第13話 謝罪

 鼻ピアスが悶絶している間に、美久は春乃と一緒にブロック塀を乗り越える。

 塀の向こうは公園の散歩道になっており、お世辞にも体力があるとは言い難い二人は「はひはひ」言いながらも走り続け……体力の限界を迎えたところで、散歩道から外れた木々の陰に身を隠す。


「はぁ……はぁ……春乃ちゃん……どうして……ここに……?」


 息も絶え絶えに訊ねるも、返ってきたのは「ぜひぃ……ぜひぃ……」という、こちら以上に絶え絶えになった息遣いだった。

 これは答えてもらうどころの話ではないと思った美久は、しばしの間息を整えることに集中していると、


「先輩たちとカラオケに行って……ごはんを食べに行こうってなった時に……たまたま振り返ったら……美久ちゃんっぽい子が……逃げてるのが……見えたから……」


 多少なりとも息が整ったのか、途切れ途切れながらも春乃は答えてくれた。


 美久は春乃の息が整うのを待ってから、話を切り出す。

 言おうと思っていた謝罪はなしとは、別の話を。


「どうして、助けに来てくれたの?」


 言ってから、自己嫌悪する。

 謝罪よりも先に「自分を騙した相手をどうして助けにきたのか」という疑問の方が先に立ってしまう自分が、嫌で嫌で仕方なかった。


「私は春乃ちゃんを騙したんだよ? 自分の身かわいさに、春乃ちゃんのことを売ったんだよ? なのに……どうして助けにきてくれたのよぉ……」


 言ってから、またしても自己嫌悪してしまう。

 どこをどう切り取っても、助けに来てくれた相手にかける言葉じゃなかったから。


「どうして助けてに来てくれたのって……」


 春乃は、美久の言葉を反芻するように呟き、


「……どうして?」


 小首を傾げた。

 まさか問い返されるとは思わなかった美久は、思わず目が点になってしまう。


 さすがにこちらの困惑を感じ取ったのか、春乃は慌てて「どうして?」の意味を語り出した。


「いや、だって、友達を助けるのは当たり前でしょ?」


 邪気のない言葉が、美久の心を抉る。


「だから、私は、その友達を……売ったんだよ……助ける価値なんて――」

「ある!」


 食い気味に、春乃は断言する。


「だってわたし、美久ちゃんのこと好きだもん!」

「好……っ!?」


 ではないことはわかっていても、あまりにも直球すぎる物言いだったせいで、つい狼狽えてしまう。

 そんなこちらの動揺に気づいた春乃は、すぐさまとんでもない言葉を付け加えた。


「安心して! わたし、男の人が大好きだから!」


 ここが駅前の通りだったならば、通行人のほとんど――特に男性――が振り返るような言葉だった。

 これには美久も、自己嫌悪を忘れてフォローに回ってしまう。


「わかった……! 友達としてって言いたいのはわかったから……!」


 途端、春乃が「あ、それだ」と言いたげな顔をするものだから、どっと疲れた気分になってしまう。


 だけど、だからこそ、今なら謝れるような気がしたので、


「……ごめん……なさい。春乃ちゃんのこと……騙してしまって……」


 絞り出すような声で、今度こそ、ようやく、春乃に謝罪した。


「んーん。気にしてないよ。先輩たちも言ってたけど、悪いのは荒井派の人たちだから」


 許してもらおうと思って謝罪したわけではない。

 けれど、それでも、許してもらえたことが嬉しくて、目尻から涙がこぼれてしまう。


「み、美久ちゃんっ!? わ、わたし何かダメなこと言った!?」

「あ、や、春乃ちゃんが悪いんじゃな――」



「こっちだ! 話し声が聞こえたぞ!」



 男の叫び声が聞こえ、美久と春乃は揃って息を呑む。

 状況を鑑みずに喋っていたら、見つかってしまうのは道理。


 だがそんなことは美久も春乃もわかっており、だからこそ初めの内は声を落として喋っていたのだが……話の内容が内容だったせいもあって、どうしても感情を抑えることができなかった。


