第12話 危機

 美久が、コンビニで立ち読みをするフリをしながら春乃たちが出てくるのを待ち始めてから、二時間が経過した頃。

 時刻はもうすでに一九時半を回っていた。


 不良でもなんでもない美久は当然親に連絡を入れており、友達と晩ごはんを食べてくると嘘をついて、こうして粘り続けているわけだが、


(なんか、やってることがストーカーみたい……)


 余計なことを考える時間がたっぷりとあったせいで、今の自分を客観視する余裕ができてしまった結果、哀しすぎる事実に気づいてしまう。

 見計らったように、くぅ~っと鳴ったお腹が哀しさに拍車をかけていた。


(で、でも! ここで引き下がったら、本当に一生春乃ちゃんに謝れないかもだし!)


 そんな美久の奮起が天に届いたのか。

 まさしく今この瞬間、〝女帝〟たちとともにカラオケ店から出てきた春乃を見て、思わず目を見開いてしまう。

 読んでいるフリをしていた雑誌を本棚に仕舞い、慌ててコンビニを飛び出すも、


「えっ!?」


 通りに出た時にはもう、春乃たちの姿はどこにも見当たらなかった。


 一九時半を回っていることもあって、人通りの多さが二時間前の比ではないことに加え、男子の先輩も含めて小日向派には背丈の高い人間がいないため、春乃たちの姿が人ごみに埋もれてしまったのかもしれない。

 あるいは、カラオケ店から出てすぐのところにある筋を曲がって行ったのかもしれない。


 兎にも角にも追いかけなくちゃと思った美久は、カラオケ店を出た直後に春乃たちが向かった方角へ向かって、人ごみをかき分けるようにして駆け出す。


 だが――


「あぅっ!?」


 人とぶつかってしまい、矮躯ゆえに一方的に弾かれた美久はたたらを踏みながらも、どうにかこうにか踏み止まった。


「ご、ごめんなさ――……」


 謝ろうとした口が、中途半端に開いた状態で固まってしまう。

 なぜなら、美久がぶつかった相手は、どこをどう見ても不良にしか見えない人種の男だったからだ。

 不良は一人だけではなく、似たり寄ったりな外見をした男の不良が他にも五人、連れ立っているものだから、ぶつかった相手としては最悪もいいところだった。


「おいおい、熱烈なアプローチされちったよ」


 美久にぶつかられた鼻ピアスの不良がおどけると、


「こりゃ、付き合っちゃうか~?」

「よく見たら、けっこう可愛いしな~」


 好き放題言いながら、残りの五人がゲラゲラと笑い出す。


 美久も含めて七人の人間が足を止めたという理由もあるが、下手に関わると何をされるかわかったものではない不良たちを見て、通行人の多くが目を合わせないようにしながらこちらを避けて歩いていく。

 この人ごみにおいて、自分たちの存在がなかったことにされていることに気づいた美久は、色を失うばかりだった。


「つうかさ、この子の制服、世紀末のじゃね?」


 思わず、ドキリとしてしまう。


 相手は不良。だから世紀末学園と呼ばれている聖ルキマンツ学園のことを、誰よりも恐れているはず――などという都合の良い考え方は、どうしてもできなかった。

 同じ不良ゆえに、聖ルキマンツ学園の不良に痛い目に遭わされ、恨んでいる――そんな考え方しかできなかった。


 そしてそれは、正しかった。


「んだよ、世紀末のスケかよ」


 聞いたことがない単語を発しながら、鼻ピアスが睨んでくる。


「こないだ、荒井のクソにひでぇ目に遭わされたの忘れてねぇぞ」

「俺なんか肋骨やられて、二週間も入院するハメになっちまったからな」

「こりゃちょっと、をさせてもらわないとなぁ」


 聖ルキマンツ学園に籍を置いていることもあって、この手の輩が女性に対してどういう行為に及ぶことを好んでいるのかは、美久も重々に承知している。

 しているから、恐怖で震える体を無理矢理にでも動かして、鼻ピアスたちの前から全力で逃げ出した。

 春乃たちを見失った方角とは真逆の方角に。


 その選択が自分にとって、良いことなのか悪いことなのかを考える余裕は今の美久にはなく、何度も人とぶつかりそうになりながらも人ごみの中を逃げていく。

 こういうことには慣れているのか、鼻ピアスたちは声を荒げて注目を集めるような愚も、六人仲良く密集して追うような愚も犯さず、個々に分散する形でこちらを追いかけてくる。


