌、美少女というよりも美女と呼んだ方がふさわしい顔立ちをした、聖ルキマンツ学園においては〝女帝〟の次に有名な不良女子だった。


「遅かったじゃないかい。折節史季」


 まるで友人に会うような気安さで、女子生徒が名前を呼んでくる。

 そんな彼女とは裏腹に、史季はこの日一番の緊張感をもって名前を呼び返した。


「遅いと思ったのなら、僕のことなんて待たずに帰っててくれてもよかったんですよ。

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