第6話 昼休み

 結局、返事を保留することにした史季は、夏凛たちと別れて自宅に戻った後、言われたとおりに顔を冷やしながらも安静に過ごした。


 そして翌日の朝。


 史季は鏡に映る自分の顔がパンパンに腫れているのを見て、夏凛と春乃に言われるまでもなく学校を休んで医者に行くことを決意する。


 医者に診せた際は、いったい何があったのかと胡乱な目を向けられたものだが、聖ルキマンツ学園の不良にやられたと伝えると、すぐに納得してもらえた上に同情までしてもらえた。

 つくづく、自分の通っている学園の世紀末っぷりを思い知らされた。


 幸い骨に異常はなく、引き続き凍傷に気をつけながら冷やせばいいとのことなので、医者を後にした史季は、昨日買いに行きそびれたゲームソフトを購入。

 家に帰った後は言われたとおりに顔を冷やしながらも、明日登校したら何が待ち受けているのかわからないことへの現実逃避もあってか、購入したゲームソフトのみならずソシャゲ(無課金)も含めて、日がな一日ゲームに没頭した。


 そしてそして翌日の朝。


 顔の腫れが随分マシになったことに安堵しつつも、史季はマンションの部屋を後にする。

 いくら夏凛のおかげで治安がマシになったとはいっても、学園内で不良どものケンカが勃発するのは日常茶飯事で、今の史季のように顔が腫れたり痣ができていたりする不良をそこかしこで見かけることもまた日常茶飯事だった。


 ゆえに二年二組の教室に辿り着いても、顔の怪我を気にかける人間なんてそうそういない。

 そんな人間なんて、それこそ弱い者いじめをする輩に目を光らせている夏凛くらいだろうと高をくくっていたら、


(なんでみんな、僕のことをチラチラ見てるんだろう……)


 自分の席についた史季は、不良も、そうでない生徒も、チラチラチラチラこちらを見てくることに居心地の悪さを覚えずにはいられなかった。


 そうこうしている内に、川藤が取り巻きたちとともに教室に入ってくる。

 史季と川藤の関係はクラスメイトの多くが知るところなので、束の間空気が張り詰めるも、


「……ちッ」


 川藤は舌打ち一つ漏らしただけで史季をスルーし、取り巻きたちを引き連れて真っ直ぐに自分の席に向かった。


 ろくに川藤の方を見ることができなかった史季は内心ドキドキしながらも、そこかしこから聞こえてくるヒソヒソ話に耳を傾ける。


「おい、川藤が折節に近寄りもしなかったぞ」

「つうことは、マジで〝女帝〟が折節のバックについたのか?」

「そうにきまってんだろ。実際昨日の昼休み、〝女帝〟が折節のこと訊ねてここに顔出してたしな」


 などといった感じの会話を聞いて、史季は得心する。


(僕が言うことを聞かずに登校していないか確かめるためか、今のような状況をつくり出すためかはわからないけど、昨日小日向さんがこの教室に顔を出してくれたから、みんな僕のことをチラチラ見てたんだ)


 それはそれで面倒な話になっている気がしないでもないが、


(だったら、小日向さんにケンカのやり方なんて教えてもらわなくても、川藤くんはもう僕に手を出してこないんじゃ……)


 そんな淡い期待をしながらも、恐る恐る川藤の席を横目で見やり……逃げるように即座に視線を逸らした。


 睨んでいたのだ。

 川藤が、親の仇にでも向けるような凶眼で、こちらを睨んでいたのだ。

 負けたら史季に手を出すなという〝女帝〟との約束を破り、前蹴りの借りを返す気マンマンでいることは、火を見るよりも明らかだった。


 生きた心地がしないままチャイムが鳴り、担任の冴えないおっさん教師が教室に入ってきて朝のホームルームが始まる。

 それから一限二限と授業を終えるも、川藤たちは休み時間になっても史季に近づく素振りすら見せなかった。


 久しぶりに穏やかな休み時間を過ごせたのは嬉しい限りだが、その様子を見たクラスメイトたちが、いよいよ本当に史季に〝女帝〟の後ろ盾がついたとざわつき始めたことは、落ち着かないことこの上なかった。


 そして三限四限の授業を終えて昼休みになると、いつもどおり派閥の顔出しのために川藤たちが教室を出て行くのを確認してから、購買のパンを買うために立ち上がる。

 川藤たちがいない間に昼食を調達し、川藤たちに見つからないようへ向かい、そこで昼食を済ませつつも昼休みが終わるギリギリまで身を隠すことが、史季の日課だった。


 けれど、


(よくよく考えたら、昨日、小日向さんが僕の教室に来たということは、今日も来るかもしれな――)



