第27話 ゲス

「はぁ……はぁ……はぁ……」


 史季は肩で息をしながら、ハイキックで沈めた川藤を見下ろす。


「か、勝てた……」


 それも、完膚なきまでに。


「本当に僕……強くなってる……」


 夏凛たちから教わっていたことは、たぶん基礎的なものにすぎなかったはず。

 それでも自分は、川藤に完勝できるほどに強くなっている。

 その事実は、史季に多少ながらも自信を抱かせるのに充分な成果だった。


 もっとも、夏凛にケンカ慣れしていないと言われていた川藤に勝ったところで、その夏凛が警戒を露わにしている荒井に勝てるなどとは、さすがに毛ほども思わないが。


 今一度、スマホで位置情報を確認する。

 やはり夏凛の位置を示す目印ピンは、先程確認した地点からは一ミリも動いていない。


 急がないと――そう思った史季は、川藤をそのままにしていくことと、リーマンの自転車を完全に廃車オシャカにしてしまったことに、少しだけ良心を痛ませながらも走り出した。

 坂を駆け上がり、河川敷道路に上がったところで史季自身のスマホが震えていることに気づき、走りながらも画面を確認。

 千秋からの電話だとわかるや否や、すぐに応答にした。


「月池さん! もしかして桃園さんを!?」


『ああ。助けて家まで送った。ウチらもすぐにそっちに向かうから、いくらでも無理していいぞ』


「そこは無理するなって言うところじゃないの!?」


『お? ちゃんとツッコみを入れられる程度には、ビビってねぇみてぇだな』


「それどんな試し方……」


 史季はガックリと来ながらも、千秋に訊ねる。


「ところで、桃園さんを助けたことは、小日向さんにも?」


『いや、伝えてねぇ。荒井とタイマンになってんのか、下っ端交えてゴチャマンになってんのかはわからねぇけど、その最中に下手に連絡とっちまったせいで隙ができちまったら、やべぇなんてもんじゃねぇからな』


「迂闊なことは、できないってことだね」


『そういうことだ。だから、ウチらが来るまで夏凛のこと……頼んだぞ』


 最後は、絞り出すような声音だった。

 基本的に安請け合いなんてしない史季だが、そんな声で言われては期待に応えないわけにはいかず、


「うん。任せて」


 力強く言ってみせると、千秋は『それじゃ、後でな』と言い残して通話を切った。


 それからはひたすらに走り続け……脇に逸れる道から河川敷道路を下りたところで、廃倉庫らしき建物を視認する。

 その入口に、聖ルキマンツ学園の制服を着た男子が三人見張りについているのを見て、そこに夏凛と荒井がいることを確信する。


 どうやら向こうもこちらに気づいたらしく、近づくに連れてハッキリと顔が見えてきた三人は、所謂いわゆるガンを飛ばすというやつだろうか、揃いも揃ってこちらを睨みつけていた。


「おい、アレ」

「わぁってる。〝女帝〟が囲ってた野郎だ」

「川藤の奴がぶっ殺してやるとか息巻いてたが……さては、しくじったな?」


 そんな彼らを前に、自分が微塵も怯んでないことに気づいた史季は、我が事ながら心底意外に思う。

 もしかしたら川藤に完勝したことで得た自信は、多少程度ではなかったのかもしれない。


廃倉庫そこに小日向さんがいるのはわかってます。通してください」


 相手の学年がわからないので、念のため敬語で訊ねてみる。

 それがかえってツボに嵌まったのか、見張りの不良たちは揃ってゲラゲラと笑い出した。


「おいおい、聞いたかよ?」

「通してくださいって、どこのお坊ちゃんだよ」

「〝女帝〟は、こんなのがシュミだったのかよ」


 これは相手をしても仕方ない――そう思った史季は、


「なら、勝手に入らせてもらいます」


 早足で彼らの脇を通り抜けようとする。

 当然、見張りの彼らがそんなことを許すわけもなく、史季に最も近い側にいた一人が、警告もなしにこちらの顔面目がけてパンチを繰り出した。


 予想していた上に、スパーリングごっこで何度も体感した夏凛の速さに比べたら蝿が止まりそうなレベルだったので、史季は外側に一歩身を引くだけで易々とパンチをかわす。


「てめ――」


 さらに殴りかかってくると思った史季が、相手の初動よりも早くにローキックを叩き込むと、不良は左太股を押さえながらその場にへたり込み、土下座をするようにうずくまった。

