第5話 ケンカのあと

「本当に、あのまま放っておいて大丈夫なの?」


 駐車場を離れながらも、史季は夏凛に訊ねる。

 放っておいて云々は、もちろん川藤たちのことを指した言葉だった。


「だいじょーぶだいじょーぶ。そのうち勝手に目ぇ覚まして、勝手にしょぼくれて、勝手に家帰っから。まー、あたしらのケンカ見て誰かが通報タレこんでたら、警察ポリさんのお世話になってるかもだけど」


 それはそれで大丈夫ではない気もするが、散々いじめられた手前、どうせなら警察のお世話になってほしいと思わなくもない史季だった。


 しばらく歩き、大通りの手前まで来たところで、


「あっ! 夏凛先輩っ!」


 夏凛の後輩であり、史季が川藤たちから助けた黒髪の女の子が、笑顔を浮かべながらこちらに向かって手を振ってくる。

 そして、人波をかき分けるようにして駆け寄ってきて――史季たちの目の前まで、ヘッドスライディングもくやとばかりに派手にすっ転んだ。


 大通りの傍でそんなことをやらかせば必然的に衆目を集めることになるも、集まった人の目が女の子から自分に移っていくのを見て、史季は首を捻る。

 人の目を集めるような特徴がないことを自覚している分、余計に。


「おまえら、ちょっとこっちに来い!」


 夏凛一人だけが慌てふためきながらも史季と女の子の手を取り、引きずるような勢いで歩き出す。

 引っ張られるがままに大通りから離れ、辿り着いたのは、やはりというべきか人気の少ない公園だった。


 いい加減、自分が人の目を集める理由を知りたかった史季が、夏凛に向かって口を開きかけるも、


「わわっ! よく見たらひどい怪我じゃないですかっ!」


 黒髪の女の子が悲鳴じみた声を上げたところで、史季はようやく得心する。

 散々川藤に顔面を殴られたのだ。

 顔に痣ができていたり腫れ上がったりしていても、特段おかしい話ではなかった。


「つーか、おまえはおまえで平然としすぎだっつーの。初めはちょっと喋ろうとしただけでも痛がってたってのに」


 言われてみれば確かに、殴られてすぐの時は慣れない痛みに苦しんでいたが……もしかしたら自分は、腹と顔の違いはあれども殴られ慣れているせいで、痛みに慣れるのも早いのかもしれない。

 考えるだに哀しい、新しい自分の発見だった。


「ままままずは消毒をしないとっ!」


 そんな史季を尻目に、女の子は肩にかけていた鞄を忙しなく漁り、小さな容器に入った消毒液とガーゼを取り出す。

 続けて、ガーゼに消毒液を染み込ませようとするも、


「あ、あれ?」


 傾けた容器に指を押し込んでも消毒液が出てこず、女の子はさらにわたわたと慌てだす。


「ど、どうして!? まだ消毒液は入ってるはずなのに!?」


 女の子はますます慌てた声を上げながら、あろうことか消毒液の容器の噴出口を下にした状態で覗き込み始める。


 次の瞬間に訪れる惨事を幻視した史季と夏凛が、慌てて制止の声を上げようとするもわずかに遅かった。


「ぎにゃ――――――――――っ!!」


 ブシューと勢いよく噴き出した消毒液が目に直撃し、女の子が悶絶する。

 下から噴出口を覗き込むだけでも大概なのに、そこからさらに容器を指で押し込んで消毒液を噴出させる未来までは、さすがに史季も夏凛も幻視していなかった。


「アホかおまえは――――っ!!」

「は、早く水飲み場に!」



 一五分後――



「本当にすみませんでした! それから助けてくれてありがとうございました!」


 女の子――桃園ももぞの春乃はるのは、水で洗ってなおいまだに充血している双眸をそのままに、史季に向かって頭を下げる。


「いや、まあ、実質助けたのは小日向さんだし、桃園さんにはこうして応急処置をしてもらったから、そんなにかしこまらなくてもいいよ」


 その言葉どおり、今の史季は、春乃の指示に従ってコンビニで買った氷をこれまたコンビニで買った二枚のビニールに詰め替えた上でタオルに巻いたものを、川藤に散々殴られた両頬に押し当てていた。


