第6話 三浦美久
『俺たちは別に、あんたに何かしようって気はねんだよ』
『おたくのお友達の春乃ちゃんを、ちょ~っと呼び出してくれってお願いしてるだけなんだ』
『まさかたぁ思うが、こんなささやかなお願いすら聞けねぇとか、ナメたこと言うんじゃねぇだろうなッ!?』
「……………………………………っっ!!!!」
悪夢から逃げるようにして目を覚ました
肩には届かない茶色の髪を寝汗まみれの頬に貼り付けながら、三白眼の
今自分が寝ているベッド、学習机、お気に入りのぬいぐるみたち……間違いなくここが自分の部屋であることを確認した美久は、ほうと安堵の息をついた。
「大丈夫……大丈夫……」
そう自分に言い聞かせながらも、ベッドの傍に置いてある大きなペンギンを胸元に抱き寄せ、顔を
背の順で並んだらいつも前の方の位置に立たされる
小動物のように震えるこの少女は、春乃のクラスメイトであり、友人でもあった。
そして、先日の小日向派と荒井派との抗争で、荒井派の不良に脅されて春乃を呼び出したのが彼女だった。
その時の出来事は美久の心に深い爪痕を残しており、二日に一度は悪夢という形でフラッシュバックし、彼女を苦しめていた。
もっとも美久が真に苦しさを覚えているのは、
「謝らなきゃ……今日こそはちゃんと謝らなきゃ……」
私は我が身可愛さに友達を売った。
そのせいで春乃ちゃんは不良たちに拉致され、恐い目に遭わされた。
あの時ちゃんと断っていれば、こんなことにはならなかった。
「だから謝らなきゃ……今日こそは、ちゃんと謝らなきゃ……」
何度も何度も、己を鼓舞するように言い聞かせる。
電話やLINEといったスマホ越しではなく、ちゃんと面と向かって謝らなきゃと、何度も何度も言い聞かせる。
然う。
私は春乃ちゃんに謝らなきゃいけない。
いけないのに――
朝礼のホームルームが始まる一〇分前。
一年一組の教室に辿り着いた美久は、春乃がすでにもう自分の席についているにもかかわらず、話しかけることすらできないでいた。
荒井派に拉致られたことを機に、春乃が
そのせいで春乃は今、一年一組では腫れ物のような扱いを受けていた。
ゆえに、下手に話しかけようものなら、クラスの注目を集めることは避けられない。
そしてその状況が、美久に二の足を踏ませていた。
なぜならクラスメイトたちは、美久が春乃を売った張本人だということを知らないから。
こんな状況で春乃に謝ったら、そのことを皆に知られてしまうから。
そうなってしまったら自分は、果たして腫れ物扱いされる程度で済むだろうか?
男女問わず不良が多いこの学園において、その程度で済むとは美久にはどうしても思えない。
そんな保身のために、いまだ春乃に謝れない自分のことが嫌で嫌で仕方なかった。
「んにゃ――――――――――っ!!」
突然春乃が尻尾を踏まれた猫のような悲鳴を上げ、美久は自己嫌悪の海に沈んでいた顔を上げる。
一限目の授業の準備をしようとしていたのか、鞄から筆記用具を取り出そうとした際に、中に入っていた複数の包帯がコロコロと転がっていったのだ。
春乃が自分のドジさ加減に備えて、救急セットばりに医療品を鞄に詰め込んでいることは美久も知っている。
それでも今回転がった包帯の数は、少々多すぎなのではと思わずにはいられないほどの量だった。
「も~う、何やってるのよ」
「こっちのは私が拾っとくから」
「って、包帯もうだいぶ汚れちゃってるじゃん」
しょうがないなぁと言わんばかりに、クラスの女子たちが苦笑まじりに包帯を拾い上げていく。
運が良いのか悪いのか、美久の方に包帯は一つも転がってこなかった。
「ありがとう、みんな!」
元気にお礼を言う春乃に、事の成り行きを見守っていた男子たちが笑みを漏らし始める。
確かに春乃は小日向派であり、そのせいで四大派閥同士の争いに巻き込まれたりもしている。
これからの三年間平穏無事に過ごしたければ、極力関わらない方がいい手合いだ。
そうとわかっていてなお、春乃の人当たりの良い性格が、ドジも含めた愛嬌が、一度は開いたクラスメイトたちとの距離を、少しずつ着実に縮まらせていた。
自己嫌悪に陥る美久のような、ごく一部の人間を除いて。
これ以上春乃のことを見ていると、余計に自分のことが嫌いになってしまいそうだったので、眠たいフリをしながらも机に
間が悪いことに、美久の視線に気づいた春乃が、こちらに向かって手を振ろうとした矢先に。
このまま朝のホームルームが始まるまでやり過ごそう――などと思っていたら、
「よっす、美久」
「夜更かしでもしてたか~?」
突然両肩を叩かれ、美久は顔を上げる。
話しかけてきたのは、予鈴が鳴る手前で登校してきた、友達の
自然、美久の頬に笑みが零れる。
「別に夜更かししてたわけじゃないけど、なんだか妙に眠くって」
「あるある、そういう時」
「今日はちょっと暖かいしな~」
三人して楽しげに談笑する。
そうだ。私には他にも友達がいる。別に春乃ちゃんに拘る必要なんてない――などと考えられるほど、美久の心は薄情にはできていなくて。
友達との会話を楽しめば楽しむほど、心にチクリと刺すような痛みを覚えてしまう。
「ところでさ、駅前に新しいカラオケ屋ができてんだけど、放課後ちょっと行ってみない?」
「もっちろん行く行く~」
とはいえ、それはそれで絵里にも聡美にも失礼だと思ったので、美久は浮かべた笑顔をそのままに二つ返事をかえした。
「うん。私も行く」
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