第11話 恋と呼ぶには

「夏凛先輩がジンジャエールで……史季先輩がグレープジュースで……」


 ドリンクディスペンサーの前で右往左往する春乃の背中を、少し離れたところから見守っていた千秋が、隣にいる冬華に藪から棒に訊ねる。


「冬華……あの二人、?」

「そ~ゆ~ことって、ど~ゆ~ことかしら~?」

「すっとぼけるなら、ウチの分のお茶確保してさっさと部屋に戻んぞコラ」

「あ~ん、ウソウソ。そ・れ・に~、折角はるのんがワタシたちの分まで用意するって言ってるんだから、ちゃ~んと待っててあげないと~」

「待ってる間に、夏凛と折節がおもしれぇことになってるかもしれねぇからか?」


 これが答えだと言わんばかりに、冬華はニンマリと笑う。

 夏凛と史季が両想いかもしれない――冬華がそう睨んでいることを確信した千秋は、どう反応リアクションをとればいいのかわからず、ポリポリと頬を掻いた。


「折節の奴は夏凛に惚れる要素満載だったし、最初はなから夏凛にばっか目ぇ行ってたから、まぁそうだろうなってくらいにしか思わねぇけど……夏凛の方は、さすがにちょっと信じらんねぇなぁ」

「ま~それだけ、荒井先輩を倒した時のしーくんがカッコよかったってことでしょ~ね~」

「なんて断言してるってことは、夏凛の野郎が折節に惚れたのはそん時ってわけか」

「惚れたって言い切るには、まだちょ~っと微妙かもしれないけどね~。りんりんってば、経験豊富そうに見られるのは好きなくせに、その辺りの経験は皆無だから、しーくんに対して抱いてる感情がなんなのかもわかってなさそうだし。ま~、そういう意味ではしーくんも似たり寄ったりだけど~」

「そうか……ふ~ん……そうか……」


 千秋は何気ない風を装いながらも、色恋とは縁遠かった友人に春が来つつあることに、驚きと照れくささとなんとなく先を越されたような気分になる。


 そんな心中を見透かしたのか、冬華がニヨニヨと笑いながら言う。


「経験が皆無って意味じゃ~、ちーちゃんも同じだよね~」

「バ……っ! か、夏凛よりも余裕で経験あるっつうのっ!」


 などと、願望混じりに怒鳴り返す千秋は気づいていないが、小さな顔が見事なまでに赤くなっているため、冬華からしたら友人のかわいらしい有り様にニヨニヨ笑いが止まらない思いだった。


「な、何笑ってんだよ!」


 でしッと力なく冬華の腕をはたく。


「べっつに~」


 ますますニヨニヨ笑う彼女を見て、自分の顔が赤くなっていることにようやく気づいた千秋は、拗ねるようにしてそっぽを向いた。


「つうか、これ以上ここで時間潰すのはそれはそれで勿体ねぇから、そろそろ戻ん――」



「ああっ!? 千秋先輩の緑茶にジンジャエール入れちゃったっ!?」



 そんな春乃の悲鳴を聞いて、千秋も、冬華さえも沈黙してしまう。


「……冬華」

「わかってるわ、ちーちゃん」


 そのやり取りだけで意思疎通を完了させた二人は、敢然とした足取りで春乃の手助けに向かった。



 ◇ ◇ ◇



 一体全体何がどうなってこんなことになってしまったのか。

 夏凛に床に押し倒された格好になってから二分を経過してようやく、史季はそんなことを考え始める。


 自分の顔は今、絶対に真っ赤になっている。それだけは断言できる。

 女子に押し倒された経験なんてないという当たり前の理由も大きいが、押し倒してきた女子が夏凛だという事実が、どうしようもないほどに顔を熱くさせていた。

 そして何よりも顔を熱くさせている理由は、押し倒した夏凛までもが顔を真っ赤にしていることだった。


 あれだけ心臓に悪いスキンシップをしてきた夏凛が、今の状況が恥ずかしくて恥ずかしくてたまらないと言わんばかりに顔を真っ赤にしている。

 状況のせいかもしれないけれど、少なくとも夏凛がこちらのことを異性として意識してくれている事実が、嬉しくて、こそばゆくて、堪らない。


 もっともそこで調子に乗れるような史季ではなく、あくまでも意識されているというだけで、小日向さんが僕に惚れるなんてあり得ないなどと考えているところが、折節史季が草食動物おりふししきたる所以だった。


