第24話 カチ込み

「お待たせ~、ちーちゃ~ん」


 サラリーマンの男と二人で路地に入ったはずの冬華が、一人表通りに戻ってくる。

 千秋は彼女を認めるや否や、スカートの下から取り出した除菌用ウェットティッシュを投げつけた。


「ナニ触ってきたかわかったもんじゃねぇからな。とりあえず、それで手ぇ拭いとけ」

「あら? 手だけとは限らないわよ~?」


 ウェットティッシュで両手を拭きながら、舌舐めずりをする冬華。

 それだけで、冬華がサラリーマンを相手にナニをしていたのか察してしまった千秋は、思わず頭を抱えた。


 色魔の友達ダチを持ってしまったせいで、望むと望まざるとかかわらず、その手の知識がすっかり豊富になってしまった。

 周囲から遊び慣れていると見られたがっている夏凛は、むしろ冬華から得た知識は活用さえしているが、見た目が小柄ロリな自分が彼女と同じことをしてしまったら、性癖的な意味でやべぇ奴らが群がることになるため、色々と勘弁してほしいところだった。


「とにかく、まではやってねぇってことでいいんだな?」


 できるだけ平静を装いながら訊ねるも、


「あらあら~? ちーちゃん、ちょっとお顔が赤くなってるわよ~」


 気恥ずかしさが頬を火照らせてしまったらしく、ニヨニヨ笑っていた冬華の尻を、照れ隠しついでにスパーンとはたく。


「あぁん❤ 激しい❤」

「喘ぐな。で、どうなんだ?」

「勿論やってないわ~。後のことを考えると、体力はできるだけ温存しておきたいところだもの。ま~、しーくんの足を確保するために自転車を手前、腰が砕ける程度には満足させてあげたけど❤」


 色々と理解できてしまった千秋は、再び頭を抱える。

 今度は、頬が熱くなっていることを自覚しながら。


 いちいち振る舞わされてもいられないと思った千秋は、懐からスマホを取り出し、今からカチ込むビルについてさらに詳しく調べることにする。

 ほどなくしてビルの間取り画像を発見し、画面をそのままに冬華にもスマホを見せた。


「向こうが呼び出し場所に指定してきたのは、地下だったわよね?」


 冬華の問いに首肯を返しながら、スマホの画面に映る、ビルの地下一階の間取り画像を見つめる。


 階段とエレベーターが合流する玄関広間エントランスじみた空間を除けば、フロアが丸々一つの広間になっている、荒井派くらいの大所帯のたまり場としては最適な場所だった。


 玄関広間じみた空間とフロアが扉と壁で隔てられているため、多少騒いでも地上階に音がいきにくい点も、実にたまり場向けだった。


「冬華。連中が馬鹿正直に、あのビルの地下に春乃を監禁してると思うか?」

「そこは思ってもいいんじゃないかしら? ツイッターのタレコミ画像を見た感じだと、荒井派のほとんどがこっちに来てるみたいだし。大迫先輩あたりは、りんりんがいない小日向派ワタシたちが相手なら、下手に策を弄するよりも、人質エサで釣って数に物を言わせた方が確実に潰せるとか考えてそうだし」

「あぁ~……確かに考えてそうだな。も忘れて」


 勝ち気な笑みを浮かべながら、千秋。

 なお、ゴチャマンとは多対多のケンカを指した言葉だった。


「さすがに忘れてはいないと思うわよ。ただ集団戦が得意といっても限度があるから、今回くらいの戦力差なら問題ないって思ったんじゃないかしら?」

「要するにナメてるってわけか」

「ワタシはさっきナメてきたけど~」

「ナニの話じゃねぇ!」


 これからカチ込むからスタンバトンは勘弁してやるとばかりに、再び冬華の尻をスパーンとはたく。

 例によって「いやぁん❤」と喘いできたが、当然無視して話を進めた。


「外から見た感じだと、一階には見張りを立たせていねぇみたいだな」

「下手に建物の入口とか、エレベーターや階段の前に見張りなんて置いたら、四階の事務所の人たちが恐がって通報しちゃうかもしれないものね~。そもそも、地下の広間への入口は一つしかないから、〝上〟に見張りを立たせる必要もないしね」

