第1話 標的

「で、早速絡まれたってわけか」


 鮮やかなウルフボブの金髪が目を引く、見た目が幼女な月池つきいけ千秋ちあきが、つい先程史季に降りかかった災難を聞いて同情混じりに言う。

 見た目どおりの幼女声ロリボイスで。


「ところで~、絡んできたのはどこの派閥だったのかしら?」


 ややクセのある亜麻色の長髪と、切れ長の双眸がいやに蠱惑的な氷山ひやま冬華とうかが、見た目以上に色っぽい声音で夏凛に訊ねる。


「派閥に入ってねー奴か、斑鳩いかるが派のどっちかだろ。特に斑鳩派は血の気が多い奴が多いし、トップ自由人フリーダムだから統制もへったくれもねーしな。それより、春乃はるのの方は何か変わったことはなかったのかよ?」


 そう訊ねられた、この場において唯一年下である黒髪の美少女――桃園ももぞの春乃は、


「はい! いつもどおりあまり人が近寄ってきません!」


 元気よく哀しい返事をかえした。


 今、史季たちがいる場所は、体育館の地下にある予備品室。

 小日向派の秘密のたまり場にして、ケンカレッスンの場でもあるこの部屋は、昼休みの間は昼食をとったり駄弁ったりする憩いの場としても活用していた。


 昼食自体は史季が不良に絡まれた話をしている間に終わっており、銘々めいめいが購買部で買ったパンの袋をまとめたり、お弁当箱を仕舞ったりしていた。

 そんな中、先の春乃の返事を聞いた夏凛が、心底申し訳なさそうに謝る。


「ほんとわりーな、春乃。あたしのせいで、こんなことになっちまって……」

「そ、そんな! 先輩は何も悪くないですよ!」


 憧れの先輩に頭を下げられ、春乃は慌ててかぶりを振る。


 どうにも春乃は、荒井派に拉致られた一件があって以降、クラスメイトからは腫れ物のような扱いを受けているとのことだった。

 そして春乃が荒井派に拉致られた理由は、荒井が、風邪で弱っていた夏凛を誘き出すため。

 夏凛が春乃に謝っているのも、自分絡みのトラブルに後輩を巻き込んでしまったという自責の念の表れだった。


 だけど、


「桃園さんの言うとおり、小日向さんは何も悪くないよ」


 史季は語気を強くして、夏凛の自責を否定する。


「弱みに付け込まれることが悪いだなんて考えた方は、絶対に間違ってる。悪いのは間違いなく、弱っていた小日向さんを狙ったり、桃園さんを拉致したりした荒井派の人たちだ。だから小日向さんも、勿論桃園さんも、何一つ悪くない」


 不意に、沈黙が下りる。

 まさか何の返事もかえらないとは思っていなかった史季は、無駄に狼狽しながら皆に訊ねる。


「な、なんで静かになるの?」

「いや、なんつうか、男子三日会わざれば~って思ってな」


 千秋はそう言って、隣にいた冬華を横目で見やる。


「そ~そ~。しーくんってば、すっかり男の子の顔になっちゃってるんだもの。ね? りんりん?」


 千秋にならってか、冬華は隣にいた夏凛を横目で見やる。

 すると夏凛は、なぜか虚を突かれたように「え?」と漏らすと、


「いや……まー……冬華がそう言うなら……まー……そうなんだろ」


 珍しくしどろもどろしながらも、要領の得ない返事をかえした。

 別にたいして暑くもないのに、懐から取り出した鉄扇で自分の顔を全力で煽ぎながら。


 らしくない反応をしている自覚があるのか、夏凛は誤魔化すようにして隣にいた春乃に「な?」と言いながら視線を送る。

 

