第17話 取引

 女子であること以前に、鬼頭派のトップである朱久里あぐりを家に招き入れる度胸など史季にはなかったので、ここは無難にマンションの地下にある駐車場で話をすることにする。


「どうして、僕の家がわかったんですか?」


 開口一番、今最も疑問を解消しておかなければならないことを直球に訊ねる。


「アンタが登下校時に正門から出入りしてることは把握済みだったからね。そこに学校の敷地外でのアンタの目撃情報を加えれば、ある程度は自宅ヤサの位置を推測できる。あとはアタシんとこの派閥の情報網を駆使すれば、ご覧の通りってわけさ」


 事もなげに言ってのける朱久里に、荒井とは別種の脅威を覚えながらも質問を重ねる。


「もしかして、小日向さんたちの家の位置も?」

「勿論特定済みさね。けど、勘違いすんじゃないよ。アタシんとこの派閥は、荒井んとこや他のろくでなしどもと違って、自宅ヤサを襲うなんてくだらない真似は絶対にしない。鬼頭派の名誉にかけて、それだけは断言させてもらうよ」


 朱久里の返答を少し意外に思った史季は、目を丸くする。

 あるいはそんな人間だからこそ、夏凛たちは朱久里のことを「先輩」呼びしているのかもしれない。

 などと考えていると、不意に朱久里がクスリと笑う。


「アンタ、人から顔に出やすいタイプだって言われてないかい? 『ちょっと意外だった』って思いっきり顔に書いてるよ」


 図星を突かれた史季は口ごもりかけるも、ここで引いたら会話以外の主導権もとられるような気がしたので、できる限り毅然とするよう心がけながら朱久里に応じた。


「自覚はしてますよ。それよりも、僕にいったい何の用ですか?」

「なぁに、アンタが今、名を上げたい奴や腕比べをしたい奴に毎日のように絡まれて、困ってるって聞いたもんでねぇ」

「……それ、あなたが仕向けたことじゃないんですか?」


 あえて、カマをかけてみる。

 斑鳩派までもが絡んでいる以上、その全てを鬼頭派が仕向けたと言い切るのは暴論だということは、重々に承知している。

 その一方で、鬼頭派が一枚噛んでいても不思議ではないとも思っている。

 それゆえの言動だった。


「まさか。今言ったような連中にしろ、斑鳩派の連中にしろ、コントロールなんてできる手合いじゃないからね。手を焼かされてるって意味じゃ、アタシらも同じさ」


 返ってきた答えは、「確かに」と思わされるものだった。

 だったから、史季は警戒を強めた。

 油断したが最後、良いように言いくるめられる予感がしてならなかったから。


 ゆえに史季は、手を緩めることなく追及する。


「だったら、どうしてあなたが現れた今日に限って、僕は一度も絡まれることなく家まで帰れたのですか?」

「それは、アタシが鬼頭派のメンバーを使って、アンタが帰り道に使いそうなルートを全て押さえておいたからだよ。斑鳩派の連中といえども、アタシらんとこのメンバーがうろちょろしてる場所で下手な真似はできないし、派閥に属してない連中にしても徒党を組んでない分、数の力に弱い。そんな中でアンタにケンカを売る奴なんざ、まだ学園に残ってるのが不思議なレベルでイカれてる奴くらいのものさね」


 またしても事もなげに言う朱久里に、史季は警戒を強めたそばから、さらに警戒を強める。


 史季は、その日の気分で無作為に登下校のルートを変えている。

 つまりは、その日ごとに史季にしかわからないルートを通っているのだ。

 それゆえに、史季の登下校ルートを特定するのは推測頼みになってしまうわけだが……先程の朱久里の言葉は、その全てのルートを特定したと言っているも同然の内容だった。


 にわかには信じられない話だが、今日の下校時に限ってやけに見かけた同校生の男女が、全て鬼頭派のメンバーだったと考えれば辻褄が合う。

 夏凛は朱久里のことを史季以上に頭が良いと言っていたが、〝以上〟程度では済まないかもしれないと史季は思う。


「どうやら、アタシの話を信じてくれたみたいだね」


 例によって顔に出ていたのか、内心を見透かされたことに呻きそうになりながらも応じる。


「全てというわけではありませんが」

「それで構わないよ。他の不良やつらとは頭のデキが違うアンタなら、アタシの話に嘘がないってことはわかってるだろうしねぇ」

「あなたに言われても嫌味にしか聞こえませんけどね。それに、嘘はないとは思っていませんから」


 その指摘に対し、朱久里は興味深げに「へぇ……」と漏らした。


「どうして、そう思ったんだい?」

「真実の中に少しだけ混ぜ込んだ嘘ほど、見破るのが困難なものはないことくらいは知ってますから。仮にあなたが一つの嘘もついていなかったとしても、という可能性もありますし」

