第二章
プロローグ
荒井とのケンカでパンパンになった顔の腫れも、人に見られても問題ない程度には引いてきたので登校することにした
(なんか……〝あの時〟よりも、みんなが僕のことをチラチラ見てくる気がするんですけど……)
二年二組のクラスメイトのほぼ全員からチラチラチラチラ見られている状況に、かつてないほどの居心地の悪さを覚えていた。
なお〝あの時〟とは、史季をいじめていた
〝あの時〟も大概にクラスメイトがこちらのことをチラチラチラチラ見てきたが、史季が思っているとおり、今回はその比ではないほどのチラチラっぷりだった。
なぜ自分がこんなにも注目を集めてしまっているのか……その理由は、最早考えるまでもない。
「折節の奴が、あの荒井さんにタイマンで勝ったっつう話、マジだと思うか?」
「俺、荒井さんが首を固定するアレ……なん
「なんでも、荒井先輩を一〇メートルくらい蹴り飛ばしたって話らしいぜ?」
「なにそれ、こわぁ……」
史季は先日、聖ルキマンツ学園が誇る四大派閥の一角――荒井派の頭を張っている荒井
不良もそうでない生徒も関係なく、史季のことをチラチラ見たりヒソヒソと話したりしているのも、全てはそれが原因だった。
(というか一〇メートル蹴り飛ばしたってなに!? なんか話に尾ひれついてない!?)
などと心の中で悲鳴を上げていると、ヒソヒソ話の中に気になる話題が混じっていることに気づき、耳を傾ける。
「そういえば川藤の奴、今日も来てねえな」
「ちょうど小日向派と荒井派がモメた後からだから、荒井さんと一緒に折節にやられちまったんじゃねえの?」
「それ、折節がその日の内に荒井先輩と川藤をぶっ倒したってことになるだろ。さすがにそれはねえよ。……ねえよな?」
後半の話は聞こえなかったフリをしながら、
世紀末学園と揶揄されるほどに不良として有名な聖ルキマンツ学園において、ケンカで負けたことを契機に学園に来なくなった不良が、そのまま退学するという話はそう珍しくない。
川藤には散々いじめられた手前、同情する気も、ましてや心配する気もサラサラないが、だからといって全く思うところがないと言えば嘘になる。
川藤の取り巻き二人――確か
「……ふぅ」
思わず、ため息をついてしまう。
自分をいじめた相手に対して
そうこうしている内に、担任の冴えないおっさん教師がやってきたので、クラスメイトの注目を集めていることも、川藤のことも、今は棚に上げることにする。
そこからはいつもどおりに授業を受け、昼休みに入り、いつもどおりに昼食のパンを買うために購買へ向かおうとした――その時だった。
史季にとっては
「折節史季だな? ちょっとツラ貸せよ」
教室を出てからすぐ、三年生と思しき不良につかまった史季は、内心ではビビり倒しながらも、言われたとおり不良の後を付いていく。
荒井に勝てたからといって草食動物な性根が治ったわけではなく、「ノー」とは答えられない史季だった。
しばらく歩き、辿り着いたのは体育館の裏。
この時点でもう嫌な予感しかしなかった史季は、恐る恐る不良に訊ねる。
「あ、あのぉ……何のご用でしょうか?」
「別にたいした用じゃねえよ。ちょっとばかし、俺とタイマンしようってだけの話だからなぁッ!」
「なぁッ!」に合わせて繰り出してきたパンチを、史季は半ば反射的に身を引いてかわす。
「い、いきなり何するんですか!?」
「今のをかわすか! 荒井に勝ったって話はデタラメってわけじゃなさそうだなぁッ!」
またしても「なぁッ!」に合わせて繰り出されたパンチを、史季は飛び下がってかわした。
(相手の目的は僕とのケンカ! ということは、やるかやられるか以外に、この場を収める方法は――)
――ない。
そのことを理解した瞬間、史季は目の前の不良を本気で迎撃することを決意する。
草食動物な性根は確かに治っていない。
