第18話 風邪
「おっ、マジか」
「あらあら~」
予備品室で千秋と冬華が驚きの声が響く。
中間テストが終わった翌週。
夏凛とのスパーリングごっこで、今まで一度もタッチできなかった史季の手が、とうとう彼女の肩をかすめたのだ。
「すごいです! 史季先輩!」
春乃がパチパチと拍手を送る中、夏凛はニッカリと笑いながら史季の肩に手を置く。
「なかなかやるようになったじゃねーか、史季」
「小日向さんと、みんなのおかげだよ」
「おーおー、模範解答だねー」
「実際、けっこうやれるようになってきたんじゃねぇか? ウチのエアガンもそこそこよけれるようになってきたし」
「受け身も、ちゃんと取れるようになったものね~」
「足もすごく上がるようになりましたしね!」
ハイキックの真似でもしようとしているのか、春乃は足を上げて見せるも、下手をすると柔軟体操をやっていなかった頃の史季よりも足が上がっておらず、夏凛たちは苦笑する。
川藤にハイキックを叩き込んだ際の夏凛の一件もあって、史季一人だけは、春乃の足がスカートの中が見えない程度にしか上がっていなかったことに内心ホッとしていた。
「まー、地力がついてきたみてーだし、レッスンを次の段階に進めるのもありかもしれねーけど……」
夏凛は笑顔をそのままに、史季の肩を掴んでいた手に力を込める。
「触られたのちょっと悔しいから、もうワンセットやんぞ」
その言葉は夏凛が手を抜いていなかったことの証左であり、だからこそ史季は、初めて彼女にタッチできたことを実感できたが、
(でも、今日の小日向さん、心なしか動きが
そんな疑問を抱いていたけれど、次のワンセットでは案の定史季の手は夏凛にかすりもしなかった挙句、全身をこれでもかと触り倒されてしまい、ただの考えすぎであることを嫌というほどに痛感させられた。
――と思っていたら。
翌日。
一限目が終わった直後のことだった。
夏凛を保健室に連れて行ったという千秋と冬華からのメッセージが、LINEに届いてたのは。
確認するや否や慌てて教室を出て、保健室へ向かう。
勢いよく扉を開き、
「小日向さん!」
彼女の名前を大声で呼びながら中に入った直後、史季は石像のように固まった。
その理由は、たまたま夏凛が着替えをしていたとか、そんな嬉し恥ずかしのイベントが勃発したなどという理由では断じてなかった。
この学園の保健医が、じっと史季のことを見ていたのだ。
五分刈りサングラスの強面という、およそ保健医には見えない風体ゆえに、白衣の下には絶対に拳銃を隠し持っていると噂されている
「ここは保健室だ。静かにしろ」
淡々と注意をする、中条。
その静かなる迫力にすっかりビビってしまった史季は、微妙に裏返った声で「はいッ」と返すと、ベッドの方に千秋と冬華と春乃が集まっているのが見えて、そそくさとそちらへ向かう。
「あら、しーくんも来たわね~」
輪に入りやすくするためか冬華が一歩下がると、それに合わせて千秋も一歩下がる。
そんなささやかな気遣いのおかげで、ベッドに腰掛けている夏凛の姿を確認することができた。
夏凛の顔は常よりもやや火照っており、いつも咥えているパインシガレットの代わりに、口元をマスクで覆っていた。
「んだよ。史季まで来たのかよ」
呆れたような声音には、やはり常ほどの力はない。
「ただの風邪だっつーの。なのに保健室に連れ込まれるわ、揃いも揃って集まってくるわ……大袈裟なんだよ、おまえらは」
「ダ、ダメですよ先輩、風邪を甘く見ちゃ……! 万病の元と呼ばれているくらいなんですから……! 熱も三八度を超えてますし……!」
声を張り上げたいのを我慢したような声音で、春乃。
勉強会でアホの子っぷりを散々見せつけられた手前つい失念しそうになるが、春乃は医者の娘であり、ドジらなければという注意書きがつくが応急処置もお手の物だ。
その彼女に言われては反論のしようもなかったのか、夏凛は眉根を寄せながらも口ごもった。
「昨日スパーリングごっこでタッチできたから、もしかしたらと思ったけど……」
「ばーか。昨日の段階だと別になんともなかったから、タッチできたのは史季の実力だっての。熱が出たのも朝起きてからだったしな。つーか熱が出るようなこと、した覚えねーんだけどなー……」
「いや、覚えならあんだろ。あんだけ勉強したんだから」
「千秋てめー……まさか知恵熱が出たとか言うつもりじゃねーだろな?」
「それ以外に何があるってんだよ」
「アホかっ。中間テスト終わったの先週だぞっ」
「ということは、遅効性の知恵熱ってことになるわね~」
「知恵熱に遅効性もへったくれもあるかっ」
「待ってください、千秋先輩っ。冬華先輩っ。知恵熱とは赤ちゃんが突然かかる熱のことであって、勉強のしすぎで発熱するという話は間違いですよっ」
「よく知ってんな、そんなことっ!? つーかそれどういうフォローだよっ!?」
「ちょ、ちょっとみんな。病人にあんまりツッコみをやらせちゃ駄目だよ」
「はいっ。今史季がめっちゃ良いこと言った。つーわけで、頼むからこれ以上アホなことを言うのはやめてくれ……!」
保健室ゆえに声を小さくしながらも、夏凛は無理矢理締めくくる。
呼吸は「ぜーはーぜーはー」と荒れたものになっていた。
「つーか、おまえらのせいで悪化しそうなんだけど?」
「すればいいじゃねぇか。そうすりゃテメェでも、早退する気が起きるってもんだろ?」
千秋の言葉に、史季は「え?」と漏らす。
「早退しないの? 熱が三八度もあるのに?」
「大袈裟に熱が高いからちょっとダリーってだけで、授業が受けられねーってほどもねーからな。実際、さっき散々ツッコまされたのに咳とか全然出てなかったろ?」
「そうかもしれないけど……」
なおも心配する史季たちをよそに、夏凛は少しだけ声を大きくしながら中条に言う。
「つーわけでセンセ、あたしこのまま二時限目以降も授業に出るから」
「好きにしろ」
保険医の了承が得られたところで、夏凛は立ち上がる。
「ほら、おまえらもさっさと教室に戻れって。次の授業が始まっちまうぞ」
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