第21話 拉致
部屋に入った夏凛はマスクを外すと、着替えもせずにそのままベッドに倒れ込む。
今のところは咳もほとんど出ていないし、吐き気もないのでそこそこに食欲もあるが、熱が高いせいで体があまりにも
正直、立っているのもつらいくらいだった。
「あー……くそ……さすがに着替えねーと……」
言葉にはすれど、体が怠いせいで着替えることすらも億劫で、体を動かす気にはなれなかった。
このまま寝てしまいたいところだが、この状態で寝てしまったら余計に風邪が悪化してしまいそうなので、意識的に瞼を上げ、着替える気力が湧き出るのを待つことにする。
どれくらいの時間が経った頃か。
ウトウトとしていたところ、制服のポケットに入れていたスマホが震え、慌てて瞼を上げた。
誰かが心配のメッセージでも送ってきたのかと思い、LINEを開くも、
「…………あ?」
思わず、ドスの利いた声を漏らしてしまう。
個別という形でメッセージを送ってきたのは、春乃だった。
だが、メッセージを送ってきた人間は、明らかに春乃ではなかった。
なぜならメッセージとともに送られてきた画像には、両手両脚を縛られて、どこかの床の上に気絶させられている春乃の姿が映っていたから。
そして肝心要のメッセージには、こう記されていた。
『貴様の後輩を預かっている。無事に返してほしければ、町外れにある廃倉庫に一人で来い。言うまでもないが、貴様の仲間や警察にこのことをチクった場合、後輩の身の安全は保証しない。荒井』
既読がついたことを確認したのか、続けてもう一枚画像が送られてくる。
それが意味することが何なのかは、最早言に及ばない。
「マジで、ナメた真似してくれんじゃねーか……!」
すぐさまベッドから起き上がると、先程まで着替えることすら億劫だったのが嘘のような荒々しい足取りで、夏凛は部屋から出て行った。
◇ ◇ ◇
そこは、繁華街の一角にある四階建てのテナントビルだった。
不景気の影響か、最上階に聞いたこともない会社の事務所があるだけで、残りは全て空き室になっており、守衛も受付もいないせいか雰囲気はどこか廃墟じみている。
そのビルの地下一階。かつては一つの会社がフロアを丸々事務所として利用していた空間を、荒井派の不良たちは根城の一つとして利用していた。
フロアの奥にはパーテーションで区切られた、かつては社長室として使われていた部屋があり、そこに川藤と取り巻きの二人、荒井派ナンバー2の大迫、そして、
「既読はついた。後は〝女帝〟が乗ってくれるかどうかだが……まあ、大丈夫だろう」
大迫は、その手に持っていた桃園春乃のスマホをポケットに仕舞いながら、川藤に視線を送る。
「まさかお前の醜態が、こんな形で役に立つとはな」
醜態とは勿論、川藤が折節に負けた件――川藤自身は認めていないが――を指した言葉だった。
もっとも、醜態だと思っているのは他ならぬ川藤自身で、正直思い出したくもない話だが、その一件があったおかげで、桃園が〝女帝〟の後輩であることを、つまりは小日向派の一人であることを知ることができたのは事実。
その情報を提供したことで、大迫が、桃園を拉致することで〝女帝〟と小日向派の
なお、拉致の手段については、桃園と交友のある女子生徒を捕まえて、指定の場所に呼び出すように脅すという、彼女の交友関係を一顧だにしない悪辣なものだった。
当然、利用した女子生徒には、誰にも
「……ん?」
不意に大迫が片眉を上げ、ポケットからスマホを取り出す。
先程仕舞った桃園のスマホとは別に持っている、大迫本人のスマホだった。
どうやら派閥の下っ端から電話があったらしく、大迫は無駄に偉そうに「俺だ」と言いながら電話に出る。
二、三話すとすぐに電話を切り、自身のスマホと入れ替わる形で桃園のスマホを取り出しながら川藤に言った。
「〝女帝〟が約束どおり、一人で
「じゃ、じゃあ、大迫さん……」
「ああ。お前の要望どおり、折節とかいう野郎にヤキを入れるチャンスをくれてやる」
それこそが、情報提供の見返りだった。
この後、大迫は桃園のスマホを使って、月池、氷山、そして折節の三人にメッセージを送る手筈になっている。
その内容は概ね〝女帝〟に送ったメッセージと同じだが、呼び出す場所は荒井がいる廃倉庫ではなく、五〇人以上いる荒井派のメンツの内の実に四〇人が集まっている、このビルに書き換えていた。
〝女帝〟と月池たちを分断した上で両方とも潰す――それが大迫の策だった。
川藤も派閥の下っ端である以上、大迫の命令に従って小日向派を潰す兵隊として戦わなければいけないところだったが、先の見返りにより、一人自由に動くことを許された次第だった。
(本音を言やあ、〝女帝〟や月池たちとは別に、折節を個別で呼び出してほしいところだったが……)
下手に高望みすると、荒井と大迫に調子に乗っていると見なされる恐れがある。
折節にヤキを入れる前に、自分がヤキを入れられてしまっては元も子もないので、行動の自由を許されるというだけの見返りで満足するしかなかった。
「川藤。先に断っておくが、折節がビビってこっちに来ないというパターンもある。そこについては保証しねぇから、そのつもりでいろよ」
「ああ、それなら大丈夫っすよ」
折節への怒りと、もうすぐ折節を血祭りに上げられる喜びが入り混じった笑みを浮かべながら断言する。
「あのグズは、正義感だけは一丁前っすから。桃園が拉致られてるのを見りゃ、絶対に飛んでやってくるっすよ」
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