 そんなやられっぷりを見て、見張りの二人は血相を変える。


「こいつ!」

「なにさらしとんじゃ、ゴラァッ!」


 二人同時に殴りかかってくるも、夏凛の圧倒的な手数に比べたら格段に温かったおかげで、パンチに合わせて上体を反らすだけで簡単に回避できた。

 おまけに、攻撃後のことを全く考えていないのか、あまりにも隙だらけだったので、右側から襲ってきた一人にハイキックを叩き込み、残った一人がもう一度殴りかかろうとしてきたところに合わせて土手っ腹に前蹴りをぶち込むことで、一撃で昏倒させた。


 あっという間に地に伏した三人の不良を見下ろしながら、史季は思う。


(小日向さんは、本当の意味でケンカ慣れしてる人は意外と少ないって言っていたけど……)


 その言葉の意味が今、理解できた気がした。

 いくら夏凛の手解きを受けたとはいって、たかだか一ヶ月程度鍛えてもらっただけの自分に三人がかりで負けるような人間が、ケンカ慣れしているわけがないのだから。


(だけど……)


 これから踏み込む廃倉庫には、間違いなくケンカ慣れしている男が待ち受けている。

 自信はついても慢心する気など露ほども起きなかった史季は、夏凛の無事を祈りながらも駆け出した。



 ◇ ◇ ◇



 カランカランと、甲高い音が廃倉庫に響き渡る。

 夏凛が鉄扇で荒井を殴った際、手に力が入らないせいで保持しきれず、彼方へと飛んでいった音だった。


 抜かりなく鉄扇を背にする位置に立った荒井が、勝利を確信したように言う。


「これで、貴様の武器はなくなったな」

「はぁ……はぁ……そいつは……どうかな……」


 息が上がっているせいで、強がりさえも切れ切れになってしまう。

 荒井とのケンカによって熱が上がってしまったのか、体は熱く、頭もボーっとする。

 正直立っているだけでしんどいし、もうこの手にはない鉄扇も、持っていて重いと感じてしまうくらいに消耗していた。


「なら、確かめてやろう!」


 鉄扇がなくなったことで油断しているのか、荒井は、先程までとは違ってやけに大振りなパンチを繰り出してくる。


 この瞬間こそが最後にして最大の好機チャンスだと判断した夏凛は、パンチをかわしながらも荒井の手首を掴み、パンチのベクトルに合わせて引き捻ると同時に相手の足を払って、二メートル近い巨体を宙に舞わせた。

 小日向流古式戦闘術の一つである合気術を用い、相手の勢いを巧みに利用してぶん投げたのだ。


 本来なら、投げると同時に追撃をくらわせるところだが、


「!?」


 消耗しきった夏凛では、相手の力を利用してなお荒井の巨体を投げるのは相当に無理があったらしく、追撃をくらわせるどころか足がもつれて転んでしまう。

 その間、背中から床に落とされた荒井は、抜かりなく受け身を取って即座に立ち上がった。


「無様だな、小日向」

「病人相手に……タイマンふっかけてきた……てめーには……負けるよ……」


 切れ切れな強がりを返しながらも、なんとか立ち上がろうとするも、そうはさせないとばかりに荒井の蹴りが飛んでくる。


「く……っ」


 タイミング的にも体調的にもかわせる代物ではなかったので、やむなく両腕でガードするも、体格ガタイの差は如何ともしがたく蹴り飛ばされてしまう。

 床を滑り、仰臥した夏凛は今度こそ立ち上がろうとするも、その時にはもう眼前まで迫っていた荒井に押さえつけられ、組み敷かれてしまう。


「……くそっ」


 完全にマウントポジションをとられた夏凛は、ただ悪態だけを返す。


「さすがに貴様も、こうなってしまっては、どうすることもできないようだな」

「それが……わかってるってんなら……どうするつもりだよ……? どうせ……負けを認めたところで……タダで済ませる気なんて……ねぇんだろ……?」


 投げやりになりながらも言った言葉に対し、荒井が返したのは下卑た笑みだった。

 さすがの夏凛も、怖気おぞけを覚えるほどの。


「男が女を組み敷いてる。その時点で、やることは一つだろう」


 言葉の意味を理解した瞬間、心底嫌悪した表情を浮かべながら強がりを返した。


「やれるもんなら……やってみろよ……そん時は……このタチのわりー風邪を……丸ごとてめーに……伝染うつしてやる……」

「……ふん。自覚がないようだから言ってやるが、風邪の熱で顔が火照り、呼吸が荒くなっている今の貴様は、なかなかにぞ?」


 荒井は、タイマンを見守っていた下っ端の不良どもに向かって顎をしゃくる。

 すると不良どもは、荒井に負けず劣らず下卑た笑みを浮かべながら、懐から取り出したスマホをこちらに向け始めた。

 