「……どうやらアタシの見立て以上に、他の奴らとは頭のデキが違うようだねぇ」


 あるいは、この言葉が契機だったのかもしれない。

 朱久里が攻め方を変えてきたのは。


「アンタならもうわかってるだろ? アタシらの派閥の長所ストロングポイントが統率力と数の力にあるってことを。そしてそれは、小日向派にはない力だってことも」


 まさしくその通りだったので、史季は首肯を返すしかなかった。


「だからアタシらの派閥なら、今日だけでなく明日以降もアンタに絡んでくる不良を遠ざけることくらい、造作もないってことも理解している」


 これも、首肯を返すしかなかった。


「アタシらにはアンタの悩みを解決するだけの力がある。その上でアンタと取引したいことがあるんだけど……話、聞いてくれるかい?」


 そうしなければ話が進まないので、史季は三度みたび首肯を返した。


「鬼頭派の前身が、一年最強決定戦を運営していた堀田派だったってことは、アンタも知ってるだろ?」


 それだけで察した史季は、わずかに目を見開く。


「まさかやるつもりなんですか? 今年の一年最強決定戦を?」

「そのとおり。とは言っても、時と場所と場面T P Oはちゃんと弁えるけどね」


 朱久里は肩をすくめ、話を続ける。


「四日後の一七時、郊外にある廃病院を舞台に、バトルロイヤル形式で一年最強決定戦を行うつもりでいるんだけど……普通にやってもつまらないから、決定戦を盛り上げる余興として強者のを用意しようと思っててねぇ」

「その賞金首役を、僕にやれってことですか?」

「さすが。話が早くて助かるよ」

「……もし、断った場合は?」

「どうもしないさ。ただ、今の状況が長引けば、アンタを狙う不良どものやり口が段々エスカレートするなんてことも充分あり得る。そうなっちまったら、小日向のお嬢ちゃんたちに余計な迷惑をかけることになるけど、それはアンタも望むところじゃないだろう?」


 これ以上夏凛たちに負担をかけたくない――そんな史季の心中を見透かしたような言葉だった。


「ま、すぐに答えを出す必要はないさね。またここで、明日あたりにでも返事を聞かせてもらうとす――」

「いえ、その必要はないです」


 すでに腹を決めていた史季が言葉を遮ると、朱久里は心底意外そうに目を丸くした。

 すぐに返事がかえってくるとは思っていなかったのか、それとも史季のことを、相手の言葉を遮ってまでを通すタイプではないと思っていたのかは定かではないが、ここにきて初めて、朱久里の想定を上回れたような気がした。


「その顔……賞金首役を引き受けてくれると思っていいんだね?」

「はい。ケンカ自慢の人たちに何かと絡まれるようになったことは、あくまでも僕個人の問題ですから。、それに越したことはない」


 言い回しとしては回りくどいが、この先輩なら皆まで言わなくてもわかってくれる――そう確信した上での返答だった。

 事実、朱久里は余すことなくこちらの意図を汲み取ってくれた。


「つまりは、が取引に応じる条件ってわけかい?」

「はい」

「わかった。アタシの方でも、今回の件については小日向のお嬢ちゃんたちに悟られないよう手を尽くすことを約束する。けど、アンタには言うまでもない話だろうけど、お嬢ちゃんたちを絶対に巻き込まないなんて約束はできないよ。お嬢ちゃんたちがこのことを知ったら、間違いなく向こうから首を突っ込んでくるからね」

「わかってます。だから僕の方でも、小日向さんたちにバレないよう善処はするつもりです」

「そうしておくれ。それから、一年最強決定戦が始まる前にお嬢ちゃんたちに首を突っ込まれた場合は、取引は白紙ということでいいかい?」

「……そうですね。そのあたりが落としどころだと思います」

「決まりだね。決定戦の詳細については、アンタんとこのポストに手紙って形で突っ込んどくから、明日明後日は学校ガッコから帰ったらちゃんと郵便を確認しとくんだよ」


 言い終わると同時に、朱久里はきびすを返す。


「それじゃ四日後、楽しみにしてるよ」


 その言葉を最後に、史季の前から立ち去っていった。


 朱久里が地下駐車場から出ていったところで、史季は深々と息を吐く。

 荒井のような威圧的な恐さはなかったが、常に相手の術中に嵌まっているような恐さがあったせいで、身体以上に心が疲弊していた。


 正直な話、今のやり取りにおいて、どこからどこまでが朱久里の術中だったのかは、史季でも見当がつかない。

 だが一つだけ、はっきりとわかっていることがあった。


(一年最強決定戦ということは、間違いなく鬼頭先輩の弟くんも出てくる。僕を倒した上で一年最強決定戦を勝ち抜かせることで、先輩は弟くんに箔を付けさせるつもりだ)


 取引はあくまでも「賞金首役を引き受けること」であって、史季の勝ち負けには言及していない。

 相手が荒井や川藤のような手合いだったならば、勝ち負け次第で取引を反故にされる恐れもあったが、今話をした限りの印象と、夏凛たちが「先輩」と呼ぶ程度には認めている相手であることを鑑みると、その心配はしなくてもいいだろう。


(それなら……甘い見立てかもしれないけど、賞金首役をたいした怪我もなく務めきることができたら、小日向さんたちに余計な心配をかけずに問題を解決することができるかもしれない)


 無事に乗り切ってみせる――そんな決意を胸に、史季も踵を返して地下駐車場から立ち去っていった。

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