 ここは人通りの多い駅前。

 だからこそ近くに交番があることも、ここから走って三~四分程度で辿り着けることも、美久は知っている。

 だがそれは相手も同じのようで、鼻ピアスの仲間の一人が交番のある通りに先回りしようとしていることに気づき、美久はちょっとだけ泣きそうになる。


 それならいっそのこと、このまま人ごみの中に留まり、鼻ピアスたちが諦めるまで待つことを考えるも、友達と晩ごはんを食べると親に連絡したとはいっても、それならそれで二一時までには帰ってくるようにと言い含められているので、すぐさま除外する。

 門限のある身で、門限など存在するはずもない不良たち相手に長期戦を挑むのは、分が悪いどころの騒ぎではなかった。


 今すぐ大声を上げて助けを求めるという手もあるが、こんな人が大勢いるところで大声を上げる度胸など美久にはないので、これも除外する。

 というか、そんな度胸があるなら、もうとっくの昔に春乃に謝ることができているはずだ。

 

(それなら……遠回りして違うルートから交番に向かう、とか?)


 上手くいけば門限までには帰れそうだし、人ごみで目立つような真似もしなくて済む。

 自己嫌悪したくなるほど消極的という点を除けば、これ以上ない一手かもしれない。


 そう確信した美久は、人気ひとけが少なくなるという危険リスクを承知した上で路地に飛び込んだ。

 交番へ至るための迂回ルートになっているという理由もあるが、入り組んだ道を行くことで、上手くいけば鼻ピアスたちを撒けるかもしれないという期待があっての行動だった。

 その選択が、自分の首を絞めることになるとも知らずに。


 適度に曲がり角を曲がりつつ、入り組んだ路地を駆け抜けていく。

 人気は最早少ないを通り越して無いに等しいが、それは鼻ピアスたちも含めての話なので、もしかしたら本当に上手く撒けたのかもしれないと思っていたら、


「!?」


 曲がり角を曲がった先で鼻ピアスの仲間の背中が見えて、心臓が止まる思いをしながらも、曲がったばかりの角から即座に身を引っ込める。


(こ、こっちのルートがダメなら……!)


 すぐさま来た道を引き返し、たっぷりと距離を離してからルートを変えて交番を目指すも……またしても鼻ピアスの仲間に出くわしてしまい、即座に曲がり角から身を引っ込めた。


「おい! いたぞ!」


 だが今度は気づかれてしまい、美久は涙目になりながらも脱兎さながらに逃げていく。

 最早交番へのルートなど考える余裕はなく、ただただ必死に逃げ惑う。


 逃げて、逃げて、逃げ続けて――


「そっち、見なかったか?」

「いや、見てねえな」

「もっかい、この辺り捜してみっぞ」


 決して広くはない駐車場の隅に停められた、車の陰に隠れていた美久は、震えて縮こまりながらも鼻ピアスたちの苛立った話し声を聞いていた。


 先程、鼻ピアスの仲間の一人が駐車場に入ってきたが、美久は相手の動きに合わせて隠れる位置を変えることで、ひとまずは難を逃れることができた。

 けれど、鼻ピアスたちは絶対にこの近くに美久がいることを確信しているらしく、駐車場のある通りからは決して離れようとしなかった。


(どうしよう……どうしよう……)


 震える手で、スマホを握り締める。


 人通りの多い場所を逃げ回っていた時ならいざ知らず、今は相当に状況が切羽詰まっているので、一一〇番通報すれば警察も対応してくれるかもしれない。

 だが、通報するとなると必然的に声を出さなければならず、鼻ピアスたちに聞こえてしまう危険性が極めて高いため、助けを乞いたくても乞えない状況に陥っていた。


 となると、できることは一つ。

 

 これしかない。


 幸いなことに、現在春乃は〝女帝〟たちと行動をともにしている。

 彼女にLINEで助けを乞えば、ヒーロー気質な〝女帝〟ならばきっと助けに来てくれるだろう。


 だけど、


(どの口が……だよね)


 荒井派に脅された時も、自分はこのLINEでメッセージを送り、春乃を呼び出した。

 そのせいで、彼女がひどい目に遭うことをわかっていながら。


 それなのに自分は今、厚かましくも春乃に助けを求めようとしている。

 彼女を罠に嵌めたLINEを使って。


(できない……やっぱりできない……)


 こうなったらもう、絵里と聡美にLINEを送り、警察に連絡してもらうようお願いする。

 それしかないと思い、スマホの電源ボタンを押した矢先だった。


「おやおやぁ?」


 通りの方から、鼻ピアスの声が聞こえてくる。

 獲物を見つけたかのような、嗜虐的な響きが入り混じった声だった。


(まさか居場所がバレた!? でもどうして!?)