「人質とってる相手に、真っ正面から強行突破するしかねぇってわけか」

「でも、なまじ人数を集めてる分、余程劣勢にならないかぎりは、はるのんをちゃんと人質として使ってくることはないと思うわ」

「女相手に多勢に無勢だからな。最初のっけから『人質がどうなってもいいのか?』なんてダセぇ真似は、さすがに矜持プライドが許さねぇってところか」

「そ~ゆ~こと。だ・か・ら……」

「連中が、やっすいプライドすら投げ捨てるまでの勝負ってことになるな」


 奇しくも、荒井とタイマンを張っている夏凛と同じ結論に至ったところで、千秋と冬華は顔見合わせて一つ頷き、ビルの入口へ向かう。


「いつもどおり、ウチが引っかき回す。冬華はそのドサクサに紛れて春乃を助けてやってくれ」

「りょ~かい」


 その足取りは、たった二人で数十人もの不良に挑もうとしているとは思えないほどに、微塵の淀みもなかった。



 ◇ ◇ ◇



 川藤とよくツルんでいる江口えぐちの目下の悩みは、派閥の内外問わずになかなか名前を憶えてもらえないことだった。

 川藤の取り巻きA、川藤のオマケA、川藤の腰巾着Aなどなど、呼び名のレパートリーは枚挙に暇が無いが、江口という名前を憶えてくれる人間はあまり多くなかった。


 なお、川藤の取り巻きBこと、相方の田村たむらも同じ悩みを抱えている。

 二人揃うと取り巻きA、取り巻きBになってしまうわけだが、ひどいことにどっちがどっちかも憶えてもらえていないことも多々あるため、人によっては江口がBになったり、田村がAになったりする。


 その江口と田村は現在、荒井派の根城の一つである、ビルの地下フロアの入口扉前で見張りをやらされていた。


 見張りは江口たちのような下っ端が三〇分置きに交代で務めており、今は江口と田村にその役が回ってきたというだけの話だった。


 見張りの時こそ煙草ヤニを吸いたいところだが、煙草の匂いが階段を上っていってしまうと、同じビルの四階にいる会社員リーマンどもに通報する口実を与えることになりかねない。

 だから江口は相方に話しかけることで、この暇な時間を潰していくことにする。


「な~、田村」

「なんだよ?」

「川藤の奴、出ていったきり戻ってこね~な」

「折節にやり返されたことに、だいぶキレてたからな。ヤキ入れるまでは戻ってこねぇんじゃねぇか?」

「だよな~。つうか、いまだに信じられね~よ。川藤が折節に負けただなんてな」

「おいおい、『負けた』とか言うなよ。川藤が聞いたらマジギレすんぞ」

「わり~わり~。でもよ、折節とかぶっちゃけ俺らよりも雑魚じゃん?」

「自分で雑魚とか言うなよ。哀しくなるだろうが」

「って、てめ~はてめ~で否定しろっての」


 田村と駄弁りながらも、退屈極まりない見張りの時間を潰していく。


 江口にとっては、このくらいで丁度良かった。

 気に合う連中と一緒によえ~奴をいじめて、女を口説いて、長いものに巻かれる代わりに適度にパシられつつも、適度に良い思いをする。

 そんな風に、面白おかしい学園生活を送るだけで充分だった。


 何も知らずに〝女帝〟の後輩に手を出してしまい、ブチのめされた後は、〝女帝〟に目をつけられたんじゃないかと田村と一緒にビクビクしていたものだが、特に気にする必要はなかった。


 今も〝女帝〟の後輩を一人拉致りはしたものの、こうして駄弁っていられる程度には平和だ。

 肝心要の〝女帝〟は、俺らのボスである荒井さんが相手をしてくれる。


 折節も含めた〝女帝〟の仲間がこっちに来るかもしれないという話だが、五〇人を超える荒井派の不良メンバーの実に四〇人超が、このビルの地下に集まっている。

 負ける要素などどこにもないので、やはり平和だと江口は思う。


「にしても川藤の奴、ちょ~っと折節に拘りすぎてるっつ~か」

「そのせいか今のあいつ、ちょっとおっかないよなぁ」

「ま~、折節にヤキ入れりゃ、スッキリして元に戻んだろ」

「そんでもって、俺たちもついでに折節にヤキ入れちまうってか?」

「ははは、そりゃいい――って、おい」


 江口たちが守っている、扉の正面。

 二基ある内の、左側のエレベーターが突然動き出し、この地下階まで下りてくる。


「まさか、マジで小日向派が?」

「いやいや、さすがにエレベーターから堂々と来ねぇだろ」


 小声でそんなことを話している内にエレベーターが止まり、ドアが左右に開く。

 息を呑みながらもエレベーターを注視するも……中に人の姿はなかった。


「なんだよ……」

「ビビらせやがって……」


 二人揃って安堵した、その時だった。

 足音を立てることなく階段を駆け下りてきた、聖ルキマンツ学園の制服を着た亜麻色の髪の女が、すぐ傍まで迫っていることに江口が気づいたのは。


(こいつは……氷山!?)