 荒井が初めからそのつもりで、こんな人気のないところに自分を呼びつけたことを悟った夏凛は、魂の底から嫌悪した表情を浮かべた。


「ゲスが……」

「今さら気づいたのか?」

「んなわけ……ねーだろ……初めて会った時から……知ってた……つーの……」

「初めて会った時からか。そんな人間に、女としての喜びを植え付けられる気分がどんなものか、後で聞かせてもらうとしよう」


 荒井は夏凛の制服のブラウスを乱雑に掴み、力任せに引き千切る。

 真白い布地に覆われた二つの実りが露わになった瞬間、撮影している不良どもの口から歓声と口笛が上がった。


 夏凛は悲鳴を漏らしそうになるも、こんなゲスどもの前で弱みは見せたくなかったので、唇を噛み締めて堪えきる。


(あー……くそっ……)


 心の中で、悪態をつく。


 夏凛は冬華と違って、この手の経験は完全に皆無だ。

 その初めてを、最低な野郎に最低な形で奪われようとしている。

 抵抗しようにも、ただでさえ弱っていた体でケンカをしたせいか、もうまんじりとも動けそうにない。


 だから、せめて祈る。

 春乃が、自分と同じ目に遭っていないことを。


「ふ……ふはは……」


 不意に、荒井が愉悦に満ちた笑い声を漏らし始める。


「んだよ……とうとう……頭がおかしくなっちまったのか……?」


 無理矢理にでも嘲るような言葉をぶつけるも、返ってきたのはなおも愉悦に満ちた馬鹿笑いだった。


「ふはははははッ! どうやら気づいていないようだな、小日向ぁ! それとも何か? 強がってくれるのは、俺たちを興奮させるためのサービスか?」


 荒井が、スマホで撮影を続けている不良どもが、楽しげに笑う。


「んな顔になんて……なってねーよ……っ。目医者にでも行った方が……いいんじゃねーか……?」

「いいぞ、小日向。もっと強がれ。こちらとしても、どこまでそれが持つのかも楽しみたいからな」


 荒井は下卑た笑みを深めながら、胸の谷間に手を伸ばそうとする。

 その後に起こる惨事を幻視した夏凛は、キュッと両目を閉じ――



「小日向さんから離れろッッ!!!!」



 突然入口の方から、男子の怒声が聞こえてくる。

 まさかと思い、声が聞こえた方に首を曲げると、そこには史季の姿があった。


 どうして?――とは思わなかった。

 だって、あいつはそういう奴だから。


 春乃を助けた時も、その後に自分がどんな目に遭わされるかわかった上で助けてくれるような奴だから。

 スパーリングっぽいことをしようって言った時は、あたしよりもよえーってわかってるくせに、女の子に危害を加えるような真似はしたくないって固辞した。


 最初のうちは、こっちから首を突っ込んだ手前、最後までケツを持ってやろうっていう程度にしか考えてなかったけど、今は史季のそういうところが気に入って、まー、野郎だけどこのままツルんでもいいかなって思うようになった。

 そんな奴ってわかってるから、廃倉庫ここに来ても何ら不思議はなかった。


 だけど、


(ダメだ……! 確かに史季は強くなったけど、まだ荒井とやり合えるほどじゃねー……! 千秋と冬華は、なんでこいつ一人だけ廃倉庫こっちに来させ――……)


 そこまで考えたところで思い直す。

 自分は小日向流宗主クソオヤジの教育のおかげで人体の急所を知り尽くしているからどうにでもできたが、千秋と冬華には無類のタフネスを誇る荒井を倒せる武器がない。

 だから二人は史季のキック力に一縷の望みを託して、春乃の救出に向かったのだ。


 これらはあくまでも夏凛の推測にすぎないが、千秋と冬華なら絶対にそうしているはずだと根拠もなく確信する。

 二人が、断腸の思いで史季を送り出したであろうことも。


 そこまでわかっていたから「来るな」とも「逃げろ」とも言えなかった。

 ましてや「助けてくれ」とも言えなかった。


 ただ、


「……史季……」


 彼の名前を呼ぶ声だけが、口の端から弱々しく漏れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る