第10話 ケンカレッスン・2
次の日は夏凛と春乃だけではなく、千秋と、冬華――昨日の宣言どおりに夏凛にシメられ、なぜか幸せそうな顔でマットに横たわっている――も揃う中でのケンカレッスンとなった。
その内容は、体の動かし方を覚えるという意味では昨日と同じだが、性質という点では大きく異なっていた。
昨日が全体的な体の動かし方だとすれば、今日は攻撃的な体の動かし方――つまりは人の殴り方、蹴り方の話だから。
「まずは、できるだけ高い位置を狙って、思いっきりこいつを蹴ってみてくれ」
予備品室の中央に移動させたスタンドタイプのサンドバッグを、鉄扇の先で指し示しながら夏凛は言う。
史季はサンドバッグの前に立つと、以前夏凛が川藤を一発KOしたハイキックを脳裏に浮かべ……うっかり思い出しかけた白い布地については脳裏の隅の隅へ追いやってから、サンドバッグに回し蹴りを叩き込んだ。
ハイキックのつもりが見事なまでのミドルキックになってしまったのは、半ば予想していたことだが、
「おぉっ!」
「あらあら」
千秋と冬華が驚くほどのサンドバッグの跳ねっぷりは、史季の予想をはるかに超えていた。
「な。だから言ったろ。史季の脚力はすげーって」
鉄扇でパタパタと自身を煽ぎながら、夏凛は言う。
その言葉は千秋たちだけではなく、いまだ自身の脚力をいまいち理解していない史季にも向けて言ったものだった。
「うわぁ……これ、ウチがくらったら空飛ぶんじゃね?」
本気なのか冗談なのかわからない千秋の言葉に、史季はブルブルとかぶりを振る。
「ところで、しーくん。アナタってS? それともM? ちなみにワタシは~、どっちでもイケるクチだけど~」
「何の話!?」
思わず悲鳴じみた声を上げる史季を尻目に、春乃が「はい!」と元気よく手を上げる。
「冬華先輩! Sがサドで、Mがマゾって合ってますか!」
「合ってるわよ~。こないだ教えたこと、ちゃんと憶えてるわね~」
「だから春乃に変なこと吹き込むなって言ってんだろ!」
夏凛に頭をチョップされて、冬華は「やん❤」と喘ぐような声を漏らしてマットに倒れ伏した。
キック一発でここまでカオスな状況になるとは思ってなかった史季は、顔を引きつらせるばかりだった。
「まー、あれだ。蹴りの位置の低さについては、風呂上がりにでも股割りとか柔軟体操を毎日続けてりゃ改善できるから、しっかりやっとけよ」
「う、うん」
「ほんとは、柔軟体操のやり方とかも教えてやりてーとこだけど……」
夏凛は無言で、マットに倒れ伏す冬華を見やる。
「無理な理由は、言わなくてもわかるよな?」
「ははは……」
その問いに対しては、引きつるような笑みを返すことしかできなかった。
確かに冬華なら、柔軟体操にかこつけてナニを何するくらいはやってくるかもしれない。
「そんじゃ次は、思いっきりこいつを殴ってみてくれ」
史季は再びサンドバッグの前に立つと、夏凛に言われたとおり、持てる力を振り絞るような勢いで殴りつける。
直後、ペチッという情けない音ともにサンドバッグがちょっとだけ揺れた。
「うわぁ……これ、ウチよりもパンチ力ないんじゃね?」
「ところで、しーくん。アナタって無理矢理やる方が好き? それとも無理矢理やられる方が好き?」
「冬華先輩! それもSとMの話ですよね!」
などと好き勝手言っている外野はさておき、予想をはるかに下回るパンチ力に、ちょっと泣きそうな史季だった。
「これからこれから」
ポンポンと背中を叩いてくれた夏凛の優しさが、心に染みた。
「威力の差はともかく、パンチにしろキックにしろ重心への意識が薄いってことはよくわかった。とりま、その辺りの矯正から始めようか」
◇ ◇ ◇
その日以降は、スパーリングごっこと、サンドバッグ打ちの繰り返しだった。
夏凛曰く、体の動かし方を覚えると同時に、スパーリングごっこで体力を、サンドバッグ打ちでパンチとキックに必要な筋力をつけるために、退屈だろうがしばらくはこの繰り返しでいくとのことだった。