「はい! なんか前よりもかっこよくなってると思います!」


 直球すぎる褒め言葉に、千秋はギョッとし、冬華は笑いを堪えるように掌で口を押さえ、夏凛は何とも言えない微妙な表情を浮かべる。

 当の史季はというと、こういう褒められ方には慣れていないせいもあって、頬が熱くなっていくのを自覚しながらも恐縮するばかりだった。


「折節のそういうとこ、三年くらい会ってなくても変わってなさそうだな」


 千秋は綺麗にオチをつけてから、ここからが本題だとばかりに切り出す。


「で、真面目な話どう思う? 折節が絡まれた件」

「まだ、嵐の前の静けさってところかしらね~」

「静けさなの!?」


 思わず素っ頓狂な声を上げる史季に、いつの間にやらいつもの調子を取り戻した夏凛が答える。


「史季が登校してきたってのに、鬼頭きとう派が何の反応アクションも起こしてねーからな。たぶんこれ、鬼頭センパイが何かしら悪巧わるだくんでるパターンだぞ」


 夏凛の言う鬼頭センパイとは、勿論鬼頭派のトップを指した言葉だった。


 その頭の名は、鬼頭朱久里あぐり

 夏凛がセンパイと言っているとおり三年生で、夏凛と同じく女子でありながら派閥の頭に君臨している強者だった。


(それにしても、荒井先輩とは違って、鬼頭先輩はちゃんと「センパイ」呼びしてるんだ)


 それだけ夏凛が荒井のことを嫌っているのだろうと一人得心している間に、春乃が元気よく手を上げ、元気よく訊ねる。


「夏凛先輩! 一年生にも鬼頭くんがいるんですけど、その鬼頭先輩と何か関係があるんですか!」

「あー、そりゃたぶん弟の方だな」


 四大派閥の頭ゆえに鬼頭朱久里のことは史季も知っていたが、彼女に弟がいるという話は完全に初耳だった。

 その驚きが例によって顔に出てしまっていたのか、千秋が夏凛に提案する。


「どうせならそのあたりのことも含めて、折節と春乃に詳しく説明してやった方がいいんじゃねぇか?」

「だな」


 と首肯を返してから、夏凛は鬼頭派について語り始めた。


「鬼頭派は、去年卒業した堀田ほったっつうセンパイが率いていた派閥が元になっててな。学園に入学してきた一年の中で誰が一番つえーかを決める、一年最強決定戦の運営なんかもしてた派閥だったせいか身を寄せてる不良の数がとにかく多くて、その数は荒井派の一・五倍以上――八〇人近くいやがんだ」

「その一年最強決定戦、りんりんが台無しにしちゃったんだけどね~」


 話の腰を折る冬華に、夏凛は夏凛で悪びれることなく応じる。


「運営してたっっても、授業中でも関係なくケンカをやらせる程度にはクソ運営だったからな。んなもん潰すに決まってんだろ」


 それは、史季も耳にしたことがある話だった。

 一年最強決定戦に参加した一年の不良のみならず、運営元の派閥の頭だった堀田も夏凛が一人で倒したという話は、聖ルキマンツ学園においては今も語り草になっている。

 事実、当時のことを知らない春乃も、今の話については知っている様子だった。

 その春乃に、千秋は「てか」と前置きしてから訊ねる。


「今年は一年最強決定戦ってどうなってんだ? 春乃は何かそういう話聞いてねぇか?」


 春乃は腕を組み、首を傾けながら「う~ん……」と考え込むも……「すぴーすぴー」と寝息を立て始めるのを見て、千秋はロングスカートのスリットから取り出したハリセンで、彼女の頭をスパーンとはたいた。


「あっ、おはようございます、千秋先輩っ」

「おはようございますじゃねぇよ……」


 片手で頭を抱える、千秋。

 これには史季たちも苦笑するばかりだった。


「さすがに今年はもう、一年最強決定戦はやらないんじゃないかしら? 去年は入学してから半月後くらいに開催されてたけど、今年は一ヶ月半経った今でも噂すら聞かないし」

「確かに、言われてみりゃそうだな」


 冬華の推論に千秋が納得したところで、夏凛は話を戻す。


「とにかく、鬼頭センパイは受け継いだ派閥を鬼頭派にしたわけだけど……史季、鬼頭センパイがどうして、女だてらに派閥の頭なんかになったと思う?」

「それは……不良としてのし上がるため、とか?」

「と思うじゃん? 信じらんねーかもしれねーけど、全ては自分よりも二年遅れて入学してくる弟が、この学園でのし上がるための足場を用意するために、鬼頭センパイは自分の派閥を手に入れたんだよ」


