第16話 カオス
一人学年が違う春乃も含め、副教材の問題集のテスト範囲を確認してから、家主である史季が自身の机で勉強しつつも、テーブルの上で顔を突き合わせて勉強している夏凛たちから質問があれば、適宜答えるという形で勉強会がスタートする。
なお、春乃のテストの成績が下方向に衝撃的すぎて、史季の成績を聞く流れにならずに済んだことには内心安堵していた。
去年行なわれた定期テストを平均すれば、史季の点数は九〇点を超えている。
史季はもともと、偏差値三〇代の聖ルキマンツ学園よりも二〇以上高い公立校を目指していたので、正直取れて当然の点数だが、先程の流れでそれを言ってしまったらイヤミにしか聞こえない。
そんなくだらないことで彼女たちに嫌な思いをさせたくない――と思ったところで、ふと気づく。
今まで不良に対しては、如何に不興を買わないかを気にしていた自分が、いつの間にか彼女たちに対しては、今この時のように嫌な思いをさせたくないと思うようになっている自分がいることに。
不興にしろ嫌な思いにしろ、言葉の意味としては似たようなものだが、そこに込められた意味合いは大きく異なっていた。
不良たちの不興を買わないようにしていたのは、自分が傷つかないようにするためであるのに対し、夏凛たちに嫌な思いをさせたくないと思ったのは、彼女たちを傷つけたくないという想いからきていたから。
(桃園さんを除けば、この中で一番弱いくせに何考えてんだって話だけど)
自嘲めいたことを考えていたところで、春乃が「史季先輩!」と呼びながら手を上げ、衝撃的なのか笑撃的なのかわからない確認をとってくる。
「三角形の面積の式は、『半径×高さ÷2』であってますよね!?」
その言葉に史季はおろか、夏凛たちも思わず手を止めて瞠目する。
「前々から、あんま頭良くねーだろうなとは思ってたけど、まさかここまでとは……」
夏凛が、疲れたように眉間を摘まみながら言う。
「さすがにこれは、ちょ~っと心配になるわね~」
さしもの冬華も、苦笑いを隠せていない。
「ったく……あのな春乃。三角形の面積の公式は『直径×高さ÷2』だっつうの」
呆れたように言う千秋に、史季と夏凛と冬華が揃ってギョッとした。
「ちょっと、ちーちゃん……」
「それはいくらなんでも、まじーだろ……」
その反応を見て、自分の言う公式も間違っていることを察した千秋は、屈辱にプルプル震えながらも夏凛と冬華に言った。
「だったらテメェら公式言ってみろよ」
「「底辺×高さ÷2」」
声を揃える二人に、史季は思わず安堵の吐息をつく。
さすがにこの場にいる全員が三角形の面積の公式がわからないレベルだと、教える側としては大変どころの騒ぎではない。
そんな史季に向かって「え? マジ?」という視線を向けてくる千秋には、「マジです」という視線を返しておいた。
「そうか!
「はるのん、そのルビは哀しすぎるから本当にやめて~……」
珍しくも冬華がツッコむ側に回るほどの惨事だった。
「と、とりあえず、桃園さんも月池さんも、半径や直径は円の話で、三角形には使わないってことを憶えておいて」
そんな史季のアドバイスに、春乃は元気よく「はい!」と、千秋は気怠げに「へいへい」と返した。
それからしばらくの間、夏凛たちは数学の問題を解きつつ、わからないことがあったら適宜史季が教えるという形で勉強会は進行していったが、
「んが――――――――――っ!!」
突然夏凛が雄叫びを上げてテーブルに突っ伏して、史季と春乃は吃驚する。
「こ、小日向さん!?」
「せ、先輩!?」
「あぁ、ほっといていいぞ。いつもの発作だから」
「りんりんの勉強嫌いは、筋金入りだものね~」
慣れているのか、千秋と冬華は夏凛に構うことなく勉強を続けていた。
「なんだよ因数分解ってんなもん日常生活で何の役に立つんだよつーかそもそもガッコの勉強自体が何の役に立つっていうんだよほんといい加減にしろよ誰だよ世の中に勉強とか生み出したやつ頭おかしいんじゃねーのマジで――……」
テーブルに突っ伏した念仏のようにブツブツと不平を言う夏凛に、史季は苦笑する。
(そういえば小日向さん、勉強したくなくて聖ルキマンツ学園を選んだって言ってたけど……)
確かにこれは冬華の言うとおり、筋金入りだと思う。
「でも、夏凛先輩の気持ちもわかります。こうして数字ばっかり見てると、段々頭がおかしくなってしまいそうですもん」
春乃が、大抵の男子ならば一目で恋に落ちかねないほどに眩しい笑顔を浮かべながら、心底将来を心配したくなるようなことを口走る。
今春乃が解いているのが、目に映る数字が少ない図形問題だったものだから、余計に。
「できたわよ~、しーくん」
そんな中、いの一番にテスト範囲の問題を解き終えた冬華が、問題集を渡してくる。
ただ答え合わせをするだけならば誰でもできるが、途中式の正否を判断できるのはこの場においては史季しかいない。
なので採点は、史季が行なうという形にしていた。
「……氷山さんって数学の成績、本当に赤点前後なの?」
採点をしながら、冬華に訊ねる。
「本当よ~」
「その割には、問題の六割が正解なんだけど……」
「それは、しーくんの教え方がよかったおかげよ~」
「僕まだ、氷山さんには何も教えてないんだけど!?」
「そ・れ・じゃ・あ、今から教えて~❤」
「ちょちょちょ!? 氷山さん!?」
冬華が胸をおしつけるようにして、しなだれかかってきたので、史季は悲鳴を上げながらも、心のどこかで千秋が止めてくれるだろうと思ってたら、
「わりぃ、折節。今やってる問題がもうちょいで解けそうだから、そっちももうちょい頑張ってくれ」
「そんなぁッ!?」
まさかの返答だった。
こうなると頼れる相手は一人しかいないので、史季は縋るような視線を、いまだテーブルに突っ伏している夏凛に送るも、
「まー、チチ押しつけられるくらいならいいんじゃね?」
テーブルに顎を置き、気怠げにパインシガレットを咥えながら気怠げに答える彼女に、史季は再び悲鳴を上げた。
「よくないから助けを求めてるんだけど!?」
「うーん……じゃー、冬華がやりすぎそうになったら止めるわ」
「今止めて!」
「そ、そうですよ! 今止めないと!」
まさかの春乃からの助け船に、史季は感激しかけるも、
「止めないと、史季先輩のシャープペンシルが大変なことになっちゃいますよ!」
「何言ってんのこの子ッ!?」
「しーくんの言うとおりよ~。いくらなんでもそんなに細くないし、同じペンで例えるなら修正ペンにしないと」
「どうしてですか冬華先輩!?」
「だって、どっちも先っぽから白いのが出――あぁん❤」
ここでようやく千秋のスタンバトンが炸裂し、冬華は狭い床の隙間に器用に倒れ伏した。
「問題解けたから、採点頼むわ」
「う、うん……」
疲弊しきった顔で問題集を受け取る史季をよそに、千秋は「アレ? まだ終わってねぇの?」と夏凛を煽り始める。
「はんっ、こんなもん本気出しゃすぐだっつーの」
見事に乗せられた夏凛が、ムキになって再び問題集に取りかかる中、史季は疲れたようなため息をついていると、春乃がこちらの足をツンツンと
「どうしたの? 桃園さん」
「あ……あの……本当に修正ペン……なんですか……?」
頬を赤らめながらもそんなことを訊ねられ、史季は思わず天井を仰いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます