第20話 放課後

 その日の放課後。

 ケンカレッスンを中止にして家まで送ろうとする史季たちに、夏凛は心底鬱陶しそうに言う。


「だーかーらー、わざわざ送り迎えなんてしなくていいっってんだろ」

「いや、さすがにフラフラしながら言われても説得力ないよ。小日向さん」


 史季の指摘に、夏凛は「んぐっ」と口ごもる。


「りんりんは味方も多いけど、敵も大概に多いからね~」

「弱ってるとこ見てチャンスだとか考える不良バカが、狙ってこねぇとも限らねぇからな。そういう意味じゃ、今日たまたま春乃がクラスのダチに遊びに誘われたのは、アイツにはわりぃがラッキーだったかもしれねぇな」


 言葉どおり、どこか申し訳なさそうな表情をしながら千秋は言う。


 なお、春乃にはケンカレッスンを中止にすることも、夏凛を家に送ることも伝えていない。

 折角春乃がクラスの友達に誘われたのに、自分のせいでお流れにさせたくないという夏凛の気持ちを汲んだ結果だった。


「そうね~。数で来られた場合、はるのんまで守らなきゃならないとなると、さすがに厳しいものね~」

「何勝手にあたしを守られる側に回してんだよ。不良バカどもの相手なんて、風邪引いてるくらいで丁度いいっつーの」

「だから、フラフラしながら言われても説得力ないよ。小日向さん」


 と、先と同じ指摘をしたところで、ふと気づく。


「……僕は、守られる側に入ってないの?」


 その言葉に、千秋と冬華は顔を見合わせた。


「いや、今のオマエ、どう見たって守られる側の人間じゃねぇからな」

「実際、こないだ一人で悪い子たちを追い払ったんでしょ~?」

「それは、そうだけど……」


 そんな史季の反応を見て何を思ったのか、夏凛はこんなことをのたまい始める。


「あー、やっぱちょっとしんどいかもなー。もうこれケンカとか絶対無理だわー。つーわけで史季。マジで不良バカが襲ってきた時は、あたしのことバッチリ守ってくれよな」


 棒読みがひどいことはさておき、そんな風に言われて「無理だよ」と返せる史季ではなく、諦めたように「はい。わかりました」と答えるしかなかった。

 実は内心では、夏凛に「守ってくれ」と言われたことを、ちょっぴり嬉しく思いながら。


 そうして人知れず意気込みながら、千秋たちと一緒に夏凛を家に送るも、危惧していた不良たちの襲撃はおろか、尾行されている気配もなかった。

 意気込んでいた割りにはそのことに心底ホッとしているあたり、やはり自分はまだ守る側の人間ではないことを痛感する。


(……あれ? でも、これって……)


 夏凛が部屋を借りているマンションの階段を上りながら、またしてもふと気づく。

 自分が今、期せずして夏凛の家に向かっていることに。


(いやいや、ないない。そのまま――)

「りんりんの家に上がること、期待しちゃってる顔になってるわね~」


 図星を突かれ、ドキーンという擬音が聞こえてきそうなほどに心臓が飛び跳ねた。


「おっ? もしかして折節、女子の家に上がったことねぇのか?」


 千秋にまで図星を突かれ、再びドキーンと心臓が飛び跳ねる。


「勝手に盛り上がってっけど、あたしは誰もうちに上げる気なんてねーからな。そもそも史季んよりも狭いから、この人数でもきちーし」

「いいのかよ? お粥くらいなら作っていってやってもいいんだぜ……冬華が」

「人任せかよ。つーか、こんな状態で冬華を家にあげる方が、不良バカどもに襲われるよりよっぽど危ねーだろうが」

「それは一理あるな」

「ないわよ~。ちょっと汗拭いてあげるついでに、うっかりオッパイ揉む程度のことしかしないわよ~」

「千理あるじゃねぇか!」


 ツッコみを入れる千秋に苦笑しながら、史季は、女の子の家に上がる云々の話が盛大に流れたことに一人安堵していた。


 そうこうしている内に、夏凛が扉の前で立ち止まる。

 どうやら、彼女の部屋に着いたようだ。


「とにかく、お粥も作る必要なんてねーし汗も拭く必要なんてねーから、おまえらはもう帰れ。……あんまりあたしに構って風邪が伝染うつったら、わりーだろうが」


 後半の言葉は、露骨にこちらから顔を逸らしながらだった。

 耳が真っ赤になっているのは、熱だけのせいではないだろう。


 千秋も冬華もニヨニヨと笑い、史季も思わず頬を緩めてしまう。


「ったく、んなこと言われたら、余計にほっとけなくなるんだが?」

「う、うっせー。おまえらもうほんと帰れ」

「へいへい」

「りんりん……わたし、りんりんの風邪ならいくらでも伝染うつ――あぁん❤」


 夏凛に抱きつこうとした冬華の脇腹に、千秋のスタンバトンが炸裂する。

 もう幾十とこのやり取りを見てきたせいか、すっかり慣れてしまった史季は、床に倒れ伏す冬華を気にも留めずに夏凛に言った。


「それじゃあ小日向さん。お大事に」


「……おう」


 短く答えると、夏凛は逃げるように部屋に入り、


「サ、サンキュな、おまえら。送ってくれて」


 照れの混じったお礼を残して、ゆっくりと扉を閉めた。

 ちゃんと鍵を閉める音が聞こえてきたところで、千秋は小さくため息をついてから言う。


「あんなだから、ほっとけねぇんだよなぁ」

「よね~」


 同意する冬華は、ニヨニヨ笑いを深めていた。

 ケンカレッスンを受けている立場でこんなことを思うのも生意気かもしれないが、確かに千秋の言うとおり、あんな反応をされたらほっとけないと史季は思う。


「とはいえ、あんまり構いすぎるとヘソ曲げちまうかもしれねぇからな。ぼちぼちウチらも帰るぞ」

「そうね~……このまま遊びに行っちゃうってのも、りんりんに悪いし」

「てか、悪かったな折節。家、逆の方角なのに付き合わせちまって」

「ううん。僕も小日向さんのことが心配だったから。……送り狼になりそうな人がいることも含めて」

「オマエ、ほんと言うようになったよな」

「本当にね~。まさか、しーくんが送り狼狙いだったなんてね~」

「なんでそうなるのッ!?」

「ったく、どこをどう聞いたらそうなるんだよ。んなだから、こないだのテストで国語の点数が一番低いんだよ」


 などと駄弁りながらも、三人揃って階段を下りていく。

 史季は自覚していないが、今や夏凛を挟まなくても、彼女たちと自然にこんなやり取りが交わせる程度には小日向派に溶け込んでいた。


 そういったところも含めて、千秋と冬華が史季のことを〝守る側〟だと見ていることはさておき。

 三人はマンションの外に出ると、もう少しだけ話し込んでからその場で解散することに決め、各々帰途についたのであった。

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