ちなみに筋トレに関してはしてもしなくてもいいが、脚力を活かせるハイキックを撃てるようにために、風呂上がりの柔軟体操はしっかりやっておくようにと重ねて言われた。
もっとも筋トレに関しては、ケンカレッスンを続けているだけで体のそこかしこが筋肉痛になっていたため、そもそもやる余裕がなかったが。
それから一週間が経ち、体が少しずつケンカレッスンに慣れてきた頃。
「見ているだけってのも飽きてきたし、ウチも折節に何か教えようか?」
千秋の提案に、夏凛は考え込むように顎に手を当てながら答える。
「ちょっとそれ難しくないか? 春乃と違って、史季は
最早説明の要もない話だが、千秋は凶器もとい、多種多様の道具を使うことで
スタンバトンや改造エアガンのみならず、数々の道具をロングスカートのスリットから取り出す様は某ネコ型ロボットを彷彿とさせ、いつしか学園内では四次元スカートなどと呼ばれるようになっていた。
「別に道具の扱いを教えるわけじゃねーよ。あんだけのキック力がありゃ、道具に頼る必要なんてあんまねぇだろうし」
「じゃー、何を教えるってんだよ?」
千秋はニンマリと笑ってから夏凛に耳打ちし、彼女も同じようにニンマリと笑うと、拡げた鉄扇でこれ見よがしに口元隠した。
「いいな、それ。けど今は無理なんじゃね? さすがに改造してねーエアガンは持ってねーだろ?」
「安全のためマスクも欲しいところだしな。明日にすっか」
などと二人が話している間に、ふと気になることができた史季は春乃に訊ねる。
「そういえば桃園さんは、月池さんから道具の扱い方を教えてもらったりとかしなかったの?」
「教えてもらったことはあるんですけど、スタンガンとか持ってるだけで、わたしが痺れちゃうんで……」
ションボリとしている春乃を前に、さすがに「持ってるだけで痺れたりなんかしないと思うけど!?」とツッコむことはできなかった。
おそらくは春乃のドジが原因で、スタンガンを自分に浴びせてしまったという話なのだろうが……やはり、持っているだけで自分が痺れるという言葉は意味不明だと言わざるを得なかった。
「ちーちゃんのレッスンが明日になるなら~、今日はワタシがしーくんにレッスンするというのはどうかしら~?」
なぜか
「「却下だ」」
「や~ん、どうして~? こう見えてもワタシ、寝技は二重の意味で得意なのに~」
「「その時点で答えを言ってるようなもんだろーが!」」
またしても二人の声が綺麗に重なり、またしても冬華がわざとらしく「や~ん」と艶めかしい声を上げる。
実のところ、史季たちがまだ一年の頃、当時の新入生の中で夏凛以外で話題になった人物が冬華だった。
冬華は中学で柔道部に所属していたものの、入部してから三ヶ月で退部になった。
そして聖ルキマンツ学園に入学してからも柔道部に入ったわけだが、この学園において部活は事実上、不良どもが部室というたまり場を得る口実にしかなっていない。
そのため、退部という概念は存在していないと言っても過言ではない。
にもかかわらず、冬華は退部になった挙句、謹慎処分を受けることとなった。
その理由は、不純異性交遊と不純同性交遊。
二重の意味で寝技が得意と豪語していたとおり、柔道部の道場でナニを何した結果、入部からわずか一ヶ月で退部&謹慎となった。
ちなみに中学での退部理由も似たような理由という話らしいが、さすがに三ヶ月前まで小学生だった少女が、頭に不純がつくような交遊はしていないだろうと史季は思う。というか思いたい。
兎にも角にも、二重の意味で寝技が得意ということは、柔道における寝技も得意であることを意味している。
千秋にも言えることだが、たった二人で〝女帝〟の背中を守っていただけあって、その実力は本物だ。
だからこそ、夏凛のレッスンとはまた違う意味でためになるかもしれないが、色々と辱められる予感しかしなかったので、冬華のレッスンを受けずに済んだことには、正直ホッとしている史季だった。
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