 心の中で悲鳴を上げながらも頭をフル回転させ……すぐに気づく。

 今は夜。人気ひとけのない場所に逃げたせいもあって、まともな光源は薄暗い街灯くらいで、夜闇が支配している領域は極めて広い。

 そんな状況でスマホに電源を入れたらどうなるかなど、考えるまでもない話だった。


(どうしよう……! どうしよう……!)


 先程みたいに、障害物として車を上手く使えば切り抜けられるかもしれない。

 けれど、駐車場から通りに逃げ出したところで、その先では鼻ピアスの仲間の不良たちが待ち構えている。逃げ切れるとは思えない。


 背後にあるブロック塀は登れないほどの高さではないが、だからといって数秒で登り切れるほど低くもないので、まず間違いなく塀を登りきる前に鼻ピアスに捕まってしまう。


 どちらを選んでも、逃げ切れる可能性はほんのわずか。

 だからといって何も選ばなければ、ほんのわずかな可能性すらも失われてしまう。


(わかってる……わかってるけど……!)


 どちらを選んでも失敗する未来しか見えなくて、どちらも選ぶことができなかった。

 こんな切羽詰まった状況でさえも決断できない自分に、心底嫌気が差してくる。


「どこにいるのかなぁ?」


 そんな言葉とは裏腹に、聞こえてくる足音は微塵の迷いもなくこちらに近づいてくる。


(決めなくちゃ……)


 ここで何も決めずに捕まって、こいつらにひどい目に遭わされたら、たぶん、きっと、私はこう思うようになる。


 春乃ちゃんに謝ろうとしたから、こんな目に遭った――と。


 そんなのは、絶対に嫌だ。


 そんなことになったら、たぶん、きっと、私は私のことを一生嫌いになると思う。


 そんな最低な人間には、なりたくない。


(だから……!)


 ちっぽけな勇気をかき集め、美久は決断する。

 ブロック塀を登って逃げるという決断を。


 だが、勇気を振り絞ったからといって何もかもが上手くいくほど現実は甘くなく、美久が塀をよじ登ろうとした瞬間、


「逃がすかよ!」


 鼻ピアスはすぐさま駆け出してこちらの後ろ襟を掴み、力尽くで塀から引き剥がした。


「きゃあっ!?」


 それによって美久はアスファルトの地面にお尻をしたたかにぶつけてしまい、そのあまりの痛さにすぐには動けなくなってしまう。


「さぁて……手こずらせてもらった分、楽しませてもらわねぇとなぁ」


 舌舐めずりする鼻ピアスを前に、美久は絶望的な気分になる。

 わかっていたけど、そんな気はしていたけど、結局決断しても駄目だった。

 だけど、奇跡とまではいかなくても、もうちょっとくらい良いことが起きたっていいのにと思わずにはいられなかった。

 決断して、失敗して、悲鳴を上げたからこそ、に見つけてもらえたことにも気づかずに。



「やぁ――――――――――――――――――っ!!」



 雄叫びと呼ぶには少々気が抜けた、女の子の叫び声が耳朶じだに触れる。

 その声に聞き覚えがあった美久は、弾かれたように顔を向け――瞠目する。


 声の主が、ここにいるはずのない人物だったから。

 謝ろう謝ろうと思いながらも、いまだに謝れない人物だったから。

 どこをどう見ても、桃園春乃にしか見えなかったから。


 美久に遅れて振り返った鼻ピアスが、ノタノタと走って突っ込んでくる春乃を見て、下卑た笑みを浮かべる。


「おいおい、お楽しみが二つに増えちったよ」


 そんな余裕は、春乃が鼻ピアスに向かって、霧散することになる。


「わわっ!?」


 相対距離が二メートルを切ったところで、春乃は何もないところで蹴躓いてしまい、


「おごぉッ!?」


 ヘッドスライディングを彷彿とさせる勢いで、身を投げ出すような頭突きを鼻ピアスの股間にお見舞いした。

 言うまでもないが、勿論ただの偶然である。


「ぉおう……ぉおぉ……」


 股間を押さえながら地面をのたうち回る鼻ピアスを尻目に、春乃はすっくと立ち上がって美久の手をガッチリと握る。


「逃げるよっ! 美久ちゃんっ!」


 急展開に理解が追いつかなかった美久は「う、うん……」と困惑混じりの返事をかえしながらも、春乃の手をしっかと握り返した。

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