 さすがに夏凛と春乃に押し当ててもらうのは気が引けたので、史季が自ら押し当てる形になっていることや、大惨事を招いた消毒液が結局必要なかったことはさておき。

 先程の一幕が信じられないほどに、春乃の処置は的確だった。


「春乃は両親ともにお医者さんだからな。これくらいお手の物ってわ――」

「わたしでドジですぐ怪我しちゃうから、お父さんとお母さんが『これだけは絶対に覚えろ』って何度も教えてくれたんですよ。だから、応急処置こういうことには慣れてるんです」


 恥部と言っても過言ではないようなことをあけすけに語る、春乃。

 気遣いをスルーされた夏凛は「わざわざ言わなくてもいいのに」と言いたそうに、片手で頭を抱えていた。

 ちなみにだが、春乃の鞄の中には、ちょっとした救急箱に匹敵する程度にはガーゼやら包帯やら絆創膏やら消毒液やらが詰め込まれていた。

 おそらくこれも、彼女のご両親の入れ知恵だろうと史季は思う。


 夏凛は「まー、とにかく」と、仕切り直すように前置きしてから、いつの間にやら取り出した鉄扇で史季を指し示した。


「あらめて紹介するぜ。こいつはオリフシシキ。あたしと同学年タメ学校ガッコも同じだから、春乃にとっては一コ上の先輩ってわけだ。で……」


 今度は春乃を指し示し、言葉をつぐ。


「この子は桃園春乃。もう言う必要もねーだろうけど、あたしらと同じガッコで、一コ下の後輩だ」

「はい! 夏凛先輩の後輩です!」


 と、嬉しそうに言う春乃だが、こうして彼女と夏凛を見比べると、外見だけに限れば春乃の方が先輩に見えて仕方なかった。


 夏凛自体、身長は同年齢の平均くらいで顔立ちも年相応なので、彼女に問題があるという話ではない。

 単純に、春乃の外見が半月前まで中学生だったとは思えないほどに成熟しているせいで、同じ高校生にはどうしても見えないのだ。


 もっとも、それはあくまでも黙って突っ立っていればの話であって、外見とは逆の意味で半月前まで中学生だったとは思えない点が散見しているが。


「僕が言うのも何だけど、何というか、聖ルキマンツ学園に似つかわしくない子だね」

「だよな。だから、あたしも別のガッコにしとけって言ったんだけど……」


 入学してから半月足らずの割りには気心が知れているから、おそらくはそうだろうとは思っていたが、今の言葉を聞いて、二人の付き合いが、春乃が聖ルキマンツ学園に入学する以前から続いていることを史季は確信する。

 そしてそれが正しいことを証明するに、春乃は嬉しげに楽しげに、夏凛との出会いを早口に熱弁し始めた。


「去年の今頃の話なんですけどさっきの人たちみたいにわたしを無理矢理どこかに連れ込もうとする悪い人たちと出くわしちゃったんですけどたまたま通りがかった夏凛先輩が悪い人をバッタバッタとなぎ倒して助けてくれてそんな先輩に憧れて聖ルキマンツ学園に入ることを決めたんです!」

「って具合に嬉しそうに語られても、あたしとしちゃ悪の道に引きずり込んだみてーで、ちょ~っと罪悪感、感じてんだよなー」


 などと言いながらも、夏凛は懐から取り出した小さな箱から、煙草に似た白い棒を一本引き抜き、咥えた後、


「ん」


 あろうことか、その箱を春乃に向かって差し出し、勧めようとする。


 まさしく目の前で後輩を悪の道に引きずり込もうとする様を目の当たりにした史季は、両頬に当てていた氷入りビニールを放り投げながらも素っ頓狂な声を上げた。


「ちょちょちょちょちょッ! 何やってんの小日向さんッ!」


 大慌ての史季に対し、夏凛はニンマリと笑いながらも、煙草のような白い棒の入った箱をこちらに向けてくる。


「シキもやるか?」

「や、やるって何を?」

「もちろん、のことだよ」

「……………………へ?」


 シキの口から間の抜けた声が漏れる。


「ほら、駄菓子であるだろ。ココア味とかコーラ味とか。それのパイン味」

「パイン……」


 瞬間、恥ずかしい勘違いをしていたことに気づいた史季は、顔が真っ赤になる。

 それを見て、夏凛はイタズラを成功させた悪ガキのようにケラケラと笑った。


「あはははははっ! こんなにもキレーに引っかかった奴は久しぶりだなっ!」

「先輩っ! そのキレーに引っかかった奴ってわたしのことですかっ!」


 なぜか誇らしげに手を上げる春乃のズレっぷりも手伝って、史季は顔を隠すようにして頭を抱えるばかりだった。


 夏凛がいつも口に咥えている白い棒のことを、まさか煙草ではないだろうと思いつつも、心のどこかで、〝女帝〟ならあり得ないとは言い切れないかもしれないとも思っていた。

 だからこそ、いきなり目の前でパインシガレットを後輩に勧める様を目の当たりにした瞬間、つい止めに入ってしまった。


(よくよく考えたら、駐車場にいた時から咥えていたシガレット、捨ててもいないのにいつの間にかなくなってたよね……)