「美久ちゃん! 走れる!?」

「う、うん! 充分休めたから!」


 二人はすぐさま公園の出口を目指して走り出す。

 人ごみのせいではぐれたのか、春乃が〝女帝〟たちに一言も声をかけずに追いかけてきたのかはわからないが、今頃小日向派の面々は春乃のことを捜しているはず。

 鼻ピアスたちに捕まる前に見つけてもらうことができたら、この窮地を脱することができる。

 そのことをわかっていたから、一秒でも長く鼻ピアスたちから逃げるために、美久も春乃も必死になって走り続けるも……体力が回復しようが足の遅さは如何ともしがたく、グングンと距離を詰めてきた鼻ピアスたちが背後まで迫ってくる。

 そして、あともう少しで公園の出口に辿り着くというところで、


「逃がすかよッ!」

「あぐ……っ!」


 とうとう追いついた鼻ピアスに、春乃は腕を掴まれてしまう。


「春乃ちゃんっ!!」

「逃げて美久ちゃんっ! 近くに先輩たちがいるはー―んんっ!?」


 鼻ピアスに口を塞がれ、春乃の叫び声が途切れる。


「おっと、あんまでかい声で騒ぐんじゃ――いってぇッ!!」


 今度は、鼻ピアスの声が途切れる番だった。

 口を塞いでいた手を、春乃に噛まれてしまったのだ。


 鼻ピアスが痛がっている隙に春乃はどうにか逃げ出そうとするも、最悪のタイミングでドジをやらかしてしまい、何もないところですっ転んでしまう。


「てめぇッ! もう許さねぇぞッ!」


 激昂する鼻ピアスが、倒れている春乃を蹴ろうと足を大きく振りかぶる。

 半ば反射的に体が動いた美久は、上から覆い被さることで春乃の盾になる。


 そして、衝撃と痛みが美久を襲う――ことはなかった。

 美久が春乃に覆い被さった直後に、別の誰かが美久たちに覆い被さり、代わりに盾になってくれたのだ。


 その数秒後、覆い被さってくれた誰かが体を離したので、美久は顔を上げる。

 自分たちを庇ってくれた人は、およそ不良には見えない、聖ルキマンツ学園の制服を身に纏った男子だった。


(この人は……)