「アナタが史季くんね~」



 背後から、いやに色っぽい女子の声が聞こえてきたのも束の間、


「ひょわっ!?」


 首筋に息を吹きかけられ、思わず珍妙な悲鳴を上げてしまう。

 その隙に女子が背後から史季に抱きついてきて……背中から伝わる未知だけどその正体が何なのか一発でわかる二つの弾力に思考がショートする。


 というか、少しでも思考を巡らせると下腹部の血流が大変よろしい有り様になってしまいそうなので、ショートせざるを得なかった。

 代わりに顔面の血流が良くなったのか、耳まで真っ赤になっている史季を見て、女子は楽しげに笑う。


「うふふ、もしかしてこういうの初めて? かわいいわね~」


 史季の背中に胸を押しつけたまま、こちらの右肩に顎を乗せてくる。

 史季は前を向いたまま石像のように硬直しながらも、吐息が届くほど近くにある女子の顔を横目で見やった。


 おそらくは背中に届くほどにまで長い、ややクセのある亜麻色の髪。

 目は本当に開いているのかと疑いたくなるほどに切れ長で、頬には、どこか蠱惑的な声音とは裏腹の、聖母を思わせるほどに柔和な笑みをたたえていた。

 こうして間近で見てようやくわかる程度だが、薄い唇を筆頭にしっかりと化粧を施しているのが見て取れた。

 おそらくは、パッと見すっぴんに見える、ナチュラルメイクというやつだろう。

 踵を全く浮かせていないところを見るに、背の高さは自分と同じくらいかもしれない。


 これだけの特徴を確認できれば、背後から引っ付いてきた女子の正体は、史季にとって――いや、聖ルキマンツ学園の生徒にとっては自明だった。


 女子の名前は、氷山ひやま冬華とうか


〝女帝〟こと夏凛も含めてたった三人しかいない、聖ルキマンツ学園においては最強の派閥と呼ばれている小日向派の一人。


 もうその時点で大概に有名人なわけだが、彼女に関しては学園の内外で彼氏と彼女が大勢いることや、校内の風紀を乱すという点においては他の追随を許さないことでも有名な人物だった。

〝女帝〟の盟友の出現に教室全体がざわつく中、当の本人は周りを一顧だにすることなく、いかがわしいスキンシップを続行する。


「それじゃ~、ちょ~っと味見させてもらうわね~」


 味見の意味がわからず、聞き返そうとするも、


「ひょうッ!?」


 首筋を舐められ、またしても珍妙な悲鳴を上げてしまう。

 まさか、言葉どおりの意味だとは夢にも思わなかった。


「うんうん、悪くないわ~。これならの方も期待できそうね~」


 史季の体の表面をなぞるようにして這わせていた両の指が、生きた蛇のように股間に伸びようとしたその時、



「いい加減にせぇ」



 幼女じみたかわいらしい声が聞こえたのも束の間、バチッという音ともに冬華が「あぁん❤」と嬌声を上げて倒れ伏す。


「すまんな。ウチんとこの色魔が迷惑かけて」


 分別を感じさせる物言いで謝ってきたのは、声音どおり幼女じみた外見をした女子生徒だった。


 ウルフボブの髪は金色に染めており、その色合いは川藤の汚い金髪と比べるのが失礼なほどに鮮やかだった。

 顔立ちは声音に負けず劣らずかわいらしく、小学生と見紛う小ささと相まって、小動物にも似た愛くるしさに充ち満ちている。

 制服のスカートはくるぶしに届く程にまで長いものの、両側ともに太股の中程からスリットが入っており、その隙間からはタイツに包まれた細脚が露わになっていた。

 小さな手には、警棒に似た形をしたスタンガン――スタンバトンが握られており、バチッという音がしたのも冬華が倒れたのも、全てはこれの仕業だろう。


 この小さな少女――月池つきいけ千秋ちあきもまた小日向派の一人で、〝女帝〟と呼ばれる以前から夏凛の背中を冬華と一緒に守っていたという話は、学園内でも語り草になっていた。


(というか、スタンガンって密着してても人から人に感電しないんだ……)


 よくよく考えたら、護身用である以上取っ組み合いになった状態でも使えないようでは何の意味もない。

 そのことを鑑みれば、人から人に感電しないのは自明の理だが……正直、あまり知りたいとは思わないことわりだった。


「ひどいわ、ちーちゃん。公衆の面前で電流プレイなんて」


 上体を起こし、手近にあった机にしなだれながら冬華は抗議する。


 夏凛よりもさらに着崩した制服は、豊満の一語に尽きる胸元を惜しげもなく曝け出しており、夏凛よりもさらに短いスカートは、ハイキックなどするまでもなくちょっとした拍子で下着が見えそうな案配になっていた。

 草食動物全開な史季からしたら、正直目のやり場に困って仕方がない。


「公衆の面前で破廉恥な真似をするテメェが悪い。つうか、プレイってなんだプレイって」

「もちろん言葉どおりの意味よ~」

「今度は電圧マックスでかましたろか、こら」


 などと、なんとも口が悪い千秋だが、耳が蕩けそうなほどの幼女声ロリボイスなせいで、迫力がないを通り越して微笑ましさすらある。

 実際、千秋と話している冬華の表情は、それはもうニッコニコだった。


 そんな二人のやり取りを困り顔で傍観していた史季の肩を、誰かが後ろからトントンと叩いてくる。

 何の気なしに振り返ると、背後にいた誰か――夏凛の人差し指が史季の頬を突いた。


「やーい、引っかかってやんの」


 子供じみたイタズラを成功させたことを子供のように喜ぶ彼女に、史季は「ど、どうも」とワケのわからない返事をかえす。

 状況が混沌としすぎて、理解がまるで追いつかない。


「にしても冬華に抱きつかれた時の史季の顔ったら……なんだかんだで男の子だねー。このこの」


 ニヤニヤ笑いながら脇腹を肘で小突いてくる夏凛に「距離感がおかしいという意味では、小日向さんも大概だよ」と心の中で思えど、さすがに口には出さなかった。


「つーわけで史季、飯行こーぜ」


 最早ざわつきっぱなしだった教室が、今の一言でさらにざわつく。


「おいおい、〝女帝〟が後ろ盾になったどころの話じゃなくないか?」

「なんであんな奴が〝女帝〟の派閥に!?」

「羨ましいような、そうでもないような……」


 そんな周囲の声を歯牙にもかけず、夏凛は千秋と冬華に言う。


「おまえらも行くぞー」

「おう」「は~い」


 流されるがままに、史季は夏凛たちともに教室から出て行く。


 小日向派は学園最強であると同時に、揃いも揃って上玉であることも学園内で評判になっている。

 そんな彼女たちに囲まれている状況を恐がるべきなのか喜ぶべきなのか、もう何が何やらわかっていない史季にわかるはずもなかった。

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