第26話 因縁の対決

 西の空が燃えるような茜色に染まり始めた時分。


 史季は、冬華がサラリーマンの男性から自転車を必死に漕ぎながら、町外れを目指していた。

 正直こんな形で他人の自転車を拝借するのは気が引けたが、事は急を要するので、良心の呵責に関しては今は無視を決め込む。


 しばらく自転車を漕ぎ続け……町外れにある河川敷が見えてきたところで一度立ち止まり、スマホのGPSアプリを起動する。

 言うまでもないが、史季は夏凛と位置情報の共有なんてしていない。

 このスマホは千秋から借りた、彼女の予備のスマホだった。


 スマホを二台以上持っていることいい、スカートの下に隠された凶器の数々といい、母親のことをうっかりママと呼んでいたことといい、もしかしたら千秋は良いところのお嬢様なのかもしれない。

 などと、余計なことを考えるのはそれくらいにして、夏凛の位置情報が更新されていないかを確かめる。


「これは……」


 夏凛の位置を示す目印ピンは、今いる場所から河川敷道路に上がり、しばらく進んで道路から下りた先にある地点を示していた。

 最初に彼女の位置を確認した場所から少ししか移動していないところを鑑みるに、そこが荒井に呼び出された地点と見てまず間違いないだろう。


「ということは……このまま向かえば、最悪の場合、荒井先輩とタイマンになるかもしれないわけで……」


 ついそんな未来を想像してしまい、全身に悪寒が駆け巡る。


 一月ほど前の昼休み。

 夏凛たちとともに荒井と対面した時のことは今でも覚えている。

 その巨体から醸し出される威圧感を前に、喉がカラカラに干上がり、体はガクガクと震え上がり、心の底から荒井に恐怖した。

 もしタイマンになんてことになったら、全く勝てる気がしない。


 だけど、


「だから……なおさら、小日向さんと戦わせちゃいけない……! いけないんだ……!」


 夏凛を家に送る際、彼女は棒読みながらもこう言ってくれた。

 あたしのことバッチリ守ってくれよな――と。

 その言葉は、いまだ守られる側だと思っていた史季に発破をかけるために言ったものかもしれないけれど、


「言われたからには、ちゃんと守らないと……!」


 血が滲むほどに唇を噛み締め、荒井に抱いた恐れを心の片隅に追いやる。

 完全に振り払うことができないのは我ながら情けない話だが、それが僕なんだと開き直りを決め込む。


 ここにきてようやく覚悟を固めた史季は、弱気が顔を覗かせたせいで無駄に消費ロスしてしまった時間の遅れを取り戻すべく、河川敷道路に続く坂を上ろうとした――その時だった。

 背後から、バイクが迫る音が聞こえてきたのは。


 音からして相当スピードが出ている。

 とはいえ、まさか轢いてきたりはしないだろう――と思うも、なぜか言いようのない不安を覚え、すぐさま振り返ると、


「川藤くんッ!?」


 ヘルメットも被らずに二輪バイクに跨がって突っ込んでくる川藤の姿が見えた瞬間、史季は一も二もなく真横に飛んで受け身をとる。

 千秋の危険察知の勘を鍛えるレッスンと、冬華の受け身のレッスンの両方が役に立った形だった。


 一方川藤とは、史季が置き去りにした自転車をド派手に跳ね飛ばし、進行方向上に落ちたそれを轢き潰してから、ようやく停車する。


(……え? 今の……)


 自分がかわさなければ、自転車と同じ末路を辿っていた――その事実を認識した途端、心臓が早鐘を打ち始める。


 いつか、必ず報復にくるとは思っていた。

 けれど川藤が、バイクで跳ねることすらも厭わないほどの憎悪を抱いていたとは、夢にも思わなかった。


 そのことに荒井とは別種の恐怖を覚えるも……


「どうして……?」


 知らず口から漏れた言葉に対し、川藤はバイクから下りながら「あぁん?」と眉をしかめる。


「どうしても何も、折節の分際で俺に刃向かったからに決まってんだろうが」

「そんなことを聞いてるんじゃないッ! どうして〝今〟なんだよッ!」


 思わず、声を荒げてしまう。

 そんな史季に驚いたのか川藤は一瞬目を見開くも、それすらも屈辱に変換して、心底不愉快そうに応じた。


「どうして〝今〟だぁ? てめえ……今の今まで〝女帝〟を盾に使ってやがったくせに、何言ってやがる。こっちから言わせりゃ〝女帝〟の盾がねえ今が、てめえを好き放題できる最大のチャンスなんだよ。〝今〟しかねえんだよ!」