 間違いない。

 小日向派においては唯一の男子で、春乃の先輩の、


「史季先輩っ!!」


 美久に遅れて顔を上げた春乃が、折節史季を見て喜色の声を上げる。


「なんだぁ、てめぇ?」


 鼻ピアスは露骨に苛立った声で訊ねるも、史季は相手にすることなく美久たちに声をかける。


「大丈夫、二人とも? 怪我はない?」

「は、はい……あの……ありがとうございます……」

「ありがとうございます!」


 美久と春乃が礼を言うと、史季は「どういたしまして」と笑みを浮かべ、立ち上がった。


「無視とは良い度胸してるじゃねぇか。そんだけ度胸があるなら、俺たちにブチ殺される覚悟も勿論できてんだろうなぁ?」

「ブチ殺される覚悟?」


 問い返しながら、史季は振り返る。

 美久と春乃の位置からは見えないが、史季の双眸には凄みにも似た輝きが宿っており、その視線に射抜かれた鼻ピアスは思わずといった風情で一歩後ずさった。


「それは僕の台詞だよ。女の子を追いかけ回して、挙句の果てに暴力まで振るおうとして……」


 直後、鼻ピアスのみならず、その後方にいた彼の仲間たちまでもが一歩後ずさる。



「それ相応の覚悟は、できてるんだろうな?」



 先程までの穏やかな物言いとは一転、怒気を孕んだ物言いで問い返す。

 およそ不良らしからぬ外見からは想像もつかない〝圧〟を前に、鼻ピアスたちは完全に気圧されていた。


「ざ、ざっけんな……」


 不良としての矜持プライドがそうさせるのか、鼻ピアスは悪態一つでされた気を踏み止まらせる。


生意気ナマ言いやがってッ! マジでブチ殺してやるッ!!」


 さらなる悪態を吐き出すことで、下がった足を前に出し、史季に殴りかか――


「!?」


 まるでその行動を予見していたかのように、鼻ピアスが殴りかかるよりも早くに、史季のハイキックが彼の側頭部を捉える。

 一撃で意識を刈り取られた鼻ピアスは、力なく地面に倒れ伏した。


 残った五人の不良たちが、揃いも揃って呆けた顔をするも、


「い、一撃かよ!?」

「に、逃げるぞッ!」

「やっぱやべぇよ、あの学園ッ!」


 鼻ピアスを置いて、脱兎の如く逃げ出していった。が、その行動がの不興を買うこととなる。



「躊躇なく友達ダチ見捨てて逃げてんじゃねーよ」



 いつの間にやら不良どもが逃げる先に待ち構えていた〝女帝〟――小日向夏凛が、すれ違いざまに鉄扇で急所を打ち据え、四人の不良を一瞬の内に昏倒せしめる。


 運良く一人だけ助かった不良は、仲間がやられたにもかかわらずしめしめとした表情で逃げ去ろうとするも、


「ダ~メ❤」


 どこからともなく現れた冬華が、全速力で逃げていた不良を足で引っかけ、派手に転倒させる。


「いってえなクソ……!」


 悪態をつきながらもすぐさま起き上がって逃げようとするも、スタンバトンを両手に持った金髪の幼女もとい、千秋が眼前に立ちはだかっていることに気づき、中途半端に腰を上げた体勢のまま固まってしまう。


「ウチらの後輩に手ぇ出したらどうなるか……た~っぷり教えてやんよ」


 直後、最大出力の電撃をお見舞いされた不良は「あばばばばばッ」と喜劇じみた悲鳴を上げると、他の仲間と同じように力なく地面に倒れ伏した。

 助けに現れてから、一分もかからない内に起きた出来事だった。

 あれだけ恐かった不良たちを一網打尽にする、小日向派のあまりの強さに、美久は思わず唖然ポカンとしてしまう。


 そうこうしている内に、小日向派の面々がぞろぞろとこちらに集まってくる。

〝女帝〟がヒーロー気質なことは知っていたし、何よりも春乃が慕っている先輩だから、彼女たちのことを恐いと思ったりはしないけれど。

 美久からしたら、芸能人とかインフルエンサーとかに近い存在だったため、否が応でも緊張してしまう。

 荒井派に脅されて春乃を呼び出した件について、この人たちにも謝らなければならないと思っていたから、なおさらに。


「怪我はねーか? 春乃。それから、えーっと……」

「この子は三浦美久ちゃん! わたしの友達です!」

「あ、はいっ! は、春乃ちゃんの友達の三浦美久です! そ、それから……」


 ウチらの後輩に手ぇ出したらどうなるか――つい先程その言葉を聞いたせいもあって、さすがにヒーロー気質の〝女帝〟といえども、私のことを許してくれないかもしれないと考えてしまう。

 そのせいで夏凛たちの顔をまともに見れなかった美久は、ギュッと目を瞑りながらも、覚悟を決めて決死の言葉をついだ。


「荒井派の人たちに脅されて、春乃ちゃんを呼び出したのも私です!」


 言い切ると同時に、夏凛たちに向かって頭を下げる。


 沈黙が、場を支配する。


「……ね~、りんりん」

「わーってる」

「だったら、ここは僕たち全員で」

「だな」

「いや、あたしが一人でケジメをつける」


 目を瞑ったまま、頭を下げたまま、聞いているだけで震え上がりそうになる会話に耳を傾ける。


〝女帝〟はケジメをつけると言った。

 不良がどういう意味で「ケジメをつける」という言葉を使っているのかは、美久も知っている。

 知っているから、小日向派全員でではなく、〝女帝〟一人でケジメをつけるという恩情をもらえただけでも充分だと思った。


 全てを受け入れる覚悟は、もうできている。

 ……いや、やっぱりちょっと……いや、かなり恐いと思いながらも裁きの時を待つ。

 