「えっと……」


 押し倒されてから三分が過ぎたところで、ようやく夏凛が口を開く。

 互いの顔の距離が遠いようで近いせいか、言葉とともに顔の表面を撫でた吐息が、ただでさえ賑やかになっていた心臓をさらに賑やかにさせる。


「ど、どいてもいい……よな?」


 夏凛は夏凛で相当に混乱しテンパっているのか、よくわからない断りを入れてくる。

 兎にも角にもここは「どうぞ」と返す以外にあり得ないわけだが、なぜか、すぐに返事をかえすことができなかった。


 もしかしたら、まだもう少しだけ、このままでいたいと思っている自分がいるのかもしれない。


 だって、こんなにも顔が赤くなっている小日向さんと、僕のことを意識してくれている小日向さんと見つめ合う機会なんて、たぶん今後一生ないと思――


「――うぶッ!?」


 突然開いた扉が頭にぶつかり、思わず珍妙な悲鳴を上げてしまう。


「わわっ!? どうして開かないんですかっ!?」


 続けて、春乃の焦り声が扉の向こうから聞こえてくる。


 史季が夏凛に押し倒された場所は、入口の扉の手前。

 だから、部屋に戻ってきた春乃たちが扉を開けたら、夏凛よりも上背の史季の頭に扉がぶつかるのは必然であり、みんなが戻ってきたことで史季も夏凛も慌てふためいてしまうこともまた必然だった。


「ここここ小日向さん……!」


 小声で焦りを吐き出す史季に、夏凛も小声で焦りを吐き出し返す。


「わわわわかってる……!」


 夏凛はすぐさま自分が座っていた位置に戻り、


「ご、ごめん! 鞄が落ちて拾いにいったら入口を塞ぐ形になっちゃって……!」


 咄嗟に出た言い訳にしては、なかなかに上出来だった。

 事実、夏凛も「ナイス」と言わんばかりに一瞬だけで親指を立ててくれた。


「こ、こちらこそごめんなさい! ……もう開けてもいいですか?」

「う、うん! いいよ!」


 答えながらも、冷汗が頬を伝っていくのを感じる。

 受け答えしてくれているのが春乃だけで、千秋と冬華が何の反応を示さないことが不気味に思えてならなかった。


 そうこうしている内に扉が開き、自分の物と思しきメロンソーダの入ったコップを持った春乃が部屋に入り、続けて千秋と冬華が中に入ってくる。

 二人の両手にはそれぞれ自分のドリンクに加えて、史季と夏凛のドリンクも握られており、だからこそ扉の開け閉めは片手が空いている春乃に任せたのだろうと、史季は思う。


 ドリンクをトレイでまとめて運んでこなかった理由は、「一番年下の自分が」と意気込んでいた春乃が、自分がトレイを運ぶと強弁するのは想像に難くなく、だからこそ危険だと判断し、手で直接持っていく形にしたといったところだろう。

 

 史季と夏凛は、三人がドリンクをテーブルに並べていくのを、無駄にドキドキしながら見守る。

 ドリンクが行き渡ったところで席につく三人を見て、史季と夏凛が揃って安堵の吐息をつこうとした時、案の定というべきか、がぶっ込んできた。


「あらあら~? りんりんもしーくんも、ちょ~っとばかし服が乱れてるけど、いったいナニをしていたのかしらね~?」


 史季と夏凛が揃ってドキーンとする中、冬華の隣にいる千秋が「いくらなんでも、それはねぇだろ」と言いたげな顔をしながら緑茶を飲――


「そそそそれって事後ってことですかっ!?」


 盛大に食いついた春乃の一言で、飲みかけの緑茶を「ブーッ!!」と噴き出してしまう。

 千秋がケホケホとせる中、夏凛のツッコみが響き渡る。


「春乃おまえマジで隠さなくなってきたなっ!?」

「いや~それほどでも~」

「褒めてねーっ!! つーかいくらなんでも、んな早くわけねーだろっ!!」


「あら? その気になればこともできるわよ?」


 冬華のまさかの発言に、場が一瞬にして凍りつく。

 彼女がこの五人の中で、その手の経験がダントツで豊富な分、誰も異論を挟むことができなかった。


「さ、さ~て、次はこの曲でも歌おうかな~……」


 色んな意味で耐えられなかった史季は、無理矢理にでも場の空気を変えるために「君が代」を歌うという暴挙に出る。


 そして――


 史季の普通すぎる歌唱力によって歌われた「君が代」には、性的興奮を鎮める力でもあったのか。

 まるでお経を聞かされた悪霊のように、冬華は「これは……枯れるわね……」と項垂れていき、春乃も憑き物が落ちたように大人しくなっていった。

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