 殺気とはこういうものを言うのかもしれないと思わせるほどの凶眼で、こちらを睨んでくる。


「だったら……後でならいくらでも相手になるから……〝今〟は……〝今〟だけは勘弁してよッ! 小日向さんが危ないんだッ!」


 必死に懇願する史季に、川藤は「ぷ……ッ」と噴き出し、


「くははははははははッ! おいおい、まさかてめえにお笑いの才能があるとは思わなかったぞ! 〝女帝〟が危ないからなんだってんだよ? まさか、てめえ如きが助けにいくつもりかよ?」


 その言葉に、一瞬口ごもる。

 確かに川藤の言うとおり、自分如きが夏凛を助けに行くなど、笑い話にしかならないかもしれない。


 だけど、


「……そうだよ……助けに行くんだよ……」


 だから、〝今〟はこんな川藤クズになど付き合ってはいられない。


「……どけよ……」


 体の奥底から衝き上がってくる激情に任せてついた言葉は、ひどく自分らしくないものだった。


「あぁ? 折節の分際で、今何っ――」

「どけって言ってんだよッ!! 川藤ッ!!」


 それは散々いじめられたことへの怒りか。


 夏凛を助けに行きたいのに邪魔をされたことへの苛立ちか。


 衝動に身を委ねるがままに吐き出した怒号を前に、川藤は確かに――怯んだ。



 ◇ ◇ ◇



(っざけんじゃねえぞ、おい……!)


 折節如きに一瞬でも怯んだことを恥じるように、川藤は心の中で吐き捨てる。


(折節の野郎は、暴力の才能なんて欠片ほどもねえ、の中でも最底辺の野郎だ。そんなグズの分際で、俺に向かってなに怒鳴り散らしてんだ……!)


 その言葉もまた、心の中で吐き捨てる。

 直接口に出せない時点で、自分が折節に完全に気後れしていることにも気づかずに。


「どく気がないなら……もういい」


 折節はこちらを睨みつけたまま、歩いて近づいてくる。

 力尽くでも、どかす――とでも言わんばかりに。


(おいおい……折節の分際で、俺にケンカ売ろうってのか?)


 しかもその目は勝つ気マンマンだった。

 さすがにこれにはプツンと来てしまい、


「ナメてんじゃねえぞぉ……折節ぃいぃぃいいいぃぃッ!!」


 おくれた気を憎悪で消し飛ばしながら殴りかか――


「!?」


 突然、左太股に激烈な痛みが走り、立っていられなくなった川藤は膝をついてしまう。

 痛みの正体は、こちらの動きに合わせて史季が放った右のローキックだった。


(おいマジふざんなよ!?)


 思い返せば、前回のタイマンの時もそうだった。


(まただ、あの野郎……!?)


 攻撃する瞬間という、防御と回避が最も難しいタイミングで。

 しかも相討ちだった前回とは違い、今回は殴りかかる直前。


〝女帝〟の手解きで進化したにしても、一ヶ月ではいくらなんでもおかしすぎる。

 もともと、そういう才能があった――そうでなければ説明がつかない。


 とどめと言わんばかりに、ハイキックを放とうとする折節を前に、絶望的な気分になる。


(まさか……てめえもなのか?)


〝女帝〟や荒井と同じ、暴力の才能を持った側なのか?


 俺が望んでやまなかった才能を持ってるっていうのか?


 折節如きが?


(認めねえ……認めねえぞぉおぉおおお――――…………)


 そんな心の叫びは、折節のハイキックが側頭部を捉えた瞬間に、意識もろとも絶ち切られた。

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