 そして――



「ほんっとうにごめんっ!」



〝女帝〟の心底申し訳なさそうな謝罪が、美久の耳朶じだを打った。

 何が起きたのか全く理解できず、恐る恐る瞼を上げ、恐る恐る頭を上げ――吃驚する。


 なぜなら、あの聖ルキマンツ学園のトップに君臨する〝女帝〟が、一介の一年生に過ぎない自分に向かって深々と頭を下げていたから。


「ほんとはもっと早く詫びに行った方がよかったのはわかってるけど! あたしが直接一年生の教室に行ったら騒ぎになるというかなんというか……」

「ぶっちゃけ、ビビってただけだな」

「あーあーそのとおりだけど、うっせーぞ千秋! てめーだって人のこと言えねーだろが!」

「ワタシたちが下手なことをして、はるのんの交友関係が余計に悪くなっちゃうのは、さすがにイヤだしね~」

「ま、まあ、小日向さんと月池さんがビビっちゃうのも仕方ないよ」

「「ビビってねえしっ!!」」

「いや、小日向さんはさっき自分で認めてたよね!?」


 そんな賑やかなやり取りに目が点になっていた美久の肩を、隣にいた春乃がちょいちょいとつついてくる。

 振り向くと、春乃は心底嬉しそうに、そしてどこか自慢げに、笑顔を浮かべていた。

 美久も釣られて笑みを零しながら、素直な感想を友達に伝える。


「春乃ちゃんが先輩たちのことを慕っている理由、わかった気がする」

「でしょ~?」


 そう答える春乃の表情は、どこまでも嬉しそうで、どこまでも誇らしげだった。


「あーもう! おまえらいい加減黙れ!」


 夏凛の一喝に、史季は苦笑まじりに首肯し、千秋が「へいへい」と、冬華が「はいは~い」と返事をして口を噤む中、美久は慌てて夏凛に向き直り、率直に訊ねる。


「で、でも……どうして先輩が、私に謝るんですか?」

「どうしても何も、ミクはあたしらと荒井派のケンカに巻き込まれただけの被害者だろが。それから荒井派の不良バカどもに脅されて春乃を呼び出したことは、全っ然気にしなくていいぞ。下手に抵抗したせいでミクが不良バカどもにひどい目に遭わされちまうことの方が、春乃にとってもあたしらにとってもきちーからな」


 そう言って、夏凛は「だろ?」と春乃を見やり、春乃は浮かべっぱなしになっていた笑顔をそのままにコクコクと首肯する。


 春乃が言っていたとおり、この件に関して悪いのは荒井派だというのが小日向派の総意だったことに加えて、あの〝女帝〟に名前で呼ばれたことに心が浮ついていることを自覚しながらも、美久は勇気を振り絞って夏凛に言う。


「だったら、小日向先輩も謝らなくて――」

「あ、別に夏凛って呼んでいいぞ」


 言葉を遮られた上に、名前で呼んでもいいなどと言われるとは夢にも思ってなかったせいで、振り絞った勇気が一瞬にして絞りかすになってしまう。

 草食動物的な意味でこの中で最も美久に近しい史季が、夏凛のことを控えめに窘める。


「小日向さん、今のはちょっとまずいよ。ほら」

「ぁ? あー……」

 

 なんかもう色々と限界が来ているこちらの心中を察してくれたらしく、夏凛は「やっちまった」とばかりに片手で頭を抱えた。


「と、とにかく、あたしがミクに言いたいことっつーか、お願いしたいことはだな……春乃は色々と危なっかしい奴だけど、それ以上に素直でいい奴だから……その……これからも、こいつの友達でいてやってくれないか?」


 あの〝女帝〟が、少しだけ不安そうな顔をしながら訊ねてくる。


 声を出して返事ができるほどの勇気は、もう残っていないけれど。

 この問いに答えること自体は勇気なんて必要ないので、美久は全力でコクコクと頷いて返した。

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