 本当に小日向派がカチ込んできたことに驚きながらも、味方に報せるために声を上げようとする。が、


「だ~め」


 氷山は耳元で囁きながらも、掌でこちらの口を塞いでくる。

 そこから醸し出された石鹸にも似た甘い香りが脳を痺れさせたのも束の間、豊満の一語に尽きる大きな胸を真っ正面から押しつけられ、かろうじて動いていたはずの思考が完全にショートしてしまう。


「今は静かに……ね?」


 薄い唇の前に人差し指を立て、懇願してくる。

 その仕草があまりにも蠱惑的すぎて、本能が勝手に肉体を動かし、勝手に首を縦に振る

 直後、バチッという音ともに倒れた田村を、警棒と思しき細長い物体を手にした、小学生くらいの子供が抱き止めた。


 ……いや、子供じゃない。

 田村を抱き止めたのは、小日向派の一人――月池だった。


 その時点で、彼女が持っている物が警棒ではなくスタンバトンであることを悟る。

 どうやら小柄な体格を活かして、エレベーターのドアの脇に隠れていたようだ。


 そして、こちらが氷山に気を取られた瞬間を見計らってエレベーターを飛び出し、スタンバトンで田村を気絶させた。

 状況からして、そうとしか考えられなかった。


「ちょ~っと、いいかしら?」


 耳元で囁かれた上に、すでにもうけっこうな有り様になっている下腹部を優しく撫でられ、江口は硬直してしまう。


「アナタが守っているドアの向こうがどうなってるのか、教えてくれないかしら~?」


 言いながら、ゆっくりと、江口の口を押さえていた掌をずり下げ、艶めかしい手つきでこちらの胸元に指を這わせる。


「教えてくれたらいいことして、あ・げ・る❤」


 まさか自分の人生で、そんな言葉をかけられる日が来るとは思っていなかった江口は、派閥への忠誠心よりも性欲を優先し、小声で素直に答える。


「ド、ドアの向こうには、荒井派のメンバーがだいたい四〇人、あんたらが来るのを心を待ちにしている。つっても、真面目に待ってる奴なんて、大迫さんと、俺らみて~に見張りの番になった奴くらいだけどな」


 ドアと壁に隔てられた向こう側から聞こえてくる、宴会場もくやと言わんばかりの喧噪には氷山も気づいているようで、


「そうみたいね~」


 そんな言葉とともに漏らした吐息でこちらの耳を撫でながらも、下腹部も優しくいやらしく撫で回してくる。

 そのあまりの技巧テクニックに、今にも達してしまいそうな心地だった。


「それで、ワタシたちのかわいいかわいい後輩ちゃんは、このドアの向こうにいるってことでいいのよね?」

「あ、ああ、そのとおりだが……奥にもう一つ、パーテーションで区切られた部屋がある。そ、そこで大迫さんが一人で人質を見張ってる」


 その言葉を聞いた瞬間、氷山は月池に視線を送り、小さく頷き合った。


「あ・り・が・と・う」


 耳元でお礼を囁かれたのも束の間、脳髄まで蕩けそうな愛撫の快感が唐突に消え失せる。


 直後、背中に柔らかいものを押しつけられ、新たな快感に気を取られている隙に、背後から伸びてきた腕が首に巻きついてくる。

 その腕先は反対側にあったもう片方の手と合流し、固い握手を交わすようにガッチリと組み合わさると、江口の首を力の限りに絞め上げた。


 完全にまってしまっているため声が出ず、代わりに頭の中で漠然と思う。


(これって……ヘッドロックとか……裸締めとか……そんな感じのやつじゃ……)


 その数秒後、江口の意識は、テレビの電源が切れるようにブツリと途絶えた。

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