 まさしく綺麗に引っかかってしまったことを理解した史季は、がっくりと肩を落とす。

 夏凛は春乃にシガレットを一本あげてから、口の開いたシガレットの箱をこちらに向けてくる。


 箱のデザインはどう見ても煙草のそれだが、よく見れば確かに、前面にデカデカと「パインシガレット」と書かれていた。


 とはいえ、箱を持つ指の位置次第では隠すことも難しくはないし、何だったらネタばらしをする前は、夏凛はちゃっかりと隠していたような気がしないでもないが。

 などと、ゴチャゴチャ考えていたことが顔に出ていたのか、夏凛は聞いてもいないことを答え始める。


「そもそもあたし、匂いが嫌いだから煙草なんて吸う気もねーし」

「だからって、どうしてパインシガレットを?」

「好きな味だからってのもあるけど、なんかかっこいいじゃん。こういうの」


 なんとも俗っぽい答えを返しながらも、パインシガレットの箱をこちらに差し出してくる。


「そういうわけだから、シキも一本やるかい?」


 完全に確信犯な言い回しに顔を引きつらせるも、この流れで断るような度胸もなかったので、おとなしく一本頂戴する。

 口に咥えると、ほどなくしてパインとハッカの香りが口腔いっぱいに拡がった。味の方は、けっこう好きな感じかもしれない。


「今のようなタイミングで警察ポリさんに見つかると、これがまたおもしれーんだよなー。こんな外見なりだから一発で勘違いされるし」


 楽しげに笑いながら、夏凛は言う。

 春乃もつられたように笑っているが、史季一人だけはますます顔を引きつらせるばかりだった。


「まー、ふざけた話はこれくらいにして、ちょっと真面目な話をするけど……シキ。明日は念のためガッコ休んで、お医者さんに顔の怪我診てもらえよ」


 言葉どおり真面目な顔で言いながらも、春乃を見やる。

 憧れの先輩からの視線が何を意味しているのかをしっかりと理解した彼女も、後押しするように言った。


「その方がいいと思います。本当なら今日中に行った方がいいんですけど、日曜日ですし、わたしのお父さんとお母さんを頼ろうにも今日は学会で帰りが遅いですし」


 後半の言葉には、史季はむしろとホッとしていた。

 いくら春乃を助けたことで負った怪我だと言っても、そのご両親に診てもらうのは気が引けるどころの騒ぎではなかった。


 兎にも角にも、ケンカ慣れしている夏凛と、医者の娘である春乃がこう言っている以上、従うべきだと史季は思うも、


「ただ……下手に休んだら、次の日川藤くんたちに何をされるか……」

「あたしに隠れて、いじめなんてやってるようなヘタレだろ? さすがに、あたしとの約束破ってまで報復なんてしてこねーだろ」

「でも川藤くん、僕に蹴られたことすごく怒ってたし、結局倒したのは小日向さんだったし……」

「あー……言われてみれば確かにそうだな」

「……ごめんなさい。わたしのせいで……」

「いやいや、桃園さんのせいじゃないから!」


 しょぼくれる春乃と、慌てて否定する史季を尻目に、夏凛は顎に手を当てて考え込んでから、こんなことを言い出す。


「しょうがねー。ここまで関わっちまった以上、最後までケツ持ってやるか」

「こ、小日向さん……女の子がケツとか言うのはちょっと……」

「あーあーあーうるせーうるせー。つーか今時、女だからとかどうとか言う考え方のほうが古いっつーの」


 そういう風に言われては返す言葉もなく、史季は口ごもる。


「とーにーかーくー、シキは川藤たちの報復が恐いんだろ? けど、あたしもあんたのことを四六時中見張ってやれるほど暇じゃねー。だから……」


 夏凛はニッカリと笑うと、まさかすぎる言葉をつぐ。


「あたしが、ケンカのやり方教えてやんよ」

「……はい?」


 史季の口から漏れた返事ともつかない言葉は、滑稽なまでに間の抜けた響きになってしまっていた。

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