 ちょっと言っている言葉の意味がわからなかった史季は、冬華と千秋に視線を向ける。


「残念ながら事実よ~。ちょ~っと鬼頭派の女の子と付き合ってた時期があってね~、真偽を確かめたから、今のりんりんの話には一つの間違いもないわよ~」


 事実であることもさることながら、ある意味では信頼できる冬華の情報源に、史季の頬は引きつりっぱなしだった。

 そんな中、千秋が肩をすくめながら補足する。

 

「おまけにあのパイセン、テストじゃ一〇〇点以外とったことがねぇってくらい頭が良いからな。それなのに不良やってる弟のためにそこまでするなんて、控えめに言ってイカれてると思わねぇか?」


 あんまりにもあんまりな言い草だが、自分の将来など一顧だにしない鬼頭朱久里の在り方が理解不能だった手前、否定したくても否定できない史季だった。


「まー、そういうわけだから、一年の鬼頭は弟の方で間違いねー。でもって千秋が言ったとおり、鬼頭センパイはマジで頭が良い。それこそ史季以上にな。だから、水面下で事を動かすこととか、搦め手とか、メチャクチャ得意なんだよ」


 再び話を戻す夏凛に同意するように、千秋は頷く。


「実際、堀田派から鬼頭派に変わりたての頃、荒井派がここぞとばかりに潰そうとしたけど、荒井派はただ鬼頭パイセンに振り回されただけの結果に終わったしな」

「これもベッドの上で聞いた話だけど~、こないだのワタシたちに対してやったみたいに、荒井派は色々と汚い手を使おうとしたらしいけど~、鬼頭先輩が全て読み切って対策もしてたから、向こうは何もできなかったって話らしいわよ~」


 相変わらずな情報源はさておき。

「ベッドの上」という単語にでも反応しているのか、春乃がいやにモジモジソワソワしていたことには、気づかないフリを決め込む史季だった。


「結局そのいさかいは有耶無耶うやむやになって終わったわけだけど、そん時に鬼頭派が荒井派と本気でぶつからなかったのは……史季ならもう大体察しがついてんじゃねーか?」


 夏凛の指摘に、史季は疲れた顔をしながら首肯する。


「鬼頭先輩が、弟くんの手で荒井先輩を倒させることで、弟くんの名を上げさせようとしているから――だよね?」

「そういうこった。で、ここからはあたしの勘だけど、今の今まで鬼頭派が静かだったのは、たぶん鬼頭弟を派閥に馴染ませるのに時間をかけたからだと思う。その間に史季が荒井を倒したことは、さすがに鬼頭センパイも想定外だっただろうけど、あのセンパイのことだから、むしろこんな風に考えてるかもしれねーな」

「荒井先輩を倒した僕を弟くんに倒させることで、弟くんの名を上げる――だよね? 僕の方が、荒井先輩よりも絶対に倒しやすいし」


 遠い目をしながら、夏凛が言わんとしていたことを言い当てる。

 もっとも、後半に関しては完全に史季の私見になるが。


「荒井よりも倒しやすいかどうかはウチの目から見ても微妙なとこだと思うけど、さすがに夏凛や斑鳩パイセンに比べたら、折節の方が倒しやすいのは確かだからな。鬼頭派が折節を狙ってくる可能性は高いと思った方がいいだろ」

「やっぱそうだよなー……こうなったらいっそ、あたしが直接鬼頭センパイに話を――」

「ダメよ~、りんりん。腹芸の「は」の字もないりんりんが、鬼頭先輩に話をつけに行ったところで、適当に言いくるめられるか、最悪、偽情報を掴まされてこっちが混乱させられるのがオチだもの」


 冬華の言うとおりだったのか、夏凛は「んぐっ」と口ごもるだけで反論一つ返さなかった。

 そんな中、史季はおずおずと手を上げ、先程からこんな風に訊ねてばかりだと思いながらもおずおずと訊ねる。


「結局のところ、鬼頭派がいつ仕掛けてきてもいいように備えるしかない――ってことだよね?」


 夏凛と千秋と冬華は顔を見合わせ、


「だな」

「まぁ、そうなるな」

「そうなるわね~」


 と、揃って頷き合い、


「ケンカレッスンあるのみ! ということですね!」


 正鵠を射た結論で話を締める春乃に、失礼とは思いながらも驚愕を禁じ得ない史季たちだった。

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