ゆえに〝ケンカをする〟という覚悟をすぐには決められないというだけで、今の史季には、不良という名の肉食動物に抗する力も心も身についていた。
夏凛のケンカレッスンを受け、荒井に勝利したことによって。
それを証明するように、不良がパンチを繰り出そうとするタイミングに合わせて、左太股にローキックをお見舞いする。
バチィッと聞くだけで痛そうな音とともに、不良は膝を突――
「まだだぁッ!」
叫び声一つで突きかけた膝を踏ん張り、あろうことか殴り返してくる。
反撃を予想していなかったせいで回避が間に合わず、半ば反射的に両腕を交差させてパンチを受け止める。
川藤あたりと比べても明らかに手強い不良を前に、生半可な攻撃では倒せないと判断した史季は、追撃のパンチをかわすと同時に、
「これでッ!」
側頭部にハイキックを叩き込み、一撃で昏倒させた。
呼吸が乱れるほどの攻防ではなかったが、それでも、思わず、深々と息をついてしまう。
川藤にいじめられていた頃の史季にとって、不良に体育館裏に連れ込まれることは哀しくなるほどに馴染み深い話だったが、連れ込まれた理由がタイマンを張りたかったというのは全く馴染みのない話だった。
だからこそ、ついた息には安堵の色がありありと浮かんでいた。
「おい、見たか。今の蹴り」
横合いからいやにドスの利いた声が聞こえてきて、吐き出したばかりの安堵を呑み込んでしまう。
「ああ。アレはやばそうだな」
さらに、
「で、誰からいくよ?」
背後からも続々と不良が現れ、史季はいよいよ息を呑んでしまう。
(感じからして、この人たちも僕とタイマンがしたくてやってきたみたいだけど……)
荒井を倒した自分を倒すことで名を上げたいのか、それとも単純に腕比べをしたいだけなのかはわからないが、兎にも角にも勘弁してほしいというのが本音だった。
そんな史季の心中に気づいていないのか、それとも気づいた上で無視しているのか、不良たちは勝手に話を進めていく。
「順番は早い者勝ちでいいだろ」
「てめぇ……先に来たからそう言ってやがるな?」
「俺は別に早い者勝ちでも構わねえぜ。最終的に勝った奴を倒せばいいだけのは――」
「盛り上がってるとこ、わりーけど」
不意に、女子の声が史季たちの
史季も、不良たちも、声が聞こえた方角――体育館の角に視線を向ける。
ほどなくして現れたのは、情熱の赤に染めた髪をゴールデンポニーテールでまとめ、その口には煙草の形をした駄菓子――パインシガレットを咥えたヤンキー少女。
猛者が集う聖ルキマンツ学園において、最強の名を欲しいままにしている〝女帝〟――小日向夏凛だった。
史季とのタイマンを望んでいた、如何にも腕に覚えがありそうな不良たちが息を呑む中、夏凛は言葉をつぐ。
「史季はこれから、あたしらと昼飯食うことになってんだ。このへんで勘弁してくんねーかな?」
勘弁してくれねー場合はわかってるよな?――言外にそう言っている夏凛を前に、不良たちは押し黙る。
だけど、このまま言われたとおりに引き下がるのは
そんな苦渋が、全員の顔にありありと浮かんでいた。
なまじ腕が立ち、なまじプライドが高い分、不良たちが
「ほら、さっさと行くぞ」
「え? あ……ちょっ!?」
彼女に引っ張られるがままに、体育館裏から離れていく。
ただ流れでそうなっただけとはいえ、夏凛とこうして手を繋いでいることにドギマギしながら。
(まあ、小日向さんはこれくらい、なんとも思っていないんだろうけど……)
実際、何とも思ってないから、躊躇なく僕の手を掴んできたんだろうし――などと卑屈になっている史季は気づいていなかった。
夏凛の耳が、常よりも少しだけ、赤くなっていることに。
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第二章はとりあえず一日置きの更新でやっていこうと思いマース。
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